伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

それでも生きていく

2008年09月30日 | Weblog
細かい雨が降っています。ひどい降りにはならないようですが、
今日は一日どんよりとした空の一日になりそうですね。

色んなことが起きます。なんでも起きることがありえるのが日常であると
わかっているつもりでも、実際突然起きてしまうと動揺したりうろたえたりしてしまいます。
それはたいてい不幸がおきたときですが、何の根拠もないのに“ありえない”
という考えが先に立っているので、現実を受け入れられない状況になってしまいます。
そんなに落ち着いた人はそう滅多にいないでしょうが、おどろき、強いかなしみにおそわれても、
時間をかけながらも現実を受け入れ次の行動に移らなくてはいけないでしょう。
坊主はなおさらそこがもとめられます。
悲しみ・試練は突然ふりかかります。実際自分に来た時、対処できるかは起きてみないとわからないでしょう。
“大丈夫”だなんて普段から思い込んでいたら逆に痛い目にあうかもしれません。「感情をなくせ」ということではありませんが、ありのままを受け入れられるか、は普段「なんでも起きるのが日常なのだ」という“覚悟”をどこかに持っていないと自分自身が立っていられなくなってしまうでしょう。
それでも人は起き上がって歩んでいくしかありません。生きていくしかありません。
あまりにも悲しい現実を目の当たりにすることが多いのが寺にいる坊主のつらいところですが、今日もまたこの現実をうけいれながら、“今”を生きて行きます。

変化を見る

2008年09月29日 | Weblog
まだ雨は降っていませんが午後から降るみたいですね。
今にも降りそうなくもり空の朝です。

日が暮れるのがはやくなってきました。子どもたちもいままでの調子で
遊んでいると帰る頃には薄暗くなっています。
昨晩は肌寒くて、もう一枚着ないといられないくらいでしたね。
これから紅葉がはじまりますね。境内もいままでの緑から様々な色に日ごと
変わっていきます。毎年の出来事ですが今年はブログのおかげで毎日の変化を
“よ~く気をつけて見る”という意識になりましたので、私もとても楽しみです。
意識次第で当たり前が“新鮮”にかわります。ウキウキ感も出てきます。
変化に気づき、変化を楽しむことが日常をまったく別のものに変えてくれます。
意識次第なんですよね。あらゆるものは変わり続ける…というのは佛教の根本の考え方ですが、
そこのところを本当に理解することはなかなか凡人にはむつかしいです。
私もその一人ですが、変化を楽しみ、変化を否定しないで受け入れること、
私自身も変化していて固定したものでないことを、あっという間に過ぎ去っていく秋の紅葉のなかでじっくり見つめていければいいなと思います。

あきらめずに

2008年09月28日 | Weblog
くもり空の朝です。もう半そでではおもてに出られませんね。
彼岸を過ぎるとほんと季節が変わってしまいます。

毎週日曜の朝6時には二女の空手のけいこがありますので
小学校の体育館まで送っています。もう6年目になりました。
これから寒くなると送る親もけいこをする子どもにもつらい
季節になります。
私が子どもの頃はこんなに長く続けたおけいこをしたことがなかったので
わが子ながら感心します。
なんでもそうですが、一つのことを続けるというのはとても難しいことです。
とても飽きっぽい私においては、特に難しいことです。
若い時は特にそうでした。続けることが苦手というか根気がなく自分自身
このまま大人になっても“ものになる”のかなと思うくらいでした。
いつも逃げ腰だったんですよね。
そんな感じでしたので、当然失敗したり、うまくいかないことも多かったです。
“あきらめる”ことが一番自分にとって悪いことなんだと気が付いてから、
やっと立ち直ったような感じがします。
結果はどうなるかはわかりません。ただあきらめずにやり通すということが
とても大切なことなんだとわかりました。
失敗をとおして得たものですが、若い頃そういう苦い思いをしておいてよかったのかなと今は思えてきています。
立ち向かっていく姿勢をいつでも忘れずにいたい、年をとってもそうありたいと近頃よく思います。
人間いつどうなるかはわかりません。本当にこればっかりはわかりませんが、結果を見届けられず、
途中で終わることになったとしても、あきらめずに立ち向かっていることが出来ればそれが最高なんだとおもいます。
そういう生き方をしたいなと思います。

今日もまた…

2008年09月27日 | Weblog
まぎれもなく秋の朝です。空は高く、空気もひやっとしています。
いい土曜日ですね。
昨日の夕方はずいぶん雨が降りました。そのおかげで今朝はよごれが
洗い流されたように輝いて見えます。

人を喜ばせるって大切で、むつかしいことです。
自分がひとから励まされたり、声をかけてもらうと、そのありがたみが
よ~くわかります。自分以外の人のために心を配ることが自分を落ち着かせてくれます。
人間、まず大切なのは自分です。しかし、自分一人では何もできません。
他の助けなくして生きることはできません。お互いを認め合い、手を貸しあうことでやっと自立ができます。
大海に一人放り出されても自分がどこにいるかはわかりません。星や太陽で位置がわかるような人であれば、
おおよその位置がわかるでしょう。人も他の存在があってはじめて自分を確認できます。

どうしても係わり合うことでしか生きていけません。それなら歓びを分かち合いながら生きていきたいです。
苦を超えていくなかに歓びがあります。
ともに越えていく人がいることに感謝し、今日もまた一日を充実させたいです。


つつしみ

2008年09月26日 | Weblog
曇り空ですが所どころ雲がきれて青空がみえます。
ちょっと湿気がある朝です。

日が落ちるのがはやくなりました。昨日は自分の仕事に夢中になり
二女のおけいこのお迎えにちょっとおくれてしまいましたがすでに
薄暗くなっていて、ちょこんと座って待っていた娘が余計気の毒に見えてしまいました。
これからは気をつけなくては。親としては暗くなるのがはやくなると気を使います。
この近辺でも強盗事件が2件ほどあったりしてます。
自分自身が気をつけ、警戒心を持っていないと、これからはいけないんでしょうね。

身について慎むのは善い。ことばについて慎むのは善い。
心について慎むのは善い。あらゆることについて慎むのは善いことである。
修行僧はあらゆることがらについて慎み、すべての苦しみから脱れる。
                       『法句経』
あらゆることに慎むことは、結局自分を守ってくれます。
自分を守り、他を傷つけることもありません。そのかわり難しいことでもあります。
いつものように、気ままにふるまっていてはなんの効果も出ません。
“慎み”は自分を守り、他との摩擦からも守る潤滑油みたいなものかな。
なめらかに回っていくためには必要なものですよね。
食欲の秋においても“慎み”は身体のためにも大切です。
結局自分に返ってきますから。慎みをもっていきましょう。

秋色

2008年09月25日 | Weblog
6時過ぎに雨粒がぽつんと落ちてきました。
今朝は南側にある隣のお寺の鐘の音がはっきり聞こえてきました。
一キロくらいは離れているでしょうから、近隣の民家の皆さんは
あの鐘の音でとび起きちゃいますよね。

これからはひと雨ごとに秋が深まっていくようですね。
心に焼き付いている景色があります。地元の山の紅葉だったり、
小さい時遊んだ野原や、落ち葉が溜まった岸にカヌーを寄せた秋の湖、
実家に帰省したとき見上げた故郷の空、…。やはり秋色の自然の景色が印象に強く残っています。
そんなときは、その景色に目が奪われたのでしょうね。いろんな悩みごととか
日々の様々な煩わしいことから離れて景色に集中できたんでしょう。

悩みや不安から離れることはできます。離れられず、自滅の道を行くか、
意識して離れて軽やかに歩んでいけるか、は当人次第です。
必ずしも自然に抱かれなければいけない、というわけでは当然ありません。
囚われている事柄から離れてみる、客観的に全体をみてみることなんでしょう。
離れないと全体図はわかりませんし、別の進路も見えてはきません。

今日もちょっと落ち着いて全体を眺められるようにしていきたいです。
今日も自分自身に言い聞かせています。







今を生きる

2008年09月24日 | Weblog
だんだん朝の気温が下がってきていますね。10月にあと一週間ぐらいですが、
その頃はすっかり秋という感じになっているでしょうね。
この時期の一週間って、そのくらい大きな変化がありますよね。

首相がかわったり、大企業が倒産したり、合併したり、医療技術がすすんだり、
悲しい事件があったり、と毎日いろんなことが起きています。
昔であれば情報がこんなにすぐに届かなかったし、今ほどややこしい社会でなかったでしょうから
これほどの情報量をテレビやネットで受け取る現代人は大変ですよね。
余計な情報もたくさんありますし、大切な情報もあります。選択する能力が問われますよね。
でも、普段大切にしなくてはいけないのは、身近な家族の情報・変化に気づくこと、自分自身に気づくことですよね。
これこそ見逃してはいけないものです。当たり前に存在するからこそ、その変化や情報を見落としがちです。
気づいて、どう落ち着いて対処するか。落着きをもって対応することが大切なんですよね。どうしても感情が先に行ってしまいがちです。
“生きる”って変化し続けること。老化もあります。今までできたことが出来なくもなります。どう変化するかわからない先の事を心配をして苦しむこともあります。
いろんな期待や心配を離れ“今”をどうするか、今を生きるかが大切なことなんでしょう。

“今を生きる”…以前もこのタイトルを使いましたが、あらためて自分自身に言い聞かせてみました。

あの頃の思い

2008年09月23日 | Weblog
お彼岸の朝は快晴でした。最高のお中日ですね。
今日は一日忙しくなりますので、短めにいきます。

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、
その人は怠っているのである。…牛飼いが他人の牛を数えているように。
かれは修行者の部類には入らない。     『法句経』

そういう人を多く見かけます。自分もそのひとりかもしれません。
小さかった頃大人はすべて道理がわかっていて、けんかなんかしないんだろうな、
と強く思っていた時期がありました。
実際はそうでなかったのですが、いまだに子供のころ感じた気持をおもいだすことがあります。
そうあってほしいと思い続けているんでしょうね。

彼岸の中日、心穏やか過ごし、自分にもまわりにも皆さんにおいてもいい一日であってほしいです。



こころの解放

2008年09月22日 | Weblog
本降りの雨です。しかも寒いです。今日は午後までこんな感じみたいですね。
登校する子どもたちには、ちょっとかわいそうな連休の谷間ですね。

月曜日は私も週末の法事の疲れが出てしまい、お休みしたい気分になります。
ここんところが寺の難しいところなんですよね。本日休業の看板が出せません。
ちょっと気分を変えたいので遠くへいきたい気になるんですが、何年かまえ実際やってみたんですが、
(あの頃は時間があったんですね)思ったように休めませんでした。
心を休めるって場所うんぬんじゃないんだと当時思いました。

どこかに行っても、結局帰ってきて、また普段の生活が待っています。
いつもの生活の中で心を休める方法があればそれが一番です。
目をつむって心を解放するイメージでゆっくり呼吸をします。
吸って、吐いて、をきちんと意識して呼吸します。
瞑想です。どこでもできます。
生活の中では、いつもいろんなことがおきます。
それが生活、生きていくことかもしれません。そのたびに心を痛めつけていては、
心は長生きできません。とらわれから解放してあげないと、傷だらけになります。
自分で心を様々なとらわれから放すしかありません。
ですから遠くにいかなくてもいいですし、遠くに行ってもその気持ちがなくては
意味がないんです。

雨音しか聞こえない部屋で目をつむって深く呼吸を繰り返してみます。
今日の楽しみです。

笑っちゃいましょう

2008年09月21日 | Weblog
ちょっと曇ってます。台風一過の晴天はありませんでしたね。
夜から雨模様になるようですね。すっきりしません。

仕事がたまっています。そんな時はなかなか楽しめません。
楽しめないと気がついたとき、ひとりで顔の体操をしています。
わざわざ、もんのすごい笑顔をつくってみます。人には見せられないような
顔です。イメージで言えば近年つくられた方の映画バットマンの悪役
ジョーカー(ジャック・ニコルソン)の口が耳元までひきつったような
感じで思いっきり笑ってみます。自分で自分を笑っちゃいます。
その程度のことでも気分が変わってなぜか前向きになれてしまいます。
「その程度のことで…」と自分を笑い飛ばします。
ほんとその程度のことです。“苦しみ”の程度は測ることができませんが、
自分が“その程度”と思えば“その程度”に思えてきます。
結局自分で“苦”を作っているんですよね。
今日も一日忙しいですが、人目を気にしながら“ジョーカー顔”をやって、
笑い飛ばしていきます。その程度のことですもん。