伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

吉祥果(ザクロ)

2008年10月31日 | Weblog
今朝も寒いです。これからは、これが普通なんでしょうね。
今日はフリースのベストを着ていますが、もうそういう時期なんですね。

境内のざくろザクロの実が割れてきました。今年は実がたくさんなっています。
以前は2~3個しかなりませんでしたが、ここ数年はよく実がついています。
佛教的には漢字であらわすと“吉祥果”となるんですね。ワードで変換しても“石榴、柘榴”としか出てきません。

鬼子母神(きしもじん・訶梨帝母(かりていも)とも言われる)の話にはザクロはつきものです。
元は鬼神の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうため、
釈迦は彼女が最も愛していた末子・愛好を隠すと、悲嘆痛傷してかぎりがなかった。
そこで仏は説いて、「五百人の子の中の一子すら汝はこのように悲しむ。汝に食われる親の胸中はどうか」とさとしたので、
身につまされて納得し、以後は仏教に帰依し、仏法の護法善神となり、子供と安産の守り神となった。
盗難除けの守護とも言われる。その像は天女のような姿をし、子供を1人(末子の愛好とされる)抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つ。
吉祥果は人肉の味がするから、とも言われるが、これは後になって付け加えられた話である。
というお話がもとなんです。最初聞いたときはとっても怖~い印象を受けました。
寺にある鬼子母神さんは鬼形鬼子母神と言って、怖~い顔をした鬼子母神さんです。

客観的に見ると、やはり伝説的要素が多いように感じますが、鬼子母神信仰はとても強いですね。
「おそれいりやの鬼子母神」で有名な東京入谷のお寺がありますが、庶民にはとても親しまれた存在なんですね。
最初のザクロに戻りますが、その実は半透明の赤いつぶつぶがとてもきれいです。
しかし食べると「すっぱ~いっ!」の一言につきます。一度は食べてみてもいいですね。



ハードル

2008年10月30日 | Weblog
昨晩は一時結構降りましたね。朝はひんやりしています。
今日はあまり気温は上がらないようですね。

“人生は死ぬまでハードルを飛び越えることを続けるようなものだ”
とスリランカの高僧は言います。ホントその通りだと思います。
やっと越えたかと思うとまたすぐに目の前にたちふさがる課題が待ち受けています。
それをまた頑張ってとび越えなければいけません。常にその繰り返しです。
落ち込んでいる暇などないのかもしれません。どうすれば飛び越えることが出来るのか知恵をふりしぼって考えるだけです。
次から次へと迫ってくるハードルを飛び越え続けることが生きることなんですね。

戦場において百万人に打ち勝つよりも、ただ一つの自己に克つ者こそ最上の
勝利者である。               『法句経』

結局、最終的には自分自身で越えるしかありません。自分に打ち克つことでしか
越えることはできないんです。
目の前にあるハードルを今日も越えることが出来るようにしていきたいです。

地域サービスデイ

2008年10月29日 | Weblog
今朝も冷え込みましたね、やはり朝だけでも暖房がほしくなっちゃいます。
まだまだ寒さはこれからなんですが、これでは先が思いやられますかね。

今日は午前中地元小学校の2年生が学区探検で寺に来ます。先日の土曜日は
公民館主催で市内の小学生がやはり寺に一時間ほどきていろいろと見学や質問をしていきました。
普段見慣れた本堂も小学生には驚きの空間らしく、入るやいなや、“すっげー”を連発します。
今日は低学年なのでこちらもよ~くかみくだいてわかりやすく説明しないといけません。これがむつかしい。
児童は学校に帰ってから寺で聞いたことをまとめなくてはいけませんので、この点を踏まえてこちらも話をしなくてはいけません。
ですから、今日のような子供対象に話をするのには、こちらも本質を理解していないと伝えることができません。困難な相手です。
しかも、興味の対象はこちらの熱意とは関係なく、太鼓などの“鳴り物”や境内の“ザクロの実”とか音が鳴るものや変わった物に結局意識が持っていかれるということがほとんどです。
それでも仕方ありません。一生懸命相手をすることが今日の私の大切な役目です。
来てくれるだけでもありがたいと思ってサービスさせていただきます。
地域、日本の将来を担う子どもたちは大切にしないと!



ギンナン拾い

2008年10月28日 | Weblog
雲ひとつない快晴の朝です。ちょっと冷え込んでます。
昨晩11時前くらいから急に強い雨が降り出して驚いてしまいましたが、
長く降らなかったみたいですね。

イチョウの実(ギンナン)が落ち始めています。春に枝を落としたのでそれほどの
数は落ちてませんが、あの独特なニオイが少々気になります。中身は秋の味覚と言うんでしょうか、
これまた特徴のある味の実です(私は好きです)。
しかし、食べられるようにするまでは手間がかかりますよね。
子どもの頃は自宅そばにあった岩手大学のイチョウ並木によく行ってビニール袋いっぱいになるまで拾ったもんです。
鼻をつまみながら割り箸を使って拾ったくらい、ホントすんごい臭いだったので、記憶に鮮明に残ってますね。
拾った後の作業は自分たちでやったのか、それとも母が仕方なくやったのか覚えていませんが、
ストーブの上であぶって、パッーンと殻がはじけるのをおっかなびっくりしながら楽しく食べたのはよ~く覚えています。
栗を拾いに行ったり、アケビを見つけに行ったり、クルミの実を落としに行ったり、あの頃は遊びながら食べていたんですね。
収穫はギンナンが一番でしたが(くさかったけど)。
身体を動かして、いろいろ工夫をして、味わって。今思えばいい子供時代だったんですね。
あの頃は遊びの中にも手間がかかることをしてたんですね。スイッチオンですぐ遊べる今の子どもたちとは違ってたんですね。
現代の子どもたちに責任はありませんが、手間のかかる遊びが出来ないのは、かわいそうなことかもしれません。
手間がかかりながらも遊んだり、ニオイや味が記憶に残ることがない今の子どもたちの遊びは、大切なものが欠けているのかもしれませんね。

おばあちゃんの植木

2008年10月27日 | Weblog
ひんやりとした空気の朝です。今日は日中晴れるみたいですね。
もう週末には11月になっちゃうんですね。何かとあわただしい
10月最後の週になりそうです。

今日のブログの写真の植木は先日「つくば」から来たというおばあちゃんが
まるで子連れ狼の手押しの乳母車のようなものに植木を何鉢かいれて寺に売りに来たものです。
85歳のおばあちゃんがまだ現役で植木を売りに来るなんて…。
すべてはおばあちゃんの自己申告による話なのでその真意は定かではありませんが、
もし近場から来たとしてもあの乳母車のようなものを押してくるのは大変です。
たしかに85歳といわれればそう見えなくもないお姿。近頃被写体に苦労していたところなので思わず買っちゃいました。合計3鉢。
しかし、あの歳になっても働けるなんてすごい!尊敬いたします。ふつうなら身体の調子がいいおばあちゃんなら公園で老人会の輪投げやゲートボールやらをしているくらいですが…、すごい。
私も、あのおばあちゃんの様に老いても働けることが出来ればいいなと思います。
今日もこれから忙しいですが、文句を言わずにあのおばあちゃんを目標に今日もがんばります!

切り替え

2008年10月26日 | Weblog
今日もくもり空の朝です。家の中は明かりがないと暗いですね。
これからはブログの写真を撮るには今までの時間では暗くて
ダメかもしれませんね。冬時間に移行する必要があるかもしれません。
先日行った総本山の朝のお勤めも10月から冬時間になり、30分遅くなって、
5時30分から行っています。今朝も二女を空手の稽古に送ってきましたが
やはりもうじき30分遅れの6時30分開始にかわります。
昔はあったそうですが、サマータイム制度はなんかピンときませんが、冬時間制度なら
日本人にも感覚的に理解できます。でも経済・環境効果には役立ちませんかね?

切り替えは何でも簡単にはいきませんね。それなりのエネルギーを要します。
でも、切り替えることが出来なければ、周りから取り残されていきます。
心の切り替えも同じでしょう。頑固に切り替えを拒否していたならば、孤立していくだけです。
私にも切り替えが必要な個所があります。きっとかたくなな心のままでは周りにもいい影響は与えないでしょう。
ちょとここで心落ち着かせていかなくてはなりません。

くもり空の一日になるようですが、心のくもりを払うようにしていきたいです。

身体が第一

2008年10月25日 | Weblog
雨上がりの朝の空はきれいですね。しかし、昨日の日中の雨は
もんのすごかったですね。ただ、子どもたちの登下校にひっかからなくてほんとよかったです。
今朝はあの雨のおかげで先日まで庭師さんが作業した石や雑草の掘り返した跡が
すっかり消えて落ち着いた感じになりました。
ちょっとした“破壊と再生”みたいな感じです。
なんともうまくいかない状況を変えるにはとんでもない方法を与えてみることって、やはり必要なんですかね。
私の周りにもそんな状況がいくつかあります。このままずるずる引き延ばして様子をうかがっても
いい結果はあらわれない状況なんですよね。時間の無駄、って感じなんです。
積極的改革がいまこそ必要!なんですが、そういう時っていろいろ重なってしまうものです。
一つひとつが大きい課題なんですが、いっきに解決はできません。あきらめずにこつこつと解決していくしかありません。
ただ注意することは自分の身体をいたわることですよね。無理はダメです。
無理はダメと言いながら、今日も朝から忙しいのでこのあたりで切り上げさせてもらいます。
忙しいうえに様々な問題を抱えている(私と同じ)中高年の皆さん、身体にだけは注意して今日もがんばりましょう!


お互い様

2008年10月24日 | Weblog
夜明け前、強い降りの雨音が聞こえましたが、今朝外に出たら
ポツポツとした降り方になっていて、このまま止むのかと思いましたが
ブログを書いている最中また本降りになってきました。
今日は降ったり止んだりで時折強い降りになるそうですね。
梅雨時みたいな一日になりそうです。

昨日で毎年この時期お願いしている境内の植木の手入れが終了しました。
庭師の皆さんお疲れ様でした。二週間くらいに亘っての作業になりましたね。
植木の数が多いのでこのぐらいかかっちゃいます。
今回は親方が体調不良で代理に若い親方でしたので、こちらも気安く色んなことを
頼んじゃいました。しかもサーファーですから。たくましく日焼けしてます。
なかなか仕事が忙しく行けてないみたいですが。
「実家に庭がなかったんで、庭師になりました。」「実家が海のない群馬なんでサーフィンやってます。」とか、
おもしろいことを淡々としゃべってくれます。
それにしても厳しい仕事です。真夏の庭師さんの苦労は半端じゃありませんし、いつも危険な作業ですし、ほんと頭が下がります。
「これだけの植木を触らせてもらえるんで、ありがたいっす。」なんていってくれましたが、こちらも手入れが行き届いていない植木をさらすのは、とてもみっともないので、持ちつ持たれつで助かります。
なんでもそうですが、“お互い様”の世の中です。お互いが感謝し合える中で生活が出来れば、それが最高でしょう。
この世知辛い世の中で、なかなかそんな関係が成り立つことは少ないかもしれませんが、
意識次第で、ものの見方次第で、日常の当たり前と思えることに感謝できることはたくさんあります。
食事ができること、仕事が出来ること…、当たり前とおもえることは実は大変ありがたいことです。
今日もその気持ちを持って一日がんばりましょう!

“テキト~”から離れましょ

2008年10月23日 | Weblog
くもり空で薄暗い朝ですね。というか日の出が遅くなってきているので
余計そう感じちゃうんでしょう。だんだん朝がつらい季節になります。
毎朝境内を決まった時間に歩いていますが、今年の2月から始まった
この“ブログ”という習慣のおかげで移り変わる季節の中での庭や空をしっかり
確認できることに感謝しております。この寺に住むようになって16年ほど経ちますが、
こんなに朝の境内を楽しみにできるのはブログのおかげでしょう。
いろんな変化があります。この時期は草花も終わりに近づきますが、その直前までの精一杯の様子を感じることができます。

毎年繰り返されてきたのでしょうが、私にとっては初めての秋のように思います。
それだけ今までいいかげんに見ていたんですね。こんなに変わり続けているのに…。
なにごとも“テキト~”にやっていれば、そこからは何も得ることはできませんよね。
何にも気がつかずに終わってしまいます。大切なことを見逃してしまいます。
“気づく・気づき”の心を佛教では特に大切にしていますが、ホント大切なことです。
無駄に一日を過ごさないように今日も“気づき”を胸に留めていきたいですね。


返しきれないほど

2008年10月22日 | Weblog
気持ちいい朝が続いています。でも明日からは崩れるみたいですね。
境内もいい感じに色づいてきました。
葉っぱ一枚一枚が微妙に色が違います。形も同じものはありません。
この世の中に全く同じものというのは生物界では存在しないのでしょうね。
私たちも一人ひとりが二人といない唯一無二の存在です。
世界の人口が67億と言われますが、67億種類の人格が存在するんですね。
個々が貴重な存在であるべきなんでしょうが、いい方の人格より悪い方の人格を
表に出してしまい社会に貢献できないままでいてしまう人も多いんでしょうね。
せっかく生まれ、一人前になるまで多くの人の世話を受けてくるのですから、恩返しをしなくちゃ、
借りばっかりの人生だと最悪債務超過で自滅してしまいます。
借りたら返すは当たり前です。地球からは今までたくさんの酸素を使わせてもらい、せっせと二酸化炭素を出してきました。
水も大量に使わせてもらい、汚水として垂れ流してきました。
両親家族からは無償の愛をいただき、多くの人間関係を通して様々な恩を受けてここまで来れました。
そろそろ返すことに意識をもっていかなくてはなりません。
受けた恩は生涯をかけてもおそらく返しきれないでしょう。
“返していく”という意識だけでも忘れずにいたい、それが私にとって“生きること”だと思っています。