総合雑誌のアンケートにまじめな川柳、不真面目な川柳
という項目があった。
私は回答しなかったが
非まじめな川柳という項目があっても良いと思った。
このBLOGで主張しているのは
川柳を文芸あるいは自己の発信のツールと捉えるなら
作品に責任を持つべきで、
その場限りの句境をあらわすペンネームは
雅号とはいえないのではないかと言うことだ。
その意味で私にとっての不真面目な川柳は
作品としてどんなに優れていても
作者名のないもの、
雅号が雅号としての意味を持たぬものということになろうか?
という項目があった。
私は回答しなかったが
非まじめな川柳という項目があっても良いと思った。
このBLOGで主張しているのは
川柳を文芸あるいは自己の発信のツールと捉えるなら
作品に責任を持つべきで、
その場限りの句境をあらわすペンネームは
雅号とはいえないのではないかと言うことだ。
その意味で私にとっての不真面目な川柳は
作品としてどんなに優れていても
作者名のないもの、
雅号が雅号としての意味を持たぬものということになろうか?