ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【壊血病】難波先生より

2014-10-06 12:42:43 | 難波紘二先生
【壊血病】前号で S.R.バウン『壊血病』(国書刊行会)の新聞書評について取り上げたが、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)『耳嚢(みみぶくろ)』(岩波文庫、3巻本)を読んでいたら、壊血病が「チンカ」という名称で記載されているのを見つけた(下巻、巻の八、p.105)。
 根岸鎮衛(1737-1815)は徳川旗本の家で、最後は江戸南町奉行になっている。成人してから見聞きしたことを書き留め、これを30年ほど続けた、書き留めた話は一巻平均100話で、全部で十巻ある。およそ1000話だが短い話が多い。
 鷗外が「失せものを探すには、探そうと思うな。部屋を片付けるというつもりでやると、ひょっこり出てくる」と述べているが、もともとは同時期に成立した金敬鎮『青邱野談』(東洋文庫)という李氏朝鮮の随筆集のレベルがあまりにも低いので、比較のために江戸中期の随筆集『耳嚢』を読もうと思ったのだ。
 で、たまたまそこに以下のような話があるのを見つけた。(現代語訳した。)
 「チンカという病名のこと。
 北海に住む人たちの間に、最初に足に赤い星のような、あざ様のものができて、徐々に黒くなり、歯茎なども黒くなる病気が起こり、百日1)あまりで死ぬとのこと。この病気はオロシャの土地には多く、チンカという病名で呼ぶそうだ。中国の医書『医宗金鑑・外科部』に「青眼牙疳」2)とあるのは、チンカのことで、これを治療する方法は『医宗金鑑』に書かれているとのこと。「股の黒くなったところは、針を刺して血を取るのがよい」とあるそうだ。
 医学生の与住(よずみ)が来て話したことである。」
 注1:校注者長谷川強によると、写本の系統により語句の差があり、「三村本」では「百日」とあるという。岩波文庫の長谷川校注は「百人」としているが、病気の症状・経過を述べた箇所であり、「百日」が正しいと思われる。
 これが壊血病の症状とその対症療法を記したものであることはまず間違いがない。「チンカ」は「オロシャ」の地の病名というようにもとれるが、ロシア語かどうかは私にはわからない3)。
 注2:藪野直史「Blog鬼火」というネット記事では、
 http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2014/06/post-bafc.html上記の藪野氏のコメントに
<「醫宗金鑑外科部」清の乾隆四(一七三九)年刊行の乾隆帝勅撰、医官呉謙らの編になる九十巻の漢方医学全書。臨床的で実用的な医学書として高く評価された。
「腿牙疳」岩波が底本としたカリフォルニア大学バークレー校版は『眼牙疳』とするが誤写。「醫宗金鑑外科部」の「外科卷下 股部」の最後に「腿牙疳」とある。因みに「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏である。>とある。
 「腿牙疳」とは腿に青あざができ、歯がゆらぐ(疳)状態を表しているのだから、意味が通じるが、「眼牙疳」では意味不明である。よって岩波版底本が写本ミスであるとするのは妥当だろう。
注3: 上記「Blog鬼火」には、「チンカ」について、
 <「チンカ」現行ロシア語で「壊血病」を意味する“цинга”(ツィンガー)である。…「亞港(ヲロシヤ)」は底本のルビ。ここでは「ヲロシヤ」とルビを振って漠然とした広範囲のロシアの汎名として用いているようにも見えるが、「亞港」は狭義にはサハリン(樺太)島北部の古都アレキサンドロフスク=サハリンスキーの日本名の呼称である。因みに「おろしや」の「お」は発音し易くするための接頭語として附したもの>とある。
 試みに藤川游『日本医学史』(日進書院, 1941)を見ると、「日本最初の西洋医学内科書は宇田川槐園がゴルテル『内科書』(1744)を訳した『西洋内科選要』(1793)で、ここにシケルホイク(Scorubutus)として載っているのが、『醫宗金鑑』にある「腿牙疳」と同じものだ」と述べている。シケルクボルクはドイツ語のスコルブート(Skorbut)、英語のスカヴィScurvyのことで「壊血病」を意味する。ドイツ語のもとは、デンマーク語のスコルブク(Scorbuck)で、古代アイスランド語に起源があるという4)。だからアイスランドのような北方地帯では緑野菜が欠乏する冬場には、風土病として古くからあったものだろう。
 注4:K.J.カーペンター『壊血病とビタミンCの歴史』(北大図書刊行会, 1998, p.41)
 どうも岩波文庫版の長谷川校注本はそうとう手抜き本のようだ。編纂も良くない。あと『耳嚢』の比較的入手しやすいテキストには鈴木棠三・編注本『耳袋(2冊本)』(東洋文庫, 1972)があるから、こちらを利用した方がよいかもしれない。
 日本人の壊血病のことは、1813年に遭難した「督乗丸」の船頭重吉の『船長日記』(「世界ノンフィクション全集24」,筑摩書房, 1961)に出てくる。督乗丸は相模灘で難破してから中米沖で英国船に救助されるまで、1年2ヶ月間漂流している。11/4に遭難し櫂と帆柱を失い、漂流を開始して翌年3月頃から乗組員に壊血病が発生している。
 5/8~6/2の間に船員12名中10人が死亡している。船頭の重吉は自分も罹ったが、皮下溢血部を剃刀で切り、黒い血を絞り出し、傷ににがりをつけるという自己治療をしたので助かったと述べている。これは『醫宗金鑑』外科部にいう治療法と同じだが、重吉にどうしてこの知識があったか不明だ。
 また海水を蒸留して、飲み水の真水を取る「ランビキ」という方法を実行しているが、これもどうして知っていたか不明だ。ランビキは蒸留装置を意味するアラビア語Lambiqに由来するとされるが、ポルトガル語などヨーロッパ語にも同様な言葉が入っていた。17世紀末には日本でも蒸留装置が使われていたようだから、重吉も装置のことは知っていたのだろう。
 随筆や説話や旅行記のたぐいを読んでいて、こういう思いがけない「発見」があると、個別の知がネットワーク状につながり、そこに学問的な「意味」が浮かび上がってくることがある。それだと読んだ甲斐があり、日垣徹が『つながる読書術』(講談社現代新書)で述べているような、面白みがある。
 ところが、別に悪口ではないが、李氏朝鮮の文人による紀行文、随筆、説話集のたぐいを読んでも、「感想」や「感情」(多くは日本人と日本への蔑視)は書いてあっても、知的好奇心のほとばしりである「客観的な事実」の記載がほとんどなく、がっかりさせられる。
 たぶんこれが日本と朝鮮との大きな違いだと思うが、まあ、これについてはもう少し朝鮮の本を読み込んであらためて書くことにしよう。
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