ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【心肺停止】難波先生より

2014-10-06 12:49:40 | 難波紘二先生
【心肺停止】
 UnknownさんからJCAST-NEWSの情報をいただいた。どうもありがとう。
 http://www.j-cast.com/2014/09/29217057.html
 海外の報道では< "heart and lung failure"を使ったAP通信やワシントンポストは「日本の当局による、医師が診断する前の遺体の慣例的な言い方」と説明した。英語圏以外では、中国の中国新聞網が「無生命跡象(生命の兆しがない)」と書いており、生存にかなり悲観的な表現だ。>となっており、順当な報道だと思う。
<AFP通信は"cardiac arrest"を「医師が死亡を宣言する前に使われる」と説明。ウォール・ストリート・ジャーナルは「死亡しているおそれがあるが、医療的に正式な死亡が宣言されていない」と補足する。>と「用語解説」を付け加えているようだ。こらなら満足ができるが、日本の報道では<「心肺停止・死亡」確認と確認された登山者が合計36人>と両者を同列に扱った記事は、9/30「産経」しかなかった。
 10/2「読売」は<長野県警などは1日、約40時間ぶりに捜索を再開、心肺停止状態で倒れていた遭難者35人を搬送し、全員の死亡を確認したと発表した。>と報じているが、これは正しい。「産経」報道以後、各紙が改めたということだろう。
 「医師が正式の死亡診断をする前は心肺停止として扱う」という長野県警の方針は、9/30「産経」の署名入り解説記事にしか報じられていない。長野県警は「検視」という言葉で逃げているが、「検視」とは、日本の法令用語上では「検察官、またはその代理人によって行われる死体の状況捜査のこと」と定義されている(WIKI)。「刑事訴訟法」229条にも「変死者または変死の疑いがある死体は…検視をしなければならない」とあり、これには「変死体について検視する場合においては、医師の立会を求めてこれを行う」(検視規則5条)と定められている。
 つまり「検視」は死人を相手に行うのだから、この言葉を警察が用いた以上「遺体」という認識があることになる。騙されているのは不勉強な記者たちである。
 他紙(毎日・中国・日経)だと「腐乱死体」でも医師による死体検案が行われる前は「心肺停止」状態ということになる。要は警察が責任逃れをして医師に「死の判定」を押しつけているので、それを見破れない報道は落第だ。
 (その後10/1, 11:00のGoogleニュースでは「心肺停止」の文字が完全に姿を消した。J-CAST Newsの記事が影響したのだろう。私のメルマガもいくつかの新聞・通信社の編集委員クラスに届いているので、少しは影響力があったかも知れない。
 噴火後3日間も「心肺停止」状態で、生きているはずがない。小学生にもウソとわかることを新聞は平気で書く。その記事の「書き写し帳」なるものを恥ずかしげもなく売る新聞社がある。単なるノートなのに、本のベストセラー欄に載せるところがある。世も末だ。)

 「心肺停止」というのは現地に行った警察官が、遭難者の身体状況(脈の停止、呼吸の停止)から確認したはずである。死剛の有無も確認したかもしれない。要は「死亡判定のリスク」を医者に転化しただけのことだ。これなら膨満した土左衛門も、医者が診るまでは「心肺停止」だろう。
 10/1「中国(共同)」の死亡者の死因に関する記事は面白かった。有毒ガスによる窒息死はほとんどなく、火山弾による頭部外傷、肋骨等の骨折、裂傷による傷害死がほとんどとあった。軽トラックほどもある岩石が降ってきたそうだから、当たったら戦車に轢かれたようになるだろう。

 ある現役の医師から電話があり、「近頃は学校から児童生徒の<運動して差し支えない>という診断書の交付をやたら求められて困る」とのこと。「30分足らず診察して、運動時間中に事故・急病が起こらないなどと判定できるわけがない。現場にいて見ている教師ならわかるだろう」という。
 昔、運転免許証の申請には「精神疾患がない」という医師の診断書が必要だった。「ないこと」の証明などできるはずがない。あれも警察が責任を、健康診断書を発行する医師に転嫁するものだった。役所をはじめ、こういう責任転嫁のシステムは即刻廃止すべきだ。
 普段は医者の悪口を喜んで書いているメディアが、最終責任を医者に転嫁するシステムの欺瞞性、そのダブルスタンダード性についてまったく書かないのはおかしいと思う。
 突発的な災害・事故はいつ起こるか分からない。集団的行事の主催者はそれに備えておくべきだ。
 家内が集落の水田を借りて「ビオトープ」を設置し、大学の生物の先生と協力して児童対象に野外観察の催しを開いていたことがある。参加会費の中に事故保険料を含めていた。時間限定だからたいした掛け金ではない。滞米中に、幼稚園でも小学校でも、遠足や見学会があるとき、必ず父兄から参加同意書と保険掛け金を取ることから学んだのだそうだ。
 事故でもめるのは、まず慰謝料である。それを学校や教師個人が負担することになると、また裁判が長引く。賢明な措置であろう。
 火災保険の料金は「400年に一度燃える」という想定で計算されていると聞いたことがある。だから400人に一人しか火災保険を受け取らない。たいていの人は払い損であるが、誰も文句をいわない。「ダメでもともと」と思っているからだ。
 広島の土砂災害では「警報を出すのが遅すぎた」と非難された。今度も気象庁がやり玉に挙がりそうだが、もともと休火山なのだから火山性微動が多く観察されたら、気象庁はさっさと警報を出して、入山禁止にすればよかったのだろう。見たところ何の異常もないから、勝手に登山するグループは出てくる。彼らが遭難したら、メディアはどう報道しただろうかと想像してみる。
 火災保険の例をみれば、「400回に1回」的中すればよいのである。地元の観光被害などどうでもよい。人命が大事ではないか。勝手に入る人たちは自分で傷害・生命保険に入っておけばよい。それが「自己責任」である。

 あるいは「災害救助保険」というのもあるかもしれない。赤道以南のアフリカの「疾病傷害保険」には、ヨーロッパまでのチャーター便の料金が入っていた。ギニア湾沿岸の最貧国では、道路が舗装されておらず、交通事故が多い。うっかり事故して、輸血でもされようものならエイズを移される。ろくに消毒していないから注射でも移る。最善の治療法は点滴でもしながら、チャーター便でスイスに飛び、ヨーロッパで治療を受けることである。
 ともかく自己の生命に責任をもたなければならないのは、自分自身である。
 火山学者井村隆介(鹿児島大准教授)が「「今回の事故から学ばなければいけないことは,『活火山の登山には噴火リスクが伴う』ということだと思います。そのリスクをどこまで許容するかは個人の判断だと思います。」(10/2: J-CAST News)
 と述べているが正論だろう。
 普段は「自己責任」といいながら、いざとなったら他人の責任にし、警察は医者のせいにし、メディアは警察発表のせいにする。困ったことだ。

 ものの名前を正しく呼ぶことはきわめて重要である。言葉が真の意味と違っていたら、「ユダヤ人絶滅計画」を「最終解決」と呼び、ガダルカナル島からの「退却」を「転進」と呼んだ1)、ナチスや旧日本軍と同じではないか。オーウェルの『1984年』では、「戦争」は「平和」と呼ばれ、ウィンストンが勤める「真理省」は歴史の改ざんや捏造を行う役所である。「平和省」は「戦争省」で、「愛情省」は「法務省」のことである。
 こういう新しい言葉をオーウェルは「ニュースピーク(新語法)」と名付けているが、まさに「心肺停止」は死体を表すニュースピークである。

 注1:1943/2/13の日本軍ガダルカナル島からの撤退について、
 1943/1/4付「大本営陸軍部命令」(大陸指733号)には、「後方要地に撤収すべし」とある。
 1943/2/9の「大本営」報道部長発表。「作戦目的達成せるを以て堂々転進を完了せり」。(山田風太郎『戦中派虫けら日記』、ちくま文庫)
 当時沖電気に勤めながら東京医大受験を目指していた風太郎は、新聞記事を「日本軍の敗退撤退」と正しく読んでいるが、清沢洌『暗黒日記』(評論社、1979)によると、2/10に会合があり、石橋湛山のおごりで、清沢ほか吉田茂など外交畑のひとたち数人が集まりすき焼きを囲んだ。その時に三土忠造という人物が、「今朝の<転進>の記事を三度読んだが、意味がわからなかった」と述べたことを記録している。
 三土忠造は大臣にもなった政治家のようだ。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%9F%E5%BF%A0%E9%80%A0
 命令書の「撤退」を「堂々転進」と改ざんしたのは大本営報道部だが、それをそのまま垂れ流して、大物政治家が三度読んでもわからん記事を書いたのは当時の新聞である。検閲が厳しかったというのは言い訳で、権力に迎合したのである。
 どうも同じことがまた起ころうとしているように思えてならない。
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4 コメント

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Unknown (Mr.S)
2014-10-06 14:04:20
同じことが起きそう?
今後の事は神のみぞ知るですが、中枢部での隠し事は身近な所では教育現場にもあります。
苛め事件で自殺する生徒が出ると、学校側はなぜか早急に結論を出します。「自殺との関連は無い」と。
結局加害者を庇っているわけです。
そんな教育者ばかりが横行する教育現場において、いじめがあったら死ぬ前に相談しろなどと、よく言えたもんだ。
戦争の事ばかりに臆病になっていないで、もっと身近な問題に目を向けてみましょう。
おかしな事がいっぱいあるから。
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Unknown (Unknown)
2014-10-06 14:40:38
Mr.S氏の意見には、賛同できないものも多く有りますが、今回の書き込みには賛成いたします。
返信する
心肺停止は方便では? (φρξ)
2014-10-07 16:05:52
 難波様。 
 御嶽山での遭難者を死亡ではなく心肺停止としているのは警察が責任を医師に投げているとのご意見ですが、そうなのでしょうか。 
 自分で調べずに恐縮ですが、生存の可能性がゼロではないとしないと、多くの費用を使って、多くの人員を捜索・救助(実際は遺体の発見・搬送)に投入する法的な根拠がなくなるので、方便としてそのようにしているのではないのでしょうか。
 不自然ではありますが、あまり目くじらを立てるべきことではないように思っております。
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教育現場 (花職人)
2014-10-08 08:16:12
ごぶさたしております。コメントを控えROMに徹すると言っておきながらコメントしてすみません。

パソコン教室に通っていたときのこと、
悪ノリをして暴力を振るってくる人間がいて私は全治2週間のケガを負ったので警察に届けました。
警察で、加害者は「強く何度も叩いた」と認めたのにパソコン教室の講師は「ちょっと軽く叩いていたのを目撃した」と警察に言ったんです。加害者が認めているのに、目撃者の講師が「仲良く遊んでいた」とも言ったのには驚きました。
「痛い止めて」と私が言っていたのに仲良く遊んでいたと。
大人が通うパソコン教室講師ですら保身で加害者を庇うのですから小学校中学校でいじめや暴力が酷くても学校側に誠実な対応は期待しにくいと感じました。 解決策ってあるのでしょうか?私は他に沢山あるパソコン教室に行けば良いですが、子供達はどうすれば?
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