ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【修復腎移植update】難波先生より

2016-06-26 21:50:04 | 修復腎移植
【修復腎移植update】
 修復腎移植をテーマにした「第三の移植」の資料調べをしていて、「週刊朝日MOOK:新<名医>の最新治療」(朝日新聞出版)2011/9/10号(620-623ページ)が、「病気腎移植:臨床研究として再スタートの<万波移植>、<第三の移植>として再評価の声が高まる」という記事を載せているのを見つけた。
 再読して驚いた。執筆者は、何と「医薬経済」誌に「鳥集徹の口に苦い話:媚びないジャーナリストの劇薬処方箋」を連載している、フリージャーナリストの鳥集徹氏だった。(彼は元「週刊朝日」の記者だったそうだ。新聞の「朝日」は「病腎移植」を手厳しく非難したが、「週刊朝日」は別路線を歩んだようだ。
                                                                                              修復腎移植の臨床研究第1例目(ドナーは小径腎がんの50代男性、香川県在住)となったレシピエントの西山隆史さん(仮名、40代男性、松山市在住)をきちんと取材している。
 この例のドナーの腎摘出は呉共済病院泌尿器科部長(当時)の光畑直喜医師が行い、摘出した腎臓は保存液で潅流した後に、彼が宇和島徳洲会病院に届けた。その後小径腎がんを切除修復し、「瀬戸内グループ」医師団がレシピエントへの移植手術を行った。
 記事では第1例のドナーにインフォームドコンセントを取り付けた西光雄医師(当時、香川労災病院泌尿器科部長)の「生体腎移植の方が、よっぽど残酷」、「生体腎移植は健康な人の腎臓を摘出するのだから、絶対に失敗は許されない。摘出も、執刀医にとってストレスの多い手術だ」というコメントを引き出している。
 鳥集氏は実際に宇和島徳州会病院泌尿器科の万波誠部長による妻から夫への「生体腎移植」手術も見学している。わずか3時間で全手術が終了したという。
 光畑医師は、「01年9月に(市立宇和島病院の70代男性で、小径腎がんのある患者がドナーとなり)、呉共済病院泌尿器科で修復腎移植を受けたレシピエント(男性、当時50歳代)について、「移植を受ける前に、透析仲間だった4人は、8年4ヶ月の間に、全員亡くなりましたが、腎移植移植を受けたこの方は、今も元気に暮らしています」、「腎移植移植と透析を続けるのとどちらがよいか、リスクとベネフィットをよく考えてみるべきだ」と述べている。
 同じMOOKの「名医のセカンドオピニオン」というコラムで、藤田保健衛生大学医学部病理学教室の教授堤寛(つつみゆたか)氏が、「日本の腎がん手術は年間約6,600例で、そのうち部分切除の条件となる直径4cm以下の小径腎がん(TⅠa期)は3,210例と推計されるが、その8割以上が全摘され捨てられている。その半分が移植利用されれば、年間に1,000個以上の腎臓が移植用に供給できるはず」とコメントしている。
 堤さんは日本移植学会主導の「宇和島徳州会病腎移植調査専門委員会」の調査報告書に専門委員でありながら、唯一サインすることを拒否した硬骨漢だ。理由は「径4cm以下の小径腎がんは部分切除が標準治療で、腎摘出をすべきでなかった」という移植学会委員の結論が、4大学病院と14の地域中核病院の小径腎がんの手術実態とあまりにもかけ離れていたためだという。
(これについては後に、厚労省が全国の国立病院での小径腎がんの手術の実態調査を行い、堤意見の正当性が確認されている。)

 米ユタ州のF先生から6月の初めにメールがあり、
<今、ボストンで開催されている、アメリカ移植学会に参加しています。
現在、日本移植学会理事長の江川先生(高校、大学の同級生です)と話す機会があり、修復腎移植のことを聞いて見ました。
 「裁判では2,300万円も使ったが、ついに勝ったぞ。移植外科学会としては、修復腎移植はみとめられない。」と明言しました。
 アメリカでの現状、Therapeutic donor(治療目的のドナー)の概念を説明しようとしても、聞き耳持たずの状況で、最後には、
「アメリカはアメリカ、日本は日本で独自に行く。」と言い放っていました。  
とりあえず、お知らせします。> とのこと。
 近藤俊文先生が指摘された「日本の腎臓病患者に夜明けを:透析ガラパゴス島からの脱出」(創風社, 2015/8)にある、「透析ガラパゴス島」を文字どおり死守するようだ。(本書については広島大学名誉教授・解剖学)の片岡勝子先生の好意的な書評が「中国」に掲載されたので、添付します。

 片岡先生はIPPNW(核戦争防止国際医師会議・日本支部=広島県医師会館内にある)の日本事務局長もしておられます。IPPNWは1985年にノーベル平和賞を受賞した国際的な医師団体です。
 さて、「ガラパゴス化」はシャープが携帯で「ガラ携」を売って失敗したあげく、台湾の家電・PCメーカ「鴻江(ホンハイ)」に買収されたばかりだ。
 マツダもロータリーエンジン車でオイルショック後巨額赤字に陥った後、米国人が社長になって立て直しに成功した。日産はゴーン社長になって立ちなおった。かつてアメリカに留学した時、電器屋でテレビを買ったら日本ブランドでも全部台湾製だといわれて驚いたことがある。ライセンス生産していたのだ。日本人よりも台湾人の方が商売は上手い。たぶん立て直しに成功するだろう。
 グローバリゼーションは急速に進行しており、ネットを利用して、15万人の肥満・糖尿病患が参加する糖質制限食の「臨床治験」が英国で行われ、「革命だ」とロンドンの「タイムズ紙」が5月末に報じたばかりだ。
「ガラパゴス路線」は腎移植の場合も、やがて破綻するだろうと私は思う。

 このメルマガは厚労省本省の医系技官にも配信しており、厚労省の法務担当者は「患者裁判」は判決の主文では敗訴になっているが、判決理由や証言・証拠書類などを読むと、実質「勝訴」だと判断しているらしい。
 日本移植学会は高原史郞前理事長の後、
 江川裕人(東京女子医科大学、消化器外科教授)が理事長に就任し、
この秋には9/29〜10/1の日程で、東京で題52回日本移植学会総会が開かれる。
総会長は相川厚 東邦大学医学部 腎臓病学講座の教授だ。
 そう、相川厚「日本の臓器移植:現役腎移植医のジハード」( 河出書房新社、2009/5)
を書いて「腎移植移植は悪い医療だ」と真っ向から決めつけた人物だ。
 こういう陣容で移植学会は固められているから、なかなか「ガラパゴス路線」からの脱却は難しいだろうと思う。やはり、厚労省の判断と本格的な患者運動がもっともっと重要になるだろう。

 ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは、1996年、管直人が厚生大臣の時で、患者の損害賠償裁判に対して、国が控訴しないという判断を示したのは、小泉首相の時だったと記憶する。この間に、日本らい学会と日本皮膚科学会は過ちを認め「謝罪声明」を出している。
 大谷藤郎:「らい予防法廃止の歴史」(勁草書房、1996/6)
を読むと、1958/10に東京で開かれた「第7回国際らい学会議」で、すでに世界各国が(メキシコを含めて)、「開放治療」を採用していたのに、「日本だけが隔離こそ唯一のハンセン病予防策として、日本の完全隔離主義を間違って誇っていた」とある。これもガラパゴス路線だった。

 EUもWHOも腎移植移植を認めた。米UNOS(移植ネットワーク)は、小径腎がんの修復腎移植を受けた患者の登録制を始め、来年には初年度の実績が明らかになるという。
 腎移植における「ガラパゴス化」は日本の医療がかつておかした、誤った路をたどっているように思えてならない。
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1 コメント

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はじめまして。 (こまじぇ)
2016-06-30 22:40:57
兵庫県西宮市在住です。
慢性腎不全で透析導入を宣告され、海外での腎臓移植を希望したところ、定期的に通ったいた大学病院に診療終了を告げられました。海外でのドナーを探している時に、尿毒症で倒れ、その大学病院へ救急搬送されましたが、海外での移植を諦めると誓約しない限り治療はしないと拒絶され、自宅に戻りました。近隣の病院に片っ端から連絡しましたが、かかりつけの大学病院からの紹介状が無い限り治療は出来ないと全て拒絶されました。

困り果てて、最後の望みを賭けて宇和島徳洲会病院に電話をしたら、万波先生が「すぐに来い!」とおっしゃて下さり、飛行機とレンタカーで宇和島まで辿り着きました。

万波先生は正に命の恩人です。

まだ海外での移植は実現していませんが、近いうちに恐らく手術が実現すると思います。

帰国したら、そのまま宇和島に入院させて頂くつもりです。今、海外手術患者を受け入れてくれる病院は、宇和島徳洲会を含めて僅かしかありません。

元気になったら、宇和島のために、万波先生のために、腎臓病で苦しんでいる方のために、何か出来ることをしようと思っています。
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