【文と理の情緒】 一色浩という人が<文化のあり方として、情緒的文化には大いに良いこともあります。しかし、自然科学では、論理を情緒の上に置くべきではないと思いますがいかがでしょうか?>と「武田ブログ」に書き込んでいる。http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/18abd4613e541518b77c4fc5dc4b6e7e
拙文「独創?」へのコメントだ。
私は人間を文と理に分ける考え方に反対です。「二点間の最短距離は直線である」ことはイヌでも知っている。論理は人間の根本で、そこから倫理が生みだされる。倫理が情緒を生む。自然に関する正しい認識と理解の上に情緒を置くべきだ。「食べるために殺すのは残酷でない」という倫理に社会倫理に支えられているから、残酷だという情緒が生まれない。理系の教養の上に文系の文化を置くべきで、逆は成り立たないと思う。
夏目漱石は今でも国民的人気が1位の作家だろう。「吾輩は猫である」に出て来る水島寒月は、弟子の物理学者寺田寅彦がモデルで、漱石は彼から物理知識を得ていた。漱石には「文学論」という大著がある。(「文学論(3冊本)」講談社学術文庫, 1979)
この書では英語のLiteratureを、語尾に学問を意味する-logy(ギリシア語Logos:論理)が付く本当の「文学」にする試みがなされている。そのために彼は英語・ドイツ語の心理学、社会心理学、生物学、物理学、精神医学、科学哲学、論理学などを深く研究した。「文学論」にはジェームズ、ブント、フェヒナー、ダーウィン、スペンサー、モーガンなど多くの著書があげられている。
この書で漱石は有名な公式、L=F+f を提出している。Lは文学の内容、Fは焦点(フォーカス)、fは情緒(フィーリング)のことだ。
Fもfも変数だから焦点(切り口)が変わり、情緒が変われば文学の内容が変わる。
情緒を知性(インテリジェンス: I )と置き換えれば、知一般(ナレッジKnowledge: K)との間に以下の関係が成立する。
K=F+I
ゲーテは「人間は見えるから知るのではなく、知っているから見えるのだ」と述べている。ゲーテ草(セイロンベンケイソウ)が興味深く見えるのは、葉が地面に接すると葉縁の体細胞が初期化して無性生殖を始め、クローン性の個体が発生するという認識をもっている人だけだろう。

(右上の茎は親草)
予備知識がなくて「名もない草」と俳句を詠んでも誰も感動しない。自然科学や医学の専門分野とは、畢竟するところ、対象の違いとそれを見る視点の違いで生まれているだけだ。
富士山のように広い裾野をもたない知識は「専門知」といって視野狭窄になり、時に危うい。
漱石がロンドン留学中に、ベルリンに留学していた化学者の池田菊苗(味の素の発明者)がやって来て、1ヶ月半ほど漱石の下宿に転がり込んだ。池田との議論により「文学を科学にする」というアイデアをえて、34歳で執筆に取りかかった。しかしながら前人未踏の、あまりにも困難な仕事だったので「神経衰弱」にかかり、文部省の命令で藤代素人が日本に連れて帰った。36歳の時にも神経病が再発している。(彼の「心の病」はその後起こらなくなり、46歳の時に一度再発しているだけだ。その代わりに胃潰瘍の発作が何度も繰り返し、49歳の時に大吐血して死因となった。)
37歳の時に高浜虚子の勧めで「吾が猫」を雑誌「ホトトギス」に連載し始めた。これは「文学論」執筆の合間だったから、文章には自然科学の専門用語がたくさん出てくる。「文学論」の出版は明治40(1907)年で、40歳になっていた。漱石はこれが完成したので安心して転職を考え、「朝日」に入社したのである。(「文学論」は必ずしも成功した著作とはいえない。)
話が後先になるが、「吾が猫」に、くしゃみ先生の家に諧謔家の美学者迷亭と理学士の寒月が集まり、寒月の「首縊りの力学」についての学会発表リハーサルを聴く場面がある。迷亭がそれを受けて、演説調で寒月と近所の成金家鼻子夫人の令嬢との縁談に反対論を述べる。
その中に「生物学の歴史」であげた、ウィルヒョウとワイスマンの名前がちゃんと出て来る。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/76729bae3e252ab884ffd9f8e5fc1ab9
迷亭は「遺伝の本筋は先天的なものだ。<獲得形質は遺伝しない>というのが有力な説ではあるが、あんな鼻の持ち主が生んだ娘には、何か鼻に不具合が起こるかも知れないから、結婚しないにこしたことはない」と説く。
多くの読者は「番茶」を「蛮茶(サヴェッジ・ティー)」と呼ぶような滑稽味を面白がって読むのであろうが、この一節だけ見ても遺伝学について、漱石のものすごい勉強ぶりがうかがわれる。
迷亭は素人だから、もともと医学・生物学的な論理の組み立てが少しずれている。そこが逆に歳月を経ると、ますますおかしみが出てきている。そういう仕掛けがあるから漱石作品は「後世に問う」と自ら述べたように、名品の焼き物が歳月を経ると艶を増すように、現代性を失わないのである。
漱石の例を持ちだしたのは「知の統一」ということの例証のためで、彼の情緒は文学と理学の上に乗っかっており、常に一つの情緒(感性)だったといえよう。(文庫本の解説は成瀬正勝が書いているが、「文学論」を同時執筆していたことがまったく書かれていない。たぶん読んでいないのであろう。年譜には「大正5年に胃潰瘍で<内出血>」とある。内出血とは肝臓とか腎臓など臓器内部に出血することをいう。胃も腸も口から続いているから外部であり、内出血とはいわない。これらの誤りは文系偏重の知の産物だ。)
「文藝春秋」5月号の「立花隆:生命の謎に挑む」特集によると、やっと東大文系コースに「生命科学」教科書が導入されたそうだ。これで生命科学が全学必修となる。前から言ってきた「大学の教養教育では生命科学を必修にせよ」というのが、やっと実現しそうだ。全国の大学がまねするから、10年後には「文と理の境界」が消滅する方向に向かうだろう。
山田風太郎は東京医大の卒業だが、医者にはならず作家になった。漱石のファンで「その文章は平明で、心を落ちつかせ、眠りにつかせる効果がある」と述べている。原文を探そうと本を繰っていたら、随筆集「風眼抄」(角川文庫, 2010)に、「漱石と<放心家組合>」という随筆を見つけて驚いた。
「猫」の第11章に「条件反射」というか、習慣化してしまうとそれによる錯覚が起こるという話を独仙君がする場面がある。「じゃ、俺もひとつ」と、くしゃみ先生が「この間ある雑誌を読んだら、こういう詐欺師の話があった」といって、「月々わずかのお支払いで済みます」と言葉巧みに高額商品を5年の月賦で買わせ、客に余分の金を払わせる新手の詐欺の話をする。客はいつ終わるか失念して余分に払い込んでしまう。今なら自動引き落としだから、失念するといつまでも払い終わらない。
風太郎によると、原話はロバート・バー短篇集「ウージェニー・ヴァルモンの敏腕」(1906)にある「放心家組合」という作品だという。「猫」と同年の出版だが、漱石は「雑誌」と書いているので、英語の雑誌を読んだ可能性があるという。江戸川乱歩が選んだ「古今の推理小説ベストテン」中で、ポーの「盗まれた手紙」に次いで上位にランクされている作品だそうだ。
漱石とバーの関係に乱歩は気づかなかったし、「これを指摘した文章はない」そうだ。風太郎ファンでないと発見できなかった。こういうのを「本が呼んでいる」という。
やっと目的の文章を「半身棺桶」(徳間書店, 1991)の「眠るための私の魔法」という随筆の中に見つけた。
「それからまた、眠りにつくのにありがたい魔法の書がある。… それは漱石のある種の文章である。実は魔法の書などという形容にふさわしくない漱石のいちばん静かな低音の文章だ。
(と「思い出すことなど」と「硝子戸の中」の一節を示した後)
これらの文章は、ふしぎに人の心を落ちつかせる。
こんな現象を起こす作家の文章を、ほかに私は知らない。
…
とにかく、何度読んだか知れない漱石のこれらの文章を、呪文のようにくり返しているうちに、私は眠りにはいることができるのである。」
風太郎の意見に賛成だが、私にはキンドルという道具もある。幸い漱石の作品は「青空文庫」のファイルをAmazonがキンドル化したものが、無料で入手できる。
文庫本をスタンドで読むと明るすぎてダメだが、暗闇の中でほのかに光る画面で「硝子戸の中」を読むとすぐに眠れる。
「一色浩」さんへのお答えのつもりで書きはじめたが、ずいぶん脱線した。
拙文「独創?」へのコメントだ。
私は人間を文と理に分ける考え方に反対です。「二点間の最短距離は直線である」ことはイヌでも知っている。論理は人間の根本で、そこから倫理が生みだされる。倫理が情緒を生む。自然に関する正しい認識と理解の上に情緒を置くべきだ。「食べるために殺すのは残酷でない」という倫理に社会倫理に支えられているから、残酷だという情緒が生まれない。理系の教養の上に文系の文化を置くべきで、逆は成り立たないと思う。
夏目漱石は今でも国民的人気が1位の作家だろう。「吾輩は猫である」に出て来る水島寒月は、弟子の物理学者寺田寅彦がモデルで、漱石は彼から物理知識を得ていた。漱石には「文学論」という大著がある。(「文学論(3冊本)」講談社学術文庫, 1979)
この書では英語のLiteratureを、語尾に学問を意味する-logy(ギリシア語Logos:論理)が付く本当の「文学」にする試みがなされている。そのために彼は英語・ドイツ語の心理学、社会心理学、生物学、物理学、精神医学、科学哲学、論理学などを深く研究した。「文学論」にはジェームズ、ブント、フェヒナー、ダーウィン、スペンサー、モーガンなど多くの著書があげられている。
この書で漱石は有名な公式、L=F+f を提出している。Lは文学の内容、Fは焦点(フォーカス)、fは情緒(フィーリング)のことだ。
Fもfも変数だから焦点(切り口)が変わり、情緒が変われば文学の内容が変わる。
情緒を知性(インテリジェンス: I )と置き換えれば、知一般(ナレッジKnowledge: K)との間に以下の関係が成立する。
K=F+I
ゲーテは「人間は見えるから知るのではなく、知っているから見えるのだ」と述べている。ゲーテ草(セイロンベンケイソウ)が興味深く見えるのは、葉が地面に接すると葉縁の体細胞が初期化して無性生殖を始め、クローン性の個体が発生するという認識をもっている人だけだろう。

(右上の茎は親草)
予備知識がなくて「名もない草」と俳句を詠んでも誰も感動しない。自然科学や医学の専門分野とは、畢竟するところ、対象の違いとそれを見る視点の違いで生まれているだけだ。
富士山のように広い裾野をもたない知識は「専門知」といって視野狭窄になり、時に危うい。
漱石がロンドン留学中に、ベルリンに留学していた化学者の池田菊苗(味の素の発明者)がやって来て、1ヶ月半ほど漱石の下宿に転がり込んだ。池田との議論により「文学を科学にする」というアイデアをえて、34歳で執筆に取りかかった。しかしながら前人未踏の、あまりにも困難な仕事だったので「神経衰弱」にかかり、文部省の命令で藤代素人が日本に連れて帰った。36歳の時にも神経病が再発している。(彼の「心の病」はその後起こらなくなり、46歳の時に一度再発しているだけだ。その代わりに胃潰瘍の発作が何度も繰り返し、49歳の時に大吐血して死因となった。)
37歳の時に高浜虚子の勧めで「吾が猫」を雑誌「ホトトギス」に連載し始めた。これは「文学論」執筆の合間だったから、文章には自然科学の専門用語がたくさん出てくる。「文学論」の出版は明治40(1907)年で、40歳になっていた。漱石はこれが完成したので安心して転職を考え、「朝日」に入社したのである。(「文学論」は必ずしも成功した著作とはいえない。)
話が後先になるが、「吾が猫」に、くしゃみ先生の家に諧謔家の美学者迷亭と理学士の寒月が集まり、寒月の「首縊りの力学」についての学会発表リハーサルを聴く場面がある。迷亭がそれを受けて、演説調で寒月と近所の成金家鼻子夫人の令嬢との縁談に反対論を述べる。
その中に「生物学の歴史」であげた、ウィルヒョウとワイスマンの名前がちゃんと出て来る。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/76729bae3e252ab884ffd9f8e5fc1ab9
迷亭は「遺伝の本筋は先天的なものだ。<獲得形質は遺伝しない>というのが有力な説ではあるが、あんな鼻の持ち主が生んだ娘には、何か鼻に不具合が起こるかも知れないから、結婚しないにこしたことはない」と説く。
多くの読者は「番茶」を「蛮茶(サヴェッジ・ティー)」と呼ぶような滑稽味を面白がって読むのであろうが、この一節だけ見ても遺伝学について、漱石のものすごい勉強ぶりがうかがわれる。
迷亭は素人だから、もともと医学・生物学的な論理の組み立てが少しずれている。そこが逆に歳月を経ると、ますますおかしみが出てきている。そういう仕掛けがあるから漱石作品は「後世に問う」と自ら述べたように、名品の焼き物が歳月を経ると艶を増すように、現代性を失わないのである。
漱石の例を持ちだしたのは「知の統一」ということの例証のためで、彼の情緒は文学と理学の上に乗っかっており、常に一つの情緒(感性)だったといえよう。(文庫本の解説は成瀬正勝が書いているが、「文学論」を同時執筆していたことがまったく書かれていない。たぶん読んでいないのであろう。年譜には「大正5年に胃潰瘍で<内出血>」とある。内出血とは肝臓とか腎臓など臓器内部に出血することをいう。胃も腸も口から続いているから外部であり、内出血とはいわない。これらの誤りは文系偏重の知の産物だ。)
「文藝春秋」5月号の「立花隆:生命の謎に挑む」特集によると、やっと東大文系コースに「生命科学」教科書が導入されたそうだ。これで生命科学が全学必修となる。前から言ってきた「大学の教養教育では生命科学を必修にせよ」というのが、やっと実現しそうだ。全国の大学がまねするから、10年後には「文と理の境界」が消滅する方向に向かうだろう。
山田風太郎は東京医大の卒業だが、医者にはならず作家になった。漱石のファンで「その文章は平明で、心を落ちつかせ、眠りにつかせる効果がある」と述べている。原文を探そうと本を繰っていたら、随筆集「風眼抄」(角川文庫, 2010)に、「漱石と<放心家組合>」という随筆を見つけて驚いた。
「猫」の第11章に「条件反射」というか、習慣化してしまうとそれによる錯覚が起こるという話を独仙君がする場面がある。「じゃ、俺もひとつ」と、くしゃみ先生が「この間ある雑誌を読んだら、こういう詐欺師の話があった」といって、「月々わずかのお支払いで済みます」と言葉巧みに高額商品を5年の月賦で買わせ、客に余分の金を払わせる新手の詐欺の話をする。客はいつ終わるか失念して余分に払い込んでしまう。今なら自動引き落としだから、失念するといつまでも払い終わらない。
風太郎によると、原話はロバート・バー短篇集「ウージェニー・ヴァルモンの敏腕」(1906)にある「放心家組合」という作品だという。「猫」と同年の出版だが、漱石は「雑誌」と書いているので、英語の雑誌を読んだ可能性があるという。江戸川乱歩が選んだ「古今の推理小説ベストテン」中で、ポーの「盗まれた手紙」に次いで上位にランクされている作品だそうだ。
漱石とバーの関係に乱歩は気づかなかったし、「これを指摘した文章はない」そうだ。風太郎ファンでないと発見できなかった。こういうのを「本が呼んでいる」という。
やっと目的の文章を「半身棺桶」(徳間書店, 1991)の「眠るための私の魔法」という随筆の中に見つけた。
「それからまた、眠りにつくのにありがたい魔法の書がある。… それは漱石のある種の文章である。実は魔法の書などという形容にふさわしくない漱石のいちばん静かな低音の文章だ。
(と「思い出すことなど」と「硝子戸の中」の一節を示した後)
これらの文章は、ふしぎに人の心を落ちつかせる。
こんな現象を起こす作家の文章を、ほかに私は知らない。
…
とにかく、何度読んだか知れない漱石のこれらの文章を、呪文のようにくり返しているうちに、私は眠りにはいることができるのである。」
風太郎の意見に賛成だが、私にはキンドルという道具もある。幸い漱石の作品は「青空文庫」のファイルをAmazonがキンドル化したものが、無料で入手できる。
文庫本をスタンドで読むと明るすぎてダメだが、暗闇の中でほのかに光る画面で「硝子戸の中」を読むとすぐに眠れる。
「一色浩」さんへのお答えのつもりで書きはじめたが、ずいぶん脱線した。
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