ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【読みたい本】難波先生より

2013-09-02 13:10:07 | 修復腎移植
【読みたい本】直木賞選考委員会委員長の阿刀田高が、「文字・活字文化推進機構」の会合で書展(出版社)代表から、「作家はちまちました小説でなく、もっと売れる本を書いてほしい」言われたと、「文春」9月号に書いているが、本の質が低下して売れなくなり、初版1万部の良書を5年かけて売るというような戦略が立てられないほど、出版社も資金繰りに困っているのであろう。


 同じ阿刀田が、「昨今は作者自身を中心に五百メートルの円内を綴っているような小粒な小説が多くて悲しい」と書いているが、それは作家の生活が貧しいからだ。蟹は甲羅に似せて穴を掘る。
 昔の小説には「新しい知識の普及」という面もあった。作家もそれなりに資料を集めて勉強した。半径500mの生活をしていて、それを小説に書いたってせいぜい葛西善蔵くらいの私小説にしかならない。そんなものがネットの時代に売れるわけがない。


 「定本ベストセラー昭和史」(塩澤実信, 展望社, 2002)を見ると、1980年のベストセラーにJ.クラベル「将軍」、C.セーガン「コスモス」が入っている。前者は日本の戦国末期を舞台に、石田三成、豊臣秀吉、徳川家康、三浦按針などが登場する小説だ。映画にもなった。私は英語ペーパーバックで読んだきり、日本語訳は読んでいないが、三浦按針こと英人ウィリアム・アダムスやリーフデ号のことや、オランダのみを除外する鎖国政策の背景などを、この本を読むことで知った。小説にはそういう効能もある。


 「コスモス」はノンフィクションだが、セーガンは宇宙科学者である。妻は生物学者で、ミトコンドリアDNAの解析から人類のアフリカ起源説と「ミトコンドリア・イブ」を唱えたリン・マーギュリスだ。(後に離婚。)


 司馬遼太郎「坂上の雲」が大長編なのに今も人気が落ちないのは、物語のなかにちゃんと歴史的事実の解説があり、読者が歴史を同時に学ぶことができるからだろう。これがあるから、読者は司馬を「誠実な著者」と思いこむのである。作家がウソを書かないはずがない。


 司馬は創作と事実解説をモザイクにした作品を多くは書けなかった。晩年は「街道もの」という一種の紀行文に転向した。
 「事実は小説より奇なり」とはよくいったもので、ノンフィクションの世界にこそ、奇があり、怪があり、新があり、真がある。
 が、それをストーリーに仕立て、読者を別世界に誘い込むのは難しい。
 SFでなく、それをやれるのはジャレド・ダイアモンド、リチャード・ドーキンス、ニコラス・ウェイドとそう多くはない。


 映画「風立ちぬ」がヒットしているそうだ。自宅周囲の森で鳴くセミの声も、やかましいアブラゼミから、ヒグラシ、ツクツクボウシが主体になってきた。夜は草むらで虫の声もし始めた。もうすぐ秋だ。
 9月になると青山淳平さんの「小説・修復腎移植」(本の泉社)が出るが、高橋幸春さんの「透析と修復腎移植移植(仮題)」(彩流社、予定)も9月出版予定だそうだ。さすがプロは仕事が早い。



 「文春」で2回にわたり実質的「公開質問状」を突きつけられ、さらに2冊の本で追い打ちをかけられて、移植学会の高原執行部がどう反応するか見物である。誤解のないように、これらは「反臓器移植」の本ではない。あくまで「修復腎移植」を容認しようとしない学会への抗議である。本を読むことで、事実に対する本当の理解が深まる、そういう作品になるように及ばずながら協力したい。


 一般市民は「マスゴミ」に誤った情報を植え付けられ、「病腎移植騒動」の本当のことがわからないでいる。不勉強な医者も同様だ。
 だから「文春」8月号の「万波手記」を読んで、多くの読者がショックを受けたのである。


 秋が来るのは楽しみだ。これらの本に勇気づけられて、修復腎移植移植の再開に期待している透析患者が、「風立ちぬ、いざ生きめやも」と勇気づけられることを祈りたい。
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