ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【修復腎移植Update】難波先生より

2019-04-03 12:25:46 | 修復腎移植
【修復腎移植Update】
 米デンバーに住む家内の従姉妹の娘から、今年の初め年始をかねた手紙が来たと、A4サイズの日本語ワープロの手紙を見せてくれた。
 何とNHKテレビ「悪魔の医師か赤ひげか」の英訳番組が、米コロラド州でも放映されたそうだ。ロッキー山脈のふもとのコロラド市は、全米で一番高いところにあり、ここのテレビ局から放送されたのなら、東側にあるネブラスカ、カンザス、オクラホマ、それに南にあるニューメキシコ、テキサスの諸州にも届くのではないか、と思う。

 著者名も題名も忘れたが、高度が1000フィート(約300m)以下に低下すると爆発するという、特殊な爆薬を仕掛けられた旅客樹が、全米一高い(確か5000フィート=約1500m)位置にある、デンバー空港に緊急着陸して、危うく難を逃れるという、小説だったか、それが映画化されたものがあった。
 デンバーはそれほど高い位置にある。

 手紙に「ドクター難波はよい研究をされました」とあった。
 良い仕事をしたのはディレクターの池座さんだ。番組内容がすぐれていたから、米国放送になったのだと思う。

 西光雄先生から、このDVDと「Nスタ えひめ itv」による「平成の記憶えひめ」という特集(全6部構成)の第3部「 “第3の道” 病気腎移植」のDVD各1枚が、本一冊と共に送られてきた。厚くお礼申し上げる。
 ちょうど動画(映画)が見たいな、と思っていたところなので、2枚とも大画面のモニターで見た。

 愛媛県には民放テレビ局が何局あるのか知らないが、少なくとも「テレビ愛媛」には村口敏也という「この国の医療のかたち、否定された腎移植」(創風社, 2007/12)を書いた記者がいた。
 「ITV」は同時期に、どういう報道をしていたのであろうか?
この移植を支持する患者団体も医師も「修復腎移植」と呼んでいるのに、未だにこのテレビ局は「病気腎移植」と呼んでいる。
(その後判明したところでは、TBS系列の民放だそうだ。TBS本社からはK記者が「万波論文」の発表と受賞を取材するために、フロリダのマルコ島まで来ていたのに、系列の地元局はどうなっているのだろう。)

 彼らがいかに無知かを示すために、腎移植の歴史を少し話そう。
 世界最初の腎移植は、1936年にロシアのヴォロノイ医師が、急性の昇汞(しょうこう:塩化第二水銀)中毒で腎不全を来した患者を救うために行った、死体腎移植である。昇汞は猛毒で、消毒薬として用いられるが、服毒自殺にも使用される。胃洗浄をしたり中和剤を注射したりして、患者に生きる気持ちが出てきた頃(およそ1週間後)、毒が尿細管を侵し無尿になり、尿毒症の症状が現れる。この頃は尿細管の再生まで命をもたせる人工腎臓がまだなく、移植は失敗した。
 アメリカで最初の修復腎移植は1951年に、米マサチューセッツ州スプリングフィールド病院のジェームズ・V・スコラ医師が行っている。この頃、同州ボストンのピーター・ベント・ブリガム病院には改良型の人工腎臓(コルフ型)が導入されていた。
 スコラ医師は、慢性腎不全で血液透析を受けている若い男性に下部尿管がんのため、片側の腎臓を摘出しなければならない、49歳の男性の腎臓を摘出して、がんの尿間部を切り落として移植に用いた。しかし拒絶反応が出て、約1ヶ月後に腎機能が廃絶した。
 この頃はまだ免疫抑制剤がなかったのである。

 日本で最初の修復腎移植が行われたのは、1956年、新潟大学医学部泌尿器科(楠隆光教授)である。4グラムの昇汞を自殺目的で飲んだのは30歳の男性だった。型どおりの救命措置をしたが、無尿になった。放置すれば尿毒症で死亡する。
 ところがたまたま、泌尿器科の病棟に「特発性腎出血」のため左の腎臓を摘出する予定の56歳の男性患者が入院していた。特発性腎出血は本態性腎出血ともいい、腎臓から出血し血尿が出るが、いろいろ検査しても原因が不明のものをいう。
 放置すれば、貧血を来たし、全身に悪影響が出る。そこで最後の手段として、出血している側の腎臓を摘出するわけである。楠はこの腎臓を患者の腎臓が復旧するまでの「つなぎ」として移植することを考え、二つの手術を同時に行った。56歳男性の左腎臓を取りだし、30歳の患者の鼠径部皮下に移植したのである。幸いこの移植腎は1週間以上機能してくれ、患者の腎臓が働き始めた後、取り出された。

 以下は万波誠医師など、数人の医療関係者の証言に基づく。

 1983年1月、市立宇和島病院の泌尿器科に入院中の二人の女性患者が知り合いになった。一人はS子という26歳の女性で、腎不全のため入院して透析を受けていた。彼女に腎臓を提供してくれる身内はいなかった。

 もう一人はA子(36歳)で、肉眼的血尿が出るため検査入院したのだが、いくら調べても血尿の原因がわからない。いわゆる「特発性腎出血」で、まれな病気である。治療法は出血している腎臓を取るしかない、と患者が若い女に話して聞かせた。するとその女が、
 「とった腎臓を私にちょうだい。万波先生に移植してもらうから」
 といった。たまたま二人とも血液型はAB型で一致していた。
 年上の女も
「ひょっとしてうちの体質に合わんから血尿が出るんかも知れん。この女(ひと)の体内なら前のようにまともに働くかも知れん」、と思った。
 こうしてドナーとレシピエントがそろって万波誠に手術を依頼するという、前代未聞の事態が起こった。

 この時点で万波は、1956年に新潟大病院で行われた、楠教授による特発性腎出血の腎臓移植の事例を知らなかった。二人が合意して手術を頼んでくる以上、医学的にこれを拒否する理由は見つからない。そこで2月14日に移植術を行った。「特発性腎出血」という病気の腎臓を、他の腎不全患者に移植するのだから「病腎移植」そのものである。

 楠移植の時代と違って、より効果的な免疫抑制剤サイクロスポリンAがあるから、この腎臓は生着した。しかし、患者と医師が望んだのと違って、症状も移植されてしまった。若い女がトイレに行く度に、真っ赤な尿がほとばしるのだ。気味が悪くてたまらない。血尿が嫌なら腎臓を取り出すしかない。そしたらつらい透析に戻らなくてはならない。
 結局5月30日になって、この腎臓は摘出され、若い女はまた透析生活に戻った。

 私が呉共済病院、宇和島市立病院、宇和島徳州会病院で行われた「病腎移植」を徹底的に調査して発掘した42例(日本移植学会はこの数値を根拠として「修復腎移植」に必要な臨床研究42例の実施を求めている。万波いじめに他ならない。動機は学者の嫉妬だ。「今昔物語」には他の学僧を嫉妬した僧侶が、地獄に堕ちる話が書いてある。
 田中紘一も高原史郞も相川厚も、まあ地獄に堕ちたような現状だ。これを仏教では「因果報応」という。)

 だが1983年に行われた、特発性腎出血の腎臓の移植への利用は、雑誌「医学のあゆみ」(2008)に3回にわたり連載した、私と堤寛共著の論文には含まれていない。その後の調査で判明したからだ。ものごとのオリジンを突きとめるのが、学者としての私の任務だ。

 米国の「病理学総論」の新しい教科書によれば、S子のような「特発性腎出血」は今日では「薄い基底膜病」(良性家族性血尿)と呼ばれている。病因は血液のフィルターである腎臓糸球体の基底膜をつくる遺伝子に突然変異があり、正常の基底膜ができないので血尿が出る。
 遺伝子はⅣ型コラゲン線維の形成に関与しているが、専門的すぎるので省く。
 この疾患では皮膚などの線維芽細胞(コラゲン線維を作る)に異常は認められていないので、腎糸球体の基底膜をつくる細胞にのみ、遺伝子異常があるらしい。



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