ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【メルマガ配信リスト】難波先生より

2015-09-07 10:54:53 | 難波紘二先生
【メルマガ配信リスト】
 このメルマガは「転載自由」としてあるから、ロンドンまで届いていても不思議はないが、東北の知らない方からメールが来た。自己紹介があったので、メルマガ配信リストを調べると、配信リストのメルアドと今回の発信者名とメルアドが別人になっていた。(施設は同じ。)
 「紹介者」の名前まで記録していないので、どうしてこうなったのかがわからない。メルアドの変更はちゃんと連絡してほしい。

 そのメールは、
 <扶桑社から「医療否定本の嘘」という本が上梓されました。著者は勝又範之先生です。新書ではないのですが、もし難波先生が読んでおられたらその感想を、鹿鳴荘便りに書いていただけると大変参考になります。個人的には勝俣先生の近藤批判はあたっている部分が少なくないと思います。>
 わたしも「医療否定本」を否定する本をいくつも読んでいるが、この本は知らない。普通は本が送られてきて、「よかったらコメントを」といわれるけれど。
 今も大場大『がんとの賢い闘い方、<近藤誠理論>徹底批判』(新潮選書, 2016/8)という本に目を通したところだ。「1972生、金沢大医卒、東大附属病院などをへて、開業。外科医・腫瘍内科医」とあるから、知名度を上げたいのが見え見えの本だ。最大の問題は「がん幹細胞」について、一言も触れておらず、重箱の隅をつつくようなあら探しに終始している点だ。
 クリニックを見ると「血液がん以外のセカンド・オピニオン」を担当とある。
 http://tokyo-oncol.jp/
 白血病や悪性リンパ腫のような、最も化学療法で治しやすいがんを扱わない「腫瘍内科医」なんて…。それに近藤批判にばかり目が向いていて、中村仁一・近藤誠『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(宝島新書2012)を読んでいない。

 近藤誠の「がんもどき理論」に対して、真正面から反論したのは、私の知る限り、斎藤建(1964東大医卒、自治医大病理教授)『近藤誠氏の「がんもどき理論」の誤り:病理医の見たがんの真実』(主婦の友社、1996/12) しかないだろう。
 この本の「近藤氏の言う<スピードがん理論>のまやかし」(p.116-123)に、彼の反論のエッセンスが書いてあるから、古本を探して読んでほしい。「がん幹細胞」の発見により、斎藤理論のほうがとっくに破綻しているのが明瞭だろう。

 私は、正常人の末梢血リンパ球の1000個に1個くらいが、アルカリフォスファターゼという酵素を細胞表面に持っているのを留学中に発見した。あれが「末梢血幹細胞」である。がん患者の末梢血を用いて、EMAという上皮細胞に特異的な抗原を調べると、臨床的に転移がないのに、少数のがん細胞が血液中に存在することを、呉共済病院時代に発見した。だが、そこには「がん幹細胞」がないから転移が起こらず、がん細胞は末梢血中を循環していて、寿命が来たら脾臓で破壊される。
 斎藤建は根っからの病理診断屋だから、腫瘍学総論や血液病理学を知らず、実験もしていないからああいう本が書けた。しかし以後は関連本を書いていない。「斎藤反論」は「がん幹細胞」の実証で壊滅した。しかし近藤理論は「がん幹細胞」説で揺らぐことなく、生き残っている。この事実は重要だ。
 M3に「近藤理論になぜ癌学会は反論しない?」というスレが立っているが、「要するに学会に反論出来る能力がないってこと」というコメントが書き込まれている。(私ではない。)
 血液のがんで見つかった「がん幹細胞」など、固形癌を扱う「日本癌学会」は予想もしていなかったので、これを踏まえて近藤理論否定論を書く、蛮勇のあるがん学者はいないだろう。
 要するに「近藤理論」を否定的に実証する医学的エビデンスはない、というのが現状だろう。私も「がん幹細胞」の知見を踏まえて「がんもどき」理論を病理総論的に説明したいと思っているが、まだ勉強不足でできないでいる。「修復腎移植」問題が終わったらやりたい。
 日本が「がん研究」を言いはじめたのは米ニクソン大統領が「対がん戦争」ということを1970年代に言いはじめてからだ。あの頃すでにアメリカには「がんで死ぬ人よりも、がんで食っている人の方が多い」というジョークがあった。今の日本がまさにそうだろう。
<9/6付記1=> J-CAST NEWSに週刊誌で近藤誠と大場大が<対談バトル>をやったことが報じられている。
http://www.j-cast.com/2015/09/03244378.html
 あいにく読んだ記憶がない。
<近藤氏も、週刊文春9月10日号で大場氏に反撃。文春8月13・20日号の対談では
「対談で触れなかった話題やデータを編集段階で付け加えない。対談時に話していない言葉も加筆しない」
という取り決めがあったにもかかわらず、新潮の記事で大場氏が「面と向かって言わなかったことを持ち出して、延々と近藤氏を批判」したと「後だしジャンケン」を非難した。それ以外にも、大場氏が「新潮の記事で対談時の発言を『修正』する事で自らの立場を補完している様子もある」と指摘している。>
 とある。これは完全な大場のルール違反。養老孟司との対談『文系の壁』で「毎日」の須田桃子が馬脚を顕したのと同じことだろう。これがあるから「対談本」は面白いのだ。

<9/6付記2=>
 順天堂大教授(病理学)の樋野興夫『がん哲学外来の話:殺到した患者と家族が笑顔を取り戻す』(小学館, 2008/9)がアマゾンから届いたので読んだ。新品なのにAMAZON Intern.というところから「新古書」が2割引で買えた。書籍流通の流れが変わりつつあるようだ。
 「がん哲学外来」を順天堂大で実践したのは2008/1~3の3ヶ月間で、たった5日間、1日平均6組、キャンセル待ちが約50組あったそうだ。
 初めの方では「日本人の2人に1人ががんと診断され、3人に1人ががんで死亡する」と書いている。他方で「今、がんの治癒率(5年生存率50%)、あと2,3年早く診断されるようになると70%が治る」とも書いている。12人の日本人がいるとすると、6人ががんになり、そのうち2人ががんで死亡するということだ。6人の治癒率が50%ならがん死亡者数は3人になるはずだ。治癒率70%ならがん死亡は1.8人になる。
 内的整合性が失われた原因は、癌発生率の問題と死因順位の問題をごっちゃにしているかだ。
 無症状のまま生前は未発見で病理解剖により見つかる高齢者の「天寿がん」が前立腺と甲状腺では20%はあると書き、他方で「診断技術の進歩によりこうした天寿がんは減るだろう」とも書いている。
 癌研でがんの実験病理を専門として研究した人だから、「がんもどき理論」や「がん幹細胞」の話がどこかに書いてあるかと思ったら、まったくない。その代わり「がん細胞は家族内の不良息子のようなもの」とあり、「がんは身内」とあった。「がん細胞との共存」を説いているので、近藤理論との関係はおのずから知れる。治療の選択は「患者の権利」とも書いている。

<9/6付記3=>
 山口仲美『大学教授がガンになってわかったこと』(幻冬社新書、2014/3)に、近藤誠のセカンド・オピニオンを受けたことが書いてある。2009年にS状結腸がん、2013年に膵臓がん(CA19-7マーカー発見がん)で手術を受けたそうだ。この本自体は固有名詞がすべて隠されており、役に立たない。ただ「K先生」は著書がいろいろ書いてあるからすぐに近藤誠とわかる。
 近藤先生は予想どおり「手術しても助からない。…まあ、そのままにして余命に任せるのがいいでしょう」と言ったそうだ。
 ところがまた次のセカンド・オピニオンで動揺し、「T大学病院」でまたも手術したそうだ。 国文学者なのに、情景描写力がないのにがっかりした。これで以外に知識人に近藤理論が受け容れられていることがわかった。
 その点、「医薬経済」に連載中の昌原清植(アプシェ代表取締役)の「白血病になった社長:患者になって気付いたMRの課題」NO.10「骨髄移植の凄絶な日々」はすごい。骨髄バッグに入れた骨髄液1,300mLを7時間半かけて点滴注射するとは知らなかった。しかも一般病棟で!鳥肌が立つくらいリアルな描写に感動した。これは絶対に単行本にしてほしいものだ。

<9/6付記4=> 9/1「岐阜新聞」に以下の記事が載ったそうだ。
「大垣市民病院(岐阜県大垣市南頬町)は31日、検査でがんが見つかっていたにもかかわらず、担当した60代の男性医師が検査結果の確認を忘れたため、発見と治療が遅れ、昨年9月に市内の男性=当時(75)=が死亡する医療過誤があったと発表した。市は男性の遺族に1500万円の賠償金を支払うことで和解した。★病院によると、男性は2012年12月6日、かかりつけ医の紹介で消化器内科を受診。検査を受け、同月21日、がんの結果が出ていたが、医師は結果を確認していなかった。医師は男性に結果が出たら、かかりつけ医に連絡すると伝えていたが、連絡も忘れ、約1年半放置していた。★男性は14年4月28日、重い貧血と足のむくみで再度受診。検査で、胃がんと肝臓へのがんの転移が見つかった。手術は不可能と判断され、化学療法を続けたが、同年9月に亡くなった。最初の検査で治療を始めていれば、根治できた可能性があったという。★藤本佳則副院長が31日会見し、「医師が検査結果を患者に伝えるため受診の予約をしていれば、結果を確認する機会はあった。患者、遺族に大変申し訳なく思っている」と謝罪した。」
 M3でこれが話題になっていて、そこに「近藤誠です」というタイトル(ハンドルネームではない)で、「本物の癌だったので、最初の段階で治療しても、今回の段階でも最終的には、生存期間は変わらなかったでしょう」と書き込んだ人物がいる。これが本人かどうかで話題になっている。他の書き込みを見ると「放置したからここまで生きられた」という意見が多い。これは「がんもどき理論」が、医師にも普及し始めたことを示しているように思う。
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