ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【脱産業社会】難波先生より

2012-12-06 12:01:56 | 修復腎移植
【脱産業社会】に日本が入っていることは間違いない。1980年代中頃に円高とBIS規制と低金利のために、国内にだぶついた円が株と不動産に向かったためにバブルが発生し、1990年にいたり、日銀・大蔵省が急激に短期プライムを上昇させ、貸出枠に「総量規制」をかけたので破裂したのである。


 一国のバブルなら一世代、30年経つと記憶が薄らぎ、景気が回復するのだが、実はアメリカでもバブルが発生していた。それが2007年「サブプライム・ローン」問題と08年の「株式大暴落」で、つまりより大規模な「バブル破裂」が生じ、いまも世界的に波及しつつある。人によっては「世界大恐慌」と呼ぶこともある。ギリシアの財政破綻もスペイン、イタリア問題も、すべて連動している。中国にも韓国にも波及するかも知れない。


 生物はその遺伝的に指定された情報に基づいて個体を形成する。遺伝子情報のことを「遺伝型」と呼ぶ。作られた体のことを「表現型」と呼ぶ。表現型とはふつうその個体の肉体的な特徴をいう。髪の毛が黒いとかブロンドだとか、血液型がA型だとかO型だとか、アルコール脱水素酵素があるとかないとか、である。


 しかし最近の生物学では、<Extended Phenotype>つまり「延長された表現型」という概念が定着してきた。「利己的な遺伝子」という概念を提唱したリチャード・ドーキンスが唱えたものだ。生物は、それ自体で<敵対的な>環境に生きているのではなく、生きることを通じて周囲の環境を自分にあったかたちに変えて行く。生きものの行動は、遺伝子型の発現であり、その意味で「表現型」だが、生きものが新しく生み出す環境(クモの網のようなものまで含めて)が、「表現型の延長」とされる。


 ダーウィンはミミズの観察を長年行い、「ミミズと土」という書物を書いたが、庭の土が年間約5ミリ盛り上がるので、石や建物の土台が急速に「沈下する」ように見えたそうだ。この「土壌の盛り上がり」は、ミミズが穴を掘る際に粘液を分泌し、トンネルの壁の小さな土壌粒子(最小のものが粘土)を凝集させるために生じる。さらに腐った落ち葉や植物の根を食べて、体外に排出する炭酸カルシウムをまぜた糞粒を排泄する。これらにより、周囲の土は養分に富み、保水性のあるマクロポア(径1ミリ以上の孔)に富んだ、耕作に適した土壌へと変わる。それはまた、ミミズにとってももっとも生きやすい環境である。


 不毛な土地にミミズを放ち、だいたい10年経つと、ミミズの活動により土壌環境はこうした穏やかなもの変わるという。(JS.ターナー「生物が作る<体外構造>」, みすず書房)
 つまりミミズにとって「やわらかな土」は、その活動により生み出された<延長された表現型>なのである。ミミズにとって「延長された表現型」は生きていく上で不可欠な<からだ>の一部なのである。


 同様に、人間の社会や経済活動も、ヒトの<延長された表現型>と見なすことができる。ミミズと違うのは、ミミズは永遠に遺伝子により規定された行動様式により「土壌を変える」ことをするのに対して、人は絶えずエネルギーの供給源を考え、生産にイノベーションを導入する点である。しかし、社会や経済活動が人間の「延長された表現型」であることに変わりはない。ただ、ヒトの歴史は、利用するエネルギー源の種類とイノベーションにより進化する。ここが他の動物と異なる。


 1万年前に始まった「農業革命」では、太陽エネルギーを利用し、定住、都市、古代帝国が誕生した。


 400年前に始まった「産業革命」では、化石エネルギー(石炭)と蒸気機関、工場での生産、商品経済による資本主義が発生した。それはやがて、水力発電、火力発電、原子力発電による電気エネルギー(太陽エネルギー、化石エネルギー、鉱物エネルギーの混用)を用いた、電力消費社会と電気器機・自動車が商品の主体をなす経済を生んだ。
 この時代がいわゆる産業社会で、大量生産によりモノとしての「商品」を作り、輸出しあるいは国内販売すれば経済が成長した、いいかえると好景気であった時代である。


 いま、総選挙にあたって「景気回復」を口にする政治家たちは、どうやらこの「商品生産の時代」いいかえると商品資本主義の時代の経済活力を取り戻そうとしているようだ。しかし、先進国が「産業社会」あるいは「商品資本主義」を脱して、「脱産業社会」あるいは「知能(知識)資本主義」の時代に突入しているのは明らかだ。


 1950年代に誕生した真空管式のコンピュータは一部屋全部を占め、真空管を動かし、その発熱を冷却するために膨大な電力を必要とした。
 1970年代になると、シリコン・チップのうえにICが組み込まれるようになり、卓上型のコンピュータが出現した。だが、冷却ファンはまだ必要だった。
 1980年代以後は、ICの集積性がさらに高まり、シリコン・チップ自体も縮小し、ノートパソコンが出現した。もう冷却ファンは不要になった。
 1990年代以後は、チップ自体がパソコン以外のものに組み込まれ、より小型で多様な用途に使われるようになった。
  iPOD、携帯電話などがそうであり、他の家電にも組み込まれている。
 明らかに社会は次の段階に到達しつつあるのだ。


 国内の原子炉がほとんど停止しているのに、大規模な停電が起こらないのは、火力発電所の再開もあるが、総体として電力消費量が減少しているからだ。人口の減少と高齢化、諸エネ家電の普及、パソコンの普及などもあるが、商業生産そのものがエネルギー集約的でなくなっている。


 東証一部に上場する株式会社の銘柄はめまぐるしく変わるが、製造業の会社が減って、サービス・情報通信の会社が増えている。最近の一覧によれば、全1,698社のうち、第一次産業(水産・鉱業)はわずか12社(0.7%)、社会インフラを作りエネルギーを供給する「建設・電力・ガス」が112社(6.6%)、狭義の製造業は765社(45.1%)、サービス・情報通信業(卸、小売、銀行、証券、運輸、サービス)が751社(44.2%)となっている。
 つまり第二次産業と第三次産業はほぼ伯仲している。分類上、印刷業など業務形態がITにより激変した産業も、「諸工業」として製造業に入れられているので、実態はもう「ものつくりの時代」が終わっているといえるだろう。脱産業社会に入っているのである。


 製造業を主体とする産業社会では、もの(商品)の流れが見えていたから、景気回復には流れの上流に公共投資を行い、安くて品質のよい素材(商品)を供給すれば、下流の産業は活発化し、雇用を生み出し、それは消費を生み出し、経済を活性化できた。しかし、この手法は20年来、通用しなくなっている。上流と下流の関係が不明確になり、リニアーでなくなったからである。生産と消費の関係がネットワーク状になったため、確実に景気を刺激する公共投資という手法が見いだしがたくなっている。


 「延長された表現型」としての脱産業社会において重要なことは、「エントロピーを最小とする」ような社会システムを構築することだろう。
スペインで2000年前に建築されたローマの水道橋を見物したことがあるが、餘部鉄橋のような形をした石造の橋が、アーチに支えられて深い谷を渡っていた。いまも現役で水を運んでいた。もちろん住民が定期的に補修をおこなっているのであろう。


 日本の国土を安全で、エントロピーが減少した状態とするために、電力供給の合理化はさけて通れない。脱原発は当然として、送電ロスを最低限に防ぐために、家庭用電源の電圧を含め、送電圧を高める必要がある。このためには、電線の地下埋設工事が必要となる。地上から送電塔と電柱を撤去してしまえば、日本の景観はいちじるしく改善され、観光資源としての価値が高くなるだろう。
 さらに先日、北海道で起こったような送電塔の倒壊による大規模停電もなくなる。


 電力供給の合理化という点で、「東西の交流サイクル一元化」も早急に行うべきである。これを行えば、東日本と西日本の電力は互いに融通し合えるだけでなく、電気器機も単一周波数に対応すればよいので、ムダな部品を省くことができる。日本全体でみれば、大きな省エネ・省資源になるだろう。


 高度成長期に作られた橋やトンネルや高架道路や高層ビルなども、耐久年限を迎えつつある。これらは次世代に引き継ぐべき重要な社会インフラである。補修工事により寿命がどの程度延長できるのか、作りかえた方がよりコストパフォーマンスがよいのか、検討が必要である。
 中央自動車道笹子山トンネルで起きた天井の事故は、こうした社会インフラの点検と維持がいかに重要かを示してくれた。


 「コンクリートから人へ」という政治スローガンが叫ばれるが、その中味はよくわからない。日本社会が構築した社会的インフラは保持しなければいけない。そのために95社の建設業がもつパワーは生かす必要がある。既存インフラの改善と送電線の地下埋設工事、これだけでも大変な公共投資だが、日本が本当の意味で「成熟社会」、「知能(知識)資本主義」社会へと変貌するには避けて通れないだろう。
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