危うく足をすくわれかかけたところを、奇跡の大逆転に救われました。久々に「山女や」の暖簾をくぐります。
前回はこの店を目指しながら満席で取り付く島がなく、結局「しづか」に落ち着きました。そして今回は図らずも逆の結果となりました。というのは、「しづか」にまさかの看板で振られてしまったのです。その時点で九時半を回ったかどうかというところであり、同じ時間帯に入ったことは何度もあります。しかし先月訪ねたとき、片付けが随分早く始まっていた記憶があります。最近看板を早めたのかもしれません。
松本では「しづか」と並んで絶賛してきた「山女や」ですが、満席、定休、臨時休業などで振られ続け、気付けば四年もの無沙汰となってしまいました。どれだけよい店であっても、いつでも気軽に寄れる店でなければ、自分にとっては意味がありません。前回も見事なまでの返り討ちに遭ったことで、この店に対しては見切りをつけていたところでした。そこで今回は脇目も振らずに「しづか」を目指したわけなのですが、そのようなときに限って逆の結果になるのが皮肉ではあります。
実は、「山女や」を一応のぞいてみたところ、案の定今回も満席で取り付く島がなさそうでした。いよいよ観念して他の店を探すことも一時は考えました。しかし、代わりにどこへ行くかと考えたとき、他の店との間には依然として隔たりがあることに気付きました。中町通りのBUNも悪くはないものの、品書きの郷土色、季節感については一歩譲るものがあります。前回世話になった「車」はどちらかといえば二軒目向けの店です。こうして逡巡していると、店先にタクシーが横付けされました。これは席が少なくとも一つは空くことを意味しています。走り去った後に再び店内をのぞいたところ、一つどころかカウンターの一辺が全て空いており、まんまとそこに収まるという顛末です。最近は遅い時間であろうと常に満席という状況が続いていただけに、僥倖としかいいようのない結果でした。
石畳の呑み屋小路に灯る赤提灯、古びた味のある店内の造り、地元客御用達の雰囲気など、この店のよさを挙げていけばかなりの数に上りますが、中でもこの店ならではといえるのが、隙間なく貼られた半紙の品書きです。今回再訪して気付いたのは、ただ多く貼るのではなく、配置と内容にも一工夫があるということでした。一見するとコの字型、しかし実はL字型という一風変わったカウンターのうち、L字の部分の頭上に沿って串焼きの品書きを一枚ずつ並べる一方、もう一辺からは季節料理の品書きを上下に何枚もつなげて垂らすというもので、しかもそちらの品書きはカウンターの内側を向いています。おそらくは、その向こう側にある二人掛けのテーブル席との間仕切りを兼ねたもので、品書きは残る二辺のカウンター向けということなのでしょう。これにより、カウンターのどこからでも全ての品書きが見える一方、テーブルとカウンターが区切られて、それぞれ気兼ねなく酒が呑めるという寸法です。
半紙を使うからといって、一枚に何品も書き入れることはせず、一品につき一枚が使われますが、だからといって文字を大きく書くわけではありません。枕詞のようなものとでもいえばよいのでしょうか。たとえば蕗味噌は「野の味」、山うどは「一足先に春の風味」、山葵菜ついては「安曇野の風味」、野沢菜は「信州冬の風物詩」といった具合に、郷土色と季節感がさりげなく込められています。定番の品についても「自家製」「特製」「しっかり煮込んだ」「コラーゲンたっぷり」など様々な枕詞が添えられていて、「山女や特製のタレに漬け込んだ」という唐揚げがいかなるものか想像するだけでも楽しいものがあります。もちろん能書きだけではなく、肴はどれもてらいのないおいしさで、なおかつ価格も良心的です。
前回振られたときもそうだったのですが、今は跡取りがカウンターに立っています。店主は引退したのかと思いきや、跡取りと入れ替わる形で裏方に回っていました。とはいえ時折顔を出す店主に変わった様子はなく、一見無愛想な、しかしさりげない気配りを働かせる女将も健在です。先々のことを考え、跡取りに主役の座を譲ったのでしょう。この店が末永く受け継がれていくのであれば幸いに思います。
四年もの間にわたって振られ続け、いよいよ見切りをつけたつもりが、名店ぶりを再確認させられる結果となり、「しづか」との甲乙がつけがたくなってきました。入れるかどうかは運次第ながら、次回もこの店を念のためのぞいてみようかと思っています。
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山女や
松本市大手4-8-2
0263-35-3139
1800PM-2300PM
日曜定休
花菖蒲二合・燗熟純米
お通し(油揚げ煮浸し)
串焼き二品
もつ煮
野沢菜漬
山葵菜おひたし
鳥の唐揚