「灯台下暗し」の諺は酒場探訪にもそのまま当てはまり、生活圏内にありながら全く足の向かない名酒場が、今なお少数ながらあるものです。その最たるものが神楽坂の呑み屋街であり、神田駅前の「三州屋」と「大越」、麻布十番の「あべちゃん」「はじめ」などの名店も、初めて訪ねたのはつい最近のことでした。本日訪ねるのもそのような盲点というべき一軒、外神田の「赤津加」です。
教祖の著作においては、同じく神田の「みますや」と並んで必ず登場するのがこちらの店で、熱心な信者が勘定したところによると、東京の居酒屋について説かれた6冊の著作のうち、全てに登場するのは森下の「山利喜」、千住の「大はし」など8軒だけなのだそうです。いわば「神8」の一角というべき名店であり、なおかつ地元といっても過言ではない神田にありながら、今の今まで足が向かなかったというのは我ながら不思議な話で、しいていうなら職場帰りに寄りづらいこと、土曜が隔週休みであること以外に思い当たる節はありません。それでは今回なぜ足が向いたかといえば、やはり合理的な理由はなく、ただそんな気分になったからというのが真相です。
この店についてまず特筆すべきことは、戦後間もなく建てられた木造モルタル二階建ての古い建物、という以前に、周囲の町並みから浮き上がったような違和感にあります。総武線の高架を見上げる電気街の只中という立地は、秋葉原の中でもとりわけ雑然としており、そこかしこにたむろするメイド服をまとった客引きが怪しげです。そんな風情のかけらもない町並みに、黒塀で囲われた入母屋造りの日本家屋がぽつねんと佇む様には、静岡の「多可能」と並ぶ唐突さを覚えます。
ひとたび暖簾をくぐれば別世界が広がるところも同様です。ニス塗りのコの字カウンターを中心にした店内は幾多の著作で見聞きしたものとはいえ、百聞は一見に如かずの道理は当然ながら当てはまります。暖簾をくぐると正面にカウンターが、左手前にテーブルが、奥手に小さな小上がりが配されて、右手に厨房が備わるという店内の造りは、足を運んで初めて得心できるものです。小窓に小さな暖簾をかけて、その向こうで料理人が立ち回るという厨房回りの設えは、みますや、三州屋、升本などと同じ関東の大衆酒場の正統で、小窓の上に短冊の品書きが並んだところもやはり正統派です。玉砂利の床、竹を編んだ天井、その間を貫く二本の立派な大黒柱などにも、建物の造りのよさが現れています。
短冊の上に掲げた扁額が示す通り、酒は菊正宗が基本です。上撰本醸造の一升瓶をまず五合の大徳利に小分けしておき、注文を受けるとそこから年季の入った升へ移して、さらに漏斗で徳利へ流し込み、六穴式の湯煎の酒燗器で温めるというのがここでの供し方です。上がった徳利は漆塗りの袴をはいて、蛇の目の猪口とともに差し出され、最初の一杯はおばちゃんによるお酌がつきます。やや大ぶりな白磁の徳利には屋号が入り、裏には菊が彫られて、その下には小さく菊正宗の名が入るという粋なものです。年配の女性店主は置物のように鎮座して、実働している気配はないものの、代わってカウンターに立つおばちゃんがリーダー格となって全体を差配し、他の三人がきびきびと客席を動き回って、小窓の向こうでは同じく三人組の板前の仕事ぶりが垣間見えます。そんな酒の注ぎ方、人々の立ち振る舞いだけでも楽しめるのが、他ならぬ名酒場の証といえるでしょう。
かくも洗練されたこの店ですが、一つだけ明確な難点があります。それはカウンター席の窮屈さです。これは、隣席との間隔や奥行きではなく、着座姿勢に由来しています。どういうことかというと、足置きの位置が高く、それによってわずかにかがみ込むような姿勢になるというのが一つです。それに対して、カウンターの壁面が足下から手前に向かって傾斜して立ち上がるため、否応なくカウンターの壁に膝が当たり、さりとて椅子を引こうとするとカウンターとの距離が離れすぎてしまいます。かなりの小柄か短足ならば、この難点も解消されると予想されるため、もしかすると建築当時の日本人の体格に合わせたものなのかもしれません。
もっとも、そんな些細な難点は、この店の価値をいささかも減じるものではありません。名酒場には、何度か通って初めて分かるよさというものがあります。そんな発見を探し求めて、季節を変えて再訪してみたいと思う名酒場です。
★赤津加
東京都千代田区外神田1-10-2
03-3251-2585
1130AM-1330PM/1700PM-2245PM(LO)日祝日及び第一・第三土曜定休
菊正宗二合
お通し(小海老煮付け)
鶏もつ煮込
あんきも
鯛柚子こしょう焼き
おにぎり
教祖の著作においては、同じく神田の「みますや」と並んで必ず登場するのがこちらの店で、熱心な信者が勘定したところによると、東京の居酒屋について説かれた6冊の著作のうち、全てに登場するのは森下の「山利喜」、千住の「大はし」など8軒だけなのだそうです。いわば「神8」の一角というべき名店であり、なおかつ地元といっても過言ではない神田にありながら、今の今まで足が向かなかったというのは我ながら不思議な話で、しいていうなら職場帰りに寄りづらいこと、土曜が隔週休みであること以外に思い当たる節はありません。それでは今回なぜ足が向いたかといえば、やはり合理的な理由はなく、ただそんな気分になったからというのが真相です。
この店についてまず特筆すべきことは、戦後間もなく建てられた木造モルタル二階建ての古い建物、という以前に、周囲の町並みから浮き上がったような違和感にあります。総武線の高架を見上げる電気街の只中という立地は、秋葉原の中でもとりわけ雑然としており、そこかしこにたむろするメイド服をまとった客引きが怪しげです。そんな風情のかけらもない町並みに、黒塀で囲われた入母屋造りの日本家屋がぽつねんと佇む様には、静岡の「多可能」と並ぶ唐突さを覚えます。
ひとたび暖簾をくぐれば別世界が広がるところも同様です。ニス塗りのコの字カウンターを中心にした店内は幾多の著作で見聞きしたものとはいえ、百聞は一見に如かずの道理は当然ながら当てはまります。暖簾をくぐると正面にカウンターが、左手前にテーブルが、奥手に小さな小上がりが配されて、右手に厨房が備わるという店内の造りは、足を運んで初めて得心できるものです。小窓に小さな暖簾をかけて、その向こうで料理人が立ち回るという厨房回りの設えは、みますや、三州屋、升本などと同じ関東の大衆酒場の正統で、小窓の上に短冊の品書きが並んだところもやはり正統派です。玉砂利の床、竹を編んだ天井、その間を貫く二本の立派な大黒柱などにも、建物の造りのよさが現れています。
短冊の上に掲げた扁額が示す通り、酒は菊正宗が基本です。上撰本醸造の一升瓶をまず五合の大徳利に小分けしておき、注文を受けるとそこから年季の入った升へ移して、さらに漏斗で徳利へ流し込み、六穴式の湯煎の酒燗器で温めるというのがここでの供し方です。上がった徳利は漆塗りの袴をはいて、蛇の目の猪口とともに差し出され、最初の一杯はおばちゃんによるお酌がつきます。やや大ぶりな白磁の徳利には屋号が入り、裏には菊が彫られて、その下には小さく菊正宗の名が入るという粋なものです。年配の女性店主は置物のように鎮座して、実働している気配はないものの、代わってカウンターに立つおばちゃんがリーダー格となって全体を差配し、他の三人がきびきびと客席を動き回って、小窓の向こうでは同じく三人組の板前の仕事ぶりが垣間見えます。そんな酒の注ぎ方、人々の立ち振る舞いだけでも楽しめるのが、他ならぬ名酒場の証といえるでしょう。
かくも洗練されたこの店ですが、一つだけ明確な難点があります。それはカウンター席の窮屈さです。これは、隣席との間隔や奥行きではなく、着座姿勢に由来しています。どういうことかというと、足置きの位置が高く、それによってわずかにかがみ込むような姿勢になるというのが一つです。それに対して、カウンターの壁面が足下から手前に向かって傾斜して立ち上がるため、否応なくカウンターの壁に膝が当たり、さりとて椅子を引こうとするとカウンターとの距離が離れすぎてしまいます。かなりの小柄か短足ならば、この難点も解消されると予想されるため、もしかすると建築当時の日本人の体格に合わせたものなのかもしれません。
もっとも、そんな些細な難点は、この店の価値をいささかも減じるものではありません。名酒場には、何度か通って初めて分かるよさというものがあります。そんな発見を探し求めて、季節を変えて再訪してみたいと思う名酒場です。
★赤津加
東京都千代田区外神田1-10-2
03-3251-2585
1130AM-1330PM/1700PM-2245PM(LO)日祝日及び第一・第三土曜定休
菊正宗二合
お通し(小海老煮付け)
鶏もつ煮込
あんきも
鯛柚子こしょう焼き
おにぎり