TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

失われなかったもの

2011年04月22日 | インポート
 昨日より、両親が揃って、広島へ2泊3日の旅行にでかけた。

 3月の末に予定していたのだが、父の入院騒ぎや地震の余韻などもあり、
延期になっていたのである。
 父の入院中、父母と同じ年頃の老夫婦が、連れだって歩く姿が、ことさら
目についた。
 街ゆく彼らと同じように、両親がふたり連れだって歩く日は、もう来ないのだろうか。
あちらこちらに、両親と同じ世代の夫婦がいるというのに、なぜ、うちの親はいないのか?
 たくさんのものが失われた地震のあとだっただけに、なおさら、喪失というものが意識されたのかもしれない。

 
 母から聞かされた父の容態は、大したことがないようであった。
しかし、津波で変わり果てた街の映像を、繰り返し見たせいか、
父親のほうも、なにか得たいのしれない状況になっているような気がして、
わたしは、すぐに見舞いに行くことはできなかった。
 その代わり、お気に入りのコーヒーショップに出かけ、いつもの、モーニングセットを注文した。
今思えば、あの時、いつもと同じメニューを頼むことで、
「何も変わったものはない」
ということを、確認したかったのである。

 容態が落ち着いているとはいえ、年が年である。
しかも、いつまた地震がきて、会えなくなるかわからない。
検査中の事故ということだって考えられる。
 それを思うと、急に、いてもたってもいられないような気分になり、
 3月14日、計画停電が始まり、東海道線も、横須賀線も
運行見合わせになったのをいいことに、
「バスで行くので遅れます」と
職場に電話して、わたしは父に会いに、病院へ行った。
 おなかを壊して脱水症状になったというだけあって、多少やつれてはいたが、
一番心配だった、頭の具合の方はまずまず大丈夫、しっかり意思疎通もできている。
 そのことを確認してから、ゆっくり職場に向かった。
 2時間たっぷり遅刻したけれど、わたしにとっては、
職場に一刻も早く到着するよりも、父に会うことの方が、よほど大事だったのである。

 
 日頃、親と同じ屋根の下に住んでいれば、いさかいと言うほどのことはなくても、
葛藤が生まれる。
 しかし、結局のところ、うっとうしいだのなんだのと言っていたって、ひとたびこうしたことが起きれば、
がれきの山や、避難所、遺体安置所を何日も何日も、諦めきれずに、
探し回るだろうということが、今回のことでわかってしまったのである。

 子供の頃は、家族旅行の名のもとに、わたしも加わって、3人でしばしば出かけた。
そこに息子が加わり4人となり、そしてまた、彼らふたりに戻ったのである。
 そのことに寂しさを感じないわけではないけれど、
それでもわたしは、 思い描くことができる。
「忘れ物はないか」
と出かける前に、指さし確認する父。
 バス停までの道のりを、ポツポツと歩いて向かう二人連れ。
新幹線の駅構内では、方向音痴の母が、そこに居てね、と父に念押しをして、
売店をあちこち覗きこむ―。
 行動を共にしていなくても、彼らの姿を用意に想像することができるのである。

 懐かしさと感傷的な気分。
これを味わうためだけでも、たまにはこうやって少しの間でも、距離をおくのも悪くはない。

 それにしても、夜帰宅して、家に誰もいないというのは、さびしいというよりも、
なにやら間が抜けている。
 ひとりで住むということは、閉めっぱなしの雨戸も、新聞の位置も、食器の並び具合も、
すべてが朝家を出た時のままであるということなのだと、気付かされる。

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