TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

介護認定

2022年12月24日 | エッセイ
先日、地域包括支援センターの職員を招いて、介護認定についての説明と代理申請をお願いした。
人の助けを得ることに抵抗を示していた父が案外乗り気になったので、意外に思いつつも、気が変わらないうちに、さっさと予約をとったのである。
約束の午前10時。バイクにまたがってやってきたのは、体格のよい、若い男性職員。
こういう仕事柄、ひとあたりがよく朗らかである。仕事上の親切さとわかっていても、言葉遣いは大事である。
同じことを話すのにも、そこに微妙に悪意や蔑みが含まれていると、表面的にはさりげなくとも、なんとなくもやもやとした余韻が残るものだ。

申請までの手順やサービス内容の説明の合間に、わたしが聞きたいと思っていたことを聞く。
母が心配事やエピソードを話す。
父がなんとか話にはいってこようと、微妙にはずれた質問をする。
それらに対して、パンフレットのそこここを指し示しながらわかりやすく説明してくれる。その時はよく理解できても、段々と情報量が積み重なっていくうちに、どれがどのサービスの話だったか、まぜこぜになってくる。
まとまりのつかない3人が相手だったためか、1時間ほどと聞いていた相談時間が優に2時間を超えた。
職員S氏、昼食を食べる時間がなくなってしまったのではないかしら。

訪問調査は来年になるらしい。
ともかく、認定がおりないことには話にならない。
基準が厳しくなっていると聞くが、不認定でも、困っていることに変わりがないのだから、症状の程度がまだ軽いのだと喜ぶわけにはいかない。
普段は3人で凝り固まった関係性に外からの人間がひとり混ざることで、緊張疲れはしたが、イベントめいて華やいだ。

 訪問調査の際の注意事などを聞いたが、試験でも受けるような気分である。
これはしかし、”できない”ほうが、認定されるという、これまでとは真逆のタイプの試験である。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (一般人)
2022-12-24 10:50:12
お父さんが見栄をはらず、出来ないと言えるとよいですね。
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Unknown (TOMATO)
2022-12-24 11:12:58
おはようございます、一般人さん

そうですね。他人によく見せたいというのはある程度誰にもあることなので、本人にしかわからない不便な点を、率直に話してくれればいいなあ、と思います。
返信する
Unknown (カラス)
2022-12-24 14:31:22
介護認定の手続きをなさるのですね。
ウチの母の時は、以前から障害がありマネジャーが付いていたので、全てマネージャーに相談し申請手続きもしていただきました。
認定者が増える一方なので、年々認定ハードルが厳しくなっています。
本来であれば、認定度が高いことはよろしくないのですが、要支援と要介護の違いは基より、度が1つ違うだけで、適用されるサービスがだいぶ違うので、経験するうちに、だんだん高みを欲する(-"-)
ようにもなってまいります。
ご本人が強がりでも出来るよう振るまうのは、まだまだお元気ということでもあります。"(-""-)"
ようにもなってまいります。
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Unknown (TOMATO)
2022-12-25 08:32:20
ありがとうございます、カラスさん

コメントの不具合の件、どうもこちらの設定が原因かもしれません。投稿タイミングによっては、特に携帯からの投稿がエラーになったり翌日の反映になったり、その影響かもしれません。
ヘルプデスクに質問中です。ご迷惑おかけします。

カラスさんのお母さまも受けられているのですね。ハードルが高くなっているのに加えて、調査の時に限って、シャンとした風にふるまってしまう……という嘆き?は耳にします。
買い物の付き添いひとつとっても、時間が決まっていて、かえってあたふたしてしまいそうだったりと、説明を聞けば聞くほど、こちら側が勝手に描いていたものと、実際のサービス内容との食い違い、というものを実感しました。
体の状態が改善に向かうことはあまり期待できないので、年数もたつうちに、あれもこれもと必要になっていくのは、しかたのないことかもしれません。
あの時はまだ歩けていたよね、強がっていられたよね、と懐かしむ日?が必ずくるのでしょうね。
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