帰宅する途中、通りかかった家の中から若い元気なお父さんの声がする。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
それに続いて子供が声をはりあげる。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
この語尾の伸ばし方は、どの地方に行っても、共通なのだろうか。
7月には、窓に七夕の短冊飾りがあった家だ。
保育園か幼稚園に通う子供がいるのだろう。
1月も終わりに近づくと、バレンタインデー商戦に切り替わるほんの短い期間、
コンビ二やスーパーに行くと、鬼のお面と豆がセットで登場する。
ちょっと奮発して、升もいっしょになったものもある。
豆の種類もいろいろあるようで、白やピンクの砂糖をまぶしたのが混ざっていたりする。
家でも、わたしが子供のころ、そして息子が小さい頃、豆まきをしていた。
どうせ外にまいてしまうのだからと、実用主義、甘みのない大豆の炒り豆であった。
「あとで掃除するのが大変だから、家の中にばかりまかないでちょうだい」
と、まくそばから、母がモップで掃いてまわるのが、何となく興ざめであった。
豆まきのあとには、年の数だけ食べることができる。
甘いものに慣れた舌にも、新鮮であった。
わたしの場合は、年の数だけ食べられると言われ、律儀にそれを守っていたように思うが、
孫に対しては甘くなったのか、息子は、豆をまくのもそっちのけで、床に散らばったのを、
あっちに飛び跳ね、こっちに跳びのきながら、ぼりぼりとむさぼり食ってたいた。
この一大イベントが終わると、せかせかと、モップや箒で豆が庭に掃き出された。
せっかく家に招き入れられた福も、この一撃で一気に外の鬼と一緒にされるのである。
その息子も、小学校も高学年ぐらいになると、恥ずかしがって付き合ってはくれなくなった。
その点、男の子のほうが、あっさりしているのではないか。
食事を終えるとさっさと自分の部屋に引き揚げていた。
そうなると、わたしもやはりご勘弁願いたくなる。
それでも、父は母に豆を、用意させていた。
節分の2,3日前になり、鬼の絵柄のついた袋が買い置かれているのを見ると、
気が重くなった。
当日、夕食を終え、テレビを見ていた父が、
「そうだ。今日は豆まきやないか」
と、まるで今思いついたかのように立ち上がる。
そして、窓を大きく明け放し、
「鬼はソト、福は~ウチ」
とやり始める。
山の中の一軒家ならともかく、住宅地である。
両隣り、真向かい、はす向かい、ぎっしり家が立ち並んでいる。
そんなに大きな声を出さないでくれ、早く終わってくれればいのにと思いながら、
いたたまれない心持がした。
初老の父がひとり淡々と豆まきをするその姿は、滑稽であり、今風に言うと、
「イタイ」のであった。
明け放した窓からは、冷たい風が吹き込み、部屋の中が、たちまち冷えてくる。
寒い部屋の中の、まさにサブい光景なのである。
それでも、早々に自分の部屋に引き揚げてしまうのも、なんだか薄情な気がして、
わたしは、もじもじとその場に居座っていた。
一年に一度ぐらい付き合ってあげられないのか?
と言えなくもないが、“豆を一心不乱にまき続ける自分の姿”を外から眺める自分が、参加を拒むのであった。
四季折々の行事は、大抵、年齢に関わりなく違和感がないが、
この節分行事だけは、鬼のお面をかぶって盛り上がるような小さい子供がいる
家庭でないと、こっぱずかしいことこの上ない。
この、ひとり豆まきは、どのくらい続いただろうか。
気付けば父も、喜寿を超え、豆まきは卒業したようである。
何カ月もたってから、モップをかけた部屋の隅からコロコロところがり出てくる“福”にお目にかかることはもうないだろう。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
それに続いて子供が声をはりあげる。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
この語尾の伸ばし方は、どの地方に行っても、共通なのだろうか。
7月には、窓に七夕の短冊飾りがあった家だ。
保育園か幼稚園に通う子供がいるのだろう。
1月も終わりに近づくと、バレンタインデー商戦に切り替わるほんの短い期間、
コンビ二やスーパーに行くと、鬼のお面と豆がセットで登場する。
ちょっと奮発して、升もいっしょになったものもある。
豆の種類もいろいろあるようで、白やピンクの砂糖をまぶしたのが混ざっていたりする。
家でも、わたしが子供のころ、そして息子が小さい頃、豆まきをしていた。
どうせ外にまいてしまうのだからと、実用主義、甘みのない大豆の炒り豆であった。
「あとで掃除するのが大変だから、家の中にばかりまかないでちょうだい」
と、まくそばから、母がモップで掃いてまわるのが、何となく興ざめであった。
豆まきのあとには、年の数だけ食べることができる。
甘いものに慣れた舌にも、新鮮であった。
わたしの場合は、年の数だけ食べられると言われ、律儀にそれを守っていたように思うが、
孫に対しては甘くなったのか、息子は、豆をまくのもそっちのけで、床に散らばったのを、
あっちに飛び跳ね、こっちに跳びのきながら、ぼりぼりとむさぼり食ってたいた。
この一大イベントが終わると、せかせかと、モップや箒で豆が庭に掃き出された。
せっかく家に招き入れられた福も、この一撃で一気に外の鬼と一緒にされるのである。
その息子も、小学校も高学年ぐらいになると、恥ずかしがって付き合ってはくれなくなった。
その点、男の子のほうが、あっさりしているのではないか。
食事を終えるとさっさと自分の部屋に引き揚げていた。
そうなると、わたしもやはりご勘弁願いたくなる。
それでも、父は母に豆を、用意させていた。
節分の2,3日前になり、鬼の絵柄のついた袋が買い置かれているのを見ると、
気が重くなった。
当日、夕食を終え、テレビを見ていた父が、
「そうだ。今日は豆まきやないか」
と、まるで今思いついたかのように立ち上がる。
そして、窓を大きく明け放し、
「鬼はソト、福は~ウチ」
とやり始める。
山の中の一軒家ならともかく、住宅地である。
両隣り、真向かい、はす向かい、ぎっしり家が立ち並んでいる。
そんなに大きな声を出さないでくれ、早く終わってくれればいのにと思いながら、
いたたまれない心持がした。
初老の父がひとり淡々と豆まきをするその姿は、滑稽であり、今風に言うと、
「イタイ」のであった。
明け放した窓からは、冷たい風が吹き込み、部屋の中が、たちまち冷えてくる。
寒い部屋の中の、まさにサブい光景なのである。
それでも、早々に自分の部屋に引き揚げてしまうのも、なんだか薄情な気がして、
わたしは、もじもじとその場に居座っていた。
一年に一度ぐらい付き合ってあげられないのか?
と言えなくもないが、“豆を一心不乱にまき続ける自分の姿”を外から眺める自分が、参加を拒むのであった。
四季折々の行事は、大抵、年齢に関わりなく違和感がないが、
この節分行事だけは、鬼のお面をかぶって盛り上がるような小さい子供がいる
家庭でないと、こっぱずかしいことこの上ない。
この、ひとり豆まきは、どのくらい続いただろうか。
気付けば父も、喜寿を超え、豆まきは卒業したようである。
何カ月もたってから、モップをかけた部屋の隅からコロコロところがり出てくる“福”にお目にかかることはもうないだろう。