TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

黒リュックの男

2011年12月24日 | インポート
 この季節になると、黒いナップザックと、サングラス、スキー帽をかぶった男性の姿を巷に見かけるようになる。
極くありふれた、なんでもない様相である。
 しかし、この姿を見かけると、震災の日、すべての電車が止まり、バスを5台乗り次いで帰宅した日のことを思いだす。

 あの夜、どのバスに乗っても、黒いナップザックを背負い、スキー帽を目深にかかぶり、
サングラスをはめた男性がひとり、乗っていた。
 そろいもそろって、わたしの立っている場所近くに席を占め、あるいは、立っていた。
そして、これもそろいもそろって、幼児のひとりでも押しこめているのではなかいかというほど、パンパンに
膨れ上がった黒いリュックを背負い、そして、自分の置かれた状況について、半ばひとりごとのように
ののしっていた。
 やっと通じた携帯電話で、保育園のお迎えについて、保母さんらしき人と連絡をとりあっている
女性に対して、
「さっさと、電話、切れよ」
と、忌々しげにつぶやき、
 道路が大渋滞してバスが遅々として進まないことに腹をたて、運転手の技術に
ケチをつけていた。
 停電になり、信号機も街灯も消え、まるでバスは山道を走っているようだった。
サングラスや帽子のために、顔もはっきりとわからないが、同一人物がどこまでもついてくるように
思えた。
 乗り換えるたびに、なぜかその男はわたしの近くにいた。

 
 ああいった状況では、シルバーシートもへったくれもない。
おばあさんが、ギュウギュウ詰めの乗客に押しつぶされまいと、細い腕を精一杯伸ばして、
手すりをしっかりと握っていた。
 放心状態だったのだろう、その顔は、無表情であった。

 バスに詰め込まれた誰もの関心ごとは、一刻も早く家に帰ること、それだけであった。


 駅の構内は、情報を求めて、皆が、右往左往していた。
バスは動いているのか、いないのか。
バス停はどこにあるのか。
誰かが質問をしていれば、耳をすませ、聞き覚えのある駅名とわかると、わたしも同じ方向
へ走った。
 駅員さんも、混乱する構内の安全確保をするだけで、精一杯のようであった。
 いつもだったら、難なくたどりつける家に帰るのに、なぜこんなに苦労するのか。
無力感でいっぱいだった。

 ずっと立ちっぱなしで腰がくだけそうになりながらも、わたしを支えたもの、
それは希望であった。
 この駅からあの駅へ、そして次の駅へ…バスのルートが頭に浮かんだ。
見たところ、周囲の家は、建っているようだ。
 我が家だけが、つぶれているということもないだろう。
 シャワーを浴びて、温かい布団にもぐりこむ…その場面だけを何度も頭に描いていた。


 黒い男に追いかけられるようにして、夜中の11時頃、家にたどり着いた。
家の中は真っ暗で、もぬけの殻。
 トースターが床にころがり落ち、タンスの引き出しがわずかに開き、玄関先に飾ってあった木彫りの
人形が下に落ち、足が欠けていた。

 その日の朝方、体調を崩した父が入院、付き添って病院にいた母共々、地震の影響で
家に帰れなくなっていたのだった。
 家に誰もいないのならば、公衆電話の長い列に苛立ちながら並んだりせずに、バス停の列に並んでいればよかった。

 「てんでんこ」という言い伝えがあるそうだ。
津波がきたら、それぞれが、まずは自分の身の安全を図って逃げるべきだという教え。
 これによって、多くの子供たちの命が救われた。

 これは何も津波ばかりにあてはまるわけではない。
お迎えや保護の必要な家族がいるのでないならば、それぞれがまずは自分の身の安全の確保を
はかった方がいい。
 気持ちが高ぶってしまい、どうしても受話器を握ってしまうのはわかるが、
連絡は、落ち着いてからでも充分。
 お互い、無事でいるならば、必ずあとで会えるのだ。


 あれから10か月近くがたった。

 津波の想定区域が変更され、職場のあたりは、最大10メートル余りの
津波がくるという。
 2階建ての事務所はひとたまりもないだろう。
 観光地にあるために、景観を守るということで、あまり高い建物は建てられないらしい。
新しい「想定」を前提に、ハザードマップなるものが、作られるそうだが、
どれだけの切迫感を持って対策が練られるのだろう。

「まさか、もうあれだけの巨大な津波は来ないだろう」
と、根拠もなく、楽観的になってはいないだろうか。

 かくいうわたしも、震災後しばらく持ち歩いていた非常食のシリアルは、
賞味期限が迫っているという”現実的”な理由から食べつくしてしまい、
飲料水も、この夏の猛暑に、飲んでしまい、補充さえしていない。

 このおうちゃくぶりに、言い訳をするならば、常備しておけるようなものの多くは、
避難所に行けば、なんとかなるものばかりとも言える。
 本当に大切なものは、、どこに行っても、もはや取り戻すことはできないのだ。

 あの夜、途方にくれた無力感は、未だに尾を引いている。

コメント
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