TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

親の”逆七光”

2011年12月21日 | インポート
昼休み。
職場のロビーで、ウォークマンのコードがからまったのでほどいていたら、
「編み物ですか?」
と同僚が近寄ってきた。
近眼の彼女、どうやら、ヒモ状のものをあっちこっちやってるのを、見間違ったらしい。


 手先が器用だったら、ちょっとした合間の時間がさぞかし充実するだろうな
と思うことは多い。
カルチャーセンターの講座を見ても、手芸工芸関係など、手先を使うものが多い。
あるいは絵心があったらなあ、と思うこともある。

 手芸にしても、料理にしても、家庭科系の科目に対する、わたしのコンプレックスは根強い。

 唯一、小奇麗にできたのは、刺繍であった。
うまくできると、好きにもなる。
母に教わりながら、小学生のころからチクチクやっていた。
 中学校の家庭科の時間、刺繍の宿題を提出したところ、
女性教師に、
「お母さんにやってもらったの?」
と失礼なことを聞かれた。
 嫌味な先生で、わたしは日頃から彼女のことが嫌いであった
男女同権を叫び、そのことに賛同したり関心をもって話しを聴いてくれる生徒
だけを、いわゆるエコひいきするというウワサの先生だった。
 家に帰り、母にこのけしからん誤解の話しをすると、
「わたしはこんなに下手じゃないわ」
と言われ、2重にへこんだ。

 手先の器用さというのは、遺伝しないものなのか。
母は、内職に編み物をひきうけてくるほど、こうした方面の能力が
優れていた。
 運動神経が抜群の人間は、種目にかかわらず、大概のスポーツが人並み以上に
できるのと同じように、彼女は家庭科系統の分野に優れていた。

 好きこそものの上手なれ。
不器用でも、楽しんでやっていれば、そのうちそれなりに、納得のいくものができるのではないか
とは思うのだが、家の中に、娘のわたしから見ても、上手だなあと思うものが、
ずらりずらり飾られていれば、どうしたって、目が肥えて、目標値のレベルがあがってしまう。
 張り合うというわけではないが、そこで嫌になってしまうのかもしれない。

 選ぶ職業にせよ、趣味にせよ、親と同じものを選ぶのを嫌がる心理は、
こんなところにあるのではないだろうか。

コメント
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