TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

おやつ200円

2010年06月13日 | インポート
 五味太郎さんの『大人問題』に、遠足のおやつ200円の話が出ていた。
小学校の遠足に持ってくることのできるおやつは、200円までという制限がついていたという話。

 あったあった、そういえば。
 遠足を翌日に控え、学校から帰ると、近所の朝日屋に、友人とお菓子を買いに出かけたものだ。
 消費税のない時代。
 お菓子に貼られたシールの値段が、そのまま支払う額になる。
 これがいいか、あれがいいか。
あれこれ頭を悩ませながら、選ぶ。
自分の欲望と折り合いをつける練習、暗算の練習、
こちらを選べば、あちらをあきらめるしかないという練習、にはなったような気はする。

 氏によれば、この価格制限は、貧富の差による悲しい思いを、子供たちにさせないための策だったとか。
 
 しかし、どうとりつくろってみたって、そういう格差が存在するのは事実。
そういうものがあるということを、どうして隠そうとするのだろうか。
 貧富の差だなんて大げさなことではなくても、
その家には、その家の方針というものだってあるだろうし。
 よその家はよその家。自分自分。というようなことを肌身で感じるのも、
大事なのではなかったのかしら。

 なんでも平等にしとけば無難、というのは、 
運動会で、ビリの子供がかわいそうだからと、
順位をつけない種目が出てきたという、あのナンセンスさと同じである。
 (ちなみに、万年ビリのわたしとしては、よーいどん、というあの瞬間だけは、今度こそ
一番になれるような気がして、わくわく。
結果は相変わらずでも、そんなにみじめではなかったような気がするのです、ハイ。)


 時代は、それから30年。
この価格制限は、息子の時代には、撤廃されていた。
学校によって違うのだろうが、「食べ切れるだけ」という条件がついていた。
この、「食べきれるだけ」というのも、いちいち学校側が、言わなくてはいけないことだろうか。
 ごく当たり前のことなのだけど……。

 それはともかく、 価格の制限の代わりに登場したのは、品種の制限。
すなわち、チョコレートはだめ、ガムはだめ、というもの。
 なぜかというと、チョコレートは、温度が上がるバスの中で、どろどろに溶けるから。
ガムは、噛んだあとのカスをそこいらに捨てて、周囲に迷惑かけるから、だとか。

 何だか変である。
ガムを禁止する前に、噛んだら紙に包んで捨てるようにと、なぜ教えない?
チョコレートが鞄の中でどうなろうと、大きなお世話。
「軟かくなちゃってやだなあ」とその子が思えば、次回から、持ってこなければいいのだし。
それでも俺はチョコレートが好きなんだもんね、と思えば、持ってくるも良し。
 その子の判断によるところである。

 事が起きる前に先手を打っておこうとするような、そして丸く収めておこうとするような、
気が効きすぎて、かえって、面倒なことからは手を抜いているような、
そんな感じがするのです。

コメント
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