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廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

福島県 矢祭町 東舘小学校 宝坂分校

2016年10月27日 16時43分38秒 | 福島の廃校
矢祭町にあった東舘小学校宝坂分校。
跡地には宝坂構造改善センターが建っています。
何の構造をどのように改善しているかは不明…。

遊具類や記念碑などもなく遺構は少なく、
残っているのは国旗掲揚ポールの基礎部分に、築山の一部ぐらいでしょうか。

1971年に本校の東舘小学校に統合されていますが、
東舘小学校も2016年、下関河内小学校、関岡小学校、内川小学校、石井小学校5校と統合し矢祭小学校になっています。
ついにひとつの町に1校のみとなってしまったわけです。







昭和12年とどうにか判読できた。













福島県 塙町 片貝小学校 矢塚分校 

2016年10月24日 16時45分13秒 | 福島の廃校
福島県と茨城県の県境周辺は、取り立てて標高の高い山はありませんが、
山が幾重にも連なり、道路の便も非常に悪くアクセスしにくいエリアですね。
しかも、故障続きの愛車ゴルフで向かうには何かと心もとない感じです。
今どきAUの電波も全然届かないし…。ほぼ1車線の道で止まったら万事休すだよ…。

とゆう、細い山道を進み不安になる頃現れた、塙町 片貝小学校 矢塚分校。
わずかな集落には子供はまったくいそうにありません。
校庭には軽トラをはじめ車が数台止まっています。
どうやら、地域の集会があるようです。
のんびり写真を撮っている雰囲気ではありませんが、せっかくきたので軽く挨拶して撮影開始。

廃校記念碑の沿革を見ると開校は以外にも戦後の昭和26年。
林業の盛んな土地の様ですので、戦後の林業入植地なのかもしれません。

沿革(閉校記念碑より)
昭和26年7月1日 笹原村笹原小学校矢塚分校開校
昭和29年4月1日 笹原村立片貝小学校として独立 笹原村立片貝小学校矢塚分校と改称
昭和30年3月10日 塙笹原町立片貝小学校矢塚分校と改称
昭和30年4月1日 塙町立片貝小学校矢塚分校と改称
平成24年3月31日 閉校
 
これを見ると笹原村と塙村のせめぎ合いというか、綱引きが垣間見えますね。
昭和30年3月10日から4月1日のわずか20日の間に
塙笹原町、塙町と名前が変わっています。
合併していきなり塙町は旧笹原村が許さなかったのでしょうね。

山の中の分校ですが閉校してまだ4年ほどですのできれいなものです。
今日の集会のようにたびたび利用されているようで、荒れた感じもなく明るい分校といった感じです。

一声かけて帰ろうとするとおばちゃんに
「お茶飲んできなー」と声をかけられました。
何とものんびりとした感じです。

アプローチには木製の校名板がありました



まだどうにか判読できる閉校時の写真がありました


















福島県 塙町 真名畑小学校

2016年10月11日 17時42分04秒 | 福島の廃校
八溝山地の山深い真名畑地区にあった真名畑小学校。
今も門柱には学校名のプレートがそのまま残されていました。
元は高城小学校真名畑分校だったようですが、入山分校と1965年に統合し真名畑小学校になっています。
その後の閉校になっていますが閉校の年月日がわかりません。

校庭に残る「我等学舎跡」の記念碑には創立100年記念 昭和48年11月建立とあります。
逆算すると明治6年創立になりますね。
創立100周年ではなく創立100年記念となっているので100年を迎える事なく閉校したようです。

二宮像や遊具類もなく当時の遺構は門柱ぐらいでしょうか。
新しめの体育館がありますが後から地区のために建てられた物のようです。











ゲートボール場はきれいに管理されています。





敷地を同じくするように神社があります。



学校前には古めかしい消防小屋がありました。
消防唧筒置場とは耳慣れない言葉ですが、消防ポンプの事のようです。


これは富永一朗先生の漫画でしょうか。
この漫画を見て川島なお美を思い出す人は50代でしょうかね。
だん吉なお美のオマケコーナー…。


福島県 塙町 笹原小学校 木野反分校

2016年10月06日 13時53分16秒 | 福島の廃校
久しぶりに福島の分校跡。
塙町 笹原小学校 木野反分校は1978年に本校に統合されています。

塙町も久慈川沿いの平地を除くと山また山…。
集落は山に囲まれているせいか、小さな学校や分校が多く、
ウキペディアに載っている廃校リストだけでも16校を数えます。
詳しく調べればもっと多くの分校が出てきそうです。

学校名のプレートが残る門柱の先に集会所がありました。
1975年の航空写真と同じ位置にありますが半分ほどに改築されているようです。
新たに建て直されているには幾分古い感じなので校舎を再利用と思いますが不明。

遊具類もありますが後からのものでしょうか。
福島県の廃校跡には必ずあるモニタリングポスト。
0,068マイクロシーベルトの表示があります。

静かな山あいの集落には子供たちはおろか人の気配もあまり感じません。


緑のトンネルの先にしっかりとした門柱が残っていました。
なかなかいい感じですよ。







集会所は当時の校舎を転用か新たに建てられたか不明。
雰囲気はありますが新たに建てられたものかもしれません。




滑り台は後からのものでしょう


タイヤ飛びだったタイヤが絶賛放置中



シンボルツリーのイチョウはかなりの大木。
廃校記念碑等がなく沿革を確認できませんでしたがかなりの歴史がありそうです



モニタリングポスト



福島県 郡山市 赤津小学校

2016年01月06日 18時17分01秒 | 福島の廃校
すっかり廃校巡りから足が遠のいています。

まだまだ廻れていない福島県ですが
暖冬とはいえ冬の会津地方へはなかなか出かけられず、
昨年夏の蔵出し物件をアップします。

猪苗代湖の南に位置する郡山市湖南地区。
国道294号泉沿いの赤津集落の裏手に赤津小学校はありました。
2005年の閉校から10年を過ぎていますがまだ現役校の雰囲気もあります。

2005年に近隣の福良小学校、三代小学校、中野小学校、月形小学校の5校が統合し湖南小学校になっています。













福島県 西郷村 羽太小学校 真名子分校

2015年12月25日 10時31分19秒 | 福島の廃校
福島県白河から羽鳥湖に向かう途中でたまたま見つけた分校跡。
公民館らしき建物に桜の木に記念碑となれば間違いなく学校跡でしょ。
真名子分校跡と刻まれた記念碑の後ろには沿革が彫られていますが
長年の苔がじゃまをして、なかなか判読しづらい状況。
昭和46年には廃校になっているようです。

記念碑以外はまったく当時のものは残っていません。
敷地も狭いので人数もかなり少なかったと思われます。



西郷村 羽太小学校真名子分校沿革(西郷村 羽太小学校HPより抜粋)

明治08年12月03日 羽太小学校開設
明治22年11月01日 熊倉小学校羽太分教場となる
明治31年01月02日 新校舎が現在地に建てられる
明治34年07月01日 西郷第四尋常小学校となる
明治42年07月01日 真名子に分校がつくられる
大正02年04月08日 校舎増築6年生まで教える
昭和12年09月02日 校舎新築、校庭拡張
昭和16年04月01日 羽太国民小学校と改める
昭和37年11月14日 校歌制定
昭和46年04月01日 真名子分校廃止、スクールバス開始

一見墓石のようにも見える記念碑



沿革の判読は手こずります


敷地には真名子公民館が建てられています。
最近建てられたのかアプローチはバリアフリー。
ご高齢者が多いのかもしれませんね。

福島県 会津美里町 本郷第二小学校 

2015年10月29日 17時11分06秒 | 福島の廃校
2013年に閉校した会津美里町 本郷第二小学校。
たまたま通りがかって見つけた廃校ですが、
閉校してまだ2年ですのでほとんど現役と変わりません。

閉校記念碑と校歌が刻まれた記念碑が校門近くに建てられていました。
会津の学校跡ではあまり目にしない二宮像もありましたが、
この二宮像はなかなか個性的、
何となく東南アジア的なちょっとだけ濃い感じのお顔立ち。
タイガーバームガーデンにある様な感じと言いますか…。
古さはまったく感じないので、かなり最近作られたようです。

校舎をはじめ廃校跡の感じは感じられません。
日曜日の学校と言ってもいいでしょう。

ただし、プールは幾分か廃の雰囲気をまといつつあります…。





















福島県 会津高田町 東尾岐小学校 

2015年10月13日 18時40分48秒 | 福島の廃校
会津高田町は2005年に町村合併で会津美里町になりました。
東尾岐小学校はその1年前の2004年に閉校しています。
同じ敷地に昭和48年まで中学校も併設されていたようです。

現在残っている校舎は鉄筋3階建ての校舎ですが、
教室の数も少なくはじめから複式学級を想定したもののようです。
それでも職員室や音楽室、図書室を考えると少ない様な気がしますが…。

閉校記念碑や校歌が刻された石碑、分校の沿革まで刻された石碑など
歴史を後世に伝えようとする遺構が多くあります。
朽ち果てようとする百葉箱がさみしそうです。

校舎に掲げられた標語は「あいさつ あんぜん あとしまつ」。
なんとなく工場のスローガンのようでもありますが、
どうしても「あ」から始まる言葉でまとめたかったのでしょうね。
でもちょっと「あんぜん」が無理がありますよね。
子ども達にとって「あいさつ、あとしまつ」はできても、
「あんぜん」はどうすればいいかわからないよね。



















福島県 西会津町 新郷中学校・新郷小学校

2015年10月06日 09時53分53秒 | 福島の廃校
西会津の廃校巡りが続きます。
珍しく中学校の廃校。
現在は西会津国際芸術村としてアート系の公募展などを催す施設になっています。
訪れたときも2015年度の公募展が開催されかなりの数の絵画が展示されていました。

新郷中学校は2002年西会津中へ統合されましたが、
同じ敷地にある新郷小学校は10年後の2012年に、
町内6校の統合により西会津町立西会津小学校になっています。

同時期に統合されたのは以下の5校。
西会津町立尾野本小学校
西会津町立尾野本小学校上谷分校
西会津町立群岡小学校
西会津町立新郷小学校
西会津町立奥川小学校

西会津の廃校巡りは時間がかかりそうです。
古い地形図を眺めるととんでもない山奥に文マークがあって驚きますが、
中でも奥川小学校弥平四郎分校とか訪れてみたいですねー。

校門の門柱には左に小学校、右に中学校の校名が掲げられていました。


















無料で珈琲が飲めるカフェスペースがありました。




こちらが小学校の校舎。








福島県 西会津町 野沢小学校 安座分校 

2015年09月30日 19時01分20秒 | 福島の廃校
wikipediaに書かれた福島の廃校リストを見ると
西会津町だけで24の廃校がリストアップされている。
季節分校などの未掲載のものもあると思われるので、
西会津町だけを廻るだけでもかなり時間がかかりそうだ。

しかも、遠いうえに広い。
今回は間違いなく木造校舎が残っているのが確認できた三校を見てきました。

西会津町の磐越西線野沢駅から安座川沿いに進むこと15分ぐらいでしょうか。
1978年に閉校した西会津町野沢小学校安座分校を訪れました。

訪れると校舎は体験型の宿泊施設として利用されているようです。
訪れたときは閉まっていましたが、校庭にはキャンプができるよう炊事場やタープまで張ってありました。

木造の校舎も宿泊用にかなり手を入れているようです。
最近は廃校後の有効活用で宿泊施設になることは珍しくありませんが、
1978年の閉校ですからかなり時間をおいてからの宿泊施設への転用と思われます。
あまり荒れてもいないので30年以上きちんと地元で管理されていたのでしょう。

記念碑などはありませんでしたが、
登り棒にブランコが残っていました。

校庭跡には栗の実がたくさん落ちていましたが、
栗を目当てに熊サンとばったり会うことは嫌なので
そろそろ退散しましょう。