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廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

福島県 三島町 西方小学校 大石田分校 

2017年07月24日 16時17分51秒 | 福島の廃校
福島県三島町の中心地から数キロの場所ですが山深い場所です。
直線距離で4キロほどで新潟県境。まさに奥会津と言った場所です。

古い地形図で目星をつけた場所は寺院の裏手。
寺院を目指して細い道を歩いて向かうと、赤い屋根のお寺はすぐ見つかりました。
なかなか大きな伽藍ですが無住のようです。
一礼してさらに細い道を進むと木漏れ日の先に木造の校舎が出迎えてくれました。

三島町立西方小学校 大石田分校は1995年に本校の西方小学校とともに三島小学校に統合されています。
閉校から20年を過ぎていますが木造の校舎は良く残っています。
雪深い会津地方で良く見かける雪囲いのおかげでガラスが割られたりもしないできれいな状態です。

閉校記念碑などはありませんでした。
詳しい開校時期などは不明です。
WEB上で情報を探すと 教育福島0092号(1984年(S59)07月)に、新卒教員として大石田分校に赴任した先生の手記を見つけました。
閉校する11年前ですが先生の手記に寄ると、1984年時点で小学1年生だけ3名が学んでいて、
1年生以外はバスで本校に通っていたようです。
1年生3名になった後10年も続いていたのもすごいですが、
もしかすると休校扱いだったのかもしれません。

当時の様子が分かる先生の手記はこちら

校舎をはじめ校庭もきれいに管理されており地元の方に大切にされているようです。
遊具類はありませんでしたが二宮像が現存。
粘菌や苔によってお顔は晩年のマイケルジャクソンの様。
マイケルもスリラーやビート・イットの頃は良かったけど…。


この出会いはなかなかドラマチック。
子供たちと先生の声が聞こえてきそうです











1年生用だろうか?
小さく可愛らしい椅子。





割れた窓ガラスから中を見てみた。
きれいな状態が保たれている。







マイケル風二宮。
台座には「新築記念 昭和33年」と刻されている。



無住の延命寺は立派な伽藍



周りの集落には子供たちの姿は無い。
古峯神社の石塔には新しいお札がおさめられています。
会津には古峯信仰が盛んでたくさんの講中があります。ここの集落でもまだ講中が残っているようです。




福島県 矢祭町 下関河内小学校 大垬分校

2017年04月19日 13時36分48秒 | 福島の廃校
福島県 矢祭町 下関河内小学校 大垬分校を目指してウロウロ。
古い地形図にある「文」マークは、
新たに作られたバイパスから入った旧道沿いのようだ。
バイパスを走っていた時はわからなかったが、旧道沿いには昔からの集落が残っていました。
忘れ去られたようなわずかな集落には、お年寄りしかいないようです。

細い路地を通り過ぎるとき、路地の奥に集会所のような建物を確認。
どうやらあそこが廃校跡のようです。
クルマをUターンさせ細い路地を入ろうとした時にやらかしました…。脱輪。
「ウワーッ、やっちまった。」

周りにはわずかに人家はありますが人の気配はありません。
いたとしてもお年寄りでしょう。

運良くAUの電波は届いているようなのでひと安心。
JAFを呼ぶ事ができましたが、30分ほどしてやってきたのはよく見るJAFの作業車ではなく提携の自動車工場のクルマ。
狭い山道だったせいか作業に1時間以上かかりましたがどうにか脱出できました。
JAF様々! 故障がちの欧州車乗りにはJAFはほんとありがたいですね。

そんなわけでJAFが来るまでの間に撮った写真。
のどかな春の里山に下関河内小学校 大垬分校の門柱と閉校記念碑が残っていました。

下関河内小学校 大垬分校沿革 記念碑より抜粋
明治8年5月 華厳寺に大垬小学校として開設
明治20年4月 豊里第二尋常小学校大垬分教室となる
明治34年7月 下関河内尋常小学校大垬分教室と改称
明治36年4月 大垬分教場となる
昭和52年3月 下関河内小学校に統合のため大垬分校を廃す











この路地の入り口で脱輪

福島県 矢祭町 関岡小学校 

2017年04月13日 14時27分31秒 | 福島の廃校
歴史ある学校が無くなるということはやはりさみしいものです。
なにげに見ていたYOUTUBEのGreeeeeeNのミュージックビデオに
福島矢祭町の関岡小学校の閉校までの映像が使われていました。

結構感動的でちょっとウルウルしてしまいそうになる映像です。
閉校したのはちょうど1年前の2016年3月。最終児童数は23名、最後の卒業生4名。

映像はこちら

福島県矢祭町の関岡小学校沿革
明治7年11月 創立
明治20年6月 植田小学校の分教室になる
明治26年4月 高城第四小学校になる
明治34年6月 関岡尋常小学校になる
明治41年4月 高城小学校分教場となる
昭和29年4月 独立し関岡小学校となる
平成28年3月 東舘小学校、下関河内小学校、内川小学校、石井小学校とともに統合し矢祭小学校となる

矢祭町は「平成の大合併」に反対して、合併しない宣言をした自治体です。
そのせいか無駄は極限まで省くスタイル。
かつては分校を含め町内に10校以上あった学校も、
統廃合が進み、現在は小学校・中学校とも1校づつ。

















福島県 棚倉町 高野小学校 瀬ヶ野分校

2017年01月16日 18時12分29秒 | 福島の廃校
道路沿いにある空き地が学校跡と知る人は地元の人に限られるでしょう。
それほどまでに学校跡を思わせる雰囲気は皆無。
閉校後に良くある集会所になる事もなくただ空き地のみがあるだけですが、
よく見るとわずかながら学校跡を思わせる遺構がありました。

まずは冬枯れの雑草に隠れた背の低い門柱。
学校名が残っているようですが詳細は未確認。
何しろ引っ付き虫の雑草が酷く、ズボンに種が付着するのが凄まじくあきらめました。

校庭の跡にはあまり大きくはありませんがシンボルツリーが確認できます。
校舎は一段高くなった場所にあったようです。

廃校記念碑がありますが冬枯れの時期でなければ発見は困難だったかもしれません。
夏場は雑草の薮に覆われて見つけられなかったでしょう。

四方を山に囲まれ短い冬の日が早くも山に隠れてしまい、
何とも寒々しい感じです。

高野小学校 瀬ヶ野分校沿革(記念碑より抜粋)
明治33年4月5日 高野小学校瀬ヶ野分教場創立
昭和16年4月1日 高野村高野小学校瀬ヶ野分校となる
昭和30年1月1日 町村合併により棚倉町高野小学校瀬ヶ野分校となる
昭和58年3月22日 創立83年式典を行い同日閉校



草に埋もれる門柱。なんでこんなに低いのでしょう。


イチョウの木がシンボルツリー


校庭側から校舎があった方向を見る



校舎側から校庭方向


記念碑がありますが気に留める人は少なそう

福島県 旧表郷村 表郷第三小学校(未確認 仮) 

2017年01月12日 19時01分03秒 | 福島の廃校
旧表郷村の廃校巡りで出会った廃校跡。
間違いなく学校跡と思われますが廃校記念碑や二宮像もなく学校名は確認できませんでした。
表郷第四小学校と距離もさほど離れていないので、
もしかすると1962年に統合された中学校かもしれません。
ただ、中学校とすると閉校から54年経っている割りには建物はしっかりしていますし、
体育小屋を思わせる物置小屋に小学校低学年向けの椅子がありましたので小学校の跡と推測されます。
仮に表郷第三小学校としておきます。

講堂と校舎らしき建物が残りますが、
一部は木工所に、また一部の棟は歌謡教室の看板が掲げられています。
工場跡と言われるとそんな気もしますが…。
古い地形図にも文マークは見つける事はできませんでした。
広い校庭らしきスペースもあるので学校跡と思われますが確信が持てません。
旧表郷村を調べても第三小学校の情報は少なく現在も調査中です。


木工所として使われているようですが…。







ヒマラヤ杉の後ろの建物内部は凄まじい荒れっぷり



こう見ると学校跡ですが学校跡を思わせる遺構は見つけられず





物置小屋の中に小学校低学年向けの椅子を発見。





一部は緑歌謡教室の看板が掲げられていました。

福島県 旧表郷村 表郷第四小学校

2017年01月06日 18時05分19秒 | 福島の廃校
今までたくさんの二宮像を見てきました。
端正なお顔立ちの利発そうな二宮や、朴訥でまじめそうな二宮。
あるいは石工の稚拙さが出てしまったちょっとユルキャラ的な二宮。
中には腕の立つ石工の作なのかまるで仏師が彫ったかの様な菩薩風二宮まで、
たくさんの二宮を見てきましたが、
ここ表郷第四小学校跡に佇むニノは一癖ある強者でした。

何となく中国風なお顔立ち。笑っているが何か企んでいるような目。
絶対、裏で悪い事してるよね…。
身体と顔の造りがちょっと違うので頭部は後からすげ替えられているのかもしれません。
それにしてももう少し子供らしい感じにできなかったのでしょうか。

二宮像以外の遺構は校名板がそのまま残る門柱と閉校記念碑。
門柱横の松の木は当時のシンボルツリーか?
跡地に集会所が建つ事もなく広い空き地になっています。

表郷第四小学校沿革 記念碑より抜粋
明治12年5月 高木小学校創設
明治17年5月 金山尋常小学校高木分校となる
明治25年10月 金山村高木尋常小学校となる
昭和16年4月 金山村高木国民学校となる
昭和22年4月 金山村立高木小学校となる
昭和30年2月 表郷村立第4小学校となる
昭和56年3月 表郷小学校統合のため廃校となる


出た、夜に出会ったら怖いよ。





校名板はしっかり残すのが表郷スタイルか?












福島県 旧表郷村 表郷第三小学校 河東田分校

2016年12月26日 19時04分04秒 | 福島の廃校
表郷第三小学校 河東田分校 
訪れる前にグーグルの航空写真で校舎があるのは確認済み。
分校なので木造と思われますが果たしてどうか?

今どきナビなしのクルマ。頼れるのはスマホのナビアプリだけですが、
最近は更新も早くナビアプリでも充分使えますね。
無事、廃校跡に辿り着きました。
1980年の閉校から37年経っていますがきれいに校舎は残っています。
なぜか門柱のある場所にはフェンスがはられていて入る事ができなくなっています。
校庭の片隅にも門柱らしきものが引き抜かれ放置されていました。

遊具や二宮像は確認できませんが閉校記念碑は現存。
分校時代に使われていたと思われる焼却炉がありました。

室内がどうなっているか窓越しに見ようとすると
室内にいた猫と目が合いました。
一瞬、共に動きが止まりましたが猫はすぐに逃げてしまいました。
廃校をねぐらにしているのかな。
写真を撮る間もなくフェイドアウト…。
まぁ、猫にしてもまさか人間が来るとは予想していなかったのでしょう。

河東田分校 沿革 記念碑より
明治7年7月 杜村河東田小学校開校
明治34年6月 杜村第二小学校と改称
昭和22年4月 杜小学校河東田分校と改称
昭和26年2月 表郷第三小学校河東田分校と改称
昭和55年4月 表郷小学校河東田分校と改称
昭和56年3月 表郷小学校に統合のため閉校





なぜか封印されている正門



引き抜かれた門柱



閉校記念碑










福島県 旧表郷村 表郷第二小学校

2016年12月21日 18時06分33秒 | 福島の廃校
グーグルマップで確認すると廃校跡は保育園になっている様子。
遺構は期待できませんが二宮像ぐらいはあるかもしれません。

訪れた表郷第二小学校跡にはきれいな保育園と上宿集会所の看板が掲げられた施設がありました。
二つの建物とも新しく最近建てられた感じです。
廃校跡の雰囲気は皆無ですが集会所の脇に記念碑と二宮像がまとめて移設されていました。
二宮像はスリムな好男子。
ここは震災の影響も受けなかったのかきれいな姿を保っています。
顔の雰囲気は先に訪れて頭だけになってしまった第一小学校と同タイプと思われます。
二宮像はエリアごとにタイプが少しづづ違っていて分類すると面白そうです。
しかし、最近作られる二宮像は歩きスマホを助長するとかで座ってるらしいですね。
まったく日本もバカな国になったもんです。もう二宮のエピソード死んでるよ。

表郷第二小学校沿革 記念碑より抜粋
明治7年5月 番沢峰全院に創立
明治19年11月 番沢簡易小学校と改称
明治20年4月 金山小学校番沢分教室となる
明治22年10月 古関尋常小学校となる
明治34年7月 古関第一尋常小学校となる
昭和16年4月 古関国民学校となる
昭和22年4月 古関村第一小学校と改称
昭和30年2月 表郷村立表郷第二小学校となる
昭和49年11月 創立100周年祭挙式

昭和55年 第一小学校、第二小学校、第三小学校、第三小学校河東田分校、第四小学校、第五小学校と統合し表郷小学校となる














学校跡近くに旧国鉄の白棚線の廃線跡が残っています。
白棚線の廃線時期は古く1944年ですが、廃線跡がそのままバス専用道路となった事で築堤等が良く残っています。











福島県 旧表郷村 表郷第一小学校

2016年12月19日 18時16分26秒 | 福島の廃校
今年最後の廃校巡りは福島県白河市の旧表郷村エリアをチョイス。
最後は白河ラーメンで冷えた身体を温める「廃校&ラーメンツアー」。

まずは白河の関近くの表郷第一小学校。
旧表郷村は第一から第五まであった小学校を1980年に1校に統合しています。
いずれも明治期に開校している歴史ある学校のようです。

最初に訪れた第一小学校で早くもインパクトある二宮に出会い、
哀しみと慈愛の風景にココロ締め付けられます。
まずはその二宮像をご覧ください。





まるで発掘されたガンダーラの仏頭のような二宮の頭部だけが残されています。
崩れつつある台座の上におかれた頭部はまぎれもなく二宮像の頭部なのですが、
仏像か天使像のような雰囲気です。
頭部の周りにはお地蔵さんの前掛けのような布も確認できます。
二宮からお地蔵さんになり信仰の対象になっているかのようです。

震災の影響か、厳しい自然環境のせいかはわかりませんが、
ここまでダメージを受けている二宮像も珍しいですね。

廃校跡にはこの二宮像以外に記念碑と校名板がはめ込まれた門柱が残っていましたが、
遊具や当時の建物関係は皆無。
新たに集会所が建てられています。

記念碑には
古関をしのぶ表郷第小学校
みな育つ よく学ぶ 栄えていく
と刻されています。
すぐ近くに奥州三関の一つに数えられる白河の関があり古くからの要所だった事を物語っています。
明治期は古關村と言われていたように白河關との関わりが深い場所です。

沿革(記念碑より)
明治9年 中野小学校開校
明治34年 古関第二小学校として独立
昭和30年 表郷村立表郷第一小学校と改称
昭和56年 統合により中野小学校の歴史を閉ず

記念碑を見るといくつかの校名変更がありましたが
地元のアイデンティティは中野小学校にあるようですね。
開校時の古關村中野地区のこだわりでしょうね。












学校前の道路際にかつて子供たちの安全に活躍した「横断坊や」発見。
見守るおまわりさんの頭部は行方不明。


福島県 塙町 高城小学校 伊香分校

2016年11月01日 11時13分45秒 | 福島の廃校
塙町立高城小学校伊香分校
1965年の閉校ですのではや半世紀。
おそらくは空き地で当時の遺構は残っていないと予想していましたが、
入口にはしっかりと校名板がはめ込まれた門柱が現存していました。

塙町はダリヤの栽培に力を入れているようで、
近くにある道の駅でも「ダリヤアイスクリーム」が売られていましたが、
ここにもダリヤが植えてあり見事な花が咲いていました。

門柱以外に閉校記念碑などもなく、
体育館や遊具類も後からの物のようです。
子供が少なくて廃校になったのですから、当然遊具で遊ぶ子供もいないはずですが、
後から設置された遊具は結構充実しています。

ぽつんとひとりぼっちのクマの遊具がさみしそうです。