2011年3月11日
14時46分18.1秒
あの日は、結婚前の娘と3人で
房総半島・館山の海岸近くで
東日本大地震に遭遇しました
その時の様子を綴った、
昨年の記事です
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
雲が多いものの、久々に青空を見ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/1a/99212a198f0f8c7cdcfd1b856ee1a439.jpg?1583938073)
2011年3月11日
あの日は、もっと晴れ渡った、
少し汗ばむほどの陽気でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/44/5b3a61fccc731892da610863e0177c31.jpg?1583945336)
房総の海辺のレストランで
磯料理のランチを済ませ
国内最大級の熱帯・亜熱帯動植物園
南房パラダイス
(現、アロハガーデンたてやま)を見学して
園内のフルーツパーラーで
ここでしか飲めないフルーツジュース
(名前は思い出せません)を
オーダーして寛いでいた直後に、
あの地震に遭遇しました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e7/ae35eddef5aeb9cb3ad3f6f159665cb8.jpg?1583945379)
店員さんの、外に避難して!との呼びかけに
取りも直さず店外に出て
地震がおさまるのを待ちました
今まで、体験したことのない
大きな地震でした
その後、津波警報が出て慌てて車に戻り
ただ、ただ、海から離れることだけを考え
ひたすら狭い山道を辿って
帰路についた記憶があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ed/bdd2f517b5c56efb919a4e3ad9f1e040.jpg?1583945487)
通常は3時間の道のりなのですが
かなりの渋滞に巻き込まれて
家に帰り着いたのは夜中の一時過ぎでした
途中、千葉のコンビナート方面に
立ち登る大きな炎を見ながら、
被害の大きさを感じ
当時、留守番をしていた
サンディーとポポの安否をひたすら祈って
不安ながらの帰路でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e0/b5bc453340f65dd0e4f261367a9287d1.jpg?1583945582)
ドアを開けたと同時に胸に飛び込んできた
サンディーとポポの顔が
未だに忘れられません
しぱらく、涙が止まりませんでした
家の中は、台所の食器類が割れて散乱し
本棚から落ちた本などでドアが塞がれ
各部屋がごった返しになっていました
彼女達にとっては
物凄い恐怖だったと思います
この日を教訓に、それ以後は
ワンチャンだけで留守番をさせるような
計画は極力しないようにしています
私達家族にとっては、忘れる事のできない
恐怖体験でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/34/359fbafaea0cb3c814cd744d1beb4e93.jpg?1583945684)
それでも、震度が大きかった
東北地方に比べたら問題になりません
この程度で恐怖を感じたくらいですから
東北の方達の恐怖や絶望感は
計り知れない大きなものだったでしょう
あれから、早いもので
9年という月日が経ちました
原発のあった福島では、未だに
避難先などから帰れない方達がおられます
亡くなった方へのご冥福を
お祈りすると共に
1日でも早く復興されることを
心より願っています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/06/7511acb54b10c3d2fd4a7daaa0db5d42.jpg?1583945749)
今日はこの地から、同時刻になった時
静かに黙祷を捧げました
全ての人々が
安寧で暮らせますように
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今年もあの日の同時刻
14時46分に
2人で静かに、黙祷を捧げました
福島を訪れると
未だに復興が遅れて
立ち入り禁止地区があります
一日も早く
元の生活を取り戻せることを
心より願っています