モカとティータイム

生まれて2ヶ月で我が家に迎え入れたモカの成長記録と
スローライフな日常を楽しく綴って行きたいと思います。

タンポポと遊ぶ

2023-04-29 15:59:00 | 日記
つい先日まで
公園の広場や緑道の道端などは
タンポポの花で溢れかえっていました



時が経ち、やがて球状の綿毛に変わり
また違った景色を見せてくれています




日本に生息するタンポポは
大きく分けて
日本固有の、日本タンポポと
外来種の西洋タンポポの
2種類が確認できます

花の姿はほとんど同じで
見た目は区別がつけにくいのですが

(日本タンポポ)

(西洋タンポポ)

我々にも簡単に見分けられる
方法があります

一見、タンポポは
一つの花のように見えますが

よく見ると、花びらに見えるのは
実は一つ一つの花で
約150の小花(ショウカ)で
構成されています

そのような花の状態を
「頭花」と言うそうです

タンポポの花の断面模型です

(下2枚の写真は
横須賀市自然•人文博物館の
資料からお借りしました)

小花(ショウカ)の模型


この小花の集まりを包み支える部分を
総苞片と言います

裏側を見ると

日本タンポポの総苞片は
閉じていますが


西洋タンポポの総苞片は
カールしたように開いています


大まかにはこのように区別できますが
ただ、厄介なのは
交雑したタンポポもあるそうで
一概には区別しにくいようです

いずれにしても
タンポポが群生して咲いている様は
春の風物詩として
小さい頃から見慣れた美しい光景です




そのタンポポがこの時期
綿毛となって旅立ち始めています


タンポポの花言葉は
「愛の神託」
「幸せ」
「真心の愛」

そして、綿毛の花言葉もあります
「別離」だそうです


しかし、マイナス面で解釈せず
卒業式などにも歌われている
「いきものがかり」のヒット曲
”YELL"の歌詞のように

「サヨナラは悲しい言葉じゃない
それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL」

と受け取れば、

タンポポの花言葉でもある
「幸せ」を運んでくれる
キューピットなのかもしれません


そよぐ風に乗って
フワフワと舞い上がり
旅立つ綿毛











これも、初夏の風物詩かもしれません


ゴールデンウィークの始まり
我が家では旅行には行きませんが
綿毛の旅立ちに託す事にしました(笑)

今は、タンポポによく似た花
「ブタナ」が真っ盛りです


ブタナとは、少し奇妙な名前ですが
フランス語訳の「ブタのサラダ」から
名付けられたそうです

タンポポとの違いは

長い茎で枝分かれして咲くので
すぐ区別がつきます


ハナアブが蜜を求めて飛んできました


昨日も畦道散歩


全ての水田に水が張られ
稲苗が浮いていました


いよいよ本格的な田植えシーズン


農家さんにはゴールデンウィークは
なさそうです

我が家も、家庭菜園で
野菜作りに励もうと思っています

皆様も、ゴールデンウィーク
楽しんでください

それでは、また



PS  みっこ師匠様

保護猫作戦、大変でしたね
そして、保護猫「はっちちゃん」の受診
お疲れ様でした

自分のことのように、ホッとしています

お仕事もお忙しいのに
みっこさんの行動力には
頭の下がる思いです

トラちゃんとも
早く遊べるようになるといいですね

まだこれからが大変だとは思いますが
お体大切にして、頑張ってください
陰ながら、応援しています



切手にフォーカス(4)

2023-04-26 22:40:00 | 日記
まだ若かりし頃、趣味で
切手収集をしていた時期があります

数ヶ月前に、書棚を整理していたら
数冊の切手アルバムが出てきたので
最近又、見返しているのですが

その中に
「20世紀デザイン切手シリーズ」
がありました

平成11年(1999年)8月から
平成12年(2000年)12月かけて
第1集〜第17集が発行されていて

我が国の20世紀を象徴し
21世紀へ向けて夢と希望のある題材を
各種ジャンルに求めてデザインした
懐かしく、楽しい切手シリーズです


全集収められるアルバムも
発行されました


不定期になりますが、これから
第1集から第17集まで、時々
順次紹介していきたいと思っています

今回は、第1集の掲載です

少し長くなりますので
興味のない方はスルーしてください

第1集は1901年(明治34年)〜
1909年(明治42年)までの題材8種類を
1シート10枚構成で発行されました


(説明は、同時添付された「解説文」から)



①「みだれ髪」与謝野晶子

  初版本表紙と肖像(晩年のもの)



「みだれ髪」は昌子(22歳の時)の
最初の歌集
1901年(明治34年)に鳳 昌子の名で
刊行され、若者達の大きな支持を得た

装幀・挿絵は藤島 武二(画家)

②常設映画館「電気館」開業

「電気館」外観と創業10周年記念
チラシのデザイン(部分)
(外観の写真は、同チラシに
掲載されたもので、大正2年頃のもの)


「電気館」は浅草六区に
電気応用の器具を見せていた古屋を改築し
1903年(明治36年)10月、日本最初の
活動写真の常設館として開業

初めは粗末な建物の見せ物小屋でしかなく
観客は土間に立ったまま映画を見たが
以後、常設の映画館は急成長していく

最初の上映は着色映画
「ロンドンの大火」だった



③チンチン電車

チンチン電車と東京・銀座風景
(写真は、明治39年頃の銀座


1903年(明治36年)8月
東京馬車鉄道から発展した東京電車鉄道が
品川ー新橋間で運行を開始した
東京における路面電車営業の初めである

ついで同年9月には東京市街鉄道が
数寄屋橋ー神田橋間、
翌1904年(明治37年)12月
東京電気鉄道が土橋ーお茶の水間を
開業した

"チンチン"という特徴ある発射の合図
から、「チンチン電車」の愛称で
親しまれ、名物となった

3社は1906年(明治39年)に合併し
東京鉄道株式会社となった

因みに我が国最初の営業用電車開業は
京都で、1895年(明治28年)である


④川上音二郎・貞奴

錦絵「川上音二郎肖像」(部分)
錦絵「貞奴の道成寺」(部分)


落語家浮世亭○○の名で
「オッペケペー節」を売り物にした
川上音二郎は、俳優として
妻の貞奴と共に1899年(明治32年)に
欧米巡業し、大成功を収めた

1901年(明治34年)1月帰国

1903年(明治36年)には、明治座で
「オセロ」、本郷座で「ハムレット」
等の大型公演を成功させた

1908年(明治41年)帝国女優養成所を
開いて女優養成を始め、 
日本の近代劇運動の先駆的役割を
果たした


⑤⑥日露戦争

⑤⑥とも錦絵「日露戦争大日本赤十字
野戦病院負傷者救療の図」(部分)



1904年(明治37年)2月
日本がロシアに宣戦布告

奉天の戦い、日本海海戦等、戦局は
日本に有利に展開したが
日本の戦力は限界に達し
アメリカのルーズベルト大統領が
講和を斡旋し

1905年(明治38年)9月
日露講和条約(ポーツマス条約)が
締結された




⑦「吾輩は猫である」夏目漱石

初版本表紙の題字と扉絵(部分)


⑧「坊ちゃん」夏目漱石

中短編集「鶉籠」の表紙絵(部分)と題字


1905年(明治38年)1月に発売された雑誌
「ホトトギス」に、夏目漱石の処女作
「吾輩は猫である」が発表され、以後
続編、続々編、等々、1906年(明治39年)
8月まで11回にわたり全編が掲載され
1905年10月から1907年5月まで
3回に分けて単行本が刊行された。

「吾輩は猫である」発表を機に
漱石は本格的な作家活動に入り
1906年(明治39年)4月には「坊ちゃん」
を「ホトトギス」に
同年9月には「草枕」を雑誌「新小説」
に発表し、これらを収めた中短編集
「鶉籠(うずらかご)」を1907年に
刊行した



⑨ハイカラ

「時好雙(双)六」のハイカラが
描かれた部分

三越呉服店(現在の三越)が発行した
月刊誌「時好」の1906年(明治39年)
1月1日号の付録


⑩両国国技館落成

錦絵「常陸山と梅ケ谷」(部分)と
当時の両国国技館外観
(錦絵は玉波画 明治34年 日本相撲協会蔵)
(外観写真は当時の着色絵葉書から)


1909年(明治44年)6月2日に
東京・両国に「国技館」が開館し
板垣退助を委員長にした開館式が
盛大に行われた。

「国技館」という名称は
完成案内状に書かれた
"相撲は日本の国技なり"の言葉から
名付けられた。

開館式では、当時の東西両横綱
常陸山と梅ケ谷の土俵入りが行われた。

☆☆☆☆☆☆☆☆

以上が20世紀デザイン切手 
第1集で発行された切手の解説でした

第2集の概要予告です

明治から大正へ
1910年(明治43年)〜1913年(大正2年)
の題材です
お楽しみに!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆

一日中雨で、気温も上がらず
肌寒いモカ地方でした

モカも
レインコートを着用しての散歩


少し小やみになった頃を
見計らっての散歩でしたが


雨はあまり好きではないモカは
最短コースを選択して


最低限の用事を済ましたら
さっさと帰路に着きます


そして
”犬は炬燵で丸くなる"
を決め込んで
暖をとっていました


あしたは、お天気も
回復する予報ですが
雨が降り続いていたので
菜園のコンディションが心配です

これからもう少し
気温が下がるようなので
皆様も暖かくしてお休みください

それでは、また




終の住処

2023-04-24 07:59:00 | 日記
この地に住んで
35年の歳月が流れました

1978年の成田空港開港に伴い
数年後に新規事業部立ち上げのため
羽田から成田へ転勤となり
移り住んだこの地

単身赴任のつもりでしたが

都会とは、打って変わって

自然豊かで、
野趣あふれていたこの地を

まだ小さかった子供たちが
すっかり気に入り
引っ越すことを決意しました

昆虫を追いかけたり
野山を駆け巡っていた頃の
子供達の姿が
懐かしく思い起こされます

野趣溢れる環境は35年経った今でも
まだ所々に残っていて

昨日のモカ散歩の時も
数種類の野草観察しながらの散歩でした

マツヨイグサ

ユウゲショウ

ヒルザキツキミソウ


ヒルガオ

コメツブツメクサ



シロツメグサ

アカツメグサ


カタバミ

ハルジオン

コバンソウ

等々、季節、季節の野草や花の名前も
沢山覚えました

野趣豊かなところは植物だけではなく
田園風景など、のどかな風景にも
触れられます

田植えを終えた田圃



水が入った田圃に餌を求めて
舞い降りる白鷺



代掻き真っ最中の田圃

この時期の風物詩です

かき混ぜられた田圃に潜む
餌を求めてでしょうか


カラスや



ハクセキレイが耕運機の
すぐそばまで飛んできて
佇み、土表面に出てきた餌を
食べていました


ツバメも飛び交っていました




白鷺も参加です


35年間、変わらぬ風景

4年前から住んでいるモカも
「今年も始まりましたか」
と言うような顔で眺めていました


そして昨日も
チガヤの中に分け入って
遊んでいました




子供達にとっては、ここが故郷

やがて、お孫ちゃん達も
この地で草花を摘んだり
昆虫を追いかけたり
走り回る日が来るかもしれません

定年退職時には一時
便利な都内への引越しも
考えた時期もありましたが

子供達の故郷でもある
この自然豊かな住み慣れた町を
終の住処として
楽しい余生を送る決心をしました

"住めば都"

これからも、のんびりと
過ごしたいと思います

それでは、また



菜園日和

2023-04-22 06:22:00 | 日記
晴れの日が続いています

昨日も菜園で一仕事

べにはるか(サツマイモ)を植えました


いつもは5月の連休頃に植えるのですが
昨年、その時期には
もう苗が売り切れていたので

とりあえず今年は20株だけ
少し早めに購入して植えてみました


そして30株は
5月の連休中に入荷する分を予約し
少し時期をずらして植える事にしました

今年は2段構えです


4月初旬に植えた里芋が
発芽し始めました


昨年は不調に終わった里芋

なんとか種芋は確保できましたが

高畝にし過ぎて、乾燥した事が
原因と思われます

今年は再起を期して
丁寧に育生していこうと思います


ジャガイモは
今の所順調に生育しています

こちらも、あまり高畝にならないように
土寄せをしました



そら豆に
アブラムシが発生し始めました

そら豆にアブラムシは付き物ですが


アブラムシは最初新芽に発生し
増えてくるとそら豆の鞘にもつきます


農薬を使わない方法として

鞘ができ始めたら
アブラムシごと上部の新芽を摘み取って
他の場所で踏み潰して
アブラムシの蔓延を防ぎます

葉の上に、てんとう虫を見つけました




このてんとう虫は益虫で
アブラムシを食べてくれる
頼もしい助っ人です


見つけた時は
「頼むよ!」と声をかけます(笑)


他にも訪問者がいました

雉さんです


この近辺に代々住み着いているらしく
時々現れては、「ケーン!」と鳴きます


もう少ししたら、親子連れで現れて
我々を癒してくれます


昨日のモカ散歩も
郊外の田圃の畦道を
のんびり、ぶらりしました


数週間前まではツクシンボで
いっぱいだった畦道が
スギナの群生に変わっていました


水の入りかけた水田に
耕運機が作った幾何学模様の軌跡




少し遠くに視線をやると


白鷺が数羽




水を引いた水田で給餌をしていました


華麗な飛翔を見せて


時々場所を移動



田植えが始まる前の、風物詩です


モカと共に、この風景に
しばらく浸って楽しみました



昨日の午後に種苗店で購入してきた
大玉トマト、ナス、ピーマン、
唐辛子等の苗


これから
今日も植え付け作業に行ってきます

その様子は、また後日

皆様も、良き週末を

それでは、また



花の名前の由来

2023-04-20 09:46:00 | 日記
モカ地方
25℃を超える日が続いています

植木、花への毎日の水やりも
欠かせなくなりました

朝の水やりをしながら花のチェック

宝鐸草(ホウチャクソウ)が咲きました



宝鐸とは

寺院の堂塔などの
軒の四隅に吊り下がる
大きな風鈴様の飾りの事で

風鐸(ふうたく)ともいうそうです

(写真は、ネットからお借りしました)

形が似ていることから
この名がついたとされています

"キツネの提灯“という別名もあります

弱い毒もあるそうですが

白から淡い緑のグラデーションが特徴的で
なんとも言えない素朴な色合いが
魅力的な花です




エビネも咲きました

(キエビネ)



エビネの名前は
根の形がエビに似ていることから
付けられた名前だそうです

(画像はネットからお借りしました)




まだ一枝だけですが
タイツリソウも咲きました


釣竿に点々とタイが
釣れているような様相から
この名がありますが

別名「ケマンソウ」とも言います


ケマンとは
お寺の仏堂て使用する壮厳具の一種で
仏堂や仏像を飾る「吊仏具」だそうです

(画像はネットからお借りしました)


スズランも咲きました


小さな鈴が連なっているような
可憐な姿ですが

別名「君影草」ともいうそうです

葉の陰に隠れて
ひっそりと花を咲かせる姿が

男性の影に寄り添う古き日本女性の
イメージと重なったためだと
言われています


英語圏では「谷間の百合」
ヨーロッパでは「聖母の涙」
と、呼ばれているそうですが

実などには、強い毒があるそうです

まさに、"きれいなものには...."
ですね


ウキツリボク(浮釣木)

別名“チロリアンランプ"が
沢山咲き始めました


名前の由来は
釣りに使うウキのように見える事から
その名がついたそうです



もう一つの名前「チロリアンランプ」は

オーストリア西部チロル地方の
洋燈(ランプ)に似ている事から
付けられた名前だそうです


チロルのランプ
どんなランプか調べたのですが
残念ながら、確認できませんでした

ベトナムに「ホイアン」という
歴史的な港湾都市がありますが
その地に伝統的な
「ホイアンランタン」があります

(画像はネットからお借りしました)

このようなイメージでしょうか?



ヒメウツギ(姫空木)も咲き始めました


名前の由来は
幹の中が空洞になっている事により
この名がついたとされています


別名「姫卯木」

旧暦の4月を意味する「卯月」に
咲く事からこの呼び名もあるそうです


チョウジソウ(丁字草)も咲きました



名前の由来は

花を横から見ると丁の字に見える事から
ついた呼び名だそうです



以上、花の名前の由来でした

春から初夏に季節が
移ろうとしている時期は
半日陰で咲く花が多くなります

強い日差しを避けるためでしょうか?

花姿も慎ましく
その素朴さに、なんとも言えない
魅力を感じます



昨日のモカ散歩は
郊外の田圃の畦道をのんびりと
歩きました



稲作も田植えに向けて
準備が始まっていました


耕運機で肥料の散布?が
始まっていたり



水を張って水田を作ったり

5月の田植えに向けて
順調に準備が進められている
様子が見られました


途中にチガヤが群生していて


陽の光を受けながら


フワフワした綿穂が
風になびいていました


散歩道でも、そこまで来ている
初夏の気配を感じました

夏の暑さの前の
束の間の季節を
もう少し楽しめそうです

今日もこれから
菜園で汗を流してきます

畑作業も、今が一番快適です

それでは、また