歌舞伎役者の中村勘九郎が「菊池寛賞」を受賞したというニュースをみた。
かつてぼくは、勘九郎さんが歌舞伎を現代の演劇空間のなかで再構築する試みに意欲的に取り組んでいた劇場ではたらいていて、その当時は「たしかにおもしろいけど、そこまでやっちゃったら『歌舞伎』ならではの美意識までなくなっちゃうんじゃないの?」と感じることもままあって、個人的にはウケ狙い(?)というか、あまりポジティブなものとしてとらえてはいなかったのだが、今回、受賞にあたっての勘九郎さんのあいさつを耳にして思ったのは、なるほどこの人はいい意味で《アマチュア》なのだなということだった。
「いいかわるいかではなく、やるかやらないか」で判断し、取り組んできたことがこのように評価されてうれしい、と勘九郎さんは語っていた。「やるかやらないか」、これこそはアマチュアリズムの原動力ではないだろうか。それにくらべて、「いいかわるいか」に拘泥するあまり、ときにプロフェッショナルはジレンマに陥りがちである。「やりたいからやる」というアマチュア的発想こそは、あるいはジレンマやプレッシャーとつねに背中あわせのプロフェッショナルにとってのクリエイティブな跳躍力なのかもしれない。
プロであればこそ、アマチュアの目線をいつも忘れずどこかに意識していたいものだ。大きな意味での「エンターテイメント」は、そこからしか生まれえないとおもうからだ。
かつてぼくは、勘九郎さんが歌舞伎を現代の演劇空間のなかで再構築する試みに意欲的に取り組んでいた劇場ではたらいていて、その当時は「たしかにおもしろいけど、そこまでやっちゃったら『歌舞伎』ならではの美意識までなくなっちゃうんじゃないの?」と感じることもままあって、個人的にはウケ狙い(?)というか、あまりポジティブなものとしてとらえてはいなかったのだが、今回、受賞にあたっての勘九郎さんのあいさつを耳にして思ったのは、なるほどこの人はいい意味で《アマチュア》なのだなということだった。
「いいかわるいかではなく、やるかやらないか」で判断し、取り組んできたことがこのように評価されてうれしい、と勘九郎さんは語っていた。「やるかやらないか」、これこそはアマチュアリズムの原動力ではないだろうか。それにくらべて、「いいかわるいか」に拘泥するあまり、ときにプロフェッショナルはジレンマに陥りがちである。「やりたいからやる」というアマチュア的発想こそは、あるいはジレンマやプレッシャーとつねに背中あわせのプロフェッショナルにとってのクリエイティブな跳躍力なのかもしれない。
プロであればこそ、アマチュアの目線をいつも忘れずどこかに意識していたいものだ。大きな意味での「エンターテイメント」は、そこからしか生まれえないとおもうからだ。