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moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

森正洋展@無印良品

2006-01-30 23:51:27 | コラム、というか
ィンランドデザインの「良心」がカイ・フランクなら、さしずめ日本デザインの「良心」はこのひと、森正洋ではないだろうか。

いま開催中の「無印良品の器 森正洋展」を、たまたま足をはこんだ有楽町の無印良品で観て、あらためてそんなふうにかんがえた。ふたりのデザイナーの共通項はアノニマス、つまり「匿名性のデザイン」ということにある。かれらがつくりだす製品がめざすのは、それが当たり前のようにひとびとの暮しのなかに存在し、使われること。たとえばカイ・フランクの「テーマ(Teema)」が、森正洋の「しょうゆさし」がそうであるように。

あくまでも使いやすく、コストパフォーマンスがよく、しかも飽きがこない、生活になじむデザイン。

森正洋が「無印良品」のためにデザインしたボーンチャイナのティーポットをみて、ああきれいなデザインだなあ、と感じた。「暮らし」という文脈のなかで「きれい」であるということは、つまりそれが「理にかなったうつくしさ」を持ち備えているということ。みた目のクールさやユニークさとは無関係なのだ。ポットの中で茶葉はきれいにジャンピングするか。冷めにくいか。取っ手の持ちやすさはどうか。お茶を注ぐとき、勢いよくですぎたり、逆にでにくいことはないか。液だれしないか・・・。このポットの曲線は、こうしたことを考え抜いたすえに生み出された曲線だとわかる。

なんでもカイ・フランクは来日した際、森正洋をたずねてわざわざ「白山陶器」のアトリエまで赴いたのだとか・・・思わずニヤリとさせられるエピソードである。いつか日本とフィンランドで、「カイ・フランクと森正洋 展」なんていう企画が実現されないものだろうか。

Pen Station Cafe

2006-01-29 23:00:29 | コラム、というか
座あたりでお茶をしようと思うと、なんか落ち着かなかったり値段が高かったりで意外に苦労したりする。だったらいっそのこと京橋まで歩いて、「Pen Station Cafe」へゆくのが正解。

ペン・ステーションという名前がしめすとおり、ここは筆記用具でおなじみの「パイロット」が運営するカフェで、2階にはミュージアムもある。企業がアンテナショップとして、あるいは眠っているスペースの有効活用として、こうしたカフェを運営するというケースはけっしてめずらしい話ではないけれど、そういったことを抜きにして純粋に「カフェ」としてみても、ここはかなりイイ線いっていると思う。いや、むしろこの立地で、この値段で、このレイアウトで・・・ふつうだったらとてもじゃないけれど経営として成り立たないだろう。そこはなんといっても「企業系カフェ」の強みである。

じつはたいした期待もせず「カフェオレ」を頼んだのだが、これが思いのほかおいしく新鮮な驚きだったので、いまこうしてブログでおすすめしている次第。お昼ごはんに、銀座でおいしいビーフシチューを食べてしまったあとだったのでドリンクしかオーダーできなかったのだが、陳列されていた「ヨーロピアンシナモンロール」が気になってしかたない。

ちなみにここ、「京橋」という土地柄、平日の昼間はほとんど「ルノアール」のようである。

『ククーシュカ~ラップランドの妖精』

2006-01-27 23:35:26 | コラム、というか
の春、2本のフィンランドを舞台とした映画が公開されます。ひとつは、以前このブログでもご紹介した荻上直子監督の『かもめ食堂』、そしてもうひとつが、ロシア映画『ククーシュカ~ラップランドの妖精』です。どちらもフィンランドを舞台としていながらも、ともに「外国映画」というところが不思議です。

この『ククーシュカ~ラップランドの妖精』は、すこし重いテーマをもった作品です。舞台は第二次世界大戦さなかの、フィンランドの北極圏ラップランド。この地で暮らすサ-メ人の女アンニと、彼女の家に逃げ込んだふたりの負傷兵-ソビエト兵イワンとフィンランド兵ヴェイコ-による言葉の通じない三人の奇妙な共同生活(サーメ語/フィンランド語/ロシア語)が描かれています。

もちろんいうまでもなく、当時ソビエトとフィンランドとは敵対関係にありました。フィンランドは隣国ソビエトの侵攻を食い止めるべく、やむなくドイツ軍に加担していたのです(結果フィンランドは「敗戦国」となる)。そして、ソビエトvsドイツ/フィンランドの戦闘の最前線こそが、この映画の舞台ともなっているサ-メ人たちが代々暮らしてきた土地「ラップランド」だったわけです。表面上は、ソビエトとドイツ/フィンランドとの闘いという様相を呈しているものの、サ-メ人にとっては自分たちの土地を彼らが奪い合っている、そんなふうにもみえたかもしれません。こんな彼らが、ひょんなことからひとつ屋根の下、言葉さえも通じない状況のなか暮らすことになるというストーリー、なんともアイロニカルで、かつ寓話的です。

ぼく自身、この作品を観たわけではないのでなにも語れないのですが、歴史をふりかえる限り、この戦争で得をした人間はだれもいない(辛くも戦争賠償金を手に入れたソ連でさえも)ように思われ、この作品を通して監督が伝えたかったこともまさにそのあたりにあるのではないかと推測しています。

余談ですが、ラップランドの州都ロヴァニエミは、皮肉なことに、戦争末期フィンランドにとって味方であったはずのドイツ軍の手によって焼き払われます。いわゆる「焦土作戦」というやつです。けっきょく、フィンランドはじぶんの国からドイツ軍を撤退させるため、ドイツ軍との戦いも強いられてしまいます。そのためラップランドでは、ソ連軍以上にドイツ軍を嫌う人々も多いそうです。この映画を観るにあたっては、こんなページなども参考にしてそんな歴史的背景をすこし頭にいれておくと、より深く理解できるかもしれません。

※以上、情報提供はみほこさんでした。いつもながらキートスです。

「猪八戒」、じゃなくて

2006-01-24 23:39:37 | コラム、というか
みだくじのように歩くのだ。角があったら曲がる。つぎの角でも、また曲がる。だいたいそのつど適当に曲がるので、場合によっては目的地からどんどん遠ざかっていたりもするのだが、そうしたらこんどは逆に曲がってゆけばいいだけの話である。こんな具合に歩いていると、たいていひとつやふたつ思わぬ《発見》があって、それが面白くてしかたがないのだ。

新橋へ鍼を打ちにゆくときは、いつも銀座まで出て、そこから歩いてゆく。片道15分ちょっと。道筋はいろいろあるのだが、「最短コース」の途中で思いがけずみつけたのがこのブタのレリーフ(画像)。じつは、このレリーフの存在はむかしから知っていたのだが、こんなところで生き延びていたとは意外だった。

これは、いまから20年くらい前までこの場所にあった「大阪ビル」(現「ダイビル」)の壁面を飾っていたレリーフである。1927年に竣工されたビルで、大学のころ買った本にはたしか「日比谷の三信ビルとならぶ国内ではめずらしいアール・ヌーヴォー様式の建物」と紹介されていたような記憶がある。残念なことに、「大阪ビル」はぼくが高校生のころすでに解体されてしまったので、現存していたときの姿については思い出すことができない。ただ、そのユーモラスというよりは、むしろ無気味なレリーフのことだけは本で目にして以来ずっと記憶に残っていたのだった。

そんなわけで、ぼくにとっては思わずニヤリとしてしまう「出会い」だったのだが、そんなルーツのことなどなにも知らない近隣のOLのおねえさまがたの目には、あまりに唐突かつグロテスクなこの「ブタさん」、はたしてどんなふうに映っているのやら、そのことを思うとどうにも不憫でならないのである。

『北欧デザインを知る』

2006-01-23 23:05:31 | コラム、というか
どい頭痛で一日ふせっていたので、ネタがない。そこで、いま読んでいる北欧関連の本を紹介してお茶を濁しておこう。雑誌などで、北欧デザインにかんするコラムを精力的に発表されているライター渡部千春さんの新著『北欧デザインを知る~ムーミンとモダニズム』(NHK生活人新書)である。

ところで現在の「北欧ブーム」というのは、じつはかなりの程度「北欧デザイン・ブーム」なのであって、それも巷の「かわいい雑貨・インテリアブーム」とリンクしているというのは一目瞭然である。そしてそれがもうちょっと深化すると、「ていねいに暮らす」といったポスト「清貧の時代」的なスローガンにまで「昇華」(?!)されることになるのだが、まあ、それはそれとして、こうした背景をもった現在の「北欧ブーム」が紹介されるとき、その紹介のされ方がヴィジュアル中心になってしまうのはいたしかたないとはいえ、どうしても「浅い感じ」がしてしまうのはちょっと残念なことである。

「北欧デザイン」について語ることは、それらが生まれた《背景》について語ることである。渡部さんはこの本で、「新書」という制約のなかで最大限、その「軸」がブレないことに細心の注意を払っているように感じる。もうひとつ、この本からは「日本人」である筆者の「北欧デザイン」(つまり、それらを生んだ「背景」)に対する驚きや感動、リスペクトといった感情が、とてもフレッシュに伝わってくる。だから、「北欧デザイン」に愛着を抱いているひとにとっては安心して読めるし、また共感もできるのだ。

この本は、ヴィジュアル中心の「北欧ブーム」にはなんとなく飽きたというひとにこそうってつけの一冊だと思う。

ちょっとブレイク

2006-01-20 23:37:33 | コラム、というか
やあ、なんだかスゴいことになってますね、「ライブドア」問題。

事件の中身はさておくとして、ついつい覗いちゃったのですよホリエモン・ブログ。そうしたら、なんと19日の記事にたいするコメント数が、4863!!!ですよ。こわくてクリックできないよと思いつつ、ついつい「コメント欄」をクリックしてしまったところ案の定激重で、あわててescキーを連打してしまいました。

よくもわるくも世間から注目される、きっとそういう星の下に生まれたひとなのでしょうね。

きょうというひ

2006-01-18 23:47:37 | コラム、というか
末に、お客様のMさんが一冊の本を送ってくださった。荒井良二さんの絵本『きょうというひ』である。

この絵本のことはしらなかったが、著者である荒井良二というひとが2005年の「アストリッド・リンドグレン記念文学賞」を受賞したということはニュースで聞き、しっていたし、それゆえ興味も抱いていた。そして、はじめてこの絵本をひらいてみたとき、不思議とある画家のことを思い出した。松本竣介である。

松本竣介の絵と、この『きょうというひ』での荒井良二の絵とを結びつけるもの-それは、どちらも無音の世界が描かれているということではないだろうか。13歳のとき病気により聴力を失った竣介が描く絵は、前に立つたびその無音の世界にひきこまれそうになる不思議な引力をもった絵画だ。かれはたぶん、音のない世界を生き、そこで絵を描いているのである。それに対して、荒井良二というひとはこの絵本で、音を必要としない世界を描きたかったのではないか。うまく言えないけれど。音を必要としない世界とはつまり、いのりの世界である。静かに目をとじて、ゆっくりと手をあわせる。もっとも自然で、もっとも敬けんな「いのり」にあって、「音」は無用だ。その「いのり」がピュアであることを守るため、消しゴムで「音」を消しとっていったのがこの『きょうというひ』なのではないだろうか。

きょうというひの ちいさな いのりが
きえないように、きえないように...

きょうというひが音もなく降りつもってゆく。

「ミュゼ浜口陽三」へゆく

2006-01-15 23:51:47 | コラム、というか
のうにひきかえ、きょうは天気もおだやかだし耳の調子もわりかしよいので、「フィンランド語クラス」を終えたあと、水天宮前にある美術館「ミュゼ浜口陽三」へゆく。以前からいちど行きたいとは思っていたものの、休館日と店の定休日が重なっていてなかなか実現しなかったのだ。病気のおかげでようやく実現したというのも皮肉な話ではあるけれど、美術館のような静かな空間はさながら「騒音にみちた都会のオアシス」のようで、いまのぼくにとってはホッとできる場所なのだった。

浜口陽三は、「カラーメゾチント」という《技法》を開拓したことでしられる世界的な版画家である。画商であるウチの奥さんの説明によると、「カラーメゾチント」というのは、「銅版画(エッチング)」のヴァリエーションである「メゾチント(「マニエール・ノワール」ともいわれる)」をもとに、4つの版を刷りあわせることでカラーによる表現をもたらした独創的な技法、である。

浜口の作品のなかでは、「さくらんぼ」や「毛糸玉」、「てんとう虫」といった静物は深々とした「黒」を背景にぽっかり浮んでいる。それはまるで夜空に浮ぶ満月のようである。いっぽうで、そこになにかしらの「孤独」のようなものが漂っているとしたら、それはおそらく「さくらんぼ」や「毛糸玉」、「てんとう虫」といったモチーフのどれもが、他者とのかかわりを一切もっていないからにちがいない。浜口陽三の「黒」は、その意味であたかも「ブラックホール」のようでもある。

さらに、精妙かつ高度な技術に裏打ちされたそのストイックな作品の数々をみるにつけ、受け継がれない《技法》という「孤独」にも思わざるをえないのだ。「技法」というのほんらい、それが確立されることで広く共有されるものなのではないだろうか。浜口陽三に、弟子あるいはその継承者にあたるひとが存在したのかどうか、ぼくはしらない。けれども、かれのきわめて緻密で濃密な作品をみるかぎり、それは浜口だけに可能な「技術」であって、共有されるべき「技法」ではないという気がしてならない。浜口そのひともまた、「さくらんぼ」や「毛糸玉」、「てんとう虫」と同様、ブラックホールのなかの孤独な創作者だったのかもしれない。

その後、散歩がてら人形町まで足をのばすも、日曜日のそこは賑わってこそいるものの、お目当ての店はことごとくお休み、お目当ての品物はことごとく売り切れといったありさまで、はじめて訪ねた人形町はまさにフラれっぱなしで散々なのだった。

リハビリ!?

2006-01-14 21:08:22 | コラム、というか
ょうは耳の加減がよくない。「突難」とつきあいはじめて20日あまり、最近すこしわかってきたのだが、ブーンという低周波の耳鳴りが始終鳴りつづけているときのほうが、かえって調子はよいのだった。耳鳴りがあまりないように感じられるときは、じつは低い音も高い音も全般に聴こえにくくなっているときで、こういう日はいろいろな音を耳にすればするほど「音割れ」や「響き」といった症状がひどくなってゆく。きょうはそういう状態だ。

とはいえ、再開にむけたリハビリ(?!)的意味あいもかねて、週末の「フィンランド語クラス」だけはきょうから再開した。きょうのように調子がよくないとやはり疲れやすいのだが、長い目でつきあってゆかないといけないのだとすると、ある程度慣れる必要もあるし、限界といったものも知っておく必要がある。

まったく、予想以上に手ごわい病気である。気をつけようがないとはいえ、ホント、気をつけてください。

『前川國男 建築展』

2006-01-12 23:29:04 | コラム、というか
ょうも病院。症状は相変わらず。発症からそろそろ20日、正直ここまで手こずるとは思わなかった。

きょうは友人のタナカ君が遊んでくれるというので、診察後待ち合わせて本郷三丁目へゆく。「本郷三丁目」へゆくのは、たぶん生まれて二回目くらい(これで、ぼくが東大卒ではないことがバレてしまった。いや、だれもそんなこと考えてもいないだろうけれど)。それにしても、予想外ににぎやかな街でびっくりした。

まずは、nonoさんおすすめのハンバーガーショップ「ファイアーハウス」で腹ごしらえ。「モッツァレラマッシュルームバーガー」という、舌がもつれそうな名前のやつを堪能させていただきました。うまかったです。その後、Iさんからよく話を聞かされていた輸入文房具のお店「スコス」さんをのぞいたりした後、本日のメインイベント『前川國男 建築展』をみるため東京駅へと移動。

ル・コルビュジェやアントニン・レーモンドといった世界的建築家のもとで学び、独立後は敗戦からの復興、高度経済成長、バブル前夜という時代に、公共建築を中心に大規模な建築作品を数多く遺した前川國男。アルヴァー・アールト同様、時代の要求と本人の建築家としての方向性とがうまく重なった、ある意味幸福な時代に生きた建築家といえるのではないだろうか。前川國男というと東京文化会館や都美術館などつい大規模な建築を思い出してしまうのだが、阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスなど、ちいさな建築も手がけていたというのは意外だった。

意外といえば、展示物のなかに「前川國男の愛聴盤」ということでアナログレコードが数枚あったのだが、ちょっと前に流行ったミュージックバトン前川國男編みたいでなかなか興味深かったのでメモしてきた。

ジョン・コルトレーン『BRUE TRAIN』
ビートルズ『The White Album』
ジャック・ルーシェ・トリオ『PLAY BACH』

ジャック・ルーシェなんかはわかるような気がするのだけど、コルトレーンやビートルズ(しかも「ホワイトアルバム」!!)は・・・。さらに、

ヴェルディ 歌劇『アイーダ』
ベルク 歌劇『ヴォツェック』

かたや世紀のスペクタクル・オペラ、かたや無調性の不条理ドラマと、まったく対照的なふたつのオペラだが、どちらの作品をも上演できるような劇場の設計を夢想していたのだろうか?また、ちょっと異様なのは「レクイエム」が4枚(3作品)もあること。

モーツァルト 『レクイエム』 アーノンクール/ウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス
ベルリオーズ 『レクイエム』 ベルティーニ/ケルン放送SO
ヴェルディ 『レクイエム』 バーンスタイン/ロンドンSO
ヴェルディ 『レクイエム』 アバド/ミラノ・スカラ座O

モーツァルトはおそらく最晩年に聴いていたものだろう。フランス物では有名なフォーレではなく、ベルリオーズというところがシブい。ヴェルディはよほど気に入っていたのだろうか。演奏も、濃厚な「とんこつ」とあっさりした「しょうゆ」という感じでマニアックなセレクトである。

「愛聴盤」といっても、誰かがなんらかの意図をもって選んでいるわけだからこれをもってどうとは言えないわけだが、こういうのは他人の家の冷蔵庫をのぞくような愉しみがあったりするものだ。その反面、勝手に選んでおいて「愛聴盤」なんていわれたらさぞかし迷惑だろうなぁ、とも思うのだった。たとえば、若気の至りで買ってしまった「長渕剛」とか・・・。こういう不測の事態を避けるためにも、これから「偉くなる予定」のひとにはぜひ、「愛聴盤」にはわかりやすい目印をつけておくことをおすすめしたい。

その後ちょっとコーヒーでもということで、有楽町へ移動。「前川國男展」の余韻を味わうべく、有楽町ビルヂングの喫茶「ストーン」へ。BGMは、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』。まいった!40年前にタイムスリップした気分。