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moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

二日酔い!?

2006-02-18 23:45:24 | コラム、というか
ッカー・ワールドカップにむけた国際親善試合「日本vsフィンランド」戦がありました。結果は、2-0で日本代表チームが勝利をおさめました。

「日本人」的には、小笠原の絶妙なロングシュートなど満足のゆく内容だったのですが、立場的(?)には、もうすこしフィンランドにもがんばってもらいたかったな、と・・・。選手同士が接触する場面では、ガタイがいいぶん日本選手がころころ転げ、それをいちいち「ファウル」にとられてちょっとかわいそうな気がしました。う~ん、身びいきなんでしょうか?

ちなみにフィンランド語クラスのリーサ先生によると、「あれは絶対、飛行機の中で呑みすぎて二日酔いだったんだよ」とのこと(笑)。たしかに、動きは鈍かったけれど・・・でも、それを言うなら副賞の「ビール一年分」はモチベーション的には十分だったのでは?

「泣ける映画」の話

2006-02-16 23:13:54 | コラム、というか
説はあまり読まない。ドラマもほとんど観ない。小説よりはノンフィクション、ドラマよりはドキュメンタリー、その好みはむかしから変わっていない。

なにか小説を読もうと思い本屋へ行っても、パラパラひらいて二、三行も読むともう嫌になっている。うそくさいな、そう感じてしまうのだ。だいたいが、そうと知りつつその「うそ」を楽しむのが小説やドラマの醍醐味なのだから、そう感じてしまうじぶんはつくづくつまらない人間だな、と思う。

それにひきかえ、ノンフィクションやドキュメンタリーはけっこう好きだ。しかも、あっけないほどかんたんに感動してしまう。終わってしまったが、以前NHKで放送していた「プロジェクトX」など、観ればかならず目頭が熱くなっていたし、このあいだなんて、たまたまやっていた「実録・ホスト物語」といった番組で泣いてしまった。じぶんでも、いったいどこに感情移入したのか皆目見当がつかないのだが・・・。

先日そんな話をしていたところ、お客様から「マイ・アーキテクト~ルイス・カーンを探して」という映画をすすめていただいた。世界的建築家ルイス・カーンの《愛人の息子》であった主人公が、父親の死から25年後、《兄弟》をはじめとする関係者にインタビューしたり、父親が遺した建築物を訪ねたりしながら《父親探しの旅》に出るというドキュメンタリー。もちろん涙腺にもズドンと響く作品になっているとのこと。

「花粉症」のフリして、思いきり泣いてきます。

今週のケーキ

2006-02-15 23:52:04 | コラム、というか
週はドリンク&スイーツのみの営業ということで、国立のWILL cafeによる週替わりケーキを2種ご用意してお待ちしております。

きんかんの甘露煮をたっぷり入れて、白ゴマ、黒ゴマの香ばしい薫り&食感とともに楽しんでいただく「きんかんとゴマのケーキ」、そしてシナモンで煮たりんご、さつまいも、そしてラムレーズンのコンビネーションが絶妙な「さつまいもとりんごのケーキ」(写真)です。

ぜひお楽しみください!(※数に限りがありますので、品切れの際にはご容赦下さい)

ありがとうございました。

2006-02-14 23:59:12 | コラム、というか
日より営業再開させていただきました。営業時間をみじかくしたりメニューをしぼったりと、まだまだ本調子とはいきませんが。そんななか、さっそくご来店くださったみなさま、またお祝いメール等くださったみなさま、どうもありがとうございました!

一ヶ月半ぶりに「職場復帰」した感想は、人間って、こんなにあっけなくいろいろと忘れてしまうものなんだ!ということ。仕込みやオーダーが入ったときの手順など、ほとんどなにも考えずとも自然と手とからだとが動いていたものが、いちいちアタマで考えてからでないと動けない。笑ってしまうほどに。オープンした三年半前の感覚を、ひさびさに味わいました。ああ、こんなふうに必死にバタバタだったな、と。もちろん、勘がもどってくれば早いのでしょうが。

よくもわるくも気持ちをリセットしての再スタートになりました。

これから

2006-02-11 23:33:04 | コラム、というか
うして「仕事」をするのかといわれれば、やはり「生きるため」と答えるだろう。

「生きるため」というのは、文字どおり「食ってゆくため」という意味もあるだろうし、また「いきがい」といった、もっと抽象的、精神的な意味合いもある。「仕事」はときに、「生きること」と等しく思われる瞬間がある。ふたつが「生きること」において分かちがたくあることが、そう錯覚させるのだ。けれどもやはり、ひとは生きるために仕事するのであって、仕事するために生きるわけではない。とすれば、その「生きること」を妨げるような「仕事」や、「仕事の仕方」は(仮にそれが楽しかったり、熱中できるものであったとしても)それじたい正しくない。それは、本末転倒だからである。

この一ヶ月半あまりのあいだに、ぼくはそういう「答え」に辿りついた。

再開にあたって、仕事とその仕方について、もういちどかんがえてみる必要があるだろう。それはもちろん、「moi」についてかんがえるということでもある。そうして、その「かんがえ」にもどづいて、あらためて「moi」のスタイルというものを形づくってゆきたいと思う。たとえそれが時流から外れていたり、ときとしてエキセントリックに映ったとしても、ただ「生きること」に従順に、それを唯一の「ものさし」として判断をしていきたい。

もし、それがだれからも支持されなかったら?・・・それはそのとき。もういちどかんがえればいいこと。

トリノの教え

2006-02-09 20:26:07 | コラム、というか
開にむけて、そろそろ準備をはじめなくてはならない。とはいえ、年内の営業も残すところあと数日というタイミングで発症、バタバタのままお休みに入ってしまったため、年末年始に片づけようと考えていたことがなにひとつとしてできていない。もちろん、冷蔵庫の中身やストックしてあった食材もからっぽ・・・予定通りに開けられるだろうか?あせってきた。

まずは手始めは大そうじから、というわけで、きのうは店でガタガタと片づけに追われていた。とりあえず、予定の半分くらいまで。ところが、おとといのMRI検査の騒音、それにきのうの掃除機や片づけの騒音がよくなかったのか、きょうは耳の調子がよくない。あしたはひさしぶりに聴力検査のある日だし、やむをえずきょうは一日静かにして過ごす。こんな案配で、なかなか思ったように事が運ばないのが現実。ますます不安である。

そんななか、テレビではいよいよ明日にオリンピックの開幕を控えた「トリノ」の街の様子が映し出されている。あと数日しかないというのに、道路の整備や工事がいたるところでつづけられている。そして、そんなことにはまったくおかまいなしといった感じのイタリアのひとびと・・・。こんなんでいいんだよなぁ~。とりあえず、できることから片づけて、まあ、間に合わなかったらそれはそれでそのときだ。なんとかなるさ。

トリノの教え、である。

カスタマイズ

2006-02-04 23:55:47 | コラム、というか
近なモノに、ちょこちょこっと手をいれて「カスタマイズ」するのがたのしい。

よくやるのはCDのジャケット。音をきいて、「う~ん、これってなんか違わない?」と思うとついつい手をいれたくなってしまう。気にしなきゃいいものの、どうにもムズムズして落ち着かないのだ。手をいれると言ったって、いまだにぼくは「フォトショップ」も「イラストレーター」も持っていないし、デザインの勉強をしたわけでもないので複雑なことはなにもできない。完全なる自己満足の世界。自分さえよければそれでいいのである。

最近も、とある北欧ジャズのCDが音は最高なのに、そのトロピカルな南国リゾート風ジャケットが不似合いな気がして、即刻勝手にカスタマイズさせていただいた。カスタマイズにあたっては、マリマメッコの「Kaiku(こだま)」を拝借・・・ほんとうはいけないのだろうけれど、個人のショボいお遊びゆえ大目に見てもらえるだろうか。ちなみにデザイナーのマイヤ・ロウエカリの作品には「CDジャケット向き」のものが多く、「カスタマイズ魂」をそそられる。

右側に気をつけろ

2006-01-31 23:40:37 | コラム、というか
側に気をつけろ。といっても、ゴダールの映画の話じゃない。

ふりかえればこの半年あまり、からだの不調はことごとく右半身に出ていたような気がする。肩や首筋のこり、虫歯、足の巻き爪、おまけに(たんなる偶然だろうが)ちょっとしたケガまで。そして極めつけが、この右耳の突発性難聴である。ぼくの背中をみた鍼灸の先生いわく、「右の肩甲骨がすごい離れちゃってるよ」。

どうやら人間のからだというのは、じぶんでかんがえている以上に正直なものらしい。