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moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

そして、漂着。

2006-03-12 23:49:37 | コラム、というか
夜、というよりはほとんど明け方ちかくまでがんばって、なんとかかんとか「確定申告」の提出書類をまとめあげました。終わりのほうはほとんど寝ていた同然なので、内容についてはいまひとつ自信がもてませんが。

それにしても、こんな思いでやっとこさ泳ぎついたのがほとんど「不毛な無人島」のような場所だったというのは、はたしていかがなものか?

はてな

2006-03-11 23:34:19 | コラム、というか
らないあいだに、「moi」というキーワードが「はてな」に登録されていてビックリしました。ちなみに、

「moi」とは...

だそうです。

なんだかうれしい反面、いっちょまえでこっぱずかしくもあります。ただし「宿命」というべきか、「moiを含む日記」のほとんどは「モイ」ではなく「モワ」ですね。当然です。それならばと思い、カタカナで「モイ」と検索してみたところ、こんどはやたら「キモイ」というのが引っ掛かってしまい「なんだかなぁ」という結末でした。

いずれにせよ、どこのどなたかは存じませぬが、登録してくださった方、どうもありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

三代目襲名披露

2006-03-10 23:10:52 | コラム、というか
イになくてはならない縁の下の力持ち的存在、「やかん太郎」(仮名)もとうとう「三代目」となりました。

そこで、記念に歴代の「やかん太郎」の集合写真をパチリと撮影。写真右が初代、左が二代目、そして中央がこのたびデビュ-をはたした三代目です。どれもみんな、日がな一日ぐらぐらとお湯を沸かし続けるという過酷な労働環境のもとがんばってくれた愛すべきやつらです。初代は底に穴があき、二代目はフタの持ち手がもぎとれています。それでも、あっさり捨ててしまうにはどこか忍びないような気持ちもあって物置の片隅で眠っていたのですが、記念撮影も終えたことだし、これで無事お役御免です。

先輩の志をしっかり受け継ぎ、三代目も日々ぐらぐらとがんばってほしいものです。

大航海時代

2006-03-09 23:52:59 | コラム、というか
ひさしぶりでございます。ここ一週間ほどネットに接続しておりませんでした。お越しいただいたみなさま、コメントくださったみなさま、ゴメンナサイ。

では、この一週間ほどのあいだなにをそんなに忙しくしていたかというと、もちろん、確定申告に追われていた(厳密にいえば「追われている」か)のでした。店をおやすみしているあいだたっぷりと時間はあったのだから、当然そのあいだに片づけてしまうだろうというおおかたの、自分もふくめた予想を見事裏切り、ことしもまた締め切り直前になってあたふたとしております。

つまり確定申告というのは、時間がないからできないとか、時間があったからできるとかいったものではないのですね。ただひとは、それをやりたくないからやらない、それだけのことなのではないでしょうか?(なんてひとに問いかけるようなことじゃないな、しかし)。

部屋じゅうを覆いつくした領収証の大海原へ、コロンブスのごとき不屈の意志と忍耐をもって漕ぎだす今日このごろなのです。

歳を重ねる

2006-03-03 23:53:32 | コラム、というか
人のTクンは、誕生日を迎えるたびに「いやぁ、こんな○○歳でいいんでしょうか?」といった発言をするひとである。で、ぼくの誕生日はTクンの数日後なのであるが、なぜかいっこうにそういう捉え方ができないのである。はっきりいって、ただ徒然なるままに歳をとっているとしかいいようがない。いったい、この「歳を重ねる」ということに対する捉え方のちがいはなんなんだ?とつくづく思う。

ひとことでいえば、ぼくはどうやら年齢に対して無自覚であるらしい。そして、「無自覚」には「無自覚になるだけの理由」があるということに最近気がついた。人間が「年齢」と口にするとき、それは多分に社会的なものである。もっといえば、「年齢」が意味をもつのは「他人」との関係においてのみである。したがって、そうした「他人」との関係が薄ければ薄いだけ、ひとは「年齢」に対して無自覚でいられる。

たとえばぼくは「一人っ子」なので、成長の段階で「お兄ちゃんなんだから」とか「弟のくせに」といった「関係」を刷り込まれることがなかった。また学生時代、上下関係に厳しい「体育会系ライフ」ともほぼ無縁であった。社会にでた後も、はたらいていたのが、毎年「新人」が入社してくるどころか三十代の半ばにして「若手」とかよばれてしまうような職場であったため、年相応の言動といったものがいっこうに身につかないまま現在に至ってしまったということかもしれない。

けれども、そんなふうに思えたのもきのうまで。ただの「一年」とはいえ、ただの「一年」と切り捨てるにはあまりにもデカい「一年」を重ねてしまったいま、あえてこう言うほかないではないか。

こんなんでよろしかったでしょうか~?

こわい夢

2006-03-02 15:05:15 | コラム、というか
ズメバチに刺される夢をみた。いま思い出しても恐ろしかったなぁ。

夢占いによると、「ハチに刺される夢は凶」とある。そりゃあそうだろう、こんな恐ろしい夢を見せておきながら、「はいっ、ラッキーチャンスでーす」とか言われてもかえって納得いかない気分になる。でも、夢占いにあるということは、それだけ一般的な、ひとがよく見る夢のひとつともいえるだろう。実際、こんな夢をみたひとの話は聞いたことがない。「ラクダにベロベロ舐められる夢」。絶対「凶」だよ。「アリクイと一緒にひたすら地面を掘る夢」。なんか、煮詰まってるんじゃないでしょうか・・・。「スカンクと添い寝する夢」。となりのひとを疑ったほうがいい。夢じゃなくて、たぶん現実。いちどぜひみてみたいのは、「バカボンの家に一晩泊めてもらう夢」。楽しそうでしょ?

ときどき、みたい夢をみれる能力があったらいいだろうななどとかんがえる。でも、もし本当にそんな能力をもっていたら、きっと起きているあいだずっと悪夢をみている感じだったりするかもしれない。かりに「まだまし」くらいな程度だったとしても現実>夢、これにつきる。

まめづくし

2006-02-27 23:38:33 | コラム、というか
くっと散歩がてら三軒茶屋へ。たしかこのあいだ行ったのは・・・、思い出せないくらいむかし。劇的に変化したような気がするけれど、それはたぶん「キャロットタワー」などというものができたせいなのであって、周囲の街並はほとんど変わっていないような印象がする。

それはともかく、なぜ唐突に「三茶」なのかというと、これまた唐突に「豆がたべたい」とウチの奥さんが言ったからである。以前テレビだか雑誌だかで知った「mame-hico(マメヒコ)」というカフェに、いちど行ってみたかったのだという。「キャロットタワー」の裏手にそのお店はあった。高い天井と「金時豆」の色をした壁がいい雰囲気である。豆のキッシュやスイーツのほかに、小豆、金時豆、黒豆、うずら豆、虎豆などから好みで2or3種類を選ぶシンプルなプレートもあり、上品な豆の薄甘煮をアテにコーヒーや紅茶を飲むことができてなかなか楽しい趣向だと思った。

その後、家でのむコーヒーの「豆」をきらしていることを思い出し、茶沢通りにある「ビーンズ」というちいさな自家焙煎店で豆を買う。ブラジルサントスをフレンチローストにした「ブラジルフレンチ」と「ヨーロピアンブレンド」を100グラムずつ。ふだん行かない街へでかけるとき、以前は中古レコ-ド屋のありかをチェックしてから出かけたものだけれど、最近ではそれにコーヒー豆屋が加わった。律儀そうなおじさんが焼く豆からは、はたして「三茶」の朝の匂いがするだろうか。

因縁の対決

2006-02-26 19:17:13 | コラム、というか
っして熱心なウォッチャーとはいえないけれど、「フィンランド好き」にとって今回の「トリノオリンピック」のハイライトはまちがいなくココでしょう。アイスホッケー男子決勝。なんといっても、相手は宿敵スウェーデンなのですから。

長いあいだ隣国スウェーデンに統治されていたという歴史的背景もあって、フィンランドのひとびとにとってスウェーデンは永遠のライバルといえる存在。ですからすべてのフィンランド人たちはいま、絶対に「巨人」にだけは負けたくない「阪神ファン」のような心境にあるのです。「決勝戦」ということは、イコール負けても「銀メダル」ということなわけですが、フィンランド人にとってはこの際メダルの色なんかどうでもよい話。ただスウェーデンに勝つことにこそ意味があるのです。

とはいえ敵は強豪スウェーデン。フィンランドとしては、これまでに幾度となく苦杯をなめさせられてきた相手です。そうそうカンタンに勝たせてもらえないでしょう。ちなみに試合後のフィンランドでは、勝てば「祝杯」、負ければ「ヤケ酒」、いずれにせよ酔っぱらいたちが街をうめつくすことまちがいなし。

※今夜はテレビで応援しよう!フィンランド語クラスのLiisa先生おすすめの観戦ポイントは・・・ビール片手にエキサイトする応援団の姿だそうです(笑)。

十回に一回のひと

2006-02-24 23:46:58 | コラム、というか
りに、十回に一回の割合でなにかを成功させるひとがいたとしよう。その場合、そのひとはその「なにか」を「できるひと」ということになるだろうか?

十回に一回の割合で遅刻しないOL。どう考えたって、そのOLは「遅刻常習犯」である。では、これはどうか。十回に一回の割合で、ほっぺたが落ちるようなおいしい料理をこしらえるコック。どちらかといえば、「ときどき『まぐれ』でいい仕事をするヤツ」といった程度で、あまり信用はおかれないのではないか。十回に一回の割合で、牛乳を3秒で一気飲みするヤツ。十回に九回は5秒かかったり、ときには口や鼻から牛乳を吹き出しているのである。クラス内でそいつはこう呼ばれるだろう。お調子者のバカ。

話は変わる。あるフィギュアスケートの大会で「四回転ジャンプ」を決めた少女がいた。十回に一回とはいわないまでも、その後の「成功率」はけっして高くはなかった。少女が「四回転する能力を持ち備えている」のは確かだが、「四回転できる」と言ってよいかどうかはあいまいである。けれども世間は、その少女を「四回転ジャンプの○○」と呼び、リンクに登場すればいつも「四回転」を期待するようになったし、マスメディアはその少女をまるでアイドルかなにかのようにもてはやした。そしてそんな狂騒の中では、少女はあたかも「十回に七回くらい四回転できるひと」のようにみえたし、ことによると本人にとってもまたそうであったかもしれない。

大舞台へのプレッシャーと闘いながら、果敢に「四回転ジャンプ」に挑む少女の姿は痛々しいものだった。本番を終えた後のインタビューで、「失敗はしたけれど、夢の舞台で『四回転』にチャレンジできてよかったと思う」と語る少女の表情もまた、晴れやかというにはほど遠く、むしろ「四回転ジャンプ」を決めたあの日のじぶんとのギャップにどこか戸惑っているようにもみえた。

たしかに「四回転」はすごい。すごいけれども、べつに「四回転だけがすごい」わけじゃない。「ワタシは『十回に一回』四回転ジャンプをきめますが、やっぱり今回はパスします」。それでよかったのではないか。「遅刻常習犯」はともかく、「たまに『四回転ジャンプ』をきめるひと」はそうそういたもんじゃない。飛んだ証拠はのこっているのだ。意地にならなくとも、それだけでじゅうぶん価値はある。

新学期、はじまる。

2006-02-19 23:25:12 | コラム、というか
安もなくはなかったのですが、おかげさまをもちまして最初の一週間を無事すごすことができました。初めて足をはこんでくださったみなさまも、いつも足をはこんでくださるみなさまも、まだまだ至らぬこともあったかとは思いますが本当にありがとうございました!

カウンターに立っていると、「なんだかんだ言っても、やっぱりここが『じぶんの場所』なんだなぁ」なんてあらためて感じたりするものです。そして、ひさしぶりに顔をあわせたなつかしい面々。「あ、この感覚、なんか知ってる!」と思ったら、うん、わかった、夏休みが終わってはじめての登校日の、あの感じでした。

新学期、はじまる。

moiにとっては、そういうことなのかもしれません。期待と不安を胸に(?!)、みなさまのご来店を心よりお待ち申し上げております!


※写真は、「フィンランド語クラス」のSさんからいただいたトリノみやげのチョコレート。さまざまな種目がパッケージにプリントされているのです。ちなみにこれは「スケルトン」。渋いでしょ?