長嶺輝明さんの『かわいい写真術』という本を、図書館でみつけました。バターとジャムを塗った朝食の食パン、公園の恐竜オブジェ、いつもの毎日にも良い被写体が色々あるんだなぁ、なにもかしこまったり、必要以上に難しく考える必要はないのかな?私ももっと写真をとりたい!と思いました。
その本で長嶺さんが自分の生まれ育った町を撮影しているのを見て、私は思い出しました。ピアノの先生のお宅へ通った道のことを。毎日学校へ通った道ではなく、一番に行ってみたいと思ったのが、
一週間に1度通ったその道。
子供の頃その道沿いの、ある家の玄関脇にいた金魚の様子を眺めるのが楽しみでした。その家の玄関は道路に面していて、引き戸のすぐそばにミカン箱くらいの、コンクリートにタイルを貼り付けたような水槽(?)があり、上には金網が渡してありました。多分中には苔が生えていたでしょう。暗い水の中に赤い金魚が泳いでいました。私は特にそこに座り込んで見ることはありませんでしたが、そこを通るたびに「いるかな?」と思い、そこで何秒間か立ち止まって金魚の泳ぐ姿を確認してから通り過ぎました。
この階段を下りてきて、曲がったところに金魚がいたんだけれど・・・私がここを通っていたのは、もう何十年も前のこと。水槽は影も形もありませんでした。
いつも左右の確認などしたことのなかった交差点。ある時いつものように飛び出すと、右から来た車が急ブレーキをかけて私の横に止まりました。白いセダンのあのときの運転手さん、ビックリさせてすみませんでした。
あの先がピアノの先生のお宅だ、という場所まで来るとなんと神社があります。「こんな神社あったっけ?」記憶にありません。はてさて、子供の頃は神社のことを知っていたのに今はすっかり忘れてしまったのか、そもそも神社に気が付いていなかったのでしょうか。金魚のことは良く覚えているのに。
【追記】
いくら私がぼんやりしているからといって、こんなに大きな神社に全く気が付かないことがあるのかしら?と思ったことと、あたりが何となく広々としていたので、そのあたりのことに詳しい父にあらためて聞いてみました。
この神社は以前は道路から奥まったところにあり目立たなかったのですが、区画整理によって道路が拡げられ、通りからよく見えるようになったそうです。
2月15日記