日々、いのち新たに
~日本画家・堀文子89歳の鮮烈~
日本画家の堀文子さんのお宅を、司会の黒沢アナウンサーと壇ふみさんが訪問してインタビューされました。
堀文子さんは 「花の画家」 と呼ばれ、生きるためにととのえられた形を、じっくりと観察して描いておられます。
花の絵を、やすやすとロマンチックに描くことはできない、綺麗ではあるけれども観察するとおそろしい生きものであると・・・命のすごさみたいなものでしょうか。
たった一つの小さな種から何百年もかけて見上げるようになった大樹、ヘアースプレーで球体のまま固められたタンポポの綿毛や霧吹きをかけて浮かび上がらせた蜘蛛の巣の美しさを
「すごいでしょー、きれいでしょー、人間が偉いと思っても、こんなことは出来ないのよ」
とおっしゃる様子は、とてもいきいきされている・・・
「険しいところへ5ミリでものぼりながら死にたい」とも。
堀文子さんは自分のことを「わたくし」と、そして自然な敬語が美しく、とても素敵な女性でした。
わたしも観察しました。
これが
こうなりました!
この人が語る私の愛する画家 「山田太一 私と浜口陽三」
銅版画家の浜口陽三さんの作品を愛してやまないという山田太一さん(脚本家・作家)がゲストでした。
浜口陽三さんは「カラー・メゾチント」の技法を確立したことでも有名で、その作品は暗闇に対象物が浮かび上がる、とても印象的な作品でした。
山田太一さんは、浜口陽三さんが意図していたかどうかはわからないけれども、その作品が暗闇からはじまるところと、自己限定的なところがとても好きだとおっしゃっていて、絵も良かったのですが、むしろ山田さんの話す言葉にとても興味を持ちました。
一つめの、暗闇からはじまるということ。
人の生死とは、暗闇の中から心みたいなものを携えて、つかの間光の当たるところへ出て来て、また暗闇に戻っていくようなもの。
暗闇・・・つまり不思議であることはたくさんあるのに、わかった気になり何にでも光をあててあきらかに出来る、自分の力で何とか出来ると思うことは傲慢だ。
わからないものに対するおそれの心を持っている人が好き。。。
自分の力でどうすることも出来ないことが確かにあるということを認めると、あきらめとか無力感も感じるけど、何となく安心するような気持ちにもなるのではないかなぁ~と思いました。
もう一つの、自己限定ということ。
描く素材は、サクランボなど果物、野菜、チョウチョウ・てんとう虫など身近な小さなものに限定されているし、描き方も暗闇の中から浮かび上がるような世界に限定されています。
時代の流行に可能性を見いだすこともなく、素材・自分の世界を限定することで一つにパワーが集中するということ・・・徹底した自己限定には底力があるのだと。。。
移ろいゆくまわりに影響されずに自分の道を行くというのは、見えている、わかっている、ぶれないvisionがあるのだなぁ~と思いました。
白い百日紅の花が咲いていました。(9日の日曜日撮影)
百日紅の花。
子供の頃から「猿もすべるようなツルツルの木」ということばかりに気を取られたのか、花は気持ちばかり咲いているような楚々とした木である印象を持っていました。
ところで、今まではわからなかったのに、今年は近所でも百日紅の花がたくさん咲いているのに気が付きました。
というのは、インターネットで百日紅の花の写真を見たからです。
これが百日紅の花? 至る所に咲いている・・・こんなにパワフルだったかしら~? 全然印象が違います。
子供の頃から見慣れた木を久しぶりに見に行ってみると・・・他よりも多少楚々としているけれど、思ったよりパワフルでした。
百日紅の木は、梨木香歩さんの 『家守綺譚』 に登場します。そうして、風に吹かれて(?)窓にトントンあたるのです。
これまでは、楚々とした木の枝が窓に当たる図を想像していましたが、何だか違っていたな~~と思っています。百日紅の花はピーンと伸びた枝にたくさん咲いて、おまけに少しでも風が吹くとフワフワと揺れて、ますます賑やかです。本で百日紅の登場するのが、花が咲いている時期だったかどうかは覚えていませんが、わたしの今までの印象より、もっと積極的に窓をたたいていたのではないかな~と感じました。










