吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

阪神淡路大震災から28年

2023-01-17 05:46:00 | 愚行を固執すれば賢者となる
 あれから28年、これまで記事にすることのなかった阪神淡路大震災について少し書いてみることにしましょうか。

 実は地震の瞬間を知らんのよなー😅。
 私は眠りが深い方で・・・いったん寝るとちょっとやそっとでは目が覚めないのですよ。母からは「おまえは夜中に火事になったら焼け死ぬわ」と、よく言われてましたが、すべてが終わってから家人に揺り起こされました💦。

 掛け布団の上には照明のペンダントが落ちてガラスの破片が飛び散ってます。停電して辺りは真っ暗、どうしようもないので明るくなるまでそのまま布団の中にいました。眼が慣れてくると台の上に載っていたテレビ(ブラウン管式)が2メーター程跳んで床の上に倒れているのが視えてきました。食器棚はテーブルに倒れかかって中の食器を床の上に撒き散らしています。


※テレビもなく新聞も届かず、惨状を知ったのはだいぶ後になってからでした。

 明るくなったので外に出てみるとコンクリート製の電柱がバッキバキに折れて倒れているではありませんか❗こりゃーしばらく電気は来ないわい、そう思って「大変なことになった」という感じにひしひしと襲われた記憶があります。

 まだケータイが普及していなかった時代です。家の固定電話は電気がないと使えないタイプだったので連絡も一切できません。どうしようもなくサバイバルに突入です。どうやって生き残るか、それを考えるのが精一杯でした。

 水がないと生きていけません。
 当時マンションは貯水槽があったので(今は直結になってます)そこからバケツで水を汲み出して管理人室に保管しました。

 その朝ジョギングに行こうとした4階のヒトが道路が裂けて水が噴き出したのを見ていました。水道管が裂けたのです。
 汲み置きの水を使い果たした後は小学校のプールから汲んだ水でしのいでいた記憶があります。

 電気が復旧したのは4~5日くらい後(案外早かった)ガスと水道は1ヶ月くらい掛かりました。

 あって良かったものはカセットコンロ。それまで「すき焼き」くらいしか出番がありませんでしたが大活躍しました。

 もうひとつ、あって助かったのがバイクでした。当時私が乗っていたのがスズキDR-750Sというバイク。あの「ファラオの怪鳥」と異名をとった大型オフロードバイクです。

※「ファラオの怪鳥」スズキDR-750S

不思議だったのはあの地震の中、奇跡的に倒れず無傷だったこと。ガレキの中「ヒャッハー❗俺様が廃墟のキングだぜ~‼️」という感じで乗り回してました。あちこちでクルマが立ち往生する中をガレキをものともせずに疾風のように走り抜けるのは「カイカン」でした(笑)。


※イラストは単なるイメージです。筆者の行動とは関係ありません。






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2 コメント

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モバさまへ (くりまんじゅう)
2023-01-17 21:42:50
28年前の早朝 ずんずんと地底からの音とともに上下の揺れで 夢を見ているのか?
と思いつつ目が覚めました。すぐに地震とわかり 南海地震がきた起きなさい!
と夫を揺すったけれど うにゃうにゃと横を向きました。

高知でもこうでしたのに地元の方が すべてが終わってから目覚めたとは そりゃ母上の言われる通り
夜中に火事になったら焼け死にます。

↑の三菱銀行の被災写真や 夜明けとともに明らかになっていく被害の大きさや 傾いた高速道路
揺れが収まった後も燃え続ける火災 沢松奈生子さんの家が ぐしゃりと潰れていた画など
後から後から 被災映像が映されるたびに震えあがりました。

娘がそちらの大学に入ったばかりで 下宿にも学校にも連絡がつかず とにかく
現地近くまで車で行って 通行できなくなれば車を置いて歩こう 明日は行こうと思ったとき
無事だったからとtelが入り 胸をなで下ろしました。

多くの犠牲者を出し あれほどの被害を受けた神戸が 復興するのはいつになるのか?
と思いましたが どんどん復興し元の都会になりました。
原発がなかったぶん 復興が早かったと思います。
あれから28年。28年前の今日 淡路島で誕生した照強は 記念すべき日なのに 今日負けました。

カセットコンロは持っています。ボンベをもっと買っておきます。
がれきの上を走るバイクは 中古を買っておきましょうか。 
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Unknown (管理人)
2023-01-20 16:38:52
くりまんじゅうさま、コメントありがとうございます✨。
あの地震の中、眠り込んでいたとは、あんまり恥ずかしかったので今まで言えませんでした(笑)。

地震の後、六甲アイランドで大規模なガス漏れがあり「海上に漂うガスが爆発するおそれがある」と言われていったん避難しましたが、落ち着けなくて結局「家の方がいいや」と戻って過ごしていました。

バイクは重宝しましたね~。地震の後は皆モペットやスクーターで食糧や水を調達してました。

今後とも、よろしくお願いいたします。
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