吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

ホテルオークラ神戸『桃花林』でランチを

2018-07-31 13:22:55 | 日々美しいものに触れようよ
 割引券を貰ったので休みをとってホテルオークラ神戸桃花林』へ。
 ちょっと張り込んでプレミアムランチなぞ戴きました。


※前菜三種(右端はピータンのムース)・・・これに冬瓜とフカヒレのスープが付きます。


※蒸し物三種・・・エビがプリップリでした。


※神戸ポークロースの湯引き山椒ジュレソース


※エビと豆腐の煮込み・・・ショウロが美味しい!


※甘酢餡掛けした白身魚のフライ


※デザート三種盛り(フルーツ入り杏仁豆腐, 紫芋の葛餅, グレープフルーツのジュレ)


※入道雲が出ててすっかり夏です。
 これからホテルのプールでひと泳ぎ。いま摂ったカロリー消費に努めます。では。


 暑中お見舞い申し上げます。

P.カレル『砂漠のキツネ』⑥(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-30 06:05:24 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【北アフリカ全図】


6.トブルク要塞陥落


 ゴト・エル・ウアレブから脱出したロンメルは休む間もなく直ちに英軍防衛線ガザラ・ラインの南端ビル・ハケイム攻略を指示する。
 本来はガザラ・ライン攻撃の際にトリエステ師団(イタリア)が占拠するはずだったが、全く歯が立っていなかった。ビル・ハケイムに陣取っていたのは勇猛で知られる自由フランス軍第一旅団とユダヤ人義勇軍大隊だったのである。

 ロンメルにとって幸いだったのはこのガザラ・ラインの南の要であるビル・ハケイムを英軍が全兵力で守る行動に出なかったことであった。
 凄まじい戦闘の末にビル・ハケイムは陥落した。


※ドイツ・アフリカ軍団のあたらしい仲間①『Ⅳ号戦車F2型』・・・あんこうチームでお馴染み

 英軍防衛線ガザラ・ラインは消滅し、トブルク要塞は丸裸になった。トブルクを攻略するのは今しかない!
 ロンメルは機動部隊に命じてトブルク市街の前を通過させた。前年と同様トブルクを素通りし、エジプト国境へと向かうよう見せかけたのだ。英軍はこれに見事に引っ掛かった。
 『警報!ロンメルはエジプト国境に進撃中!
 ロンメルはすぐさま引き返しトブルク要塞を急襲、ついにこれをも陥落させてしまう。

 英軍は呆然とした。数日前にゴト・エル・ウアレブの穴から這い出したばかりのドイツ軍がもはや戦いの主導権を握っているのだ。

 戦術の法則によると攻撃側の兵力は防御側よりも強力でなければならないのに、攻撃をするロンメルはいつも劣勢である。彼はそんな法則などにかまわない。そして数のうえでは絶対的に優勢な敵をも打ち破ってしまう。
 ロンメルはこう語っている。
 『イギリス軍戦車の数の上での優位は気にしませんな。相手の司令官が別々に投入する限りではね。全軍をそれに当てればこちらはいつも優勢なのです。』と。

 ロンメルはついに軍人としての最高位である元帥に昇進した。

 ケッセルリング元帥がこのとき苦言を呈している。
 『ロンメルはもはや師団長や軍団長ではないのだ。全軍を率いる者として連絡のとれる場所にいてもらはなくてはならない
 しかし誰がロンメルを後方に留めることができよう。
 ロンメルが最前線で攻撃に加わるのは、戦車戦術と部隊の真理を正しく理解していたからだ。
 『神経を使う動きの速い戦車戦において戦闘部隊にはいつもすぐ休息が必要になる。勇士だけからなる軍隊はない。そのときにはこれこれの理由で進めないと報告すればよろしい。この自然的な疲労現象に対して、部隊指揮官は自らの責任で戦い、将兵の緊張を解いてやらなくてはならない。指揮官は戦闘の原動力たるべきで、最前線にあっても常にコントロールの計算をなすべきである。

 (つづく)


P.カレル『砂漠のキツネ』⑤(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-26 06:00:39 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【北アフリカ全図】


5.ガザラ・ライン攻撃

 英軍はガザラ一帯に通称『ボックス』なる強力な地雷陣地を構築してロンメルの攻勢に対抗した。
 ロンメルはこの陣地を正面攻撃する愚は犯さなかった。正面に大々的な陽動攻撃を掛け、敵が気を取られている隙に、ガザラ陣地を南へ迂回して防衛線の心臓を衝き、敵を分断して個別に殲滅する、これがロンメルの作戦だった。


※ガザラ・ライン攻撃に関するフォン・フェルスト将軍のスケッチ。

 まず北方で案山子戦車と砂塵発生器が大々的な攻撃を演出する。砂塵発生器とはトラックの荷台に航空機のエンジンを積んだもので、プロペラを回して、あたかも戦車の大軍団が迫っているかのように砂塵を巻き上げるドイツ軍の秘密兵器()である。

 ところが、地雷原を迂回して敵陣地に迫ったドイツ・アフリカ軍団の本体はここで恐るべき敵に遭遇する。新型のグラント戦車だった。


※アメリカから供給された新型M3グラント戦車。・・・。『うさぎさんチーム』でお馴染み。

 そしてこれも新型の6ポンド対戦車砲がドイツ・アフリカ軍団を襲う。


※新型6ポンド対戦車砲

 ガザラ・ラインの向こうにどれだけの敵の戦力が集結しているのか、ドイツ軍は把握していなかった(上掲のスケッチにも『?』のマークが付いている)。敵の戦力を見誤ったのだ。敵を分断しようとしたのだが、圧倒的な敵兵力の中に飛び込んでしまい、気が付くと『袋のネズミ』状態になっていたのだった。
 ドイツ軍は高射砲列を作ってグラント戦車を撃破したが、部隊は孤立し補給もままならない。
 補給の差が勝敗を決する砂漠戦で、輜重部隊が脱落してしまったのは実に大きな痛手だった。


※DAK(ドイツ・アフリカ軍団本体)、第90軽機甲師団、アリエテ戦車師団(イタリア)は強力な敵に行く手を阻まれた。

 まさに全滅の危機だった。ドイツ軍はじりじりと後退したが、後ろは地雷原に守られた『ボックス陣地』である。
 しかし、もはや総力をあげてゴト・エル・ウアレブで『ボックス陣地』を突破して後退するしか逃げ道はなかった。

 ロンメルもいよいよ最期かと思われたが、このとき奇跡が起こる。
 ボックス陣地を突破しようと躍起になっていたロンメルが突然指示した。
 『敵はひるんでいる。白旗を振ってやれば降伏するぞ。
 あくまでも強気のハッタリだったが、その呼びかけに応じて何と2000人の兵士が300人のドイツ軍に降伏()し、ドイツ・アフリカ軍団は危ういところで危機を脱し、西方へと逃げのびたのだった。

 (つづく)


P.カレル『砂漠のキツネ』④(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-24 05:41:50 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【北アフリカ全図】


4.補給物資の不足に苦しむドイツ軍

 この頃からドイツ軍は補給物資の不足に苦しむようになる。

 ドイツおよびイタリアの艦船は英雄的な努力で物資を輸送したが、その大半が地中海の藻屑と消えてしまうのだ。
 1941年6月から10月まで、アフリカ行きのドイツ=イタリア輸送船は40隻、17万9千トンが沈められた。その結果、兵員および軍需物資の大損害に加えて、船が足りなくなってきた。その結果ロンメルあての補給物資は10月に5万トン(うち63%が沈没)、11月には3万7千トン(うち77%が沈没)に減らされた。

 マルタ島の英軍基地からの攻撃が補給を喰い潰しているのは明らかだった。ロンメルはヒトラーの司令部を訪ね、マルタ島の占領とトブルク攻略について進言したが、最高司令部は東部戦線に夢中で、北アフリカの対英戦の重要性を理解しなかった。

 車両および燃料の不足に対するロンメルの指示は『物資は英軍から調達せよ』というものだった。

 ロンメル自身も愛用していたマンモス指揮者はもともとイギリス軍のものを鹵獲してマークを書き替えて使っていた。これに関しては面白いエピソードがあるので、ご紹介したい。


※英軍から2台の装甲指揮車を鹵獲、1台にはマックス(上図)、もう1台にはモーリッツという愛称が付けられた。

 ある時、ロンメルのマンモス指揮車が英軍の真ん中に突っ込んでしまった。しばらく並走することになったが、幸い砂嵐でマークが見づらく、シルエットでは判別がつかなかったため、仲間と思われ、攻撃されず逃げおおせることができた、と。

 ロンメルは常に前線に出て指揮するので有名だった。

 激しい砲弾の嵐の中、たまらず戦車を停止させると、外から砲塔をガンガンと叩く音がする。ロンメル付の連絡将校が専用の鉄の棒で戦車を叩いているのだ。何事かと思ってハッチを開けた戦車長は、装甲車の上に仁王立ちになったロンメルに怒鳴りつけられる『進め!進め!停まっていて攻撃ができるか!』おちおち停まってはいられない。

 また、砂塵のもうもうとする中で方角を見失う戦車もあったが、これにも笑い噺のようなエピソードがある。
 『どちらの方向へ進むのでありますか?
 『あっちだ!あそこをロンメルが行く!

 前線の兵士たちの間では『ロンメルに当たる弾丸はないのだ』と、まことしやかな噂が立っていた。

 英軍にもロンメルの名は浸透した。
 英軍最高司令部は次のようなユニークな命令を出している。

 【中東方面軍最高司令官命令】中東方面軍司令部および部隊指揮者諸子に告ぐ。わが友ロンメルがわが軍の話題をにぎわすことによって、いつの日か一種の、わが軍の人気者的存在となる危険がある。精力に富み能力に恵まれてはいるが、彼は超人ではない。たとえ超人であっても、わが軍の兵士たちが彼に超自然的な力を付与することは望ましくない。ゆえに、ロンメルをふつうのドイツ将軍以外のものであるとする考え方に、手段を尽くして抵抗してもらいたい。まずリビアの敵のことをロンメルと呼ぶのを止めなければならない。ドイツ軍、枢軸軍もしくは敵軍と呼ぶべきであって、特別な意味をこめて、ロンメルと呼んではならない。この命令が遂行され、すべての下級指揮官にことの心理的重要性を教示されんことを望む。・・・中東方面軍最高司令官命令C.I.オーキンレック
 p.s.本官はロンメルをねたむものではない。


 この追伸はイギリス人一流のユーモアの発露というべきものであった。

 (つづく)
 


P.カレル『砂漠のキツネ』③(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-20 06:06:12 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【アフリカ全図】


3.第二次キレナイカ侵攻


 ロンメル敗退の報せにカイロの英軍本部は沸き返っていた。
 ドイツ軍は800キロも後退し、さらに退却するつもりだ。これを一刻も早く追撃するべきだ、と。

 しかし、ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団はなし崩しに敗走している訳ではなかった。
 ロンメルの指示は『戦いつつ有利な防衛陣まで後退する』というものだった。残念ながら侵攻したキレナイカには適した場所がなく、最初の攻撃地アゲダビアまで後退した、それだけのことだった。

 この後退に驚いたのはイタリアである。カヴァレロ元帥がローマから飛んできてロンメルを訪ね、キレナイカを放棄しないよう頼むのだった(こともあろうにあのガムバラ将軍まで駆け付けた)。
 『このように目に見える敗北はムソリーニ閣下の地位を危うくしかねません
 ロンメルは動じなかった。
 『では、全軍と北アフリカ全部を失う全面的敗北はどうなのです?

 ドイツ軍はブレガの陣地で倉庫を燃やし、余った船を爆破し、さらなる後退準備に大わらのように見えたが、これがロンメルの策略だった。スパイの暗躍に業を煮やしたロンメルが偽の情報を流し、再度の後退を偽装していたのだ。
 ガムバラ将軍には『いや、ちょっとしたことです。極秘裏に一種のコマンド作戦ですが、それを遂行します』とだけ伝えられていた。
 突然貼り出された告示に味方の将兵たちも驚愕した。『攻撃だって!


※1942年1月21日のロンメルの告示


※ドイツ北アフリカ軍団の主力③StuG III『三号突撃砲戦車

 攻撃のために集まった敵の部隊を、先手を打って叩くのがロンメルのやり方だ。
 1月21日ロンメルの第二次キレナイカ攻勢が始まると英軍は大混乱に陥り、分断され、各個撃破によって2日間でほぼ壊滅した。



 ロンメルの攻勢でメンツを失ったのはイタリアである。またまたカヴァレロ元帥がロンメルのところにやってきた。
 『攻勢をやめ、ブレガ陣地にお戻りなさい
 ロンメルは拒否し、兵力と補給の続く限り敵を叩くことに決心したと伝えた。
 カヴァレロ元帥はしぶしぶ引き返したが、イタリア軍をロンメルの指揮下から外してしまう。
 
 イタリア軍指導部はおおよそ大胆な決断というものを白目視していた。
 エルウィン・ロンメルというドイツ人が大損害を出しながら800キロも後退したあげくすぐまた勝つことに気を向け、一度敗れた軍隊がふたたび彼を信じてついて行くのに呆れかえり、それを『狂気の沙汰』だとみなしていたのだ。

 1月30日ベンガジは陥落し、キレナイカは再びドイツ軍の手に落ちた。

 (つづく)