吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

J・G・バラード『ハイ-ライズ』創元SF文庫2016年7月15日初版発行・・・破綻するタワーマンション

2017-07-31 06:07:32 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 映画化をきっかけにJ・G・バラードのテクノロジー3部作のひとつ『ハイ-ライズ』が文庫化されていました。


 ※2016年8月6日(土)から公開されたようですが、限られた館でしか上映されなかったみたいで知りませんでした。
 (↑映画のサイトを見たい方はこの文字列をクリック!!)

 1千戸の住民を擁するタワーマンションが満室になったとき、その崩壊が始まる・・・。

 広大な再開発地に建てられた40階建てのタワーマンション、そこでは快適なタワーマンション・ライフが待っている筈だった・・・。


 ※高層マンションの姿に何故か禍々しいものを感じてしまう・・・

 しかしこのタワーマンションは内部に厳格なヒエラルキー(階級社会)を内包しており、住民の対立からマンションは徐々に崩壊の道を歩み始める・・・。

 図解すると、このような構造になっていたのだった。


 3つの階層をそれぞれ代表する登場人物3人(ロイヤル,ラング,ワイルダー)の視点から、階層社会の対立とマンションの崩壊が描かれて行きます。

 富裕層は後から入って来た下層住民の子供たちがプールを利用するのを苦々しく思っていて『プールに集う住民たちの質が低下していると感じている(子供たちがプールに小便をしている・・・との噂が広まっている)』。
 下層の子供たちを抱えた家庭では『富裕層の飼う犬が子供にとって危険』と感じている。


 ※物語の重要なキーとなるジャーマン・シェパード

 この心理的な対立がマンション設備の不調をきっかけに顕在化していく・・・。

 最初の事件はマンションの偶発的な停電の間に犬がプールで溺れたことだった・・・誰かがプールに引きずり込んで溺死させたのだ。

 住民の対立はエスカレートしていき、エレベーターの配電盤を壊して自分たちの階だけでしか利用できないようにする、下層階へゴミや汚物を投棄する、といった嫌がらせが横行するようになる。

 エレベーターは次々と壊され、階段にはバリケードが築かれ、マンション内での上下移動が制限されていく・・・。

 電気や水道が止まりはじめ、ダストシュートやトイレが詰まり、エレベーターシャフトや階段の手すりから下方にゴミが投げ捨てられる。あちこちにスプレーによる落書きがされ、壁や天井が引き剥がされる・・・また、嘔吐や放尿が頻繁に行われ、片付ける者もなくそのまま放置される。


 ※車が壊され、ゴミが散乱する駐車場の惨状。

 住民は階数別に自警団を結成し、他階からの侵入者を撃退し、また他の階への略奪を行うようになる。

 スーパーやレストランは閉鎖され、プールには死骸が浮かび、飢えた住民が残った食料を奪い合う凄惨な地獄絵図が展開していく・・・。


 ※顔に所属階を表す(?)ペイントを施したラング。

 物語はラングがジャーマン・シェパードの肉をベランダで焼きながら隣のマンションを眺めるシーンで終わる。
 隣の棟でもマンションの崩壊が始まったことを予感させて・・・。

 バラードの描く狂気に支配された世界が壮絶な迫力で読む者に迫ります。傑作です!!!

 読んでしまったアナタ・・・もうタワーマンションには住めませんねぇ・・・。


 <ご参考:過去のJ・G・バラード関連記事>
 J・G・バラード『ウォー・フィーバー』福武書店(1992年1月15日初版第一刷発行)
 スティーブン・スピルバーグ監督『太陽の帝国』(1987年アメリカ)

ウルトラセブン第3話『湖のひみつ』・・・と言いながら『ウルトラあひる』で遊ぶ。

2017-07-28 12:41:43 | 映画・ドラマを観て考えよう
 プールネタの続きです。

 ウルトラアヒル(エレキングVr.)を買いました!!!


 プールサイドに置いてみる・・・『か、可愛い!!!』。


 せっかくプールへ行ったので、あの名シーンを再現。



 『あなたにはまだ大事な役目があるのよ。さ、早くお逃げ



 成長したエレキング


 改めて見ると胸の模様が忠実に再現されているのに驚きました。

セレブが集う高級ホテルのプールは虚飾の宴

2017-07-27 17:57:36 | 愚行を固執すれば賢者となる
 柄にもなく、高級ホテルのプールなるものに行ってみたのだった。



 25mのプールを利用しているのは1ダースほどの宿泊客&プール利用客のみ。
 プライベートビーチみたいな感覚だ。

 こんな場所ではバシャバシャと泳ぐのは無粋、フロートに乗っかって片手にトロピカルドリンク、あるいはデッキチェアに寝そべって文庫本なんか読んじゃう、と怠惰に夏の午後を過ごすのが優雅とされるのだ。

 家族連れは市民プールへ行きなさい。本格的に泳ぎたいヒトはどうぞトレーニングセンターへ。

 体を鍛える訳でもなく、地球が出来て最初に陸に適応した爬虫類みたいに寝そべって甲羅を焼く、これがセレブの楽しみ。






 んん・・・あんまり楽しくないなぁ。

熱中症予防に役立つ!?・・・キャンディ・ファン『ファースト・オーダー』

2017-07-24 00:40:57 | 愚行を固執すれば賢者となる
 カルディで発見!!・・・キャンディ・ファン『ファースト・オーダー


 ボタンを押すと・・・。


 ファンがブーンと回ります。


 す、・・・涼しいと思えば涼しい!!!・・・扇子代わりに持ち歩けます!!!

 キャンディは申し訳程度に入って税込¥645-でした。

A・E・ヴァン・ヴォークト『非(ナル)Aの世界』創元SF文庫(新版)2016年2月28日初版発行

2017-07-21 09:19:14 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

 あの歴史的傑作が復刻されたというので、購入!!



 しょっぱなから始まる『地獄巡り』感がスゴイ!!

 主人公ギルバート・ゴッセンは『機械』による選抜試験を受けるために『都市』にやってくる。
 この世界では指導者や優良市民は『機械』によって選抜される・・・そういう社会らしいのだ。
 宿泊したホテルでゴッセンは選抜試験の関門である『疑問提起(チャレンジ)』を受けるが、その内容は驚くべきものだった。
 『ギルバート・ゴッセンなる人物は存在しない(!)』というのだ。
 ゴッセンは嘘発見機に掛かるが自分の記憶に間違いがないことが証明される。
 どうやら自分の記憶には何らかの加工が行われ、偽の記憶が植え付けられているらしい。だが誰が?何のために?
 宿泊資格を失ったゴッセンは仕方なく野宿するが、そこである女性を保護する。
 素性が明らかになってビックリ!これが何と大統領の娘で、ゴッセンの記憶の中ではその女性と結婚し、死別しているのだった。

 突然現われた敵に殺されると、死んだはずのゴッセンはなぜか金星で目を覚ます。
 どうやら彼が死ぬと次に準備されている肉体に意識が転送されるらしいのだ。
 銀河帝国の侵略という陰謀に否応なく巻き込まれるゴッセンは、ついに『自分が死ねば問題解決能力がもっと高い第3のゴッセンが目覚めるに違いない』と信じて自殺を企てる・・・。

 この本を読んでいて、このストーリーになぜか『既視感(デジャブ/どっかで観たことが・・・)』を感じ、考えて思いついたのが映画『トータル・リコール』でした。そう、この筋立ては(オビの文句にもある通り)P・K・ディックに近いのです(もちろんヴォークトの方がディックより先なのですが)。


※映画『トータル・リコール』の一場面から。

 P・K・ディック原作の映画『トータル・リコール』はその名の通り、本当の記憶を取り戻すまでの物語ですし、有名な『ブレードランナー』の原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』では、主人公が『自分もアンドロイドではないか?』と疑い、検査を受けるというくだりが出て来ます。どの作品も『自分はいったい何者なのか?』という不安がストーリーの根幹にあるという点で共通しています。

 さて、話を元に戻しますと、ヴォークトがこの『非(ナル)Aの世界』なる小説を考えついたそのアイディアの中核になっているのが実はコージブスキーの提唱した『一般意味論』というものの考え方です。

 私はまだその全貌を把握している訳ではナイので、違っているかもしれませんが『この世に同じものは存在しない』という考え方です。『あのリンゴとこのリンゴは似ていても決して同じリンゴではない』という考えを突きつめていくと、アリストテレスの提唱した論理体系が崩れてしまいます。有名な三段論法は『AはBである→BはCである→よってAはCである』と構成されますが、同じものが存在しないなら、論理そのものが成り立たなくなります。それでここは『非(ナル)Aの世界』すなわち『非アリストテレス論理学の世界』なのです。

 ヴォークトは独自の解釈でこの論理学が物理法則にもあてはまる世界というトンでもない世界を構築しました。
 『同じものが存在しない世界で、全く同じ2つのものがあれば、それは1つのものとして機能するはずだ』というのです。

 かくして離れた場所にある複数のエレベーターを『歪曲機(凄い名前だ!)』で同一のものにしてやればエレベーターは異なる惑星間までも結ぶ移動手段となり、予備の肉体を用意して同調させれば違う肉体へ意識が移る、という、テレポーテーション(瞬間移動)が可能な世界を作り出してしまったのです。もちろん本来の一般意味論にはこんな考え方はナイので、あくまでヴォークトの空想なのですが、論理学を強引に物理法則にも適用するというそのアイディアが凄まじいのです。

 そして延々と続く地獄巡りの感覚・・・文章における描写の粗さというかディテールの無さが、かえって悪夢感を強調しています。
 主人公のゴッセンという名前は『Go!Sane(覚醒せよ)』という意味がある、ということだが、覚醒するまではSaneじゃない状態なのね。Saneの前に否定のInを付ければ、あっ!これはInsaneで狂気、なあるほど、と納得したのでした。