いやはや大変な人気です。平日だというのに満席でした。皆さんそんなに女形が観たいんですか?

※藤娘を演じる吉沢亮と横浜流星
物語はヤクザの親分の息子(吉沢亮)が、抗争で父親を失ってから、歌舞伎の家に引き取られ、厳しい修行を経て人間国宝にまで登り詰める半生を描いていきます。
ヤクザの息子が宴会の余興として歌舞伎「関の戸」を演じて、それが著名な歌舞伎俳優(渡辺謙)の目に留まるというエピソードは私には一番のツッコミ処です。「なんでや⁉️」と思いましたねー。マニアック過ぎるでしょう‼️
しかし、観終わってから「いったい何が言いたかった映画なんだろう?」と考えるとさっぱりワカリマセン💦若い頃ヤンチャをしても頑張ればやり直せるという教訓でしょうか?(この映画の題名を聞いて私が真っ先に思い浮かべたのは市川團十郎が酒場でガラの悪い連中と喧嘩して殴られ、しばらく片眼が真っ赤に充血したままテレビ画面に映っていたキッカケになった台詞「俺は将来人間国宝になるんだからな、お前等とは人間の出来が違うんだよ」でした)。それとも「若い頃の過ちは一生ついて回る」という警告でしょうか?(映画でも若い頃背中に入れた刺青がスキャンダルのタネになったりします)。はてさて「個人の努力だけではどうにもならない事がある」という現実でしょうか?(伝統芸能の世界では血筋が最大の決め手になります。守田堪弥の芸養子になった板東玉三郎は例外中の例外ですが、襲名はできませんし、しませんでした。部屋子から始めた片岡愛之助が将来松嶋屋を率いるようになれば稀有な例外となることでしょう。親がいないと役に恵まれない実例は市川團十郎が早くに先代を失ったため、相手役に事欠いた末に自分の息子と舞台を演っている現実があります)。

※藤娘を演じる吉沢亮と横浜流星
様々な要素が入り雑じっているために「こういう話」だとひと括りにできない映画です。しかし3時間近い上映時間を長いと感じさせないイイ映画です。
監督の意図でしょうが、映画では女形の節くれ立った指先や白粉をはたく前の案外荒れた肌の様子をあえてアップにして「これ、造られた偽物なんですよ」と強調しています。白粉をはたいた皮膚も蝶の鱗粉のようにボッテリとした質感をあらわに、晩年の描写では(特殊メイクでしょうが)首筋のシワまでハッキリ大写しにしています。私はマクベスに登場する3人の魔女の言葉を思い浮かべました。すなわち「綺麗は穢い、穢いは綺麗」です。
ぜひ劇場の大画面でご覧ください。
追伸 「はてなブログ」に引っ越し準備しています。「ロビュールのブログ」という名前になる予定です。引き続きよろしくお願い申し上げます。