「makoのフォトカフェ」

大好きなデジカメで撮った写真、それを加工した写真なども載せています。

「2月のカレンダー」

2014年01月30日 | Weblog
少し早めですが、2月のカレンダーを載せます。




パソコンの不具合が目立ち、とうとう本体の中身を取り替えることになりました

そうゆう訳でブログを暫くお休みいたします

また再開できました折にはどうかよろしくお願いいたします

「春を待つ」

2014年01月28日 | 
この辺りで一番早咲きのご近所の白梅が、
今年もいつの間にか可愛い花をたくさん付けている。
青い空をバックに、古木ながらも枝いっぱいに花を咲かせている様子は、
毎日の寒さに、出かけるのが億劫になっている私に、
春はもうじきですよと教えてくれているようだ。


1.


2.


3.


4. 南天の赤い実も美しい。


5. 我が家では、昨年のカランコエも蕾が開き始めている。


6. 赤いゼラニューム。

「乳母車」

2014年01月23日 | 日記
昨年、横浜の山手資料館の玄関でとても懐かしい物に出会った。

横浜「山手資料館」


玄関に置かれたレトロな「乳母車」。この絵柄から多分外国製ではと思われる。


懐かしいとは言っても、生後7ヶ月の私には全く記憶には無い。
父が撮ってくれた一枚のモノクロ写真が残っている。
乳母車の車輪の部分までは撮れていないので残念だが、
折りたたみの日よけの幌も付いている籐製の乳母車。



今から半世紀以上も前の写真である。
何故、この籐製の乳母車が東北の街の我が家に在ったのか。。。(日本製と思われる)
写真を見ると新品ではないようにも見える。
ということは、母の2人の弟、又は私の5歳上の兄の為に購入したものなのか。

今も元気で西武線の沿線に娘夫婦と住んでいる92歳の叔母(母の妹)に電話で話を聞いてみた。

記憶を辿り、「乳母車」と聞いて懐かしい~と話してくれた叔母だが、それは終戦後のことであった。
結婚して叔父の勤務地である北海道に住んでいた頃、確かに籐製の乳母車に子供を乗せて散歩していたという。
散歩の途中で乳母車が溝に落ちてしまい、乗せていた赤ん坊も溝に落ちたが幸い怪我もなくほっとした事、
それ故、今でもその事は良く覚えているという。

しかし、その乳母車が、私が乗っている写真と同じ物かどうか、
その事故の後、乳母車はどうなったかについての記憶はないらしい。
戦後の物のない時代の話である。


両親は既に他界、実家も既に無い現在、知るすべもない。
母が生きている間に聞いておけば良かったと。。。

今はベビーカー(和製英語)とか、バギーとかお洒落な乳母車?をよく見かける。
「乳母車」という名前すら知らない世代が多くなってきているようだ。

曽祖父母、祖父母、両親などと一緒の大家族の中で育った私、
資料館で見た一台の乳母車から、
今は亡き懐かしい人々の顔、その日常、街の風景などが、
走馬灯のように私の頭に浮かんでは消えたひと時であった。


「鏡開き」

2014年01月12日 | Weblog
1月11日は「鏡開き」でした。

久しぶりに小豆(あずき)をことこと煮てお汁粉を作った。

以前はお供えの鏡餅を割ってお汁粉に入れたものだが、
最近はスーパーで買ってきた小さなプラスチック製の鏡餅なので
中に包装された切り餅がカビもせずに入っている。
味気ないのか便利なのか。。。

鍋いっぱいに作ってしまったので、この後毎日食べることになりそう