シビックの国内販売終了へ ホンダ、12月に生産中止(共同通信) - goo ニュース
1300シリーズの失敗で危機に晒されていたホンダが72年7月に発表したのがシビックだった。トランクルームのあるセダンを見慣れた日本人には軽自動車のライフをそのまま大きくした様なボディは新鮮と言うより驚きで、「ライフの親玉を作った」と嘲笑するモータージャーナリストやライバルメーカーも多かった。当時は1.2エンジンのみだったが、73年12月に1.5の新型エンジン搭載モデルを発表した時は、世界中の注目を集めた。「世界一厳しい排気ガス規制でカリフォルニアから自動車が消える」とまで言われたマスキー法に適合したCVCCエンジンだった。第一次オイルショックによるガソリン高騰があり、燃費の良いシビックは日本だけでなく欧米でも人気を集めた。
79年に7年振りのモデルチェンジ。デジタルスピードメータの周りにアナログ回転計を配置し、さらにその周囲にラジオチューナー等を置いたインパネが話題になった。80年に3ボックスセダンの「サルーン」が登場。同時に双子の「バラード」もデビューした。ヨーロッパでは好評だったが、国内では他社が同じセグメントにシャープなスタイルのライバル車を投入し、キープコンセプトが災いして垢抜けないイメージが出てしまい苦戦した。またイギリスのBL(ブリティッシュ・レイランド)との技術提携をしていたホンダがBLで「バラード・セダン」を生産し「トライアンフ・アクレイム」として販売された。なおアクレイムはトライアンフバッチを持つ最後の乗用車となった。
83年9月に登場した3代目はテールエンドをギリギリまで延長してほぼ垂直にカットしたハッチバックが大きな反響を呼び、ホンダ初のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞。5ドアハッチバックが廃止され、先代モデルでバンから派生させたワゴンの「カントリー」に統合された。84年には14年振りに復活した1.6DOHCエンジンが搭載された「Si」が追加されて大ヒットとなり、また84年にはグッドデザイン賞を獲得したが、自動車では初だった。このモデルも84年からBLで姉妹車の「バラード」ベースでローバー213・216等として生産された。
87年に登場した4代目は再びキープコンセプトで楔型がさらにシャープになり、正面から見るとコチの様に思えた。ATは先代まで続いたホンダマチックから電子制御のロックアップ式4速ATに代わった。また国内メーカー間のパワー競争が過熱していたが、ホンダは「F-1からのフィードバック」として可変吸気バルブを採用した新型エンジンをVTECとして搭載したが、量産エンジンとして世界初の「リッター100PS」となった。この時期にホンダは新しい販売チャンネル「クリオ」を増やしたため、シビックをベースに若干大型化した「コンチェルト」を88年にデビューさせる一方で、バラードは「ベルノ」で1クラス上で販売していた「クイント・インテグラ」と変わらない車格になったため統合され、「バラード・スポーツCR-X」だけを「CR-X」として残した。BLで生産された200・400シリーズは「コンチェルト」ベースで95年まで生産された。
5代目は91年に登場。VTEC-Eと称する低燃費のリーンバーンエンジンと乗り心地を追求した4輪Wウィッシュボーンが売りにされた。このモデルからセダンには「フェリオ」と言う名称が付いた。クリオ系列で販売された「コンチェルト」は1代限りで生産中止になり、92年にフェリオベースで「ドマーニ」に変わった。BLで生産された400シリーズもドマーニがベースとなり、上級車種は日本へも輸出された。416は乗った事があったが、上質レザーシートとウッドパネルの付いたシビックだった。整備はホンダでやると半額以下で出来たのには笑えた。このモデルではアメリカ・ホンダが独自でクーペを92年から生産し、日本へも輸出された。このクルマも乗っていたが、イーグルマークのホンダエンブレムがカッコ良かった。さらにドマーニは93年のいすゞ自動車の乗用車生産停止により「ジェミニ」としてアスカになったアコードと共にOEM販売された。因みに90~93年までのアスカはスバル・レガシィセダン(初代)
95年に6代目となった。大きな特徴は3ドアHBは先祖帰りをした様なスタイルになり、エンジンは先代で2つになったVTECを統合し、高性能・低燃費が売りになった。ATはCVTが加わった。97年にHBモデルにレース用グレードと言える「タイプR」が登場。エンジンのB16Bは1.6Lで185PSに達した。このモデルから国内ではセダン重視となった。96年に小型セダンが無かったベルノのためにフェリオベースの「インテグラSJ」が誕生してフェリオは三つ子になった。ドマーニは97年に登場。
アメリカ・ホンダで生産されるクーペも新型が輸入されたが、RVブームの影響をモロに受けたクーペ市場では販売不振で2年で輸入停止になった。98年に燃料をガソリンからCNG(圧縮天然ガス)に変えたフェリオGXが登場したが、CNG利用の高いアメリカからの輸入だった。
ローバー400だが、関係は良好で94年には過去最高の収益を上げていたBLが突然BMWに買収された。BMWへの技術流出を恐れたホンダは急遽提携を解消したが、95年にFMCをした400はATの上級モデルのエンジンはホンダのままだった。日本に正規輸入されたモデルは全てホンダエンジンだった。なおBMW傘下のローバーはBMWが主導した新型モデル75がトラブルが多発して欠陥車の烙印を押されてしまった。BMWはローバーを立て直すどころか自社も影響を受け始めてしまい、00年にミニだけを残し、僅か10ポンドで投資家グループに売却した。
00年9月に7代目が登場。国内では先代同様にセダンが主力でHBは3ドアから5ドアに変わった。5ドアは90年代後半の経営危機を救ったオデッセイ、CR-V、S-MX、ステップワゴンと言ったクリエイティブムーバーの技術が活かされ、ミニバンやSUV的な要素も取り入れられた。またモデルのシャシーを共通化させるプラットフォーム構想が最初に取り入れられたシビックでもあった。12月には「タイプR」が登場したが、国内生産ではなく、3ドアHBラインのあるイギリスからの輸入であった。01年に先代のGXに変わりフェリオにハイブリッドが登場した。03年に大掛かりなマイチェンを行なったが、01年に発売されたフィットに押される形で国内での人気は無くなっていった。
このFMCを機に大幅なライン整理が行なわれ、姉妹車のドマーニとインテグラSJは生産中止となった。このためいすゞジェミニも絶版車になった。アスカはいすゞの乗用車市場からの完全撤退となる02年まで継続。
05年9月に8代目となるが、初代から続いていたHBは廃止されてセダンのみとなった。またアコードがアッパーミドルまで大型化している事からミドルセダンとなり、国内法では3ナンバーとなり、エンジンもミラーサイクルエンジンの1.8となった。06年にアコードの2.0エンジンモデルも登場し、07年には2.0エンジンをチューンし225PSにしたモデルを「タイプR」として復活させたが、セダン市場の低迷には歯止めがかからない状態で今年8月にハイブリッド以外のモデルとエアウェイブ、クロスロードの生産中止を発表した。
回文書みたいな車名だが、数々のエポックメイキングをしてきたCIVIC。今度復活する時はどんなクルマになっているんだろうか?
水素燃料電池?メタンハイドレート?…初代の様にみてくれはブッサイクでも実力はスゴイクルマとして復活してくるんだろうな。きっと。