八ツ場ダムの町、一晩にメール4千通 批判・中傷8割(朝日新聞) - goo ニュース
9月26日は台風の特異日。
伊勢湾台風から50年でローカル民放で特集番組をやっていた。また55年前には台風により青函連絡船「洞爺丸」が転覆し1155人の死者を出す大惨事となった。51年前には狩野川台風の被害も出た。
戦前の74年前(昭和10年)には三陸沖で第4艦隊事件が起こった。演習に向かった臨時編成の第4艦隊の艦艇が台風による三角波に遭遇し、当時の主力駆逐艦(特型)の2隻の艦首が切断される等の大きな被害を受けた事件。前年に発生した水雷艇「友鶴転覆事件」の対策を打ったばかりの海軍にとって、衝撃的な事件であった。
どちらの事件もロンドン軍縮条約の枠内で重武装艦を建造したためトップヘビーとなり、強度や復元性が低下したのが原因だった。その軍縮条約で日:米:英の保有艦比率は概ね【64%:97%:100%】となった。当時の日本は金解禁を行ない、為替相場を第一次大戦前の水準に維持させるため緊縮財政となっていたため、この軍縮会議は海軍の予算を抑えるためにも成功させたかった。しかし軍令部が反対した他、海軍内部に条約派(賛成)と艦隊派(反対)の内部対立が発生。さらに野党や枢密院では「天皇の統帥権」を楯に「統帥権千犯問題」が発生した。五・一五事件以来、軍部の発言権が強まる中で岡田内閣は条約反対を抑えきれず、昭和11年1月15日に軍縮会議から脱退した。その約1ヵ月後に「二・二六事件」が発生し、岡田内閣は総辞職した。「二・二六事件」は鎮圧されるが、彼らの主張に同情する世論やそれらを利用する軍部の台頭により、短期間での政権交代が繰り返され、全体主義を容認し戦争を拡大していった。
八ツ場ダムも1000名以上の犠牲者を出したカスリン台風を教訓に計画された。
このダムの話題はgooのニュース畑でも取り上げられている。
前原国交相「八ッ場ダム建設は中止」 すでに3200億円を投じたダムの建設中止は妥当でしょうか?
自分も「反対」の意見をコメントし、147人の皆さん(9/26PM6:20)に賛同を頂いた。
その一方で賛成コメントも頂いた。
賛成の意見の共通点は
国レベルの多数決で決まった事
マニフェストに明記された事
ダムの必要性が無い の3点になる。
だが、ダムの必要性が無いと主張しているのは国会議員レベルでの連立与党であり、地方自治体レベルの首長は必要と主張している。様々な建設差止訴訟が起こされているが、全て棄却されているので司法も建設容認だ。
長野原町の町役場に届いたと言うメールの大半が住民を批判しているが、自分のコメントにも同じ様な返信があった。
「非国民」「国賊」の誹謗中傷メールに74年前の日本を見た気がする。
行き過ぎた「民意」や「国民の総意」は「全体主義」への警鐘である。
前原誠司国土交通相が建設中止を表明した八ツ場(やんば)ダムのある群馬県長野原町の町役場に、一晩で4千件のメールが殺到していたことが25日わかった。建設推進を求める地元に対し、8割が批判的な内容。町は「中傷が目立ち、メールサーバーへの負荷もかかる」として、メールの受け付けなどを25日朝、停止した。
地元の住民代表らが23日の前原国交相との意見交換会への出席を拒否したことを受け「対話拒否はおかしい」「(民主党が総選挙に勝ったという)民意に背くのか」といった批判や、「ダムが中止になって、なぜ喜ばないのか」という意見が多く、なかには「ごね得」「非国民」などと中傷するメールも。