鳩・菅との決別なるか 民主、出直しへ瀬戸際 常任幹事会で辞職勧告提案(産経新聞) - goo ニュース
民主党は菅直人元首相に対する処分決定を先送りしたが、最も重い「除籍」が公然と語られたことで、菅氏は退場寸前にまで追い詰められた。菅氏はすでに離党した鳩山由紀夫元首相とともに17年前に旧民主党を結党した立役者。しかし政権獲得後に失政を重ね、民主党を凋落(ちょうらく)させた「戦犯」でもある。民主党は両氏と決別して出直しをはかれるのかの瀬戸際を迎えている。(沢田大典)
「一月後に幹事長を辞任することになりました。ただ、その前にやらねばならないことがあります。鳩山、菅氏への対応。この2人を乗り越えない限り、民主党に未来はありません」
細野豪志幹事長は24日夜、ツイッターでこうつぶやいた。参院選東京選挙区で党公認を取り消された大河原雅子氏を支援した菅氏に対し、同日の常任幹事会で議員辞職勧告を提案したのも細野氏。だが、菅氏は「応援しないと(大河原氏の出身である)生活者ネットは今後、民主党を応援してくれなくなる」と反論した。
「決して自らの非を認めない」(中堅)菅氏らしい対応だが、民主党内の“嫌菅”ムードは最高潮に達している。鳩山氏についても一時は離党前にさかのぼって除籍処分にする案が浮上。党側は無関係を印象付けるのに躍起だ。
民主党は平成8年9月、鳩山、菅両氏を中心に結党した。鳩山氏の資金力と厚相として薬害エイズ事件に取り組んだ菅氏の「突破力」を武器に党勢を拡大。途中、小沢一郎生活の党代表が加わり「トロイカ」体制となったが、両氏は常に党の顔として民主党を支えてきた。
21年の政権交代で両氏はともに首相に就任。しかし、鳩山氏は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「最低でも県外」と発言するなど迷走を繰り返した末に退陣に追い込まれた。
菅氏も22年の参院選前に唐突に消費税増税を打ち上げた結果、選挙に大敗。東日本大震災への対応などでも批判が出て総辞職した。
民主党が昨年末の衆院選で野党に転落し、今回の参院選でも惨敗した大きな理由に、鳩山、菅両氏の存在があったとの不満は党内に鬱積している。両氏の処分に手間取れば、逆に細野氏ら党内の中堅若手が党を飛び出すことにもなりかねず、海江田万里代表は難しい決断を迫られている。
4年前の衆院選で大敗し野党に転落した自民党でも「戦犯会議」があった。麻生氏が総裁を辞職したが、次の総裁選挙まで空白が発生する事になり、議員総会で「Mrリリーフ」の異名を取る若林氏に白羽の矢が立ったのだが、会議が紛糾したが、麻生氏の「本人の意思も聞いてやれよ」のひと言で議員やマスコミから笑いが起こった。まるで出川の発言にダチョウ上島が帽子を叩きつけて怒り、出川に詰め寄るが最後にキスをする「ネタ」に見えた。
麻生氏と言えば、その1年前にも「問題発言」をマスコミや当時の民主党に叩かれた。国会の審議拒否を続ける民主党に対して事態打開を図るため江田参院議長を訪問した際にワイマール共和制下のドイツでナチスが台頭した事を挙げたが、それを聞いた鳩山代表(当時)が「謝罪撤回しろ!」と詰め寄った。今思えば、これが『言葉狩り』の始まりだったのかもしれない。未曾有の間違いをマスコミが騒ぐと、民主党は尻馬に乗り、石井一氏は国会で漢字テストを持ち出す有様だったが、ワイドショーやニュースショーの大半はその行為を批判する事もなく煽り立てた。そのコーナーをレポートしていたアナウンサーの中には野球中継で「ピッチャー第一球目を投げました」や、事件現場では「今、銃声音がしました!」と連呼していたのだが…。首相在任中に発生したリーマンショックに対して、定額給付金やエコカー減税、エコポイント制度、高速道路均一料金などの経済対策を打ち出したのだが、ワイドショーなどで「給付金を貯蓄に回せ」と言い出すバカなコメンテータが登場すると、民主党はその尻馬に乗り批判。高速料金に関しては道路特定財源と同じように「我々なら高速道路を無料にできる」と豪語した。年金や社会保障制度の問題をワイドショーが取り上げると長妻を『Mr年金』などと持て囃す有名司会者が出てきた。
09年の衆院選が始まると、民主党は官僚政治の打破、子育て支援金、高速道路無料化、ガソリン暫定税撤廃、農家の戸別補償制度などを「政権公約」に掲げたが、要は「悪いのは官僚、自公であなたたち有権者ではありません」だった。政権交代が実現し、鳩山が首相に就任すると「政権公約は国民との間の契約だ。もし守れなければ責任を取る」と大見得を切った
国会が始まると新人議員(多くは小沢チルドレン)の『勉強』と称して各種委員会に『見学』をさせて威圧した。その姿は麻生氏の言う「30年代のドイツ」でSAの監視下で開かれていた国会のようだった。その象徴が自民党の新人議員だった小泉氏の暴行事件(=三宅の自爆テロ)だった。また挙党体制内閣の実情は自民党以上の派閥争いが起こっていた。管は副首相兼国家戦略担当大臣に就いたが、予算編成などで遅れを出すと鳩山首相から批判され対立。10年1月に財務相の藤井を退任させてスライドさせたが、国会の質疑で数字に対する弱さを露呈し、民主党の敵のハズの官僚に助けられる有様だった。鳩山首相は逮捕された小沢の元秘書の公判が始まる直前に行政の長である立場を逸脱し「存分に戦ってもらいたい」と発言し批判され、さらに自身の故人献金や偽装献金と資産隠し、実母からの献金などが次々に発覚した。その頃に政権交代前の野党時代に語った普天間基地移設を「最低でも県外」と言い出したが、これは様々な献金問題から追求を逸らすためだったろう。
しかしこれがホワイトハウスの強烈な反感を買った。様々な候補地が挙がったものの、アメリカと合意出来ず、地元である名護市長選挙で民主党が支援した反対派が当選したにも関わらず、原案通りの辺野古に戻ってきた。その迷走で発足時に70%あった支持率は20%にまで落ち込み、外交では10年4/13、オバマ大統領に「やれんのか?!」とスゴまれ、「Trust Me」と懇願する醜態を晒し、ワシントンポストのコラムで「マヌケな日本の首相」とコキ下ろされた。外交の安全保障を犠牲にしてまで隠したかったカネの問題では起訴された秘書2人の実刑が4/22に確定した。
鳩山の迷走の陰に隠れたが大臣らも失政が続いた。
国交大臣に就任した前原は「政権公約に則る」とダム建設凍結を決定。その象徴とされたのが八ツ場ダムだったが、工事や住民の移転などが進んでいたのと、建設予定地の属する選挙区では民主党は候補を出していなかった事、何よりも事前説明もなく、「上意下達」の如く発表された事が住民の怒りを買った。経営危機に陥り何とか自主再建の道を模索していたJALに介入し、会社更生法を適用させた上で自身のパトロンである稲盛京セラ会長を招聘。税金を投入した航空券安売りで再生させた。
総務大臣になった原口は国会審議に2回遅刻し、内閣は官僚に責任があるとして官僚を更迭したが、遅刻していない大臣もおり、「都合の悪い事だけ官僚のせいか?」と批判された。また大臣辞任後ではあるが、10年7/1に郵便事業と統合したペリカン便で大規模な集配遅延が発生し、7/12にはゆうちょ銀行でシステム障害が発生した。これらは自公政権下で決定し、日本郵政が推進して来たが、政権交代で西川社長が退任させられ、統合計画は原口の指示で再作成させられたが、その際に設備過剰としてバックアップシステムを削減したのが原因だった。
厚労大臣になった「Mr年金」こと長妻に至っては、「そんなの簡単ですよ」と言っていた大半の事が難度が高かったのか、慎重派となり「Mr考え中」と揶揄され、自公政権で計画され自身が野党時代にコキ下ろしていた「日本年金機構」をそのまま継承した。同様に批判していた労働者派遣法も改正できなかった。そんな批判を気にしたのか省内には「あいさつをしよう」などの張り紙をして仕事ぶりをPRしたが、「厚労省はいつから小学校になったんだ?」と失笑を買った。
政権公約の中で鳩山内閣がやった事と言えば、ガソリン暫定税撤廃だけだった。しかも暫定を恒久化させただけで、「ハトではなくサギだ」と言われた。6月に発足から9ヶ月で退陣。小沢も党の幹事長を辞任した。
政権交代前に「首相経験者は退陣したら国会を去るべき」と公言していたが、議員を続けて「民主党=ウソつき」の象徴になり12年12月の衆院選で出馬を断念しようやく政界を引退した。