空に散った7飛行士追悼 チャレンジャー事故20年 (共同通信) - goo ニュース
【ワシントン29日共同】宇宙開発史上有数の悲劇となった米スペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故から20年となった28日、死亡した7人の飛行士を追悼する式典がシャトル打ち上げ基地の米航空宇宙局(NASA)ケネディ宇宙センター(フロリダ州)で開かれ、遺族代表が「危険がない所には発見も新たな知識もない」とスピーチし、有人宇宙探査の大切さを訴えた。
7人は日系3世のエリソン・オニヅカ飛行士=当時(39)=や高校教師だったクリスタ・マコーリフさん=同(37)=ら。
事故はシャトルの固体補助ロケット(ブースター)の接合部をふさぐ特殊リングが劣化し燃焼ガスが漏れたのが原因で、打ち上げ73秒後に機体が爆発。煙がV字型に広がる衝撃的なテレビ映像が世界に流れた。
時の流れは早いもので、あれからもう20年になるのか…。
この事故は衝撃的だった。当時大学生だったのだが、帰宅して何気にテレビを付けた。今の様に深夜まで放送は無かったが、NHKが放送をしていた。「何をやってるんだろう?」としばらく見ていたら、スペースシャトル・チャレンジャー打上げの中継だった。「lift off」と言う声と共にシャトルはものすごい煙に包まれて空に上がっていく。
次の瞬間。突然、煙の塊が出来たと思うと、煙がY字型に広がっていった。何が起こったのか最初はわからなかった。爆音とかは無く、ただY字に分かれた煙が空に上がっていた。冷静な女性の声でカウントが流れていた。
画面が地上で見守っていた人々に切り替わると、両手を口に当てて、呆然と空を見詰める人達が写っていた。何が起こったのか?がジワジワと判っていく感じだった。その光景で自分でもシャトルが爆発した事が判った。
それから7年後、仕事で9年振りにロサンゼルスに行った。リトルトーキョーの一角でスペースシャトルを見つけた。事故の犠牲になったオニヅカ氏の慰霊碑だった。