MiddleDayTripperの徒然記

気ままな中年オヤジの独り言

多種多様な乗用車が現れた原点

2012-07-13 21:32:16 | Weblog

トヨタ「パブリカスポーツ」半世紀ぶりに復元(読売新聞) - goo ニュース

トヨタ自動車のOBらが、50年前のモーターショーに登場した小型スポーツカー「パブリカスポーツ」を復元した。
パブリカスポーツは「トヨタ・スポーツ800」(通称ヨタハチ)の研究実験車で、1962年の全日本自動車ショウ(現在の東京モーターショー)に参考出品された。この時、展示車の魅力にひかれてトヨタ入社を決めたという元デザイン部の諸星(もろほし)和夫さん(71)が、退職後に復元を思い立った。
パブリカスポーツは重量530キロ・グラムという徹底した軽量化や、空気抵抗を低減させるため丸みを帯びたデザインが特徴で、戦時中に戦闘機の設計に携わった技術者らが知恵を絞った。2台作られた試作車は現存していないため、諸星さんらは当時の写真や設計図面をもとに、最新のデータ解析技術を駆使して復元した。パブリカの0・7リットルエンジンを搭載し、実際に動かすことができる

54年から始まった東京ショーだったが、セダンタイプの乗用車か軽自動車がメインで、スポーツカーは59年に日産がダットサンS211スポーツを出品したが、殆ど対米輸出専用車。61年に出品した新型「ダットサン・フェアレディー」(SP310)が62年から国内販売が開始された。このSP310はアメリカでヒットして「ダットサン」の知名度が上がった。トヨタは61年にクラウンをベースとした「トヨペット・スポーツX」を出品したが、量産は見送られた。「スポーツX」のライバルとも言えた「プリンス・スカイラインスポーツ」は前年のトリノ・ショーでデビュー(国産では初めて海外モータショーで発表された)していたが東京でも出品され、翌年市販化されたが、イタリアの板金工を招へいしてのハンドメイドで非常に高価なクルマとなり、わずか40台の生産に終わった。

62年の東京モーターショーは日本の自動車メーカーが多種多様なクルマを発表した。最大の話題は二輪車レースで世界一となった本田技研が出品した「ホンダ・スポーツ360」と「500」だった。イギリスのミゼットやイタリアのスパイダーベローチェのような2シーターの小型オープンカーだったが、エンジンはどちらも総軽合金製の4気筒DOHC。自動車誌は「GPレーサーのエンジンを積んだスポーツカー」と書きたてた。360の市販化は見送られたが、500は排気量を10%ほど上げて63年に市販化され大ヒットとなった。

トヨタがスポーツコンセプトカーとして出品したのが、このパブリカ・スポーツ。乗用車「パブリカ」をベースにボディを被せているが、軽量化のために薄い鋼板を使用。強度を補うためとビビリ音を低減するために発泡ウレタンを充填させるユニークな手法を使った。最大の特長は乗降はドアではなく、大戦時の戦闘機のコクピットのようなキャノピーだった。スタイルはユニークだったが、ライバルとなったホンダ・スポーツと動力性能を比較すると非力さは否めなかった。その隣りに展示されたのが「パブリカ・オープン」だった。パブリカの2ドアセダンのルーフを切ったモデルで、製作はトヨタ自動車ではなく、販売会社の東京トヨペットだった。「4人が乗れるオープンカー」として注目を集め、こちらが先に市販化された。

62年ショーは本田技研の自動車市場進出だけでなく、メーカーのステップアップも多く見られた。東洋工業(マツダ)は「マツダ1000」、スズキは800ccの「4ドアセダン」を参考出品し、どとらも3年後にボディデザインを変更し「ファミリア」と「スズキ800」として市販化した。ダイハツは「コンパクト・ライトバン」と言う商用車を参考出品し、翌年「コンパーノ」としてバンとワゴンを先に発売し後にセダンの「コンパーノ・ベルリーナ」を追加する変わった手法を取った。
小型乗用車メーカーは輸入車に独占されていた普通乗用車(=3ナンバー)市場へ参入するクルマを出品していたのも62年だった。日産は1900ccの「セドリック」に直列6気筒OHVエンジンを搭載した「セドリック・スペシャル」をショーに合わせて発表。プリンスは1900ccの「グロリア」に国産初の直列6気筒OHCエンジンを搭載した「グロリア2500」を出品。翌年に同エンジンの2リッター版を「グロリア・スーパー6」を発売した。このエンジンは後にスカイラインGTに搭載され、R380やGT-Rのエンジンのベースともなった名機だった。
さらに62年は商用車にも参入が多かった。いすゞは乗用車べレルのライトバンを出品。エンジンを得意のディーゼルにしたのが特長で市販化された。愛知機械工業は軽自動車「コニー」の乗用車とバンを試作として出品し、バンのみ市販化された。富士重工は「スバル360」の後部を拡大し荷室とした「スバル360・カスタム」を出品、市販化。本田技研はS360/500の出品だけでなく軽トラック「ホンダ・T360」も発表した。S360のエンジンをデチューンした空前絶後のDOHC4気筒エンジンを搭載した軽トラックの誕生だった。

50年前の日本のクルマは性能は技術は欧米の足元にも及ばなかったのかも知れないが、そのコンセプトにはユメがいっぱい詰まっていた。今の日本のクルマはどうだろう?環境技術だけは世界最先端だが、そこにユメは入っていない


学校vs親vs子供:トリプルスレッド不信の末路

2012-07-13 15:15:24 | Weblog

「誠意ない」「伝わらない」=不信、不満相次ぐ―中2自殺で保護者説明会・大津(時事通信) - goo ニュース

いじめを受けていた大津市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した事件を受け、この生徒やいじめたとされる同級生3人が通っていた中学校は12日夜、緊急の保護者説明会を開き、自殺後の経過などを説明した。保護者からは学校側への不信や不満の声が相次いだ。
出席者によると、説明会は午後7時から約3時間続き、約700人が参加。沢村憲次教育長は、全校生徒に実施したいじめに関するアンケート結果を希望する保護者に開示する方針を示したが、途中退席した男性によると、謝罪と受け取れる発言はなかった。
説明会では全員で黙とうし、自殺した生徒の父親は「こんな騒ぎになって申し訳ないが、何とぞよろしくお願いします」と述べた。中には涙ぐむ保護者もいたという。
途中退席した男性は「当たり前の言い訳ばかり。もう少し誠意がないと」と不満げに話した。保護者の女性は「真実は結局分からない。説明は不十分で納得できません」と言葉少な。別の女性も「気持ちが全然伝わらなかった」と語った。
沢村教育長は説明会後、記者団に対し「保護者の言葉の重みを強く感じた」と語った。

九州では連日の豪雨で甚大な被害が出ているが、子供の頃は大雨の日や遠足・運動会が雨天の時などには「緊急連絡網」と言うのがあり、同級生同士で伝言していった。今はそれが「プライバシー保護」が理由で無いのだそうだ。子供の担任教師がメール配信したり1件ずつ電話していくのだそうが、時間が無い場合に担任以外の学校職員が親に連絡をすると「なぜ個人情報を他の学校関係者に知らせたのだ!」と後で抗議が来る場合もあるらしいし、中には「ウチは子供に任せてあるから子供に直接連絡しろ」と言う親もいると聞く。

今住んでいる学区では廃品回収は行なっているが、子供や親が参加するものでは無い。10年ほど前まではやっていたそうだが、「仕事の都合がある」とか「子供の塾がある」などの理由で不参加が多く、住民が指定された場所に廃品を持ち込むセルフ方式となったそうで、「いったい誰のための何のための廃品回収なんだろうか?」とバカバカしく思える。

子供の頃に学校で先生に叱られても家では口が裂けても言えなかったが、今ではちょっとでも注意しようものなら親がすっ飛んでくる。補導員のボランティアをしている女性は夜中に大型ショッピングセンターのゲームコーナーなどで子供たちに注意をすると、後日抗議をしてくる親が増えたと言っていた。小売店を経営する知人は万引きをした子供の親を呼ぶと、「代金を払えば問題ないだろう」と逆ギレされる事もあると嘆いていた。

親が子供に媚を売っているだけで、それを「信頼」にすげ替える。子供はそれを利用する。子供は純粋な分だけ狡猾にもなる。親は自分が媚びを売った分、子供に出来なかった事を学校に要求し、過大な期待を持つ。

親子と学校には信頼関係がない。そんな状態で何か問題が起これば互いに非を認めるハズは無い。

ニュースショーやワイドショーで「イジメを無くすには?」と教育評論家らが声高に叫んでいるが、そんな事で無くなるハズは無い。子供は大人の社会を冷静に見ている。

10年ほど前だったか?幼稚園の先生をしていた友人の奥さんの話があった。机にイタズラ書きをしていた園児を見つけ、注意をしようとしたら、園児が気づいて彼女に作り笑いを浮かべながら消しゴムで消していたそうだ。彼女は背筋が寒くなったそうだ。

その頃の園児は今、中学生や高校生だろう。

 

 

 

 

 

 


アッチの3人はいいから、コッチの3人を天誅してくれ。オッチャン

2012-07-13 07:57:18 | 爆笑!第3弾!!野田メだコリャ~政権

知事に脅迫はがき、男逮捕=大津の中2自殺で―滋賀県警(時事通信) - goo ニュース

大津市で昨年10月、いじめを受けていた市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した問題に絡み、滋賀県警大津署は12日、脅迫容疑で、愛知県武豊町平井、無職沢村佳幸容疑者(69)を逮捕した。
県警によると、沢村容疑者は「誰かが天誅を下さないとだめだと思いはがきを送った」と述べ、容疑を認めているという。はがきの消印などから同容疑者を特定した。

6-70代の男性は折りたたみ式ケータイを胸のポケットに入れるか、首からぶら下げている事が多い。到る所でこれ見よがしに通話をし、「オレは時代に付いて行けてる」をアピールしているが、実際には同世代の女性がメールやカメラ機能を使いこなせているのに対して、通話以外は殆ど使えない。ハガキで脅迫して逮捕されたオッチャンもその悲哀を存分に味わっていたのだろう。ついでに言えば封書ではなくハガキと言うのもノスタルジックだ。

この事件では大津市教委と中学校は極悪非道の悪の権化の様に扱われていて、オッチャンはスッカリ感化されてしまったんだろう。ひょっとするとJR脱線事故の際にも武豊線を運行するJR東海の職員に罵詈雑言を浴びせていたのかも知れない。

天誅は人間を超越した神などが悪行を行なった人間に罰を下す「天罰」を人が代行しする事だそうだ。実際は思想などが対立する人物を殺害、粛清する場合の大義名分として使われ、幕末の混乱期のイメージが強い。

イジメたとされる中学生に天誅を下したところで子供社会からイジメが無くなるとは思えない。手を変え品を変え、巧妙かつ陰湿なイジメが横行していくだけ。大人の社会の犯罪を見れば分かる。

将来のある中学生に天誅など下す必要は無い。オッチャンがどうしても「天誅したい!」と言うなら、コッチの3人はどうだろう?

1人目は3年前に首相に就任した時、「政権公約が守れなかった時は国民との契約不履行になるので潔く退陣する」「総理経験者は政界から引退すべき」とオオミエを切ったものの全部ウソ。辺野古に移転予定だった普天間基地を海外移転を言い出したものの、やっぱりウソでアメリカに不信感を抱かせ、国の安全保障のガタガタにした鳩山(と書いてサギヤマ→ガンヤマ→現チキンヤマ)

2人目は就任早々に領海侵犯の中国漁船船長を勝手に釈放・帰国させ、党内の権力抗争に明け暮れた挙句、東日本大震災が発生すると真っ先にやったのが外国人献金の返還。さらに震災対応では東電だけにシャシャリ出て現場を余計に混乱させ、原発事故の避難民はホッタラかしどころか詳細な放射能汚染データを開示せず、国民を生命の危機に陥れた。挙句の果ては民主党内からも指導力の無さを指摘されて退陣要求が強まると、首相のイスにしがみつきたいだけで日本中の原発を停止させて電力危機に陥れた菅(スッカラ菅)

3人目は財務大臣時代にはスィーネ枝野やレンホーがドヤ顔でやった事業仕分けで凍結されたハズの財務省管轄の事業を勝手に再開させて「事業仕分けは民主党のママゴト遊びでした」と証明し、首相になったら「復興のための増税」から知らないうちに「社会保障のための消費増税」を言い出して、挙句の果ては「ニフェスト(=民主党の政権公約だからマが抜けている)は選挙のための野党時代に作ったモノ。与党になれば守れなくて当然」と開き直り、野党時代には自らが罵った「シロアリ」の忠実な僕となった野ダメ。

この3人のうち誰かに『天誅』を下すのなら英雄と認めてあげる