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奈良時代の越後国府と国分寺は何処にあったのか?

2010年12月13日 | 神社・お寺
上越の歴史上、最大の”謎”とされる
奈良時代の越後国府国分寺が何処にあったのか?

現在の五智国分寺は上杉謙信が再興したものである。
つまり、それ以前の国分寺は何処にあったのか?
いまだにハッキリとしないのだ。

これにはいくつかの説がある
(1)直江津海岸埋没説
(2)板倉区田井説
(3)妙高市栗原説
(4)上越市本長者原説

昭和59年、上越市教育委員会では
本長者原を本格的に調査。
塔の基壇や堂宇の跡らしきものを発見したという。
長者の蔵の礎石と伝わる巨大な石も佐渡の国分寺に
類似しており
(4)上越市本長者原 が
越後国分寺の跡という可能性が極めて高いという。
(歩いてさぐる上越の史跡より)

先日、長者原を訪問。
看板があったので写真を撮ってきた。
いろんな説があるが、この場所にあったのか!?
自分の知識レベルではなんとも言いようがない。
もう少し自分なりの考えがまとまったら再度記事にさせて頂きたい。


みなさんはどう考えるだろうか?

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
越後国府は? (横尾俊一)
2014-01-07 10:47:41
 みやっち さんこんにちは!
私は69歳にしてパソコンを初めました。
貴方のブログを拝見しました、越後国府はどこにあったのか?私も気になりましたのでお話したいですね。
どうぞよろしくお願いします。
返信する
横尾俊一さんへ (みやっち)
2014-01-08 19:25:19
横尾さん、当ブログを見ていただき
有難うございます!

越後国府ですが、 最近自分は
(1)直江津海岸埋没説 も
なんだかロマンがあって
これもいいかな、と勝手に思っています。

今後ともよろしくお願いします。
返信する

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