人の縁は、その人夫々、程度の差はあるがいずれも見えない糸でしっかり繋がっているものである。この1週間の間に当方は、北海道在住のF君とT君の二人と約50年振りに、メールと電話で近況交流をし、つくづくそう思った。
メールで交流したF君は、若い時代の当方に対する認識も実に正確で、昔青春を共に過ごした記憶の数々を鮮明に覚えていた。現役引退後、5期20年に亘り市会議員を務め終え、ゆっくり老後を迎える積りでいた時期に奥様を病気で亡くされたT君は、聊か元気がないように感じられた。
確かに電話の声には、往年の張りはやや薄れてはいた。でも声のトーンや明瞭な語り口は、往時と全く変ってはいなかった。
T&F君も当方も、昨年共に傘寿の坂も越え、既に老境に入るに至ってはいる。しかし、気力はお互いに未だなお若い積りであることには変わりはなかった。在道の仲間26人の中では、メールの相手のF君が気力・体力共に異次元の世界にあるようだとT君が言っていた。素晴らしいことではないか。他の仲間達もみんなそう評価しているとのことだ。
だからだろう。F君は今も広い土地を活動の場にして手広く自家菜園に勤み、悠々自適の状態だとT君からも聞かされた。
共に偶には行き来して、「友あり遠方より来たる。又楽しからずや」などと言いながら歓談する機会は、もうなかろう。しかし、時空を超えていつでもその気になれば、即時に繋がる合縁を共有している友がいることは、老生にとって掛替えのない誇りであり、自慢である。
だから、今後も生ある限り、往時にタイムスリップしても、即時に回路が繋がる昔仲間と親しく交流する機会を持ち続けたいものである。
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