気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

老人閑居して惰眠を貪る事勿れ

2016-07-04 20:50:51 | 人生

過日、昔の仲間の集まりが都内であった際、初参加で15年振りに会ったN君が「皆さんご無沙汰致しておりましたが私も元気で、年寄りになりました。ところで皆さん、年寄りだからこそ、教育(きよういく)と教養(きようよう)が必要だという話をご存知でしょうか・・・と近況を交えて話し出した。

当方は、以前何かの雑誌で読んだことがあるので、「例の話だな・・」と直感した。だから特に興味はなかった。しかし、現役当時から能弁なN君が喋り出すと何か如何にも新鮮な感じもしたし、周りの同輩は興味ありげに聞き入っていた。この話、実はNet等でも紹介されているので、ご存知の方も多かろうから、詳述は割愛する。

要するにこの話は、駄洒落話しの類で、簡略に解すると「・・高齢者はとかく家に引き籠りがちになり易いので、健康の為には、教育(今日行くところ)と教養(今日用がある)ことが大切だ・・」ということを同音異義語の比喩で示唆して呉れている話である。

確かに高齢者向けの尤もな話だとは思う。N君の話を聞きながら自分も、今日行くところは、自ずと限られ、今日の用もその都度見つけて対応しているが、そんな自分でよいのかな・・それに、真面目な話し、若い頃から随分諸々の教育を受けて来た筈だが、果たして年相応の教養が身についているのかな・・とふと感じたりもしている昨今である。

今日行くところは、特になくても、例えば近くの図書館や公民館・書店等に行き、最近の国内外の事件や話題等(例:英国のEU離脱問題の行方、バングラデシュでのテロ事件の遠因・近因、参院選の与野党の主張の差異や選挙の見通し)について諸資料を手掛かりに常識として整理し直す等やるべき用はいくらでも見出す事が出来る

だから、やることを見出しもせず、年だし何もやりたくないと消極退嬰的な気持ちになり、家に籠るようなことだけは絶対にしないぞ!!と心に決めているし、日々そのように実行している積りである。

兎に角、体力気力が衰えても、「老人閑居して為すこともなく只管惰眠を貪る」ことの無いようにしたいものである。これが、満81歳になった老生の切ない今の願いである。