習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

美しい花を作るその手に刃を握ったら

2023-12-08 17:35:40 | 政治・経済・社会・時事
 日本国内の人種差別について、若干の落書きをものしたい。

 なぜいきなりそんな話をするかというと、しばらく前に、こんなネット記事(2023年11月24日付け)に触れ、ちょっとだけ違和感を抱いたからである。


来日アーティストはなぜ「ニッポン最高!」と口にするのか(デイリー新潮)―Yahoo!ニュース

> コロナ禍へのうっ憤を晴らすかのように11月以降、海外大物アーティストの来日が続く。
> (中略)
> こうしたライブでアーティストは必ずといっていいほど、「ニッポン」への愛情や思いを口にするのだが、果たしてどこまでそれを信じていいものか。
> (中略)
> 彼らの「日本愛」を単なる社交辞令だと片付ける必要はない。
>  ある種の人は「日本だけ特別なんて思わないほうがいい」と冷笑するかもしれないが、実際に強い日本愛を持つアーティストは決して珍しくないのだ。
> (中略)
>
> 『不道徳ロック講座』の著者、神舘和典さんはこう語る。
>  「黒人ジャズ・ミュージシャンに話を聞くと、アメリカのとくに南部ではレストランに入れてもらえなかったり、トイレを使わせてもらえなかったり、長い間差別されてきたそうです。
> サックス奏者、ソニー・ロリンズによると、世界的にレジェンドの扱いを受けるようになっても、飛行機のファースト・クラスに搭乗すると、CAさんからあからさまに奇異の目で見られると話していました。
> しかし、日本やフランスでは音楽そのものやキャリアに対してきちんとリスペクトされると話していました。
> こういう話を聞くと、親日家になる気持ちが理解できました」
> (以下略)
>
> (読者コメント)
> アートブレイキーは、ジャズメッセンジャーズを従えて1960年、元旦に来日した。
> 羽田空港でタラップを降りると、自分たちを歓迎する群衆に驚いた、そして感激で泣いた。
> 日本では黒人は差別されない。
> アフリカ大陸以外で唯一日本だけはアーティストとしてリスペクトされた。
> ライブアルバムも素晴らしい。
> 若きリーモーガン、ウェインショーターの名演も聴ける。
> アートブレイキーは、日本贔屓になり、日本人女性と結婚もした。
> 以来、数多くの黒人ジャズミュージシャンが来日している、

(引用ここまで)
(※1)


 黒人差別は人種差別である。
 日本では黒人差別がない。
 だから日本には人種差別がない?

 なんて詭弁は可能か。

 もちろん答えはノー。

 まず、黒人差別は一見なさそうに見えるが、言うまでもなくアジア人への差別はある。

 と言えば、
「中国人への差別や韓国人への差別なんて昔のことでしょ。今の若い人にとっては、韓国なんて、アイドルグループやコスメなど、むしろ憧れの対象の国だよ。右翼のレイシストにとっては許せないことなんだろうけど(笑)」
と反論されるかもしれない。
 また、中国についても、
「右翼が中国を憎悪するのは、中共政府(※2)を憎んでいるだけで、チャイナ全般を蔑視しているわけでは全くない。むしろ、保守系の知識人ほど儒教や三国志など、いにしえの中華文化をリスペクトしている。その点はコリア憎悪との大きな違いだ。コリアについては、右翼はコリア民族の歴史文化すべてを憎悪しているが、中国については、あくまで憎しみの対象は中共政権だけだ。中国の一般人ひとりひとりを嫌っているわけではない」
と言う向きもあろう(※3)。

 だが、それらはいずれも表層的なことに過ぎない。たとえば、アパートの契約の時、あるいは息子・娘が「この人と結婚したい」と言って相手を家に連れてきた時(※4)、日本人と中国人・韓国人は平等ですか?平等じゃないでしょ?とか、日本人と東南アジア人は平等ですか?平等じゃないでしょ?とか、いくらでも反駁できる。


 そして、ここからが本題だが、アジア人への蔑視は昔から普通にあるとして、では黒人差別というのはどうなのか?「黒人差別をなくす会」なんて名乗って、当事者適格なき日本人が調子こんでステレオタイプ摘発をしなければいけないほど、日本では黒人は蔑視されてきたのかどうか。・・・

 その場合、日本には中国人やコリアン(※5)の差別はあっても、あるいは東南アジア人への差別はあっても、または琉球人や北海道先住民(いわゆるアイヌ)への差別はあっても、アフリカ系の黒人への差別はあまりない・・・と言われることが多い(※6)。

 なぜか。
 こんな仮説はどうだろう。
 移民や出稼ぎ労働者はアジア人が多いが、黒人は米兵などが主だからだ、と。
 アジア人は「社会の底辺」として蔑視の対象だが、宗主国アメリカの軍人様は畏敬の対象だ、と。
 あるいは、駐留米軍の人でなくとも、日本人が日常的にテレビなどで見知る黒人といえば昔から助っ人野球選手やミュージシャンなど、憧れの職業の人という場合が多い、と。
 そんな好印象のせいか、よくバブル期には、六本木で黒人が日本人ギャルにモテモテ、なんていう現象が散見され、それを老人男性がよく嘆いていたぞ、と。

 だとしたら、「黒人〇、アジア人×」というのは、人種差別問題ではなく、職業、あるいは国籍の差別なのではなかろうか(※7)。


 だが、この話はこの先が眼目である。
 なるほど、米国籍の、いわゆる純粋な黒人への差別は基本的にないかもしれない。アジア人に対してと違って。
 しかし、黒人とのハーフである日本人への差別は間違いなくあるところが興味深い。

 古い日本映画で『キクとイサム』(1959)という、「米兵の落とし子」である黒人とのハーフの子どもが受ける差別を直視した名作を見れば、簡単にわかる。
 またはフィクション作品に依らずとも、元女子プロレスラーのアジャ・コング氏の子ども時代の話に耳を傾ければ、日本国内において黒人の血が入ったーそれゆえ見た目が一般日本人と全く違う―子どもが日常的にどれだけ迫害を受けてきたかがよくわかる(※8)。

「日本人にとって、アメリカ人であれば、白人でも黒人でも大差はなく、どちらも国籍優劣意識の立脚点でアジア人よりずっと上。だから、日本では黒人差別はない」
 それは一見その通りだが、しかし日本国籍のハーフだと、白人ハーフと黒人ハーフとでは、ものすごい大差がある。そこが興味深いところ。違うとは言わせない。

 想像してみよ。
 もし就職の面接で、日本人名前の履歴書の学生が、来てみたらハーフだったとしたなら、と。
 そしたら、その学生が滝川クリステルだった場合と大坂なおみだった場合とで、どっちが採用されやすいか。あるいはウェンツ瑛士と副島淳ではどっちが採用されるか。トリンドル玲奈と青山テルマの場合では(※9)。・・・・・・

 だから、私は冒頭で紹介した「日本には黒人差別がない!」という物言いに、余計なお世話ながら引っ掛かりを感じた・・・と、まあ、そんな話である。


 スゲーどうでもいい雑談だな、所詮お前の「感想」だろ、と言われればそれまでだけど。



(※1)

 ちなみに、個人的にはリー・モーガンはマイルスやブラウニーより好きだしー最も好きなトランぺッターと言ってもいいぐらいだー、ショーターも好きなサックス奏者の一人である(ショーターは比較的最近亡くなったが、学会員である職場の先輩に追悼メールを送った)。
 ブレイキーのジャズメッセンジャーズでは、モーガンとショーターの時期が実際、ベストメンバーだろう(あの『モーニン』(1958)の時のメンバーももちろんいいが)。同時期の『ヒアズ・リー・モーガン』(1960)というモーガン名義のアルバムでも、親分たるブレイキー御大がサイドに回って好サポートをしており、親しみやすいアルバムである。
 それから、ブレイキーバンドとは関係ないが、モーガンの『サイドワインダー』(1963)のタイトル曲なんてのも、昔、ものすごくハマったものである。これは何ておもしろい音楽なんだ!と。バリー・ハリスをはじめとするサイドメンバーもとてもいいが、やっぱりセッションリーダーたるモーガンのソロプレイが最高である。「サイドはいいんだ、おとなしくしてりゃ」と言わんばかりの白熱のアドリブが(ちなみに同曲は、ジャズでは非常~に珍しいフェイドアウトで終わる曲である)。
 その他でも、『ソニックブーム』(1967)あたりも地味にいいアルバムだし、サイドマンとしての参加作でも、有名なコルトレーンの『ブルートレイン』(1957)があったり、私の大好きなジョニー・グリフィンの『ブローイング・セッション』(1957)があったりもするが、まあ、それでもやっぱりモーガンで一枚だけ選ぶとしたら、『キャンディ』(1957~58)かな。
 トランペットの単管カルテットアルバム全ての中でナンバーワン、かもしれない(そもそもトランペットのワンホーンものというのは、サックスのワンホーンものに比べて絶対数が少ないけど。ちなみに、『キャンディ』以外のトランペットの単管カルテットものだと、私はブルー・ミッチェルの『ブルース・ムーズ』(1960)なんて大好き)。


(※2)

 「中共」は差別用語だ!とか言ってくる人がいたら面倒くさいので、念のため説明しておくと、「中共」は「中国共産党」の略称で、本来は別に差別用語ではない。
 「中共政府」、「中共政権」とは、「中国共産党政府」、「中国共産党政権」という意味である。
 昔の(日中国交正常化前の)新聞がよく、「中華人民共和国」の略称として「中共」を使っていた(ちなみに台湾当局の当時の呼称は「国府」)ことから、高齢者の中には、「中共」=中華人民共和国の略称にして蔑称、と思っている向きが多いが、上述の通り、本来「中共」は中国共産党のことであり、中華人民共和国のことではない。


(※3)

 もともと政治的な賛否と文化・民族・歴史などの好悪は全く別である。
 孔子や荘子が好きだからと言って、現代中国なり現代台湾なりの政権を支持する必要は別にない。項羽と劉邦や三国志演義に興味があるからと言って、毛沢東や蒋介石の賛美者になる必要ももちろんない。景徳鎮の陶磁器や王羲之の書のコレクターの人も、杜甫や李白の詩のファンの人も、中華料理が好きな人も、麻雀が趣味の人も、習近平を支持する必要は全くないし、同様に台湾の蔡総統を支持する必要も別にない。どれも当たり前すぎるぐらい当たり前のことである。
 同じく、ジャズが好きな人やメジャーリーグが好きな人、ハリウッド映画が好きな人だって、ブッシュ・ジュニアのイラク侵攻を批判したり、トランプの移民排斥政策を批判する自由は当然ある。
 だから逆に、もしあなたの近くのアメリカ人が、寿司やウォシュレットを絶賛する一方で、真珠湾攻撃や原爆投下については伝統的な「アメリカの立場」を表明したからって、失望する必要も別にない。というより、寿司やウォシュレットを絶賛したからと言って、ケント・ギルバートみたいに日本の右翼に都合のいい(荒唐無稽な)ことを言ってくれるだろうなんて期待するほうがおかしい(笑)。
 トルストイが好きな人、チャイコフスキーが好きな人、ロシア民謡が好きな人を、それだけでアカだと見なしてマークしたがった昔の公安警察と同じぐらいぐらい愚かだ(笑)。


(※4)

 ハリウッドの古典映画『招かれざる客』(1967)は、自分の娘が結婚相手として連れてきたのが黒人だったということに戸惑う白人夫妻の話である。
 この映画のポイントは、主役の夫婦が二人とも、決してレイシストではなくむしろリベラル派であるというところ。一般論としては人種差別反対、だけど、わが子の結婚相手は・・・という、福澤諭吉みたいな「本音と建て前」論が、普遍的「あるある」となる。
 翻って、われわれも、マイノリティの差別はいけない、LGBTQの差別はいけない、と他人事のレベルでは言えるが、じゃあ息子がオネエになったら嬉しいか、娘がオナベになったら嬉しいかと言われると、「それはそれ、これはこれ」だろう。結婚相手の話ももちろんそう。あなたの息子や娘が、異性婚をするのと同性婚をするのとで、どっちが嬉しいか、と。
 ちなみに、上記に触れた福澤諭吉の話というのは、以下のような小噺である。まあ、一種の都市伝説のようなものかもしれないので、真偽のほどは保証しかねるが。
「福澤諭吉先生といえば、『門閥制度は親のカタキでござる』、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と、身分制度を否定し、人間の生まれながらの平等を説いた偉大なる思想家です。で、そんな福澤先生が功成り名を遂げた後のお話。ある日、娘さんが福澤のところに来て、こう言いました。『お父さん、私、結婚したい人がいるんです』。もとより進歩的な福澤先生。『お前の結婚相手はわしがもう決めてある』などとは言いません。『おお、そうか。そいつはめでたい。で、どんなやつだ?』と、笑顔で娘に聞きました。『はい。ご自分で手広くご商売をなさっている方で、若いけどとっても立派な人なんです』。それを聞いた福澤は眉をひそめ、こう言いましたとさ。『何?商人だと?いやあ~、そいつはいかんなあ~。やっぱり、わが家の婿には、武士の家系じゃなきゃ』と」


(※5)

 『帰ってきたウルトラマン』の33話「怪獣使いと少年」は、小谷野敦氏もかつて書いていた通り、『ウルトラQ』から現在に至る全てのウルトラ作品の頂点に立つ一編であるが、これは在日コリアンへの差別を描いた作品と、しばしば見なされる。
 宇宙人の人間体の名前が「金山さん」というのが、その象徴か、とよく言われる。鈴木さんでも佐藤さんでもなく、田中さんでも中村さんでもなく、わざわざ「金山」さんと名付けているのは何か意味があるだろうと。まあ普通そう思うよね。
 そして、ヒステリックに暴徒化した自警団が「金山」を追い詰める姿は、今からちょうど100年前、1923年9月に起こったあの災害の時の事件を否が応でも連想させるわけで。


(※6)

 日本人は、「外国人が日本スゴいと絶賛!」みたいな話が大好物で、日本の観光地を訪れる外国人にインタビューするような番組も大好きだが、そんな時、インタビューを受けるのは大抵白人である。
 中国人などは見た目が日本人と区別つきにくいからということもあろうが、欧米人様に日本スゴいとおっしゃっていただくのとアジア人どもにそう言われるのとでは価値がまるで違うから、というのも否定しがたい。
 とともに、意外とそんな時、黒人もインタビューを受けていない。それは日本人の中で白人に言ってもらう「日本スゴい」と黒人に言ってもらう「日本スゴい」ではありがたみが違うから・・・と仮説を立てたくなってしまうところだが、そう決めつけるのは早計であろう。
 というのは、現に箱根あたりに行けばわかるが、観光客として訪日しているのはたしかに白人がほとんどで、黒人も東南アジア人も実際問題とても少ないのである。なぜかというその答えは意外と簡単。たっぷりバカンスを使って海外旅行を楽しめるような「いいご身分」の人たちは、イコール白人ということだ。


(※7)

 実際には黒人がみんなアメリカ国籍だとは全然限らないのだけれど、われわれは黒人を見ると、無意識に「アメリカ人」だと思うだろう。


(※8)

 子ども、とくに小学生は人と違うことを恐れるとともに異質な者を排除しがちなものである。人と違うことをよしとする自我の目覚めは中二病以降、高校生ぐらいの頃になる。
 そして、実を言うと、子ども社会において、排除される異形の者としてのハーフというのは、黒人とのハーフに限らない。
 大人の場合であれば、白人とのハーフというのはむしろ憧憬ポイントだが、子どもの場合は白人ハーフでもいじめられることがある。歌手の故・川村カオリなんてそうだったらしい。あるいは、草刈正雄も子どもの頃はいじめに遭っていた・・・かもしれない。もしかしたら。
 一方で、両親ともコリア国籍の在日コリアンなんかは、日本名を名乗っていれば、周囲は気づかないからいじめられない、なんてこともあるはず。金田とか金子とかいう名字は・・・なんて詮索するのは大人だけで、子どもはあまり知らないだろう。


(※9)

 これが人種観の問題なのか、それ以前の広義のルッキズムの問題なのかは意見が分かれるところか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 星空に愛をこめて | トップ | 覚えているかい、少年の日の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治・経済・社会・時事」カテゴリの最新記事