3 そして私立高校のような公立高校
最初の話題とは逆に、私立高校みたいな公立高校というのも、地方中心に意外とある(※39)。
典型例として、和歌山県立の名門・桐蔭高校。神奈川の私立の桐蔭学園とも(※40)、甲子園で有名な私立の大阪桐蔭とも別の学校。戦前は普通に県立一番校の旧制和歌山中だったのに(※41)、なぜこんな名前にしたのかと思うところだが、漢籍由来の由緒ある名前であるとともに、戦前の中等教育学校の教員を数多く輩出した旧東京高等師範学校(後の東京教育大、さらに後の筑波大)の寮の名前に起源があるらしい(※42)。そして、この和歌山県立桐蔭高校に次ぐ伝統進学校の和歌山県立向陽高校もやや私立っぽい名前の公立である(※43)。
なお、調べてみると、和歌山県立和歌山高校という学校も、それはそれでしっかり存在しており、よそ者はこっちを伝統ある県一番校だと勘違いしちゃいそうだが、こっちは意外と新しい。なぜ後発の職業系高校にそんな紛らわしい名前をつけたんだろうね(※44)。
また、同じ関西には、大阪府立の成城高校という、あの野茂英雄の母校である学校があり、東京の人だったら、私立の成城高校(新宿区)と成城学園高校(世田谷区)があるから、思いっきり私立っぽいと感じるに違いない(※45)。
他地域だと、地元では知らぬ人がいない名門県立一番校だが、博多の修猷館(しゅうゆうかん)高校あたりもよその人は私立だと思うかもね(※46)。愛知県豊橋の名門、時習館あたりも。
ちょっと知識のある人なら、この手の〇〇館という校名を聞けば、旧藩校だと察しがつくところだが。もちろん、〇〇館でも東京の郁文館(※47)とか都下八王子の穎明館(えいめいかん)(※48)とか、個性的な校歌が甲子園で話題になった名古屋の至学館みたいな私立もいっぱいあるし、それらは藩校ルーツとは限らないけど(※49)。有名な立命館、国士舘ももちろん私立だしね(※50)。
私立っぽい公立と言ったら、私が昔近所に住んでいた神奈川県立の横浜翠嵐(すいらん)もややそうか(※51)。ここが「横浜高校」でも、実はまあかまわないのだろうが、先述の希望が丘に遠慮したのか。横浜市だと、戸塚区の光陵高校とかもちょっと私立っぽい(※52)。当初は地名をとって権太坂高校とする案もあったらしいが、カッコ悪いからやめたという話を聞いたことがある。今だったら、そっちの名前のほうが、駅伝の影響で、「ああ、権太坂。あそこね。ごぼう抜きね」と、関東の多くの人に通りがよかったろうけど(※53)。
今は改組されて消えてしまった校名だが、東京都立大泉学園高校というのもかつてあって、都立で唯一の「学園」だった(※54)。「学園」、「学院」といえば私立、というのが相場なのに(※55)珍しいな、と思ったら、どちらかというと、「大泉/学園高校」ではなく、「大泉学園/高校」だったらしい。つまり、大泉学園町に存在し、西武線の大泉学園駅を最寄りとする学校だから、大泉学園高校となった(※56)、というあくまで地名+高校だったようで(※57)。
そういえば、埼玉に伊奈学園総合高校という県立がある。これは何でこんな名前なんだろうね。
そして、「学園」、「学院」といえば、欠かせないのが、京都工学院高校。名前だけ聞くと、二流の私立理工系大学の付属校みたいだが、これは京都市立の公立高校である。実は何と、昔の伏見工業高校が今はこのように改名されているのだ!そう、アラフィフ以上の人にはおなじみの、「泣き虫先生」の「川浜高校」が今はこんな名前になっちゃっているのだ(※58)。
他では、東京工業大学や東京医科歯科大学が国立であることは、知っている人は誰でも知っていることだが、高等教育に縁のない人は案外知らずに、私立だと思っちゃうかもね(※59)。
ついでに国立っぽい公立には、東京都国立(くにたち)市(※60)の都立の国立(くにたち)高校という公立なんだか国立(こくりつ)なんだかわかりにくいが非常に優秀な進学校があって、はるか昔、奇跡的に甲子園に出たこともある学校だが、それは余談。その近くに国立(くにたち)音大という私立の音大もあり、これもよく国立(こくりつ)音大と間違われるが、わざとだろうか(※61)?
そういうことでんまず。例によって話は全然まとまってないが。
(※39)
「僭称」ではないが。
(※40)
横浜郊外の私立の桐蔭学園は、90年代の早慶のキャンパスでは、「石を投げれば桐蔭出身者に当たる」と言われたぐらいに、質より量で進学実績を上げていた、勢いのあった学校であり、甲子園でも常連校だったが、いつのまにか衰退したらしい。野球も含めて。
(※41)
ちなみに、旧制和歌山中の時代の卒業生に、あのプロ野球史上最高の名監督、西本幸雄氏がいる。
県立一番校出身のプロ野球選手なんて珍しい・・・と思ったら、20世紀の名監督の先輩・三原脩氏、後輩・古葉竹識氏及び森祇晶氏もそうだったし、「名は体を表す」ような中日のセンター・中もそうだし、静岡高校なんて普通にいっぱいいるね。
昔は勉強のナンバーワン校とスポーツのナンバーワン校が一致することは珍しくも何ともないことだったのだろう。
(※42)
ちなみに、旧東京高等師範学校(後の東京教育大、さらに後の筑波大)の同窓会が「茗渓会」で、その同窓会が設立に携わった、「同窓会立」とでも言うべき私立校が、筑波大のすぐそばにある茗渓学園。ここの卒業生が大学時代の学友にいた。
昔、私が学生時代に読んでおもしろかった『帰国子女/新しい特権層の出現』(ロジャー・グッドマン/清水郷美、長島信弘訳/岩波書店/1992)という本の舞台になった学校でもある。
こういう同窓会立の学校も意外と多くて、女子校の最高峰・桜蔭がそうだし、昔々友達がいた東京・世田谷の鷗友学園なんかもそう。
関西だと、金蘭会という春高バレーで有名な学校が、やはり同窓会立である。金蘭会高校という名を最初に聞いた時は「龍神会」みたいな「組」が作った学校かと勘違いしたものであるが(←アホかw)。
(※43)
こちら、和歌山県立向陽高校は旧制海草中。昔の高校野球(戦前は中等野球)に興味のある人には、伝説の大投手、故・嶋清一の学校として知られる。
さらに余談ながら、愛知県にも向陽高校という名の公立高校があり、こちらも名古屋の人なら誰もが知る中京地区有数の進学校で、故・岡田有希子の在学していた高校でもある。
(※44)
ちなみに広島県に「県立広島高校」という学校があり、ここが戦前以来の県立一番校・・・かと思いきや、そうではなく、ここも「和歌山高校」と同じく意外と新しい学校で、しかも所在地も広島市内ではないから、和歌山高校ともども、公立だけど僭称的な匂いがする学校という変わったケースである(本来「県立広島高校」を名乗るべきだった学校は広島国泰寺高校)。
(※45)
なお、東京南西部でお坊ちゃん学校として親しまれている私立の成城学園は、成城という町にあるから成城学園なんだ、とよく誤解されるが、実は逆で、成城学園のある町が成城という町名になったという順番なんだよね。
今の私立成城学園は、旧制成城中学(陸軍士官学校への進学者が多かったことで有名)の小学校部門が独立して、そのあと自前の中高大を作ったもので、袂を分かった親の旧制成城中の後裔である私立成城中学・高校は今も新宿区の牛込地区に全く別個に存在している(なお、「成城」の名自体は地名由来ではなく、よく混同される「成蹊」と同じく漢籍由来←漢籍由来の学校名は、私立中心にかなり多い。既に本稿でもいっぱい出てきているが、それ以外にもあまたあるはず。ヒマな人は調べてごらん)。
(※46)
ちなみに、福岡県の場合、福岡県立福岡高校という学校もしっかりあり、そっちも戦前以来の優秀な進学校なので、そっちのほうを県最古の一番校だと思っちゃいそうだが、歴史的には修猷館のほうがより古く、明治時代以来の名門となる(同じ九州で、済々黌(せいせいこう)高校と熊本高校の関係と同じ)。私の昔の恩師はこの修猷館のOBである。
さらについでながら、前に触れたが、福岡市には博多高校という私立高校もあって、福岡市の代表駅が新幹線の終点の博多駅で、都市自体も「博多の町」と呼ばれることが多いから、ここが県立一番校と勘違いする人も出そうな校名だ。
(※47)
たしか、ここは財界出身の儲け至上主義経営者が教職員を恐怖支配する、ブラック企業みたいな学校だと聞いたことがあるが、本当なんだろうか。
(※48)
私が学生時代に思いを寄せたひとで、穎明館高校の出身の人もいたっけか。・・・
(※49)
たとえば、都立の桜修館という学校は、いかにも江戸時代の学問所に由来していそうな名前だが、実際は旧東京都立大付属高校が、都立大が一時期「首都大学東京」という変な名前になって改組されたのを機に、新たにそれらしい校名をつけただけの「何ちゃって館」。
(※50)
こういった古風な学校名の私立は、レベルはマチマチだが、近世・近代の学問所が起源ということが多い。藩校〇〇館→県立、私塾〇〇館、〇〇塾、〇〇堂、〇〇社→私立という流れね。
言わずと知れた慶応義塾や同志社や立命館、それに順天堂に津田塾などがまさにその典型例だが、他には東京において、長年二流ないしは三流の学校と見なされていながら、21世紀にがんばって進学校化した攻玉社なんかもそう。
私が大学で教育史の講義を聴いていたときに、その先生が、「今(1990年代)は残骸があるにすぎませんが、攻玉社という学校も、もともとは慶応義塾や同志社のような存在になっていてもいいぐらいの、そういう可能性のある学び舎だったんですよ。今、慶応義塾と攻玉社を同格と見なす人はいないでしょうけどね」と、すげー失礼なwことを言っていたのを思い出す。
(※51)
たまたま私がこの学校の近所に住んでいた頃によく鑑賞していた『涼宮ハルヒ』の高校が同じような高台の県立共学高校だったので、私の中では、この翠嵐高校は、勝手にSOS団イメージである。
(※52)
ここも前掲の希望が丘高校、翠嵐高校とともになかなかの進学校だが、こちらは戦後生まれの意外と新しい学校。
(※53)
ところでーこれはもしかして前に書いたかもしれないがー首都圏では箱根駅伝が正月の風物詩だけど、全国的にはどうなんだろうと毎年思う。
関東地方の大学ばかりが出ている大会を見せられたって、全国の人にとってはおもしろくも何ともないんじゃなかろうか。それとも、大学は高校までに比べて、もともと地域色が薄いから別に大学所在地が関東偏重でもそんなことはどうでもいいだろうか(そういえば、私が子どもの頃に日曜の朝、『ラブアタック』という大阪ABC制作の視聴者参加番組が首都圏のテレ朝でも流れていて、出場者はみんな関西の二流・三流私大の学生ばかりだったっけか)。
(※54)
なお、地元の練馬区立の学校としての「大泉学園小学校」、「大泉学園中学校」は現在もある。また、学園のつかない大泉高校という都立高校もあり、こっちのほうはなかなか優秀な学校だったと記憶している。
(※55)
とくに「学院」はミッション系が多い。もちろんそうでない学校もいっぱいあるが。
(※56)
じゃ、ちょっと待てよ!成城学園があるから成城学園前駅とかっていうのが普通の順番だろ。大泉学園町にあるから大泉学園高校、っていうんじゃ、だったら、その大泉学園町という町名はどんな学校名に由来しているんだよ??と、普通は思うよね。
これは調べてみたら、西武鉄道が東急東横線の日吉あたりの事例を真似て、沿線のこの地に学校を誘致して文教都市を作ろうと画策して、それに備えてフライングで大泉学園という駅名をつけたということらしい。「筑波研究学園都市」みたいな感じかね。
ところが、結局これといった大きな大学や旧制高校の移転はならず、フライングの駅名だけが残ってしまったという、やや間抜けな経緯だったらしい。ちょうど新宿の歌舞伎町という町名と同じパターンね(ここで、千葉県のユーカリが丘線の「女子大駅」を連想する人は、相当なマニアだ(笑))。
(※57)
実は地名由来の学校名という通常の順番と逆に、学校名から地名が付く、あるいは学校名からまず駅名が付いて、その駅名によって地名が付く、という逆の順番をたどるケースも少なくない。
たとえば、先述の通り、成城学園と成城学園前駅、そして世田谷区成城という町名の関係についてもそう。有名な目黒区自由が丘も学校名(「自由ヶ丘学園」)→駅名→町名の時系列順。あと、これは町名にはなっていないが、大泉学園と同じ西武沿線で、都立鷺ノ宮高校という学校の旧称が「都立家政」の駅名の由来だったりもする。
都内以外では、埼玉県本庄市の「早稲田の杜」は、早稲田大学の付属校があるから付いた地名だが、何だか渋谷区の「恵比寿」みたいな商品あやかり地名という感じで、その改名のせいで本来の歴史的伝統的地名が消されたのかと思うと、文化的視点からは全く感心しない事例である。もちろん、それは自由が丘や成城にも言える話として。
(※58)
定時制のほうだけは一応「伏見工業高校」の名前が残っているらしいが。
(※59)
それに、旧国立一期校の社会科学系難関大である一橋大学も、戦前の校名「東京商科大学」と聞くと、私立大学だと誤解しちゃいそうだ。
大平正芳のプロフィールで「東京商科大学卒」なんて書いてあるのを見て、よくぞまあ、二流の私立大から総理大臣になったもんだと、勘違いして感心したりとか。
(※60)
東京都国分寺市と立川市の合成地名で国立(くにたち)市、というのは首都圏の人にはわりとよく知られた起源だろう(厳密には駅名がまず先行して市名は後追い)。
首都圏でいうと、国立市や東京都大田区(大森区+蒲田区)、東京都昭島市(昭和町+拝島村)、千葉県習志野市津田沼(谷津+久々田+鷺沼)のような合成地名は、楠原佑介氏が「地名を合成するな!」と怒っていた通り、決していいとは言わないが、それでも、「さくら市」や「みどり市」(本当にあるんだ、これが。笑っちゃう・・・というか、本当は笑えない話だが)といった「これはひどい」系バカ市名よりはよほどマシ、もちろん、僭称地名の「四国中央市」や、それすらも超越した日本一の僭称アホ市名「中央市」(わが目を疑うところだが、本当にそんなクレージーな市があるのだ。法的には阻止しようがなかったんだろうが、それでもこれは阻止すべきだったのではないか?どこの県にあるかは、アホらしすぎて解説する気にもならんので、ググっておくれ)よりもずっとマシ、「南アルプス市」や「つくばみらい市」や「伊豆の国市」、あるいはこれも僭称市名の「坂東市」や「奥州市」よりも当然マシ、ということで、「もっとひどい事例」がいっぱいあるがゆえに、相対的にそんなにはひどいと思えないという感じだったりする。
(※61)
そういえば、全国で横浜国立大だけー文科省管轄外の省庁大学校は別としてー何でわざわざ「国立」とつくかというのも不思議なところだが、これは戦後の学制改革で旧制師範学校や旧制専門学校が新制大学に昇格する時に、「横浜大学」の名を公立の現・横浜市立大と私立の現・神奈川大と争奪戦した結果、最終的に折り合いがつかず、どこも名乗れなくなっちゃったという、誰も手を離さなかった大岡裁きのようなカッコ悪い経緯らしい。
そこにつけこんで・・・かどうか、ずっと後年、前出の桐蔭学園が横浜の外れの田舎に自前の大学を作る時に、「桐蔭学園横浜大学」と名付けていて(今は「学園」がとれて、ただの「桐蔭横浜大」)、これはまあ、ちゃんと法人名をアタマにつけているからまだ良心的なほうだが、それでも僭称には違いないな。
さらに本題からそれるが、同じ神奈川県内の川崎市の外れに「田園調布学園大学」というのもあって、これはもともと大田区の田園調布エリアでー厳密に言うと学校所在地は大田区田園調布ではないけどー「田園調布学園中学・高校」(旧調布中学・高校)を運営する調布学園という学校法人(既出)が作った大学だからだが、大学に関しては少なくとも田園調布という場所とは全然関係ないのだがなあ。
ただ、多摩地区にある「早稲田実業」ー今や普通科しかないのに、この校名なのも、どうかと思うが(大体大浪商?)それはさておきーみたいに、世間はどうしても、親法人や親大学の名に従っている命名ならやむなしと許容しちゃうのよね。
本当はね、たとえば慶応とか明治とか立教とか法政とか地名に依らない校名なら全国どこにあっても慶応は慶応、立教は立教だけど、早稲田みたいに地名由来の校名は全国どこに行っても、と言っちゃっていいのかどうか、多少疑問だけどね(だからこそ、新宿区早稲田の地元の公立小学校として「早稲田小学校」というのがあって、それが学校法人早稲田大学と何の関係もないからと言って、早大側が文句を言うことはできまい。何しろ東京専門学校が早稲田大学になるより前から早稲田小を称していたのだから。あと、中央大学も狭義の地名由来ではないものの、やはり八王子の山奥で「中央」は違和感がある。・・・とは、半世紀近く前に移転した頃からずっと言われ続けている話。だから、今では大学紛争を機に「疎開」したことを悔いているのか、いろいろな形で都心回帰をはかろうとしているようだ)。
最初の話題とは逆に、私立高校みたいな公立高校というのも、地方中心に意外とある(※39)。
典型例として、和歌山県立の名門・桐蔭高校。神奈川の私立の桐蔭学園とも(※40)、甲子園で有名な私立の大阪桐蔭とも別の学校。戦前は普通に県立一番校の旧制和歌山中だったのに(※41)、なぜこんな名前にしたのかと思うところだが、漢籍由来の由緒ある名前であるとともに、戦前の中等教育学校の教員を数多く輩出した旧東京高等師範学校(後の東京教育大、さらに後の筑波大)の寮の名前に起源があるらしい(※42)。そして、この和歌山県立桐蔭高校に次ぐ伝統進学校の和歌山県立向陽高校もやや私立っぽい名前の公立である(※43)。
なお、調べてみると、和歌山県立和歌山高校という学校も、それはそれでしっかり存在しており、よそ者はこっちを伝統ある県一番校だと勘違いしちゃいそうだが、こっちは意外と新しい。なぜ後発の職業系高校にそんな紛らわしい名前をつけたんだろうね(※44)。
また、同じ関西には、大阪府立の成城高校という、あの野茂英雄の母校である学校があり、東京の人だったら、私立の成城高校(新宿区)と成城学園高校(世田谷区)があるから、思いっきり私立っぽいと感じるに違いない(※45)。
他地域だと、地元では知らぬ人がいない名門県立一番校だが、博多の修猷館(しゅうゆうかん)高校あたりもよその人は私立だと思うかもね(※46)。愛知県豊橋の名門、時習館あたりも。
ちょっと知識のある人なら、この手の〇〇館という校名を聞けば、旧藩校だと察しがつくところだが。もちろん、〇〇館でも東京の郁文館(※47)とか都下八王子の穎明館(えいめいかん)(※48)とか、個性的な校歌が甲子園で話題になった名古屋の至学館みたいな私立もいっぱいあるし、それらは藩校ルーツとは限らないけど(※49)。有名な立命館、国士舘ももちろん私立だしね(※50)。
私立っぽい公立と言ったら、私が昔近所に住んでいた神奈川県立の横浜翠嵐(すいらん)もややそうか(※51)。ここが「横浜高校」でも、実はまあかまわないのだろうが、先述の希望が丘に遠慮したのか。横浜市だと、戸塚区の光陵高校とかもちょっと私立っぽい(※52)。当初は地名をとって権太坂高校とする案もあったらしいが、カッコ悪いからやめたという話を聞いたことがある。今だったら、そっちの名前のほうが、駅伝の影響で、「ああ、権太坂。あそこね。ごぼう抜きね」と、関東の多くの人に通りがよかったろうけど(※53)。
今は改組されて消えてしまった校名だが、東京都立大泉学園高校というのもかつてあって、都立で唯一の「学園」だった(※54)。「学園」、「学院」といえば私立、というのが相場なのに(※55)珍しいな、と思ったら、どちらかというと、「大泉/学園高校」ではなく、「大泉学園/高校」だったらしい。つまり、大泉学園町に存在し、西武線の大泉学園駅を最寄りとする学校だから、大泉学園高校となった(※56)、というあくまで地名+高校だったようで(※57)。
そういえば、埼玉に伊奈学園総合高校という県立がある。これは何でこんな名前なんだろうね。
そして、「学園」、「学院」といえば、欠かせないのが、京都工学院高校。名前だけ聞くと、二流の私立理工系大学の付属校みたいだが、これは京都市立の公立高校である。実は何と、昔の伏見工業高校が今はこのように改名されているのだ!そう、アラフィフ以上の人にはおなじみの、「泣き虫先生」の「川浜高校」が今はこんな名前になっちゃっているのだ(※58)。
他では、東京工業大学や東京医科歯科大学が国立であることは、知っている人は誰でも知っていることだが、高等教育に縁のない人は案外知らずに、私立だと思っちゃうかもね(※59)。
ついでに国立っぽい公立には、東京都国立(くにたち)市(※60)の都立の国立(くにたち)高校という公立なんだか国立(こくりつ)なんだかわかりにくいが非常に優秀な進学校があって、はるか昔、奇跡的に甲子園に出たこともある学校だが、それは余談。その近くに国立(くにたち)音大という私立の音大もあり、これもよく国立(こくりつ)音大と間違われるが、わざとだろうか(※61)?
そういうことでんまず。例によって話は全然まとまってないが。
(※39)
「僭称」ではないが。
(※40)
横浜郊外の私立の桐蔭学園は、90年代の早慶のキャンパスでは、「石を投げれば桐蔭出身者に当たる」と言われたぐらいに、質より量で進学実績を上げていた、勢いのあった学校であり、甲子園でも常連校だったが、いつのまにか衰退したらしい。野球も含めて。
(※41)
ちなみに、旧制和歌山中の時代の卒業生に、あのプロ野球史上最高の名監督、西本幸雄氏がいる。
県立一番校出身のプロ野球選手なんて珍しい・・・と思ったら、20世紀の名監督の先輩・三原脩氏、後輩・古葉竹識氏及び森祇晶氏もそうだったし、「名は体を表す」ような中日のセンター・中もそうだし、静岡高校なんて普通にいっぱいいるね。
昔は勉強のナンバーワン校とスポーツのナンバーワン校が一致することは珍しくも何ともないことだったのだろう。
(※42)
ちなみに、旧東京高等師範学校(後の東京教育大、さらに後の筑波大)の同窓会が「茗渓会」で、その同窓会が設立に携わった、「同窓会立」とでも言うべき私立校が、筑波大のすぐそばにある茗渓学園。ここの卒業生が大学時代の学友にいた。
昔、私が学生時代に読んでおもしろかった『帰国子女/新しい特権層の出現』(ロジャー・グッドマン/清水郷美、長島信弘訳/岩波書店/1992)という本の舞台になった学校でもある。
こういう同窓会立の学校も意外と多くて、女子校の最高峰・桜蔭がそうだし、昔々友達がいた東京・世田谷の鷗友学園なんかもそう。
関西だと、金蘭会という春高バレーで有名な学校が、やはり同窓会立である。金蘭会高校という名を最初に聞いた時は「龍神会」みたいな「組」が作った学校かと勘違いしたものであるが(←アホかw)。
(※43)
こちら、和歌山県立向陽高校は旧制海草中。昔の高校野球(戦前は中等野球)に興味のある人には、伝説の大投手、故・嶋清一の学校として知られる。
さらに余談ながら、愛知県にも向陽高校という名の公立高校があり、こちらも名古屋の人なら誰もが知る中京地区有数の進学校で、故・岡田有希子の在学していた高校でもある。
(※44)
ちなみに広島県に「県立広島高校」という学校があり、ここが戦前以来の県立一番校・・・かと思いきや、そうではなく、ここも「和歌山高校」と同じく意外と新しい学校で、しかも所在地も広島市内ではないから、和歌山高校ともども、公立だけど僭称的な匂いがする学校という変わったケースである(本来「県立広島高校」を名乗るべきだった学校は広島国泰寺高校)。
(※45)
なお、東京南西部でお坊ちゃん学校として親しまれている私立の成城学園は、成城という町にあるから成城学園なんだ、とよく誤解されるが、実は逆で、成城学園のある町が成城という町名になったという順番なんだよね。
今の私立成城学園は、旧制成城中学(陸軍士官学校への進学者が多かったことで有名)の小学校部門が独立して、そのあと自前の中高大を作ったもので、袂を分かった親の旧制成城中の後裔である私立成城中学・高校は今も新宿区の牛込地区に全く別個に存在している(なお、「成城」の名自体は地名由来ではなく、よく混同される「成蹊」と同じく漢籍由来←漢籍由来の学校名は、私立中心にかなり多い。既に本稿でもいっぱい出てきているが、それ以外にもあまたあるはず。ヒマな人は調べてごらん)。
(※46)
ちなみに、福岡県の場合、福岡県立福岡高校という学校もしっかりあり、そっちも戦前以来の優秀な進学校なので、そっちのほうを県最古の一番校だと思っちゃいそうだが、歴史的には修猷館のほうがより古く、明治時代以来の名門となる(同じ九州で、済々黌(せいせいこう)高校と熊本高校の関係と同じ)。私の昔の恩師はこの修猷館のOBである。
さらについでながら、前に触れたが、福岡市には博多高校という私立高校もあって、福岡市の代表駅が新幹線の終点の博多駅で、都市自体も「博多の町」と呼ばれることが多いから、ここが県立一番校と勘違いする人も出そうな校名だ。
(※47)
たしか、ここは財界出身の儲け至上主義経営者が教職員を恐怖支配する、ブラック企業みたいな学校だと聞いたことがあるが、本当なんだろうか。
(※48)
私が学生時代に思いを寄せたひとで、穎明館高校の出身の人もいたっけか。・・・
(※49)
たとえば、都立の桜修館という学校は、いかにも江戸時代の学問所に由来していそうな名前だが、実際は旧東京都立大付属高校が、都立大が一時期「首都大学東京」という変な名前になって改組されたのを機に、新たにそれらしい校名をつけただけの「何ちゃって館」。
(※50)
こういった古風な学校名の私立は、レベルはマチマチだが、近世・近代の学問所が起源ということが多い。藩校〇〇館→県立、私塾〇〇館、〇〇塾、〇〇堂、〇〇社→私立という流れね。
言わずと知れた慶応義塾や同志社や立命館、それに順天堂に津田塾などがまさにその典型例だが、他には東京において、長年二流ないしは三流の学校と見なされていながら、21世紀にがんばって進学校化した攻玉社なんかもそう。
私が大学で教育史の講義を聴いていたときに、その先生が、「今(1990年代)は残骸があるにすぎませんが、攻玉社という学校も、もともとは慶応義塾や同志社のような存在になっていてもいいぐらいの、そういう可能性のある学び舎だったんですよ。今、慶応義塾と攻玉社を同格と見なす人はいないでしょうけどね」と、すげー失礼なwことを言っていたのを思い出す。
(※51)
たまたま私がこの学校の近所に住んでいた頃によく鑑賞していた『涼宮ハルヒ』の高校が同じような高台の県立共学高校だったので、私の中では、この翠嵐高校は、勝手にSOS団イメージである。
(※52)
ここも前掲の希望が丘高校、翠嵐高校とともになかなかの進学校だが、こちらは戦後生まれの意外と新しい学校。
(※53)
ところでーこれはもしかして前に書いたかもしれないがー首都圏では箱根駅伝が正月の風物詩だけど、全国的にはどうなんだろうと毎年思う。
関東地方の大学ばかりが出ている大会を見せられたって、全国の人にとってはおもしろくも何ともないんじゃなかろうか。それとも、大学は高校までに比べて、もともと地域色が薄いから別に大学所在地が関東偏重でもそんなことはどうでもいいだろうか(そういえば、私が子どもの頃に日曜の朝、『ラブアタック』という大阪ABC制作の視聴者参加番組が首都圏のテレ朝でも流れていて、出場者はみんな関西の二流・三流私大の学生ばかりだったっけか)。
(※54)
なお、地元の練馬区立の学校としての「大泉学園小学校」、「大泉学園中学校」は現在もある。また、学園のつかない大泉高校という都立高校もあり、こっちのほうはなかなか優秀な学校だったと記憶している。
(※55)
とくに「学院」はミッション系が多い。もちろんそうでない学校もいっぱいあるが。
(※56)
じゃ、ちょっと待てよ!成城学園があるから成城学園前駅とかっていうのが普通の順番だろ。大泉学園町にあるから大泉学園高校、っていうんじゃ、だったら、その大泉学園町という町名はどんな学校名に由来しているんだよ??と、普通は思うよね。
これは調べてみたら、西武鉄道が東急東横線の日吉あたりの事例を真似て、沿線のこの地に学校を誘致して文教都市を作ろうと画策して、それに備えてフライングで大泉学園という駅名をつけたということらしい。「筑波研究学園都市」みたいな感じかね。
ところが、結局これといった大きな大学や旧制高校の移転はならず、フライングの駅名だけが残ってしまったという、やや間抜けな経緯だったらしい。ちょうど新宿の歌舞伎町という町名と同じパターンね(ここで、千葉県のユーカリが丘線の「女子大駅」を連想する人は、相当なマニアだ(笑))。
(※57)
実は地名由来の学校名という通常の順番と逆に、学校名から地名が付く、あるいは学校名からまず駅名が付いて、その駅名によって地名が付く、という逆の順番をたどるケースも少なくない。
たとえば、先述の通り、成城学園と成城学園前駅、そして世田谷区成城という町名の関係についてもそう。有名な目黒区自由が丘も学校名(「自由ヶ丘学園」)→駅名→町名の時系列順。あと、これは町名にはなっていないが、大泉学園と同じ西武沿線で、都立鷺ノ宮高校という学校の旧称が「都立家政」の駅名の由来だったりもする。
都内以外では、埼玉県本庄市の「早稲田の杜」は、早稲田大学の付属校があるから付いた地名だが、何だか渋谷区の「恵比寿」みたいな商品あやかり地名という感じで、その改名のせいで本来の歴史的伝統的地名が消されたのかと思うと、文化的視点からは全く感心しない事例である。もちろん、それは自由が丘や成城にも言える話として。
(※58)
定時制のほうだけは一応「伏見工業高校」の名前が残っているらしいが。
(※59)
それに、旧国立一期校の社会科学系難関大である一橋大学も、戦前の校名「東京商科大学」と聞くと、私立大学だと誤解しちゃいそうだ。
大平正芳のプロフィールで「東京商科大学卒」なんて書いてあるのを見て、よくぞまあ、二流の私立大から総理大臣になったもんだと、勘違いして感心したりとか。
(※60)
東京都国分寺市と立川市の合成地名で国立(くにたち)市、というのは首都圏の人にはわりとよく知られた起源だろう(厳密には駅名がまず先行して市名は後追い)。
首都圏でいうと、国立市や東京都大田区(大森区+蒲田区)、東京都昭島市(昭和町+拝島村)、千葉県習志野市津田沼(谷津+久々田+鷺沼)のような合成地名は、楠原佑介氏が「地名を合成するな!」と怒っていた通り、決していいとは言わないが、それでも、「さくら市」や「みどり市」(本当にあるんだ、これが。笑っちゃう・・・というか、本当は笑えない話だが)といった「これはひどい」系バカ市名よりはよほどマシ、もちろん、僭称地名の「四国中央市」や、それすらも超越した日本一の僭称アホ市名「中央市」(わが目を疑うところだが、本当にそんなクレージーな市があるのだ。法的には阻止しようがなかったんだろうが、それでもこれは阻止すべきだったのではないか?どこの県にあるかは、アホらしすぎて解説する気にもならんので、ググっておくれ)よりもずっとマシ、「南アルプス市」や「つくばみらい市」や「伊豆の国市」、あるいはこれも僭称市名の「坂東市」や「奥州市」よりも当然マシ、ということで、「もっとひどい事例」がいっぱいあるがゆえに、相対的にそんなにはひどいと思えないという感じだったりする。
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そういえば、全国で横浜国立大だけー文科省管轄外の省庁大学校は別としてー何でわざわざ「国立」とつくかというのも不思議なところだが、これは戦後の学制改革で旧制師範学校や旧制専門学校が新制大学に昇格する時に、「横浜大学」の名を公立の現・横浜市立大と私立の現・神奈川大と争奪戦した結果、最終的に折り合いがつかず、どこも名乗れなくなっちゃったという、誰も手を離さなかった大岡裁きのようなカッコ悪い経緯らしい。
そこにつけこんで・・・かどうか、ずっと後年、前出の桐蔭学園が横浜の外れの田舎に自前の大学を作る時に、「桐蔭学園横浜大学」と名付けていて(今は「学園」がとれて、ただの「桐蔭横浜大」)、これはまあ、ちゃんと法人名をアタマにつけているからまだ良心的なほうだが、それでも僭称には違いないな。
さらに本題からそれるが、同じ神奈川県内の川崎市の外れに「田園調布学園大学」というのもあって、これはもともと大田区の田園調布エリアでー厳密に言うと学校所在地は大田区田園調布ではないけどー「田園調布学園中学・高校」(旧調布中学・高校)を運営する調布学園という学校法人(既出)が作った大学だからだが、大学に関しては少なくとも田園調布という場所とは全然関係ないのだがなあ。
ただ、多摩地区にある「早稲田実業」ー今や普通科しかないのに、この校名なのも、どうかと思うが(大体大浪商?)それはさておきーみたいに、世間はどうしても、親法人や親大学の名に従っている命名ならやむなしと許容しちゃうのよね。
本当はね、たとえば慶応とか明治とか立教とか法政とか地名に依らない校名なら全国どこにあっても慶応は慶応、立教は立教だけど、早稲田みたいに地名由来の校名は全国どこに行っても、と言っちゃっていいのかどうか、多少疑問だけどね(だからこそ、新宿区早稲田の地元の公立小学校として「早稲田小学校」というのがあって、それが学校法人早稲田大学と何の関係もないからと言って、早大側が文句を言うことはできまい。何しろ東京専門学校が早稲田大学になるより前から早稲田小を称していたのだから。あと、中央大学も狭義の地名由来ではないものの、やはり八王子の山奥で「中央」は違和感がある。・・・とは、半世紀近く前に移転した頃からずっと言われ続けている話。だから、今では大学紛争を機に「疎開」したことを悔いているのか、いろいろな形で都心回帰をはかろうとしているようだ)。