習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

オール・アバウト・ノム(3)

2020-04-29 09:38:28 | スポーツ



 さて。
 それはさておき。
 野村克也氏の人間性を考えるにあたって、やはり、どうしても避けては通れないのは、先妻との離婚と離婚後の先妻及びその子どもに対する扱いのことか。

 日本では、とかく死んだら「仏」ということで、野村についても、死後は後妻・沙知代夫人とのプライベートのことも含めて賛美追悼文しか出回っていないが、死者を不必要に非難する必要はないにしても、事実は事実として歪めてはなるまい。
 野村が当時水商売をしていた伊東芳枝氏ー後の野村沙知代氏ーと付き合い始めたのと、先妻が別の男性と付き合い始めたとされるのと、鶏と卵のどっちが先かは正確なところは知らない。
 しかし、少なくとも離婚前に野村側がもう当時の沙知代氏と付き合っていたのは事実だから、野村が主張した「妻が浮気したから離婚したのだ」というストーリーは、まあ「話半分」ぐらいのところで、少なくとも先妻だけが全て悪いとは言えまい。


 が、眼目は、離婚に際して野村と先妻のどちらの非がより大きいにせよ、先妻との間に生まれた子どもは何も悪いことはしていないということだ。
 しかるに、先妻との間に生まれた子と、溺愛する後妻の子ーすなわち野村克則氏(※23)ーとの扱いの、あまりの格差は、所詮は他人の家のことだから口出しする筋合いのことではないとは言え、やはりあまりに不当、理不尽、と言いたくなるほどの差別だったようだ。
 これはあまり表立っては報道されなかったが、当時から名球会などの球界関係者がしばしば指摘していたことだ。少なくとも子どもはどちらも自分の子どもだろうにと。片方はあんなに溺愛しておいて、もう片方には、ろくに学費も出してあげず、かわいそうにと。そういったことは、当時の球界人の不特定多数がささやいていた、公然の常識事項だった。

 無論、あくまでプライベートの話なので、野村が偉大なスラッガーだったということ、「勝負の監督」としてヤクルトで成功したということとはまったく別の話だが、あえて記しておく。


 いずれにせよ、私なんかが指摘するまでもなく、存命中の沙知代氏の人間的評判は悪すぎるぐらい悪かったことは事実である(※24)のに対し、前妻の人柄の悪口はほとんど聞かれず、球界関係者はみんな異口同音に「前の奥さんはいい人だったのに、なぜ」と首をかしげていたそうだ(※25)。もちろん、夫婦間のことだから、ノム本人がいいって言うのなら、それ以上は他人が口を挟むことではないが、ただ、それでも、沙知代氏及びノム本人の死後の、前妻とその子どもへの仕打ちのことにはいっさい触れない、「ノムさん&サッチー、理想の夫婦マンセー!」的な記事の氾濫には、違和感があり過ぎる。

 また、今さら古すぎる話ながら、1977年にノムが南海(現ソフトバンク)ホークス監督をクビになったことで、ノムというより沙知代氏が南海球団と黒幕(?)の鶴岡元監督を恨んだのは有名な話で、ノムは「俺をクビにしたから南海球団はダメになったんだ」と主張しているが、まあ、その主張が正しいかどうかはさておき(※26)、沙知代氏が自分の好き嫌いで選手起用にまで口出しをして、その公私混同(※27)の介入のあまりのひどさに球団もノムを切らざるを得なくなったという定説が事実だとしたら、客観的に「悪いのどっち?」は明瞭である。
 が、管見の限り、ノムは上記の定説自体を否定したことはなさそうだ。というより、定説を話題にされたがらなったようだ。であるなら、それ自体は事実として否定しようがなかったということではないか。・・・


 偉大な野村さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。



(※23)
ちなみに、野村克則氏の奥さんとその弟さんは、昔、私のすぐご近所さんだったことがあり、学年こそ違うが同じ小学校だった。


(※24)
たとえば、ノムがオーナーの少年野球チームにおける沙知代氏の傍若無人な「君臨」ぶり-子どもたちの保護者に対する常軌を逸した態度-の凄まじさは、沙知代氏がマスコミを通じて一般に有名人になるよりずっとずっと前から関係者の間では有名だった。


(※25)
おそらく、「なぜ」のあとには「あんなのと」と続くのだと思われる。


(※26)
数字の上では、前任の鶴岡一人が監督をしていた1946年から68年は23年間で11回の優勝。ノムが監督をした1970年から77年は8年間で優勝1回だけ。むしろ、監督が鶴岡からノムになったから南海はダメになったんだとも、言おうと思えば言える。
ただし、優勝するしないは、監督力以前に、いい選手に恵まれているか否かが大前提なので、当然ながら監督の采配が全てではない。


(※27)
公私混同といえば、野村は自分が監督であるという権限を最大限に行使して、スタメンマスクは絶対に自分、四番は絶対に自分、という方針を一切譲らなかったことも問題といえば問題である。
他の人間が監督なら、もともと強くなかった肩が加齢とともにさらに衰えた野村を捕手から一塁あたりに移して代わりに若い捕手を起用して育てたり、打率の悪い野村を四番から外して門田あたりを四番に据えて世代交代、なんてことが当たり前の判断として行われていたはず。
野村兼任監督時代に、鶴岡時代よりホークスの成績が落ちたのは、一つには、「自分が一番大事」、「自分には甘々」の野村がまさに「公私混同」の選手起用をしていたせいもあるのではないか。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-04-30 00:16:01
最後の一文の「無理矢理とってつけた感」がスゲエ(笑)!
おそれいります (miushin4287(筆者))
2020-05-01 05:56:49
あ・・・いや・・・その・・・
はい、まことに恐縮です(汗)。

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