習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

さよならバード

2024-03-09 20:06:32 | 漫画とアニメ
 1980年頃、鳥山明の『Dr.スランプ』の連載が始まった時、手塚治虫は、「とんでもないヤツが出てきた!」と驚愕し、その才能に本気で嫉妬したという。
 藤子・F・不二雄は素で『Dr.スランプ』のファンになり、『ドラえもん』に「アバレちゃん」や「島山あらら」を登場させた。

 鳥山明が出現したときの衝撃。それは、生まれた時から「鳥山明」が当たり前のように存在していた世代以降には、到底想像すらつかないことだろう(※1)。
 アラレちゃんやガッちゃんのかわいさ(※2)。衣裳の趣味の良さ。アメリカナイズされた女性キャラたち(※3)。小道具や車、そして動物たちの大胆かつ小粋なデフォルメデザイン。いい意味で日本らしくない無国籍な風景(※4)。エッジの効いた擬音表現。・・・
 こんな明るくて楽しくてかわいくて、そして何よりハイセンスな漫画が突然出てきたことに、80年代初頭の日本人は、揃って大驚愕したものである。
 当時、小学校低学年だった私も、失礼ながら、それまで夢中だった『ドラえもん』が一気に色褪せて見えたぐらいに興奮したことをよく覚えている。


 鳥山の日本人離れしたその感性はなぜ生まれたのか。
 それは彼が、いい意味で先行の国内漫画の大家の影響から自由であったからだろう。

 両藤子不二雄作品も石ノ森章太郎作品も松本零士作品も永井豪作品も実はほとんど読んだことがなく(※5)、影響もとはトキワ荘グループの漫画でも24年組(大泉グループ)の漫画でもなく、アメコミとハリウッド映画。漫画家の弟子やアシスタント上がりでなく、デザイン事務所出身という、異色の経歴の賜物であろう。
 実は漫画史上の異端児と言ってもいいぐらいかもしれない。
 そんな既存の漫画家が予測もつかないような引き出しを備えている鳥山だからこそ、先に述べた通り、先輩巨匠たちを驚愕させ得たのだろう。


 そして、2024年3月。
 そんな鳥山明氏が逝った。
 70にもならないという、早すぎる死。
 全世界から惜しまれる死である。

 ただ、鳥山氏の場合は、実は本当にガッツリ仕事をしたのは80年頃から90年代の半ばまで。25ぐらいの時から40ぐらいの時まででしかない。
 その後の四半世紀あまりは、ずーっとセミリタイア状態であった。
 その意味では、実は40ぐらいの時に他界していても、「漫画家として」世に遺したものはあまり変わらなかった・・・とも言えるのかもしれない(※6)。
 不謹慎な言い方とは百も承知の上で。

 鳥山明は、手塚先生が畏れ(※7)、藤子F先生が喝采したほどの天稟(てんぴん)の漫画家だが、事実上、まともな連載作は2作だけで燃え尽きてしまった。
 その点、「名作」、「傑作」として、いくつもいくつも連載代表作が挙がる手塚先生とは対照的である。

 だからこそ、私などは昔よく妄想したものである。
 もし、『スランプ』の後、『ドラゴンボール』を10年以上も長期連載なんてせず、単行本2冊ぐらいでコンパクトに終わらせて、その後は、かつての手塚先生や藤子F先生のように、月刊連載を同時複数進行というような形で、いろいろなタイプの作品を見せてくれていたら・・・と。
 その意味で、『ドラゴンボール』のおもしろさは認めつつ、極論すれば、『ドラゴンボール』という作品はー少なくとも修行&バトル編以降はーないほうがよかった、とすら思う。


 なぜなら、鳥山の本質はバトル漫画ではない。絶対にない。と思うからである(※8)。
 バトル漫画なんて、鳥山のような天才でなくても描ける。だが、たとえば短編『剣之介さま』、『空丸くん日本晴れ』のようなシュールで牧歌的なメルヘンは天才・鳥山にしか描けない(※9)。

 かけ声と擬音と効果線しかない後期『ドラゴンボール』なんて、厳しい言い方をすれば、「こんなものは漫画ではない」。と、当時、実際に私は身内のミニコミ誌でそんなふうに書いたことがある。
 不遜にも。

 そして、魔人ブウなんて出さず(※10)、グレートサイヤマン編がずっと続いていれば、どんなに良かっただろう。アメリカンな雰囲気のハイスクール生活を描く漫画なんて、他の二流漫画家じゃ絶対に描けない世界だっただけに、そっちこそ読んでみたかった。ああ、なのに、人気投票で落ちたから「元の木阿弥」のバトルに戻っちゃったのね。あな悲しや・・・と。


 閑話休題。
 比較的最近、マシリトこと鳥嶋和彦氏が実に適切なことを言っていた記事を目にした。
 いわく、
「鳥山先生はセンス抜群で、まぎれもなく何十年に一度の天才。でも、『おもしろい物語を綴る人』ではない。だから、工夫して手綱を繰った」
と。
 まさに至言。
 今さらながら、膝を打った。

 そう。鳥山明の本質は、デザイナーであり、イラストレーターであって、ストーリーテラーではない。

 『スランプ』や『ドラゴンボール』の表紙絵を見ればわかるが、あんなにセンスのいい、上手い、しゃれた、非の打ち所がない・・・いくら褒めようにも言葉が追っつかないほどのイラストを描ける漫画家は空前にして、もしかしたら絶後だろう(※11)。
 そして、それゆえ、手塚先生は本気で畏怖したのだろう。

 だが、鳥山明とは何者かというと、超一流のイラストレーターだが、「物語を作る」ことは、その本分ではなかった。・・・

 最初に鳥山の才能の原石を見出し、厳しく育成し、長年に渡って鳥山作品を最も間近で見て、世界中で一番先に読んで、講評・添削をしてきた立場だから言えることだろう(他の人だと、世界のトリヤマに、そんな失礼なことは恐れ多くて言えまい)。


 改めて考えれば、たとえば、短編の『PINK』(※12)、『Mr.ホー』、『SONCHOH(ソンチョウ)』なんて、作画センスは最高だが、実はストーリー的な価値はほとんどない。身も蓋もない言い方ではあるが、事実として(※13)。

 『スランプ』末期の怪作『駆けずり回る青春』(※14)、中期の『クレージー・ハネムーン』といった作品も、キャラクターやメカや小道具のデザインセンスは完璧だが、物語としての中味は、いったいどれだけあるというのか(※15)。

 「お話として」私がまあまあだと(またまた不遜ながら)思うのは、『スランプ』の「ペンザラシ君」とか、「虎さんの文鳥」、「さようなら摘さん」、そして、オボッチャマンが登場してからキャラメンマン7号との戦いになるまでの淡い恋のパートぐらいだ(※16)。
 『ドラゴンボール』なら、バトルもの移行後だと、ピッコロと悟飯の師弟愛ぐらいだ(※17)。

 手塚先生が、『ブラックジャック』の中からだけでも、「こんな限られたページ数の中で、よくぞまあ、ここまで見事な起承転結で、感情移入させられて、後味もいい、素晴らしい物語を完璧に綴れるものだ!」と舌を巻く作品が両手で足りないほど挙げられるのと(※18)、まことに対照的である。


 実は、鳥山という人は、これまた身も蓋もない失礼な言い方になってしまうが、天才の中の天才でありながら、教養というものとは無縁の人であった。
 ウィキペディアにも、愛知県清須の出身でありながら、地元の英雄・信長についての初歩的常識的知識がないことに鳥嶋和彦が驚いたことが書かれているが、要するにー天才にはありがちなことだがー「興味あること以外は興味なし」が徹底している人だったのだろう。

 映画で言うなら、『スター・ウォーズ』は大好き、スピルバーグも大好き、円谷英二も大好き、ジャッキー・チェンなんて一番好き。・・・
 ・・・でありながら、おそらく、『風と共に去りぬ』(1939)も『市民ケーン』(1941)も『道』(1954)も『東京物語』(1953)も『雨月物語』(1953)も『二十四の瞳』(1954)も見たことがないー見ようとすら思ったことがないーのだろう。
 もちろん、それが悪いと言っているのではない。それはそれでかまわない。香港カンフーとどっちが上とか下とか言いたいわけでもない。

 だが、ともかくも、手塚先生が旧制高校の教養主義の影響で、古典名作に親しみながら育ったのに対し、鳥山明はたぶんシェイクスピアのシェの字とも無縁の人生を貫いた。
 手塚先生は『ファウスト』や『罪と罰』の漫画化という冒険に挑んだが、鳥山明はおそらく『ファウスト』や『罪と罰』や『嵐が丘』や『カラマーゾフの兄弟』のタイトルすら知らないまま逝ったことだろう。ラスコーリニコフ?誰それ?ヒースクリフ?誰それ?なんて。

 いい悪いの問題ではないが、結果として、シェイクスピアのストーリーテリングも近松のストーリーテリングも知らない鳥山には、「見れば見るほどスキのない完璧なセンスのイラスト」は描けても、「噛めば噛むほど味わい深い物語」を紡ぐことはできなかった。

 もちろん、それでもいい。
 物語、ではなく、絵のほうで、鳥山は前人未踏の天才性を人の何倍も遺憾なく発揮したのだから、それでいい。


 おそらく、鳥山氏の急死で、日本国内だけでも、星の数ほどの追悼文がアップされ、どれもこれも、鳥山明の類を見ない天才ぶりを賛美しているだろうから、私のこの駄文は、相対的に鳥山氏を貶めているかのように見えてしまうかもしれない(※19)。

 が、決してそうではない。
 何度も書いた通り、鳥山明の絵の才能は誰が見ても群を抜いている。
 ただ、天才イラストレーターではあるが、天才ストーリーテラーではなかったという厳然たる事実を再確認したかっただけである。



(※1)

『スランプ』単行本1巻の表紙を改めて眺めてみただけでも、キャラの等身、手袋、ボウタイ、傘、ゴーグル、ローラースケートなど、今までの漫画家とは桁違いの非凡なセンスに今なお唸らされる。
今見てもそうなのだから、当時の日本人がどれほど衝撃を受けたかは、後世の人間が想像する以上だった。


(※2)

また、「かわいい」わけではないが、ニコチャン大王なんて、ストーリー云々以前に、もう見ているだけでおもしろい♪。


(※3)

鳥山明の女性キャラの人気投票をやったら、アラレちゃんでもブルマでもチチでもなく、たぶん18号が1位になるのではなかろうか。
たしかに、鳥山作品に出てくるたくさんの女性キャラの、誰にも似ていないオンリーワンなヒロインだから。
私個人は、アラレちゃんも鶴燐ちゃんもヒヨコちゃんもマイもチチもスノもランチさん善もビーデルさんもチョビットもポラもプラモもみんな好きだが、一番好きなのは、『PINK』のヒロインかな。
キャラが好きというより、作品が好きなんだけど。


(※4)

千兵衛さんの家をはじめ、アカネちんの店、タロさの店などのデザインセンスは実に日本人離れしているし、『ドラゴンボール』でもやはりエクステリアのデザインが出色である。


(※5)

そのことは、悟空の声が野沢雅子に決まった時、鳥山がその声を聞き、
「へえ~。よくこんなピッタリの声の人を見つけましたね~。有名なんですか?この人」
と言った(=ということは、『鬼太郎』も『999』も『怪物くん』も知らなかった)というエピソードからも窺える。


(※6)

ジョアキーノ・ロッシーニや大瀧詠一のように。


(※7)

『アラレちゃん』がアニメでお目見えした81年の春の時点で、裏番組に『鉄腕アトム』のリメイク版があり、当時、小学校低学年だった私は、その時まで『アトム』を毎週見ていたのだが、『アラレちゃん』が始まると、途端に『アラレちゃん』に乗り換えた(←薄情者)。私の周りの子どもたちもみんなそうだった。
そして、『アトム』は、一気に視聴率が低迷し、終了に追い込まれた(手塚にとって、『W3(ワンダースリー)』が『ウルトラQ』に敗北して以来の屈辱だったかも)。
そのような事情も手伝って、なおのこと手塚先生が鳥山明を脅威に感じたのだろうと、想像するに難くない。


(※8)

「いたちごっこ」というイディオムの例示説明に、バトル編移行後の『ドラゴンボール』ほど適したサンプルはないかもしれない。
ピッコロ大魔王。ベジータ。フリーザ。セル。魔人ブウ。前の「強敵」を一転して嚙ませ犬にし続ける「戦闘力インフレ」。
本当に愚かしかった。
もちろん、ワンパターンに陥らないように様々な工夫を凝らしていることも、悟空やピッコロがどこから来た者かとというのを綺麗に後付け説明してしまう誤魔化しテクニックの見事さも認めた上で言うのだが。


(※9)

なかんずく、『剣之介さま』、『空丸くん』の、時代考証を意図的に崩した破綻ギリギリのセンスはまさに神業!
とともに、この二作は、ストーリー構成のまとまりも非常に良いのが特徴である。


(※10)

ただ、無邪気なほうの魔人ブウは、いかにも鳥山明ならではのかわいさで、けっこう好きである。
しかしながら、魔人ブウの純粋悪のほうに似たベルゼブブは全然かわいくなくて、私はまったく好きになれない。好きな人には申し訳ないが。


(※11)

漫画本編内だと、私の心に強く残るのは、『ドラゴンボール』で言うと、レッドリボン編に登場する「ジングル村」の描写の素晴らしさである。
「夏が好き」、「冬は嫌い」と公言し、ペンギン村でもカメハウスでも夏のイメージ中心で描く鳥山が、しかし冬の世界を描いたらやっぱり素晴らしかった!やっぱり別格の天才!と、改めて脱帽させられるあたりである。


(※12)

『PINK』自体は、とてもかわいい作品で、とくに最後のコマが大好き。


(※13)

『マッドマチック』あたりも物語的には実に他愛ない。
そして、そもそも「物語」すらあるのかどうかわからないのが超短編『ESCAPE(エスケープ)』。作画センスは文句なしに見事だが、気持ちいいぐらいに中味は空っぽ(笑)。
でも、ここまで空虚だとかえって爽快なぐらいである。決して褒め言葉ではないが、手塚先生には絶対に描けない作品であろう。


(※14)

「駆けずり回る青春」シリーズは、おそらく『スランプ』の終わりが見えた時期における次回作『ドラゴンボール』のための観測気球だったのだろう。そうでなきゃ、アラレちゃんも千兵衛さんもほとんど出てこない、こんな変な回をマシリトが何か月も許すはずがないものね。
そういえば、「オートバイこぞう」みたいな、作者の趣味だけのキャラクターを主役にした回が立て続けに発表されたのも、やはり連載末期のヤケクソモードのなせるわざだったのか(実際、「オートバイこぞう」シリーズは、80年代の鳥山にしては珍しく、全くどこにも評価できる点のない仕事である)。


(※15)

またまた身も蓋もない言い方をしてしまうと、実は鳥山明作品というのは、「訴えたいこと」、「伝えたいこと」が一切ないという、稀有な作品なのかもしれない。
手塚先生の作品みたいに、反戦を訴えるとか、文明批判だとか、エコロジーだとか、そんな「思想」が全くない。
そこが見る人によっては鳥山明の最大の強みであり、また見る人によっては最大の弱点でもあろう。


(※16)

これは、恋愛ものに興味のない鳥山自身にとっては不本意な仕事だったのだろうが。・・・
でも、前掲『PINK』なんて、あんなにほっこりとした愛すべき小品だったのだし、「恋愛ものは苦手」だなんて言わずに、もうちょっといろいろ描いてみてほしかったな、と個人的に惜しく思う。


(※17)

悟飯とピッコロの関係が好き、という「関係性萌え」の向きは私以外にも少なくないはずである。
粗野な男の閉じてしまった心を、子どもの純粋な心が開放する・・・なんてベタな、でもなんて素敵なお話なんだろう!


(※18)

順不同で思いつくところで、「幸運な男」、「上と下」、「再会」、「二人三脚」、「アリの足」、「話し合い」、「ある老婆の思い出」、「帰ってきたあいつ」、「死への一時間」、「ハローCQ」、「ある教師と生徒」、「おとうと」、「小うるさい自殺者」、「おばあちゃん」、「笑い上戸」・・・他多数。


(※19)

こんなもの、わざわざ読みに来る人はどうせいないだろうからいいが、もし見る人が見たら、「炎上」するのかも(笑)。
コメント
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