習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

音楽の海に抱かれて(2)

2011-06-28 19:31:56 | 音楽
 何度でも言うが、長いからと言って敬遠する必要はない。長いなら別に「通し」で聴かなくてよい。歌舞伎と同じで、「通し」ではなく、ハイライトを拾い食い鑑賞したっていい。前に述べたフェリーニの映画と同じく。

 だからこそ、私はブルックナーの「最初に聴いてほしい一曲」としての推奨は第8番からなのである。
「え?8番はブルックナー最大規模の作品だから、普通は4番あたりから入るんじゃないの?」
 いや、違う。今言った通り、「通し」で聴くことを前提としなければ、全曲トータルの長さなんて気にしない。単純に4番より何番より8番が何といっても最も美メロの宝庫である。カッコイイ血湧き肉躍る旋律の宝庫である。何も集中して聴かなくてもいい。読書のBGMでもいい。睡眠導入薬利用でもいい。何たって、第3楽章がいい。四の五の言わず・・・すなわち「解題」することを目指さず、ただその美しいメロディーに体をひたして、気持ちよくなれればそれでいい。音楽の海に抱かれて、それで眠りにいざなってもらえるなら、それもいい。もちろん、第1楽章、第2楽章、第4楽章も実にキャッチーなメロディーの宝庫である。ことによれば、「英雄」や「ザ・グレイト」よりよほど親しみやすい旋律たちなのではないか、とすら思う。

 私のお気に入りの音源はハイティンク指揮、ウィーン・フィルのディスク(1995)である。録音状態の良好さ、高い技術のオーケストラの響きの美しさ、そして「いい音楽を奏でてやろう」という指揮者の誠実さが感じられるところ。それがこの盤を愛聴する理由である。
 次点としてもう一つ挙げるなら、同じオケの音盤、ジュリーニ指揮、ウィーン・フィル(1984)だろうか。ハイティンクもジュリーニも、「この人のを買えば、まず外さない」というふうに私が信頼するマエストロである。加えて、この二枚は楽譜の版が違うので、バージョン違いマニアには聴き比べがおもしろいかもよ、という薦め方もできる。

 それから、第8番以外ではというと、第4番「ロマンティック」もカッコイイ旋律が随所に出てくるし、またまた同じオケでベーム指揮、ウィーン・フィル(1973)というおなじみの定盤・名盤がある。未完の名作・9番ももちろん聴きやすい旋律を豊富に含む。一押しは、ここでもジュリーニ指揮、ウィーン・フィル(1988)。それから、5番も完成度の高い代表作として、よく推奨される。定盤は、ヴァント指揮、ベルリン・フィル(1996)が筆頭だろうか。

 が、親しみやすい美メロ、眠りをいざなうやさしい歌心、ということでいえば、実は4・5・9番以上に第7番のほうを私は好む。音盤は?はてさて、悩むところだが、私は「偉大なる大根指揮者」、朝比奈隆指揮、大阪フィル(2001)が好きだったりする。しかし、これがベストなのだとは思っていない。このあたりは詳しい人に推薦盤を教えてほしいところであるのだが。・・・
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音楽の海に抱かれて(1)

2011-06-27 20:02:44 | 音楽
 アントン・ブルックナーの交響曲は、クラシックのオーケストラ音楽の中でも初心者にやさしい、わかりやすい音楽だ。

 という書き方は、おそらく逆説的かつ挑発的な、何かの冗談という類の物言いととられるかもしれない。普通、クラシック音楽入門といえば、モーツァルトやウインナ・ワルツが推奨されるのが相場で、ブルックナーなんてのは交響曲の中では、古典派、ロマン派の主要作を極めてから後の、さらにマーラーよりももっとマニア向けな高踏交響曲として聴く「交響曲の仕上げ」だと思っている人が多いかもしれない。
 実際、ものの本には、ブルックナーは長大でわかりにくい、しかしいい音楽、と紹介されていることが多い。しかし、長大は事実でも、本当に「わかりにくい」のだろうか。
 なるほど、たしかに速くなったり遅くなったり、静かになったり大音量になったり、気まぐれに脈絡なく曲調が変わって、ベートーヴェンのようには「作品的目的地」が見えづらい、次の展開が読みにくい、というのはその通り。

 しかし、そもそも「わかりやすさ」、「わかりにくさ」とは、それだけなのだろうか。作品の構造なり展開なりが把握しやすいということだけなのだろうか。
 そして、芸術とは「わかる」ことが本当に必要なのだろうか。極論すれば、私は必ずしも「わかる」ことは必須の要件ではないと思う。少なくともわれわれ素人リスナーが余暇にブルックナーを「愉しむ」という限りにおいては。「田園」や「幻想交響曲」のような〈物語〉がないのだから、〈理解〉しようと考える必要がない。だから、〈わかる〉必要もない。〈わかろう〉とする必要もない。考えるな。感じろ。それでいい。というような。
 別の視点からいえば、そもそもいい音楽であればあるほど、「わかりやすい」はずだ、とも言える。無論、とっつきにくくて、しかしいい音楽というカテゴリーがあることは否定しないが、それでも、いい音楽、魅力的な音楽と分類されるものには、親しみやすいものが多い。

 こう書いてなお、「ブルックナーが親しみやすいか?」と眉をひそめる向きは多いだろう。しかし、長いという〈量〉的な問題をおいて、〈質〉の視点から見るとどうだ。まず、「かっこいい音楽」だ。オーケストラが大音量でキャッチーな勇ましい旋律を奏でる。わかりやすいではないか。そして、「美しい音楽」だ。オーケストラが美音でメロディアスな旋律を奏でる。わかりやすいではないか。

 1~4楽章のすべての部分の有機的連関を「考えて」、構造を「考えて」というふうに聴こうとすると、量が多いぶん、飽きてしまう。だから、モーツァルトの交響曲などに比べると、ヘビーで疲れる。・・・イコール、初心者には厳しい音楽だ、と、こんな理屈で敬遠される図式かもしれない。

 しかし、〈質〉の点でいえば、どうか。ブルックナー・ミュージックはリリカルな美メロと、かっこいい勇壮な旋律の宝庫である。モーツァルトの40番、ベートーヴェンの5番、シューマンの「ライン」、ドヴォルザークの「新世界より」、チャイコフスキーの5番、などの系譜と同じである。

 だから、一部のブルックナー信者の妄言にだまされてはいけない。崇高であっても難解ではない。立派ではあってもお高くはない。高品質であっても上級者向けではない。
 それが私のブルックナー観である。


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