習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

どうするのか、家康は(3)

2023-06-12 12:07:58 | テレビ
(3)

 ・・・余談が過ぎた。
 家康以外の話をしすぎてしまったようだ。

 で、話は戻って、『徳川家康』(1983)の滝田栄なんだが。
 NHKが得意とするセルフリスペクトというか、過去大河オマージュで、今回の『どうする』にも、できれば雪斎役で出てほしかった(※39)!
 と思っていたら、まさか太原雪斎自体が出ないとは!桶狭間からいきなり始まるなんて無茶すぎる。とにかく初回からフルに松潤を出したかった=子役時代イラネというジャニーズ忖度か?

 でも、その割りに進度が遅いから、ひょっとして家康が死ぬまではやらない気か?
 まさかとは思うが、最後まで月代(さかやき)を剃らずに若いままなのか??(※40)
 たしかに秀吉も家康も最後までやると、どうしても悪人化は避けられないからな。てゆーか、たしかに誕生から死までの正統派の家康の生涯は、王道の山岡荘八原作で既にやってるもんね。とすれば、変化球ものになるのは必然か(※41)。


 で、その「最後までやるかやらないか」について言うと、信長なら最期まで描いてもキャラが変わらないからいいが(※42)、先述の通り、秀吉と家康は晩年の描き方というのが問題になる。秀吉も家康も最後までやると悪人化が不可避だから、最後までやらないという選択がけっこう多い。
 山岡荘八の家康みたいに、かなりのムリムリ解釈で、強引に聖人君子化で押し通すという荒業もあるが、やはり、秀吉や家康については、最後まで描かず、天下を獲ったあたり=秀吉なら家康を臣従させたあたり、家康なら関ヶ原で勝利したあたりで止めておくのが無難なところだろう。

 秀吉でいうと、大河に限らず、「最後までやらない秀吉」が実際に意外と多くて、柴田恭平(『太閤記』1987)も柳葉敏郎(『天下を獲った男豊臣秀吉』1993)も草なぎ剛(『太閤記/サルと呼ばれた男』2003)も出世するまで限定だった。竹中直人は主役の時(『秀吉』1996)に最晩年まではやらなかったようだから、ずっと後にリベンジで晩年の秀吉をやって(『軍師官兵衛』2014)、長年の宿題をやっつけたのか。緒形拳も最初の時(『太閤記』1965)は、最後が超駆け足だったらしいから、その後の二度目の秀吉役の時に(『黄金の日々』1978)たぶん同じようにリベンジというか、落とし前をつけたんだろう。知らんけど。


 と、そんなこんなで、全く取りとめのない雑談に終始してしまったが、今後の大河ドラマの方向性について、ちょっとだけ私見。
 何でも、来年2024年は紫式部と『源氏物語』の話らしい。そして、さ来年2025年は歌麿、写楽、北斎、広重などをプロデュースした画商の話らしい。
 今まで、本ブログで幾度も「よくもまあ、毎年飽きもせずに、戦国織豊と幕末維新ばかりを・・・」と呆れていたことを思えば、画期的なことである。

 その背景は、おそらく、日本の人口減と経済縮小をふまえ、NHKも海外戦略を考える必要が生じ、それで、実はガラパゴス英雄でしかない三英傑(※43)にばかりいつまでも頼っていては先細りになると痛感したということだろう。それで、ネトフリなどで韓国やその他の海外ドラマの後塵を拝し続けている現状を鑑みて、路線変更を試みようとしているのだろう。
 すなわち、従来型の「戦国オタク」ばかりに向けたガラパゴス大河をやめ、海外セールスを意識して(※44)、紫式部や北斎・歌麿というような、従来の歴オタには歯牙にもかけられなかったが、しかし国際的知名度は三英傑より実はよっぽど上、という素材に触手を伸ばした・・・ということだろう(※45)。

 もしそうであるならば、もしかして、定番の戦国織豊大河は、来年以降、しばらくお休みになるかもしれない。
 それで、もしそのフェアウェル作品が『どうする家康』なのだとすれば・・・そう、はからずも、1980年代なかば、大河ドラマが近現代路線にシフトしようとした時に、従来型歴ドラ路線の最後の記念として、山岡荘八原作の『徳川家康』(1983)が放たれた時とそっくりである。
 戦国乱世を終わらせ、日本に「歴史の夏休み」のような天下泰平をもたらした徳川家康という人物は、やはり「戦国シリーズのフィナーレ」にふさわしい人物だったのか、と改めて痛感する次第である。


 この退屈な稿の最後に、あるとてもバカな人の話を紹介しよう。
 そのバカな人は、勤務先の接待旅行で、2015年頃、静岡に行き、久能山東照宮を参拝した時、そのご本尊(?)たる東照大権現に手を合わせ、こう祈ったんだそうな(※46)。

 笑え。


「偉大なる東照宮様。・・・あなたが全生涯をかけ平和な世の中を作り出し、実際にこの国に200年以上の平和をもたらしたという、その途方もない偉業に改めて敬意を表します。
あなたの子孫がこの国を治めていた200年以上の間、長きに渡って、外国を侵略するどころか、そんな計画を立てたことすらないという偉大な事実に、改めて敬意を表します。200年以上に渡って、日本人の辞書に『戦死』という文字はなかったという史実に、改めて敬意を表します。
にもかかわらず。あなたの子孫から政権を奪った薩長のバカどもは、あなたの教えを破って周りの国々に次々と戦争を仕掛け続け、その挙げ句、世界中を敵にまわし、何百万もの同胞の尊い命と、それから侵略先の国の人命をたくさん奪った末に、国を滅ぼしてしまいました。
そして今、この国で政権を握っているのも、その愚かなる長州人の末裔です。あなたが命をかけ、一生をかけて築いた平和の大切さを忘れ、今またこの国を『戦争のできる国』にしようと躍起のようです。
そんな、あなたに顔向けできないような恥ずかしい歴史を綴ってきたのも、今そんな恥ずかしい低級な人物を為政者に据えてしまっているのも、われわれ後世の日本人の責任です。
今を生きる日本人の一人として、かつて200年以上も平和な国を築いていたあなたの国の人間の末裔の一人として、ただただお詫びする以外にありません。
本当に、本当に、あなたに対し、恥ずかしく思います。
申し訳ありませんでした。
でも、どうか見捨てないで、この列島に生きる私たちを見守ってください。・・・
『男の子が生まれた場合は、わが子とは思わず、陛下からのお預かりものと思え。そして、いつの日か、お国のため、陛下のために兵士として喜んで命を捨てるその日のために、しっかり育てなさい』・・・なんていうような、狂った世の中に、もう二度と戻りませんように・・・」


(※39)

ただ、この人はもう実質的に俳優は引退状態だから、出てなくてもしかたないのだが。


(※40)

これは以前に書いたことの繰り言になるが、とりあえず、戦国織豊期の武将で、総髪の肖像画の人はいないから、時代考証的には月代(さかやき=頭頂部)は剃らないとおかしい、はずだ。
が、けっこう昔から大河においては、「三枚目や年配の俳優は月代を剃って出てくるが、二枚目の俳優は総髪のまま」という慣習が横行している。
これは、「ジャニーズの人にあんなカッコ悪い髪型はさせられない」という悪しきジャニーズ忖度だろうと、私などはかねてから思っているのだが、実を言うと、ジャニーズに限らず、妻夫木聡や堺雅人あたりも史実無視の総髪スタイルだった。
なお、ジャニーズ勢だからと言って絶対に月代を剃らないスタイルばかりということでもなく、『太閤記/サルと呼ばれた男』(2003)で秀吉、翌年の『徳川綱吉/イヌと呼ばれた男』(2004)で徳川綱吉を演じた草なぎ剛は、キチンと月代を剃った姿だったことを念のため付記しておく。


(※41)

でも、この場合は悪人化を避けたいというより、老けメイクを避けたいというジャニーズ忖度だったりして。月代の件といい、本当にジャニーズってのは、日本の映像作品の質を落とすばかりの害悪なのね(嘆息)
https://gendai.media/articles/-/110973
ま、中には、比較的ましな俳優も出てきているけどね、とフォローも。


(※42)

そもそも信長一代記で本能寺までやらないというのは普通はないが、実は先に触れた渡辺謙主演のTBSの正月スペシャルドラマ『織田信長』(1989)が、まさに「最期までやらない信長一代記」だった。


(※43)

幕末維新の「英雄」たちー西郷さん、龍馬、松下村塾、奇兵隊、新撰組、白虎隊などーも、もちろん同様に、知名度はほぼ国内に限られる。


(※44)

『光る君へ』は、国内のオンエア視聴率で言ったら、世帯視聴率もコア視聴率も、たぶんお得意の戦国織豊ものより落ちることだろう。そして、そのことで週刊誌等で叩かれることもあろう。
だが、そもそもそんなことは最初からわかった上での企画であって、力点はそこではないはず。


(※45)

もし仮に、本当にそうだとしたら、紫式部、浮世絵画商の次は、芭蕉とその一門あたり??あるいは親鸞・道元・日蓮といった人たち??(でも、特定の宗教宗派の宣伝になるようなのはダメか)


(※46)

さらについでのついでに、本文で話題の中心となった1983年の大河『徳川家康』の最終回の最終シーンのナレーションを採録しておこう。40年経って、最後のくだりが、ますます耳に痛く響いてくるとは言えまいか。
「75年。まさしく太平の悲願を突き貫いて、久能山に祀られる家康の遺体もまた立って西に臨み、さらに1年後には二荒山(ふたらさん)に移って平和の根になろうという飽くなき祈りの往生である。その凄まじい意志の前に、戦国はひれ伏した。この卓絶した悲願を、後の世の人々がどう受け継いでいったか。それは厳しい歴史の目が裁いてゆくに違いない」
コメント
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どうするのか、家康は(2)

2023-06-11 10:42:58 | テレビ
(2)

 ちなみに、他の織豊時代の大物人物はと言うと・・・
 豊臣秀吉はまず緒形拳が私の中で筆頭である。と言っても、元祖『太閤記』(1965)は、唯一映像が保存されている本能寺回しか見たことがないし、『黄金の日々』(1978)もあまりちゃんと見てはいないので、TBSの松方弘樹版単発『徳川家康』(1988)での印象なのだが、当時中学生だった私は、ここでの緒形秀吉を見て、なるほど、年配者が秀吉と言えば緒形拳、と言うのもムベナルカナと思ったものであった。
 近い時期に同じTBSの新春スペシャルドラマ枠で主人公としての秀吉を演じた柴田恭兵(『太閤記』1987)や柳葉敏郎(『天下を獲った男/豊臣秀吉』1993)より、私の中の秀吉俳優の理想像は、ここでの緒形拳で定まった気がする。柳葉も若い時なら案外良かったが、天下人になってからの秀吉というとイメージできない(※15)。

 他だと、緒形拳を別格とすれば、例の滝田栄版『徳川家康』(1983)での武田鉄矢の秀吉もまあまあだった(※16)が、先述『おんな太閤記』(1981)の西田敏行は既に述べた通り、やっぱり大柄すぎる。

 もう少し後だと、『江』(2011)の岸谷五朗なんて好きな俳優だが(※17)、どうしても馬上天下を取った武人にも関白太政大臣にも見えないな。というより、どうしても16世紀の人物に見えないかなあ(笑)。
 テレ東『豊臣秀吉/天下を獲る!』(1995)の中村勘三郎も大好きな役者だが、やはり貴族顔すぎて、貧農からの叩き上げには見えないし。フジテレビ『太閤記/サルと呼ばれた男』(2003)の草なぎ剛もジャニタレの中では比較的好きなほうだが、ちょっとやさしすぎる感じで、どうしても迫力に欠けることは否めない。

 草なぎと逆に、ワイルドなところだと、一般には『秀吉』(1996)他の竹中直人が人気だが、ワイルドすぎるか。過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし。
 ワイルド系といえば、映画『お吟さま』(1978)では、何とあの三船敏郎が秀吉を演じている。世界のミフネと言えば、押しも押されもせぬスーパースターだが、さすがに三船が信長の草履を懐で温めたりする姿なんて想像できず、どう考えてもミスキャストである(※18)。同様に、同じ邦画黄金時代のスーパースターつながりで、大河『独眼竜正宗』(1987)の勝新もイメージが違う。
 それよりは、晩年限定だが、森繁主演『関ヶ原』(1981)の宇野重吉の秀吉なんて良かった。出番は少ないが。まあ、朝鮮侵攻や秀次一族虐殺なんて、とてもやりそうには見えないけど。


 ついでに石田治部少輔についても触れてみると、三成は、いい三成ならやはり真田広之だろう。松方『徳川家康』(1988)と竹中『秀吉』(1996)と、複数回やっている。若い頃の私は、司馬遼太郎の『関ヶ原』を、真田広之で完全映像化してほしいと、よく妄想したものである。ずっと後に、岡田准一で映画化されたが・・・う~む、岡田は本人は上手いつもりだろうが、申し訳ないながら、私の見立てでは下手だ。
 その『関ヶ原』の映像化では、何度も挙げたTBSの森繁『関ヶ原』(1981)における主人公の三成役の加藤剛が、司馬遼の描くクソ真面目で融通の利かない「KYな正義の人」三成のイメージにピッタリで、実にいいんだが。
 比較的新しい大河だと、『真田丸』(2016)の山本耕史が、ルックス的イメージ整合性はイマイチながらも、「正義の三成」路線で、なかなかだった。
 逆に悪い三成なら滝田『徳川家康』(1983)の鹿賀丈史と『おんな太閤記』(1981)の宅麻伸だろうか。これは本当に悪い奴に見える。とくに宅麻三成は。加藤剛とは実に対照的。他だと、『葵』(2000)の江守徹も、作中では目立つ役だったが、さすがに年をとりすぎだったろうか。


 それから、太閤の正妻の高台院(※19)寧々(※20)はと言えば、やはり主役として1年間演じた佐久間良子(『おんな太閤記』1981)が別格だろう。史実では寧々は秀吉より十以上若くて、秀長や朝日より年下なのだが、佐久間はどういう設定だったのか。作中ではどう見ても秀長(中村雅俊)から年上の義姉のように扱われていたし、実際、佐久間のほうが西田敏行より中村雅俊よりだいぶ年上である(※21)。

 次点はイメージ通りかどうかは別として、同じく主役としての寧々を演じた仲間由紀恵か(『寧々/おんな太閤記』2009)。沢口靖子(『秀吉』1996)じゃ、ちょっとお嬢さんっぽすぎて、イメージ違うし(※22)。『徳川家康』(1983)の吉行和子はインパクトが足りず、『功名が辻』(2006)の浅野ゆう子も風格はまあまあだが、やはり足軽女房からの苦労人の糟糠の妻のイメージじゃない(※23)。『天地人』(2009)の富司純子(藤純子、寺島純子)も同様。若い頃にはスゴイ美人だった藤村志保も寧々役を演じているようだが(『太閤記』1965)、今日では見られないのが残念(※24)。
 その他、晩年限定なら、貫禄たっぷりの杉村春子(『関ヶ原』1981)もいい。さすがは日本演劇史上に残る大女優。酸いも甘いも知り尽くした老獪な感じの高台院・・・これなら家康とも対等に渡り合えそうな。・・・

 一方、ライバル(?)の淀殿こと茶々は不似合いな人ばかりだったという記憶がある。宮沢りえ(『江』2011)はイメージじゃないし、小川真由美(『葵』2000)は老けすぎだし、深田恭子(『天地人』2009)も永作博美(『功名が辻』2006)、二階堂ふみ(『軍師官兵衛』2014)もダメ。とくに永作は気品がない(※25)。松たか子(『秀吉』1996)、松嶋菜々子(単発『加賀百万石』1999)、鶴田真由(勘三郎『豊臣秀吉/天下を獲る!』1995)は外見的にはまあまあ(※26)。若い頃限定なら太る前の成海璃子に演ってほしかったんだが、もうその目はないかねえ。・・・
 良かったのは、年取ってから限定ならやっぱり三田佳子(『関ヶ原』1981)(※27)。若い頃も含めてだと、高飛車系なら『おんな太閤記』(1981)及び松方弘樹『徳川家康』(1988)の池上季実子(※28)、健気系なら大河『徳川家康』(1983)の夏目雅子が双璧(※29)か。
 それから、大河だと、『独眼竜政宗』(1987)の樋口可南子もルックス含めて合ってた。妖艶系ってやつね。故・竹内結子(『真田丸』2016)、和央ようか(『茶々/天涯の貴妃』2009)というのも妖艶系かな。


 ついでに、秀吉の身内つながりで、地味な人物ながら家康の二人目の正室である駿河御前こと朝日は、大河『徳川家康』(1983)の岩本“マザリュース”多代(ますよ)もいいが、やっぱり圧倒的に出番の多い泉ピン子(『おんな太閤記』1981)のインパクトにはかなわないか。脚本のためもあるが、印象の強さは岩本多代の比ではない。
 駿河御前こと朝日は、秀吉が主役級のドラマであっても、出てこないことのほうが多いのだが(※31)、そんな朝日の扱いがひどかったのは、何度も触れた森繁『関ケ原』(1981)。家康が、朝日と同衾するのを心底から嫌がっているという身も蓋もない描写で、演じた女優も見事なまでに不美人であった。でもたぶんこれが実態に近いんだろう。もともと農家のおばちゃんだからね(※32)。

 ついでのついでで、駿河御前よりもっと地味な存在の秀吉身内女性キャラ、秀吉の実姉で殺生関白の母である日秀尼だと・・・それは、もう最初から長山藍子(『おんな太閤記』1981)一択だわな(※33)。だって、そもそも他にいないんだもん。つまり、映像作品で出てくること自体がほとんどないんだもん。
 大河『おんな太閤記』(1981)以外で日秀がちゃんと登場する作品と言ったら、やはりそのバリエーションであるテレ東『寧々/おんな太閤記』(2009)の、「夜逃げのれいちゃん」こと横山めぐみぐらいか。

 さらに秀吉の母大政所はと言うと、これまたやっぱり、秀吉というより「豊臣家」が主役の『おんな太閤記』(1981)メンバーになってしまうのは、しかたないか。『おんな~』の赤木春恵が実際、究極だと思うが(※34)、大河『秀吉』(1996)の市原悦子、柳葉『天下を獲った男/豊臣秀吉』(1993)の菅井きん、勘三郎『豊臣秀吉/天下を獲る!』の中村玉緒もいい。いわゆる美人タイプでない人で、庶民的な雰囲気のある中高年女優でさえあればーそして、演技力さえあればー意外と演者を選ばない役どころだ。


 と、豊臣家の人々の話ばかりになってしまったが、本題の家康関係の人物はというと。

 正室の築山殿はやはり大河『徳川家康』(1983)の池上季実子か。松方『徳川家康』(1988)の十朱幸代じゃ年取りすぎの感じである。逆に今般の『どうする』の有村架純じゃ童顔すぎる。
 これらの中では、池上季実子が伝統的徳川史観通りの悪女路線で、十朱と有村はいい築山殿である(とくに有村は強引ムリムリのヒロイン築山殿らしい。見てないから知らんけど)。菜々緒というのはその中間かな(『おんな城主直虎』2017)。

 織田信長の場合、大河史上唯一の単独主人公作の『信長』(1992)の緒形直人はダメで、滝田『徳川家康』(1983)役所広司が先述の通り、私は一番いいと思うが、元祖『太閤記』(1965)の高橋幸治もさすがに素晴らしい。唯一映像が残る本能寺回での高橋信長は、気品があって、とても美しい見栄えの信長である。
 あとはトリプル主役の一人としての、大河『国盗り物語』(1973)の高橋英樹か(※35)。『おんな太閤記』(1981)及び同じ橋田作『春日局』(1989)の藤岡弘、もかなり良かった。大河以外だと、渡辺謙の信長(TBS『織田信長』1989)も渡辺謙=伊達政宗という固定観念を捨てれば十分に及第点と言えよう。
 彼らと比べると、テレ東『国盗り物語』(2005)の伊藤英明はダメダメと言わざるを得ないが、でも演技はともかく見た目は決して悪くなかった。見た目で言えば、『軍師官兵衛』(2014)及び映画『四月物語』(1998)の劇中劇の江口洋介も、なかなか(※36)。『江』(2011)の時任三郎は・・・う~ん、微妙かな。キムタクは悪い意味で論外として、今回の『どうする』の岡田准一はどうか?見た目だけならまあまあか。
 でも90年代以降の大河信長なら『利家とまつ』(2002)の反町隆史が一番良かった。狂気の天才というキャラに合ってた。脚本はともかくとして。
 で、先ほどチョロンと槍玉にあげたキムタクは、信長役をごく最近の映画を含め、複数回やっているが、意外とオラオラ信長より繊細で悩み多き光秀あたりに挑戦してみたほうが、新境地が開けてたかもしれない。

 その光秀は、『麒麟がくる』(2020)の長谷川博己(※37)が筆頭になるのは、主役だから当然だろうが、個人的にはそれよりTBS『明智光秀/神に愛されなかった男』(2007)の唐沢寿明がまず印象に残っている。「持ち役」の前田利家より、むしろ良かったんではなかろうか。
 それに次いで、前掲テレ東『国盗り物語』(2005)の渡部篤郎もなかなかだった。同じ原作の大河(1973)(及び勘三郎『豊臣秀吉/天下を獲る!』(1995))での近藤正臣もいいが、それ以外の歴代大河光秀は、あまり目立たない。五木ひろし(『春日局』1989)とかマイケル富岡(『信長』1992)などという気が狂ったような配役を別とすれば。
 ついでに書くと、濃姫こと帰蝶(※38)は、そうそうたる歴代の大女優たちより、意外と上記『国盗り物語』(2005)の菊川怜が個人的には「推し」である。別に演技が上手いわけじゃないけど。


(※15)

ちなみに、室井管理官こと柳葉敏郎は、明智光秀主役の単発もの『明智光秀/神に愛されなかった男』(2007)でも秀吉を演じており、緒形拳が「天下人・秀吉」の究極なら、若い頃の秀吉は柳葉が出色と言っていいかもしれない(太閤となってからの秀吉を演るには、ちょっと威厳が感じられないが。まるで、『あんみつ姫』の父親みたいでなあ)。
そういえば、柳葉敏郎は、何となくNHKとは縁が薄い印象だが、大河はどうなんだろう?でも朝ドラでヒロインの父親役を演る予定があるみたいね。


(※16)

武田鉄矢といえば、金八先生であんなふうに高邁な説教をたれるくせに、実は思想信条的にはまったく良識派とは言いがたい(ちなみに児玉清、山本學もそう)だとか、ファン対応がすこぶる悪いなんていうふうに酷評されがちである。
が、改めて考えれば、役柄と俳優本人が違うなんて当たり前のことで、なぜ武田鉄矢ばかりがことさらにあげつらわれるのか、理不尽といえば理不尽な話である。まあ、これはたとえば、「渥美清は、実生活ではあんな寅さんみたいに明るく饒舌で社交的な人では全然なく、不愛想で気難しい人だった」なんて、さも悪いことのように語られる(余計なお世話だw)のと同じく、それだけ国民的キャラクターを背負っているという、社会的責任税みたいなもんなんでしょうなあ。・・・


(※17)

岸谷五朗は『月はどっちに出ている』(1993)以来とても好きな俳優である。『みにくいアヒルの子』(1996)も、『なにさまっ!』(1998)も、NHK朝ドラ『てるてる家族』(2003~4)も、ドラマ版『八日目の蝉』(2010)も、お気に入りの作品である。
ただ、かつての『ヤンパラ』(1984~90)リスナーの一人としては、岸谷の大成に感無量の感慨を抱きつつ、「岸谷と寺脇はいいとして、山田はどこ行った?」と思わないでもない(笑)。


(※18)

本文でたびたび言及しているTBS『関ヶ原』(1981)で、三船敏郎は三成のブレインの島左近の役だが、原作イメージにまさにピッタリで、歴代左近の中で、ダントツの白眉である(ちなみに次点は『天地人』(2009)の若林豪)。
世界のミフネの歴代の持ち役の中でも、無法松、菊千代、三十郎、赤ひげ、山本勘助、春夏秋冬、山本五十六、東郷平八郎、『山河燃ゆ』(1984)の父親、『寅さん』38作目(1987)の獣医などと同様、取り換え不能なオンリーワンの役どころといえよう。


(※19)
北ノ政所、というのは摂政関白の正妻という意味の普通名詞であって、寧々の固有の名ではない。出家名の高台院のほうは固有の名である。


(※20)

そういえば、これはウィキペディアにも書いてあることだが、豊臣秀吉の正室である高台院の俗名は、昨今の大河では大抵「お祢(ね)」とされるが、この時代であっても、「ね」一音節というファーストネームはあり得ないんじゃなかろうか。
どこかの学者が、高台院の自筆の手紙の署名に「祢(ね)」とあったから、なんて言い出したため、今の大河ではその「ね」に敬語(正確には美化語)の「お」をつけて、「おね」になることが多いわけだが、人名としては明らかに「ね」さんでは不自然で、やはり「ねね」さんのほうがずっと順当だろう。第一、妹(浅野長政の正室、長生院)が「やや」なのに、なんで姉が「ね」なんだよ(笑)。
「おね」なんて耳で聞くと、「御巣鷹の尾根」みたいで、凄く耳障りである。早く「ねね」に戻してほしいものである。


(※21)

ついでに言えば、『おんな~』では、家康役のフランキー堺のほうが秀吉役の西田敏行よりよりだいぶ年上である(映画黄金時代の『社長』シリーズ(1955~70)や『駅前』シリーズ(1958~69)を知っている人には言わずもがなのことだが)。
まあ、こういった年齢逆転は、大河ドラマでは日常茶飯事で、幾度も言及している『徳川家康』(1983)では、どう見ても年上(実際に年上)の滝田栄の息子・家康が、どう見ても年下(実際に年下)の大竹しのぶの母・伝通院と一緒にいる場面の違和感が当時さんざん揶揄的に指摘されたものである。


(※22)

沢口は茶々のほうも実は演ったことあるけど、これも違うなあ(柳葉敏郎『天下を獲った男豊臣秀吉』1993)。


(※23)

それを言ったら仲間由紀恵もだけどね。
あるいは『軍師官兵衛』(2014)の黒木瞳も。


(※24)

ただし、藤村志保は、ずっと後に、『加賀百万石』(1999)という単発ドラマでも寧々の役を演じている。NHKらしい、セルフリスペクト、セルフオマージュ的なキャスティングであろうか。
ちなみに、余談ながら、個人的に歴代の全『寅さん』の中で一番好きなのが、藤村志保がマドンナ役の回である(20作目『寅次郎頑張れ!』1977)。


(※25)

でも、『八日目の蝉』(2011)の永作は、以前に別稿で書いた通り、本当に素晴らしかった。と、フォロー。


(※26)

ただし、ご案内の通り、松嶋といえば、茶々じゃなく、おまつさんこと芳春院が当たり役だから、淀殿にはどうしても見えないかも?


(※27)

元祖『太閤記』(1965)でも茶々を演じたらしいが、こちらは現在見られないのが残念。


(※28)

『おんな太閤記』で、秀吉が茶々を側室にしようと狙っていることを察した寧々が、機先を制して茶々を加藤清正に輿入れさせて秀吉の手の届かぬようにしてしまおうと算段する・・・という挿話があるが、まあおそらく例によって歴史的根拠のない(笑)橋田創作だろう。
従一位北ノ政所がわざわざ家臣の婚姻に容嘴したとはそもそも思えないし、従一位北ノ政所なら、故信長の姪で浅井家の正室腹である茶々を秀吉の小姓上がりの清正に嫁がせるなどという縁談が厳しい身分社会において不釣り合いであることぐらい百も承知のはず。
さすが、何でも昭和ホームドラマにしてしまう橋田ならではの発想だ(半分褒め言葉、半分揶揄言葉)。


(※29)

ただ、『おんな太閤記』(1981)から続けて見ると、どうしても夏目雅子は淀殿でなく、お市の方に見えちゃう。


(※30)

前にも書いたが、朝日が離縁させられた前の夫と密会するなんていう、「そんな史実、カケラもねえ(笑)!」と叫びたくなるような橋田ドラマトゥルギー(作劇術)が全開炸裂である(爆)。
ちなみに、私が小学生の頃、おそらく82年か83年頃、戦国史に興味を持ち始めていた私が、母に「織田信長の奥さんは濃姫でしょ。豊臣秀吉の奥さんは淀君でしょ。でも、徳川家康の奥さんって聞いたことないね」と言ったら、母は「家康の奥さんは朝日姫よ」と即答し、「それから、秀吉の本当の奥さんは、淀君ではなくて、寧々という人よ」と、教えてくれた。そんな母は、橋田ドラマのファンだった。
・・・と、それにしても、『おんな太閤記』の布陣を改めて見ると・・・泉ピン子(駿河御前)、赤木春恵(大政所)、長山藍子(瑞龍院日秀)、前田吟(蜂須賀正勝)、角野卓造(細川幽斎)、沢田雅美(秀吉の側室の南殿)、東てる美(寧々の付き人の架空人物)・・・と、本当に見事なまでに橋田ファミリー勢ぞろいで、思わず歌舞伎の大向こうみたいに「こうらくぅ!!」、「おかくらぁ!!」ぐらい叫びたくなるな(笑)。


(※31)

なお、松方弘樹『徳川家康』(1988)には一応、朝日が登場している。そこで、緒形拳の秀吉が古賀メロディー『人生の並木路』を歌う、気が狂ったようなメタ的ギャグシーンがあることは、以前にどこかの稿で触れた。


(※32)

そういう意味では大河『徳川家康』(1983)の岩本多代では上品すぎたかな。岩本はピン子よりかわいそうに見えるのはたしかなんだが。


(※33)

長山藍子の日秀尼は息子の出世を無邪気に喜ぶ単純な上昇志向的性格の持ち主という、ドラマの中で唯一の俗物キャラとして描かれる。
と、それはさておき、長山藍子といえば、一般的には橋田ホームドラマの常連というイメージであり、テレビ版『寅さん』(1968~69)の元祖さくらでもあるが、それらとは全く違ったタイプの作品で、社会派問題作『橋のない川』(今井正監督/1969~70)の仕事ぶりも、どうか忘れないでほしいものである。


(※34)

泉ピン子の駿河御前と赤木春恵の大政所が、実の親子の会話のはずなのに、どうしても嫁と姑に見えてしまう・・・という人は『渡鬼』の見すぎやで~。


(※35)

ちなみに、高橋英樹はだいぶ後に、テレ東の単発ドラマ『織田信長』(1994)でも信長役を演っている。
さらに余談の余談で、かなりマニアックなところで、私の好きな『ぶらり信兵衛道場破り』(1973~74)で、妄想シーンの中で本能寺の信長をやってる。大河国盗りの本能寺の僅かに後か。リアルタイムの視聴者にとっては、実に楽しいパロディの遊びだったに違いない。


(※36)

昨日の注で触れた通り、江口洋介主演の2002年フジテレビ版『赤ひげ』は、あの黒澤明の名作の忠実なリメイク版であるが、原典よりトータルの尺がかなり短い割りに、必要なエピソードはほぼ網羅されていて、逆にどこがはしょられてこんなに尺が違うのかわからない??という、実に巧妙な作りである。カラー作品だというだけでなく、カットバックの使い方なども含め、元祖より遥かにわかりやすいこと請け合いなので、モノクロの時代劇に見慣れない人には、黒澤版を勧める前に、江口版を先に見てもらうといいかもね、と思う。
ただ、そうは言っても、昨日も書いた通り、江口洋介の赤ひげというのは、いろんな意味で違和感がありすぎる。三船敏郎に似ているとか似ていないとかとは別に。いや、いっそ加山雄三が赤ひげを演ずるのであれば、原典のファンは、似合う似合わないの問題以前に大喝采するところなんだが。なぜそうしてくれなかったんだ!(と20年も前のドラマを相手に今さら言ってもシャアナイがw)
江口以外のキャストはと言うと、実質的主人公である保本登役のマジックマッシュこと伊藤英明については、演技力はどうせハナから期待してないから、まあこんなもんだろという感じで、もともと過去の歴代保本もあまり上手い人たちでなかったおかげで、こちとらの期待値ハードルも高くはなく、許容範囲か。
それに対し、黒澤のあの名作において、二木てるみが素晴らしい演技を見せた(それゆえ原典ファンの満足度の目が厳しい)不遇の少女・おとよについては、江口版でも鈴木杏が大健闘で、大いに褒めてあげたい。大拍手である。他に、黒澤版で香川京子の演じた役や杉村春子の演じた役や根岸明美の演じた役も、それぞれ健闘していた。とくに杉村春子の演じた役は、意外性のあるリメイクキャスティングだったが、思いのほか違和感がなくて、見事であった。
それらと比べると、旧作で終盤全部「持ってってしまう」名子役演技だった頭師佳孝の長坊は、さすがにリメイク版の子役もかなわなかったかな。がんばっていたんだろうけど、相手が悪かった。あとは、旧作で桑野みゆきが演じていたお仲の役の宮沢りえは・・・う~ん、ま、こんなもんか、と可もなく不可もない感じ。
・・・と、それにしても、この江口洋介の『赤ひげ』は、再三述べてきた通り、黒澤版の忠実なコピーとして、優劣の問題でなく、「最初に見るならこっち」なのは間違いないのだが・・・ただ、画竜点睛を欠くとでも言おうか、大事な大事なラストシーンがあまりに変すぎるのは、本当に本当に本当に本当に致命的なほどに残念な点である!!
なお、ここで書くことではないが、余談の余談として。
『赤ひげ』は、黒澤明の時代劇ものの中で、私が最も好きな作品であり、正直、『七人の侍』(1954)、『隠し砦の三悪人』(1958)、『用心棒』(1961)、『椿三十郎』(1962)といった一般に人気の高いサムライアクション作品たちを全部足したのより、さらに10倍以上、私の中では価値のある作品である。
だが、実を言うと、本当に素晴らしいのは後半で、前半の、とくに山崎努と桑野みゆきのパートはあまりに冗長だと言わざるを得ない。なおかつ、個人的には、桑野みゆき(とリメイク版の宮沢りえ)の、お仲の行動原理がさっぱりわからず、シンパシーも持てないのである。
「私がこんなに幸せでいいのかしら。何だか悪いような気がする」という心理自体は別にいいのだが、(ここからネタバレ)なぜ、最愛の人に自分を「殺してもらう」という形で死を選ばねばならないのか。子どもにも夫にも、そして何より最愛の人にも、みんなに対して最悪の選択ではないのか。それならまだしも一億歩譲って、最愛の佐八に自分の心情を吐露してから一人で自殺するほうがマシではなかろうか。
・・・と、これは黒澤に対してではなく、山本周五郎に対して言うべき文句なんだが。


(※37)

長谷川博己といえば、私はこの人のことは映画『舞妓はレディ』(2014)で覚えたのだが、『舞妓はレディ』に限らず、『舞妓さんちのまかない』を始めとする、舞妓はんものの映画やドラマ等を見ると、いつも思う。
「舞妓はん」カルチャーというのは、要はミドルティーンの女の子を水商売の場に出し、休暇をロクに与えず、正当な対価もたぶん与えずに大人が搾取し、そしておそらく性被害にも泣き寝入りを強いている制度に違いないわけで、果たして伝統文化の名のもとに美化していいようなことなのだろうかと(『レディ』や大昔の『祇園囃子』(1953)あたりはまだ多少はそれを自覚しているぶんマシだが、『まかない』はとくに美化・キレイゴト化がひどい(私見)。ただ、『レディ』の主人公役の上白石萌音は、正直それほどかわいいとは思わなかったが、歌声がとにかく美しくて、素晴らしかった(私見))。
「芸を売る」と「体を売る」の違いはあれど、大人が少女を搾取し、パワハラ、いじめ、性被害もきっと多々発生しているであろう点では、かつての赤線と大差ないのではないか。もちろん花街のみならず、ジャニーズも秋元グループもヅカも。そして、舞妓はんの世界も相撲界も、そして昔のアメリカの奴隷制度も、「伝統文化」、「伝統芸能」といった名のもとに、弱者の犠牲を当然の前提としてビルトインしてきたシステムなのではないか。
よく吉原の遊郭を、「粋な文化の発信地だった」と肯定的に評価する向きがいるが、どんな「文化」だろうと、人権より大切な文化などない。絶対にない。
仮にマーガレット・ミッチェルにとって、奴隷制農場が南部の「伝統文化」だったとしても(映画版の出だしでは、「咲き誇りし『文化』、風と共に去りぬ a civilization gone with the wind」としている)、なくすべき人権無視の悪弊だからなくなったのだ。いつか、吉原の遊郭やアメリカ南部の奴隷制農場と同じく、祇園や上七軒、先斗町の花街も撲滅されることを願ってやまない。
(まあ、そういう話は、いつか稿を改めて書くべきことだと思うので、今は深入りしないでおくが)


(※38)

「濃姫」って、名前かと思っていた・・・と、子どもの頃に勘違いしていた人は、私に限らず多いだろう。いや、今でも勘違いしている人が多いんじゃなかろうか。
もともと、身分のある女性は(男性もだが)おおやけには本名で呼ばれないのが普通で、伝記的有名人でも、前近代の女性有名人は、「紫式部」とか「清少納言」とか「春日局」というようにコードネームで知られている人が多い。家康の正室が「築山殿」と呼ばれるように。信長の生母が「土田御前」と呼ばれるように。秀吉の側室が「淀殿」、「松ノ丸殿」などと呼ばれるように(北条政子や日野富子の場合とて、現代の教科書にそう載っているからと言って、リアルタイムで周りから「政子様」とか「富子様」と呼ばれていたわけではない。将軍の妻の同時代的呼称は基本的に「御台所(みだいどころ)様」だろう。ちょうど現代のわれわれが、他人の家の妻のことを(普通は)二人称でも三人称でも「ひろこさん」とか「なおこさん」とは呼ばず、「奥さん」と呼ぶのと同様に(明治生まれの中村伸郎あたりだったら、「時に君、細君は息災かね」なんて言いそうだ)。ちなみに、将軍の正妻が「御台所(みだいどころ)」なのに対し、天皇家なら「御息所(みやすんどころ)」となるのは、『源氏物語』でおなじみである。さらについでのついでで、「奥様」というのは、もともと旗本クラスの妻の敬称である。あくまで武家社会の呼び名なので、たとえば時代劇で大店の妻などに対して「奥様」と呼びかけていたら、それは本当は間違いである(商家の場合なら「御寮人様」か「御新造(ごしんぞ)様」かな)。なお、男性も幾度も書いてきた通り、リアルタイムではもちろん「信長様」とか「家康様」なんて、呼んだりはしない。これも現代の我々が上司のことを「やすおさん」とか「まさるさん」とは呼ばず「部長」とか「課長」とか呼ぶのと基本的に同じこと(笑)。『大鏡』でも「道長」ではなく「入道殿」、「伊周」ではなく「帥殿」なんて書かれていることは、高校の授業で習った通りである。現在の歴史教科書で「水野忠邦」や「井伊直弼」というふうに「諱(いみな、忌み名)」すなわち実名が使われているのは、「備前守」とか「雅楽頭(うたのかみ)」とかいう官名や「伊右衛門」とか「源蔵」とかいった通称名(漢民族でいう「字(あざな)」)はその家で代々世襲されるので、個体判別には向かないからだろう。たとえば、浅野内匠頭というのは、「あの浅野内匠頭」だけでなく、その祖父も浅野内匠頭である)。
そして、信長の正室「濃姫」も念のため(本当に念のため)書いておくと、美濃の国から嫁いできた姫だから、便宜上「濃姫」と呼称しているだけで、濃ちゃんというファーストネームなわけではない。ところが、映像作品の監督や脚本家でさえわかっていない人が多いのか、昔からドラマなどの中では、父親の斎藤道三が娘のことを「お濃よ」なんて呼んでいたりして、そのせいで「濃」という名前だという誤解がいつまでも絶えないのだろう。
と、それはさておき。
織田信長級の超有名人であっても、意外と一次資料では私生活の情報が少ないので、正室の濃姫との関係もよくわからない。フィクションでは、対等に何でも打ち解けて話して、何だかんだで仲のいい夫婦みたいに描かれることが多いが、実際はどうだったのか。信長には、側室腹の息子・娘が何人もいるのに、正室の濃姫の子どもは一人もいなかった(たぶん)というところから推量すると、あまり仲が良くはなくーというより日常的な接触はほとんどなくー正室とは言ってもあくまで形式的夫婦でしかなかったのではあるまいか(秀吉と寧々の場合なら、身分の低い時に結婚したので、現代の夫婦みたいに、近い距離感で腹を割って普通に話すおしどり夫婦、でおかしくない・・・かもしれないが。・・・というか、昔の将軍家や大名家の話なのに、まるで長屋の庶民みたいに夫婦が対等に仲良く話したり、妻が積極的に行動して政治に関与したりっていうのは、ポリコレ優先と言えば聞こえはいいけど、歴史歪曲だよね。『利家とまつ』(2002)しかり、『篤姫』(2005)しかり。封建時代の将軍家や大名家の話なのに、「女性が生き生きと活躍」している姿を描くというのは、たとえは悪いが、「南北戦争前のアメリカ南部で、奴隷が白人と対等に生き生きと活躍」並みの歴史改ざんとして、逆に炎上すべき案件だと思うんだが。時代劇・半時代劇に対して、「女性を差別的に描いている」なんて怒る人には、じゃあ過去の不都合な歴史的真実を隠蔽せよと言うのか??と問いたくなる)。
そして、その濃姫は、映画やドラマの中では本能寺で薙刀をふるって信長と一緒に戦って散るというのが定番だが、もちろんそんなエビデンスはない(笑)。おそらく、本能寺どころか信長が天下人になる前に既に死んでいたのではないか。が、絶対に若死にしたとの証拠も、逆に本能寺以後も生きていたという証拠もハッキリと存在するわけではないから、定番の「本能寺で信長と共に死んだ」が、100%ウソとも言い切れないのが困ったところである。
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どうするのか、家康は(1)

2023-06-10 20:23:54 | テレビ
(1)

 徳川家康は、言うまでもなく日本政治史上、最重要の人物の一人であり、NHK大河ドラマでも、おそらく登場回数最多のキャラクターだろう(※1)。何しろ大河ドラマといえば、ご案内の通り織豊期過多だから、当然の帰結として。

 が、大河の家康の特徴としては、重要キャラとして出てくることは多くても、ピンの主役となることが意外と少ないという点(※2)と、いつか小谷野敦氏が書いた通り、司馬遼太郎的な、露骨な狡猾狸おやじ像が意外と少ないということが言えるだろう(※3)。

 と、それはさておき。
 私自身、ロクに見てもいないのに、イッチョマエに「意見」じみたことを述べるのは忸怩たるものがあれど、まあ、やはり今年の『どうする家康』は昔からの重厚な正統派歴史ドラマファンにとっても、家康崇拝者にとっても、逆に司馬遼的アンチにとっても、かなり耐えがたい、ひどいものである・・・ようだ。風評を見聞する限りでは。
 誰得?といえば、ジャニ得!で、ジャニヲタの信者とそのジャニーズカルト教団のステークホルダーにとっては少なくともいい作品なのだろうが。

 ただ、個人的には(見てないけど)今回の基本コンセプト自体は、「私も昔からそう思ってた」的に賛同したい部分もある。
 司馬遼の家康のような狡猾な策謀家というのは、家康のあくまで一側面でしかないだろうし、一方、山岡荘八の描くような聖人君子的な偉人家康像というのも誇張で、実態はこんな感じの人だったんじゃないかな、と思わせるのが、「結果的に天下人となったけど、実はスーパーマンでも大悪党でもなく、普通の人だった」という家康像である。
 そう。その目の付け所は実は私もかねてより共感するところ大なのである。

 たしかに、それでも司馬遼信者(※4)にとっては、松潤家康は「いい人すぎる!もっと腹黒くなきゃ!」になるだろうし、山岡荘八を読んだ人からすれば、松潤家康は「頼りなさすぎる!もっと強い正義の意志を感じさせてくれなきゃ!」となるんだろう。

 でも、改めて考えれば、王道正統の「偉人・家康」像は40年前に既にやってるからね。ぶっちゃけ、「こんな軽いジャニドラではなく、もっとちゃんとした家康ドラマが見たいんだあ!」だったら、1983年版をオンデマンドでどうぞ、となるやね。


 で。
 その1983年の、山岡荘八原作の『徳川家康』なんだが。正直、あの長大な原作は、1年間の大河枠ですら足りなすぎるぐらいで。3年ぐらいかけてやったほうが良かったぐらいだと思うんだが、それでも、家康を主人公にした映像作品では、やはり相対的・総合点的に歴代最高の作品であったと言い切れるだろう。
 何しろ山岡荘八原作なので、ここでの主人公の家康役、劇団四季の滝田栄は、大河歴代家康の中でも、とくに聖人君子度が高い家康でー言い換えれば、狸親父度が低い家康でー、このドラマを通しで見れば、司馬遼信者であっても「家康って、実は偉かったんだなあ」と見直すこと請け合いかもしれない。

 まあ、正直、ここで主役を演じた滝田栄は、大男で、顔がタテにデカい外見が家康の従来イメージとあまりに違いすぎることはー当時さんざん指摘されていたことだがー否めない。たしかに、雰囲気で言ったら、83年版『家康』の2年前、『おんな太閤記』(1981)の前田利家役のほうがずっと似合っていた(※5)。利家については、有名な唐沢寿明の利家(『利家とまつ』2002)より、滝田栄のほうが、私の中では決定版イメージである。


 それでは、その『どうする』登場まで、大河史上唯一の単独主役家康だった滝田栄以外の、歴代家康はどんなだったか?

 時期的に『徳川家康』(1983)に近い織豊大河ドラマでは、『おんな太閤記』(1981)のフランキー堺がまず挙げられる。大河ドラマにフランキー堺というのも、橋田ドラマにフランキー堺というのも、そして徳川家康にフランキー堺というのも、いずれも意外性のありすぎるキャスティングだが、一言で言うと、とにかく、「いい人」家康。いい人すぎ、と言ってもいいぐらいで、その意味では滝田以上。が、そのぶん迫力に欠けることは否めないか。

 そもそも、秀吉死後の家康を描く場合、司馬遼的な悪の簒奪者とするか、山岡荘八的な泰平の世の中を作るためあえて非情に徹して泣く泣く豊臣家を滅ぼすことにした人とするか、そのどちらを選ぶかで家康のキャラが大きく変わってくる。
 『おんな太閤記』では、司馬遼や永井路子的な、「寧々=家康派VS茶々=三成派」史観なので、主人公が寧々である以上、家康は上記の「いい人」路線だったわけだが、滝田版と同様、大坂攻めでもいい人にするのはやはり難しかったか。最後のほうは、いい人というよりは何を考えているのか得体が知れない感じだった気もする(苦笑)。

 と、そんなわけで、その秀吉の死後に天下をとって豊臣家を滅ぼす家康を、いかに正当化するかというのが、家康一代記ものの、最も大きなテーマと言えよう。『徳川家康』(1983)でも『おんな太閤記』(1981)でも、治部少を悪者にしたり、浪人衆を悪者にしたりと苦労が絶えない。
 結局、こうやって家康を「平和の求道者」として聖人君子化するか、逆に司馬遼みたいに徳川を悪者にするかの二択だものね(※6)。


 と、つまらぬ余談が過ぎたので、滝田とフランキーの話はここまでとして、それ以外を含めた(私の見たことある範囲での)「究極の家康」は誰?的な考察をもしするならば。・・・
 誰だろう。私の場合、一番は結局、大河ではないが、TBS『関ヶ原』(1981)の森繁久弥である。それに次いで、同じく大河ではないが、映画『真田幸村の謀略』(1979)の萬屋錦之介である。森繁は、聖人君子でも悪党でもなく、それ以前に「政治家」と言うしかない、人生巧者のしたたかな家康。対する萬屋錦之介は、これぞカタキ役としての家康像!という迫力ある悪役家康である。

 大河での滝田以降の歴代家康では、世評の高い『葵』(2000)他の津川雅彦(※7)より、むしろ『江』(2011)、『青天を衝け』(2021)の北大路欣也が最右翼だろう(※8)。とくに外見だけで、「これぞ徳川家康!」と万人を納得させてしまえるビジュアルは歴代大河で最高ではなかろうか。
 大河『天地人』(2009)と、その約20年前にTBSの単発スペシャルもの(1988)でも家康を演っている松方弘樹も悪くはないが、この人の場合、家康より真田信繁(幸村)のイメージのほうが強いか(※9)。


 先ほど、北大路欣也が外見的イメージが歴代の大河家康で一番フィットしていると書いたが、外見について言うならば、先述の滝田栄は明らかに違うし、西田敏行も実は家康を演じたことがあるのだが(『功名が辻』2006)、やはり違う。西田について言えば、この人は、緒形拳や石坂浩二とともに、「ミスター大河」と言っていいほどの常連中の常連だが、『葵』(2000)の徳川秀忠も、何げに唯一のピン主役だった『八代将軍吉宗』(1995)の徳川吉宗(※10)も、そして『おんな太閤記』(1981)の秀吉も、ガタイが良すぎて、やはりイメージとしては残念ながら違う(※11)。いい俳優だし、どちらかと言えば好きな俳優なのだが(※12)。

 ・・・と、まあ、歴代いろいろな家康がいたわけだが・・・というより、まだまだこれでも氷山の一角でしかないわけだが・・・あとは、どんな人がいたっけか。
 ルックスだけなら、映画『影武者』(1980)の油井昌由樹なんて、かなりいい線だったが、総合点ではどうだろう。『おんな城主直虎』(2017)の阿部サダヲは、『どうする』と同じくあえて大物感のない俳優にしたんだと思うが、さすがにあんな戦国大名はいないな(笑)。『信長』(1992)の郷ひろみというのも、「勘弁してくれ」的な悪ふざけキャスティング。
 貫禄のあるほうの家康なら『関ヶ原』の映画版(2016)の役所広司だけど・・・でも、ちょっと違うかなあ、自分的には。役所は信長はピッタリだったけどね(『徳川家康』1983)。むしろ大河以外の最近の家康だったら、『家康、江戸を建てる』(2019)の市村正親なんて非常によかったかも(※13)。

 だが、やはり、究極の家康はいまだいないというのが結論だろうか(※14)。



(※1)

https://toyokeizai.net/articles/-/504132


(※2)

去年までで、複数の大河ドラマでピンの主人公になった人物といえば、平清盛(『新・平家物語』1972、『平清盛』2012)、源義経(『源義経』1966、『義経』2005)、豊臣秀吉(『太閤記』1965、『秀吉』1996)、坂本龍馬(『竜馬がゆく』1968、『龍馬伝』2010)だろうか。
ただし、赤穂ものは群像劇といった感が強いものの、もし筆頭キャラの大石を主人公と呼ぶなら、大石が単独首位ということになる(『赤穂浪士』1964、『峠の群像』1982、『元禄繚乱(りょうらん)』1999)。
複数主人公のうちの一人、というのも含めれば、織田信長(『国盗り物語』1973、『信長』1992)、明智光秀(『国盗り物語』1973、『麒麟がくる』2020)、西郷隆盛(『翔ぶが如く』1990、『西郷どん』2018)が挙げられるし、そして徳川家康も1983年の単独主役作以外に、2000年の『葵』も加えていいことになるか。また、秀吉も、上記の1965年と1996年の他、1981年の『おんな太閤記』を加えられよう。
そして、赤穂事件ものについては、上記の通り、赤穂浪士サイドから見た作品が3本だが、逆の幕府側から見た作品ももう一回あるから(『元禄太平記』1975)、そうすると、大石は複数主人公の一人ということで、さらに加えて都合4回と見なせることになって、やっぱり不動のトップか。
以下は余談。
大河ドラマ開びゃくから1999年まで約35年間で3回ないし4回もあった赤穂ものが、21世紀になってからの20年あまりで1回もないというのは意外である。大河最後の赤穂ものから、もうおよそ四半世紀が経とうとは。もはやテレビの世界ではNHK大河以外に赤穂もののオールスター通し狂言は不可能だろうから、そろそろやっといてもいいかなと思わなくもないが。
しかし、このような「上司の殺人未遂を部下が勝手に代行完成する集団押し込みテロ事件」を肯定するような作品なんて、作られなくなったほうが、日本の民度のためにはきっといいのだろう。あえて挑発的に言えば、『忠臣蔵』なんてものは滅びたほうが日本人の精神年齢成長のためにはいいのだと思う。
ただし、80年代以降にとくに多いように、「亡き殿のお恨みを晴らすため」ではなく、「ろくに取り調べをせず、パワハラがあったかどうかも調査しないまま、即日処刑という非人道的裁きをした幕府に抗議するため」という動機で描くなら、まだだいぶマシなわけだが。


(※3)

『大河ドラマ入門』(小谷野敦/光文社新書/2010)


(※4)

あくまでエンターテインメント作家というそれ以上でもそれ以下でもない司馬遼太郎の書いていることを、歴史的事実として正しい、学術的に正しい、と誤解してしまっている困った人たちのこと(かなり多い!)。


(※5)

そして、どちらの作品においても、現代ドラマや料理番組の時の割りと飄々とした印象とは真逆の、ものすごく生真面目で、力んでいるぐらいに力のこもった精悍なキャラであった。
そう。視聴者としては「いいんですよ、何もそんなに力まなくても。ほら、もっと肩の力を抜いて」と言ってあげたくなるような力演であった。
本業の舞台俳優としての代表持ち役であるジャン・バルジャンでも、こんな感じなんだろうか。


(※6)

秀頼&淀殿が「追い込まれた」んではなく、積極的に戦争をしようとした、つまり大坂の役の首謀者というか、戦争を主体的に起こしたのは家康でも浪人衆でもなく秀頼だったっていう見立てもおもしろいと思うんだが、いつかそういう描かれ方しないかなあ。


(※7)

津川雅彦は、役者としては立派な人だと思うが、思想的には人間のク・・・って、そりゃ前に書いたか(笑)。
そういえば、すぎやまこういちも、まさに人間のク・・・って、ンなこたぁ別についでに言わんでもいいことなので(笑)、話を戻して、津川雅彦は、家康その人の役より、大河『徳川家康』(1983)での大久保長安の役がなかなかの怪演だった。
大河以外の津川雅彦だと、伊丹作品が有名だが、個人的には『寅さん』12作目(1973)のチョイ役だったり、『ぶらり信兵衛道場破り』(1973~74)の17話「やきいもや」と42話「わらじ」のメインゲストだったり、『五稜郭』(1988)の勝海舟だったりが印象に残っている。『ぶら信』の2作品、とくに「わらじ」の意固地なクソ真面目武士なんて非常に良い。また、勝海舟も意外性のあるキャスティングだが、かなり説得力のある人物造形であった。


(※8)

北大路家康には、『戦国最後の勝利者!徳川家康』(1992)という主役単発ドラマもあり、さらにずっと大昔に劇場映画でも家康ものがあるが、私は残念ながらどちらも未見である。
ちなみに、北大路欣也は、『華麗なる一族』(2007)、『絶対零度』(2010他)、『半沢直樹』(2013他)やいくつかの2時間サスペンスシリーズ等でよく知られている通り、現代劇でもなかなかいいし、最近だと『三屋清左衛門残日録』(2016~)なんかもいいが、フジテレビの『忠臣蔵』(1996)も良かった。
歴代大石の中で、ビジュアル的にも演技的にも、最も違和感の少ない大石の一人かもしれない。80年代以降では意外と少ない、貴重な連ドラとしての赤穂ものでもある。そして、瑤泉院が歴代映像作品の中で一番美しく魅力的である(私見)。ただ、よ~~く見たら、すきっ歯が気になるが(笑)。
また、あくまで個人の見解だが、NHKのBSプレミアムドラマ『赤ひげ』(2017~)のタイトルロールも、本当は北大路欣也のほうがふさわしかったと思っている。船越英一郎も現代劇ではいい俳優なんだが、赤ひげにしては、迫力とかミステリアスな感じとかが足りなくてね。
以下は余談の余談だが、過去の歴代の赤ひげでは、三船敏郎(映画1965)はもちろん別格として、それ以外では誰がいいかというと・・・名優・小林桂樹のバージョン(NHK1972~73)は残念ながら見たことがないので保留として、個人的には藤田まこと(テレ朝1997)が良かったかな。ドラマとしての内容も結構良かったし。
萬屋錦之介(TBS1989)バージョンも見たが、この人の赤ひげは外見はとっても立派だが、三船と違って声にイチイチ貫禄がないのが残念!ドラマの内容はもちろん悪くはないものの、比べてしまうと藤田まこと版のほうに軍配が上がるか。今改めて見ると、トシちゃんやナンノの演技がどうにも拙くってなあ。・・・
まあ、内容で言ったら、江口洋介(フジテレビ2002)のバージョンが黒澤映画に最も近いので、その意味では違和感がなく安心して見られて実にいいんだが、肝心の赤ひげの風貌が甚だ残念ね。・・・それに赤ひげ及び保本の演技もイマイチだね。
タイトルロールの赤ひげ及び主人公の保本の演技については、江口版なんかよりNHK-BSの船越版のほうがずっといいが、ただ船越版は画面が暗すぎる点が、私の好みではなかったりして。昔のフィルムのような質感を出そうとしているのかもしれないが、私個人の好みでは、90年代トレンディドラマみたいな明るい画面のほうがむしろよっぽどありがたい。時代劇ファンの中ではどうせ少数意見だろうけど。


(※9)

真田信繁(幸村)以外で、松方弘樹の歴史的人物の当たり役と言ったら、戦国ではないが、遠山景元か。もっともこれは歴史ドラマではなく時代劇だが。
・・・えっ?じゃあ、「時代劇」と「歴史ドラマ」の違いって何??銭形平次や座頭市、旗本退屈男、桃太郎侍、眠狂四郎、木枯し紋次郎、必殺シリーズ、海坂藩ものといった完全架空人物たちのフィクションエンタメならともかく、『水戸黄門』、『大岡越前』、『暴れん坊将軍』、『鬼平犯科帳』、『遠山の金さん』の主人公たちは実在人物では??
もちろんそう。でも、これらは普通「歴史ドラマ」ではなく、あくまで「時代劇」と呼ばれる。タイトルロールはたしかに一見実在人物だけど、内容は一切がっさい全く史実とは関係ありませんから!(三蔵法師こと玄奘(げんじょう)が実在人物だからと言って、『西遊記』が当たり前だが全く史実ではないように)
しかし、そう書くと、さらなる反論があり得よう。いわく、いわゆる歴ドラだって、「歴史そのまま」ではあるめえ。義経だって太閤記だって赤穂浪士だって司馬の竜馬だって相当尾ひれがついてるべえ?牛若丸が五条大橋で弁慶を倒したなんて話は歴史的事実じゃないだろ。秀吉が矢作川の橋の上で蜂須賀小六正勝と出会うのだって、後世の創作やろ。赤穂ものなら、徹夜の畳替えだって、「親友」脇坂淡路守(関ヶ原裏切り組の子孫(怒))が吉良をピシャリだって、東下りの勧進帳的やり取りだって、「天野屋利兵衛は男でござる」だって、源蔵の徳利の別れだって、大工の娘(または妹)をだましての吉良邸設計図盗みだって、内匠頭未亡人宅でのスパイを察知しての即興狂言だって、そんな史実はどこにもなかんべ。・・・と。
結局、連ドラについて言うなら、一話完結なのが時代劇、連続ストーリーなのが歴史ドラマというあたりが一つの明確な識別ポイントというか、定義ポイントとなり得ようか。基本的には。


(※10)

このとき、吉宗が子役から西田に代わる瞬間の演出の珍妙さは、今でも(悪い意味で)語り草である。


(※11)

西田敏行の秀吉は死後、幽霊になってから、急にものわかりが良くなるのが、橋田寿賀子のご都合主義。
そんなものわかりのいい人なら、秀次事件なんて起こさんやろ!という矛盾・・・


(※12)

なお、『翔ぶが如く』(1990)の西郷は歴代全西郷の中のベストと呼びたい。少なくとも、(ドラマとしての総合点はともかくとして)カツラが不自然に見えてしかたなかった『田原坂』(1987)の里見浩太朗より断然、自然な印象である。


(※13)

それこそ、本当は、この時に滝田栄に家康を再演してほしかった!が、市村正親に不満があるということではない。


(※14)

「池田大作がいい」
「いや、早坂茂三がいい」
・・・と、これは大学時代(1990年代後半)の私の当時の友人との戯れ言。
コメント
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