習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

帰ってきた若き血に萌ゆる者

2023-08-30 17:58:47 | スポーツ
 「エンジョイベースボール」で107年ぶりの栄冠、慶応義塾高校(※1)・・・というニュースが、どう見ても平年の甲子園優勝報道より大きく報じられた今年の高校野球選手権大会。少なくとも首都圏では、ワイドショーを中心に、普段の数倍の報道熱量だったに相違ない。

 そして、それに対する慶応関係者の反応は?

 母校が優勝して素直に嬉しいという者、慶大卒ではあっても、塾高(慶応義塾高校)の卒業生じゃないから関係ないやと考える者、そうは言っても、グループ学校だから便乗しちゃえと騒ぐ者、嬉しいけど応援の熱量のあまりの多さにちょっと引いてしまったという者・・・私はと言えば、2番目である。

 私の場合は、慶応義塾大学の卒業生ではあっても、慶応高校卒でも慶応志木高校卒でも慶応女子高校卒でもない。あくまで大学からの「外様」でしかない(※2)。

 もちろん、私の学生時代の友人・知人に塾高こと慶応高の出身者も慶応志木高の出身者も慶応女子高の出身者もいたし、とくに慶応高校は1年生時に通った日吉キャンパス内にあったから、まあ雰囲気はよく知っており、ある種の親しみはある(※3)。
 その意味では、同じ慶応社中というヨシミで応援しても良いところだろう。
 ただし、外様の便乗組があまり出しゃばったら、「内部生」と呼ばれる付属校あがりの「慶応ボーイ」、「慶応ガール」たちからは嘲笑されること請け合いではあるが(※4)。

 それでも、旧軍の「伝統」を引きずったような丸刈り強制と監督命令絶対の体育会体質―というより軍隊体質―の強豪校たちを破って(※5)、非丸刈りで(※6)、監督も生徒に「命令」はせず自主性に委ねるという「エンジョイベースボール」の塾高がみごとに優勝したことには、一定の意義があることである(※7)。
 そして、私も、便乗は見苦しいと知りつつ、塾高がアレヨアレヨと勝ち進み、広陵を破り、沖縄尚学を破ったあたりから、もう、
「スゲー!ここまで来ちゃったら、もうこの際だ、ユー、いっそのこと優勝しちゃいなよ!」
なんて思って、心の中でエールを贈っていた(※8)。
 外様の自分とは直接は関係ないと自覚した上で、それでも先に述べた広義の社中のヨシミという思いで。


 だから、結果的に塾高が優勝したことには社中の一員として祝福したいし、先述の通り、いわゆる体育会体質でない学校が優勝することにはいろいろな意義もあると思う(※9)。
 が、一方で、優勝したせいで、慶応全体への悪評というか、反感が日本中に充満したことには、戸惑うとともに、興味を惹かれてもいる。

 103年ぶりの決勝戦だから、盛り上がるのも当然だよね、と微笑む者もいる、凄い応援の熱量だね、羨ましいね、と肯定する者もいる。
 しかし、世間の、とくにネット世論だと、塾高野球部そのものについてはともかく、スタンドの大応援団には反感を持った向きが非常に多かったようだ。ハッキリ言って、準決勝あたりから、決勝戦を経て今日まで、「慶応応援の異常な圧」を批判する物言いがネットに溢れている(※10)。

 いわく、新聞・テレビは慶応OBが多いから(※11)、ベストエイトあたりから完全に公平性を失い、慶応の応援ばかりを垂れ流していた、と(※12)。
 いわく、何だか、神奈川県代表としての慶応高校というより、全国の三田会が応援、って感じで、地元の香りが全くしない、と(※13)。あれは神奈川県の学校の応援団じゃなくて、ケイオウムラの同窓会祭りだ、と。

 後者については、まあ、たしかに「地元色」はあまり強くないねと頷けるところ。甲子園に出るようなセミプロ的な野球高校は実はどこもそうだが、慶応系列の場合、もともとスポーツとは無関係に、県境を越えて集まる学校だものね。というより、とくに幼稚舎からの純粋培養「慶応ボーイ」なんて、東京都区内の在住者がほとんどだろう。そして、有名大学にほぼ100%の進学が保証されるという特権校だけに、首都圏一都三県はもとより、地方からも高校生の時点で「留学」的にやってくる生徒の多い学校である(※14)。

 前者の「応援の圧」については・・・どうなんだろう。

 実際、まあ、その「盛り上がり」たるや、慶大野球部の大学生たちが、慶応高校のメンバーたちのことを羨ましがりそうなぐらいのフィーバーではあった。何せ、大学駅伝や大学ラグビーは注目されるのに大学野球は全く人気ないからね。だからこそ、関係者一同、普段注目してもらえない鬱憤を晴らすがごとく、国民注視のイベントで弾けてしまった・・・のかねえ?(※15)。


 観戦している慶大OBの皆さんは、早慶戦の気分で(※16)、神宮球場で当たり前になっている六大学野球の応援スタイルを何ら疑問を持つことなく、躊躇することなく、そのまま持ち込んだだけだと思うが(※17)、今の世の中の多くの人は、そんな応援スタイルを見たことないから、その圧倒的な「量」ともどもビックリしてしまって、威圧的だ、とか、あれじゃ相手がかわいそうだ、とか感じたっていう、それ以上でもそれ以下でもない話だあね。
 六大学野球はお祭り騒ぎの応援スタイルを楽しむという、応援それ自体が娯楽のイベントで、「早稲田を倒せ!」、「慶応倒せ!」と歌いながら実は仲がよい「六大学ムラ」の中でお互いそれを認め合っているから問題はないのだが、無遠慮に甲子園にそれを持ち込んだから、違和感を持たれ、問題視されたということだろう。

 でも、慶応という知名度の高いブランド校ゆえに、圧倒的な応援の圧、とかって問題視されたという面がないとは言えないよね。仮に沖縄の学校が決勝戦に進出して、沖縄人が老いも若きも甲子園に集結して、球場中みんな沖縄一色、とかだったら、むしろ美談にされるんだろうから。

 さらに言えば、じゃあ甲子園の怒涛の「六甲おろし」(※18)もルール違反になるのか?サッカーの応援なんて、もっともっと「圧」が強いんじゃないのか?とも思えなくはない。
 高校野球で圧倒的パワーの応援がいけないんなら、じゃあJリーグや全日本サッカーならいいってのはなぜよ?とか(※19)。
 バレーのW杯では、毎回日本開催だから、ニッポンチャチャチャの大コールとなるが、アウェーのチームは文句を言うべきだということか?とか。
 慶応の爆応援を「フェアじゃない」という識者は、サッカーの熱狂的応援に対しても同じことを言うのか・・・なんてね。

 まあ、既に書いた通り、「えげつねー!」と思うぐらいのファンの数、在京キー局の慶応びいき(※20)、それらが鼻につくのはもっともだし、仙台育英に判官びいきするのも自然な感情だ(※21)。でも、慶応の応援団だけを批判するのもどうかなあ、と思わないでもない。たしかにOB総動員で「大人げない」気はするし、郷に入っても郷に従わずにマナーというか高校野球応援の不文律を逸脱していたところがあったかもしれないが、少なくとも不正をしているわけではないからなあ。


 繰り返しになるが、そもそも慶応という全国ブランドの、しかも滅多に決勝まで行かない学校だから良くも悪くも過度に話題になったってところがある。
 髪型についての賛美もそうだが、逆に異常な応援の圧がどうこうっていう批判も、他の学校だったらそこまで非難されたろうか。
 相手へのリスペクトがない、とか、勝てばいいのか、とか批判している人は、だったらワールドカップサッカーのサポーター連中にも同じこと言えばどう?慶応なら球場内の大応援でも非難の的で、「愛国者」なら渋谷の路上で大騒ぎしても許されるのか?(※22)的なことを思わないでもない。

 そんなわけで、実は叩かれた理由の本質は、叩きやすいから叩く、言い換えれば、批判記事を書くとみんな喜んで乗ってくる、ってところじゃなかろうか。
 いわゆる三田会の結束力がウザいとか(※23)、結婚式で肩組んで応援歌を歌う姿がキモいとか(※24)、セレブ意識が鼻につくとか、芸能人やスポーツ選手やその他の大金持ちの子どもが通う特権付属校の存在自体にこの世の不平等を痛感するとか(※25)、早大や明治大などと比べて遥かに「嫌われる」要素の多い学校なわけで。であれば、注目度の高い時事的話題にかこつけて叩けば、アンチの人たちがいっぱいアクセスしてくれるという仕組みとなろう。


 と、まあ、あの塾高への三田会総出の「大人げない」応援が是か非かということはともかく、慶応高校がこんなに強かったことについて、以下のような疑問を持つ人はいるだろう。
「慶応高校って、受験情報誌で見ると、偏差値70とかって、とんでもない難関だけど、あの甲子園に出ていたメンバーみんな、そんなに頭いいの?そんなに勉強ばっかりしてきた人たちがどうしてそんなに野球もできるの?」
 もちろん、答えはノー。
 偏差値70の集団・・・なわけねえ~。文武両道ならぬ文武別道だっちゃ♪という話(※26)。
 高校受験で、正当に勉強で入ったメンバーなんて、たぶんあの中にはほとんどいないだろう。慶応という学校はもともと、早大や明治大や法政大に比べれば、比較的「スポーツだけ」で学生を獲ることの少ない学校と言われ、現にオールドファンには元巨人の「怪物」江川卓が受験で落ちたことがよく記憶されているぐらいの学校だったんだが、最近は、とくに付属校においては、スポーツでガンガン入れている・・・ようだ。

 となると、どうなるか。
 学力不問で、有望選手を争奪戦するとなれば、どういうことになるか。
 こう言っちゃ悪いけど、東海大相模や日大藤沢や横浜高校は勝ち目がないだろう。何しろ、よほどのことがない限り、「慶大卒」が保証されるわけだから、間違いなく高校を出てすぐにプロになれるぞってレベルの選手じゃない限り、高校卒業後のことまで考えると、そりゃまあ塾高のほうを選ぶよね、ってなってしまうだろう。それは、当人や親の立場になってみれば、しかたないところである(※27)。
 いいねえ、ブランド校は楽で、と、横浜高校あたりのスカウトマンが羨みそうな話である。


 まあ、そもそも論で言ったら、学校が宣伝目当てで学力不問で学生を全国からスカウトして呼び集めるなんておかしい話であって(※28)、なぜそんな変なことが起こるのかというと、甲子園や箱根駅伝に代表されるように、あくまで課外活動である「部活」をプロスポーツのごとき国民的行事として取り上げるマスコミが悪い、って常套的な物言いにならざるを得ないわけだが。

 いや、それ以前にね、いくら「クーリングタイム導入」なんて、朝日が自画自賛したところで、やっぱり昔とは比較にならないぐらいの激暑の時期に、真っ昼間のクソ暑いさなかに、何も甲子園なんていう暑い場所でやらんでもええやろという、定番の批判を言いたくなってしまうよね(※29)。

 私もずいぶん昔にこの駄ブログでそれに触れたことがあるが、それから何年経っても、いっこうに抜本的な見直しがなされないのは、予想通りとは言え困ったことで、ジャニーズ問題と同じく、外圧でもない限り絶対に自浄はできないんだなと、失笑するしかないところである。

 ただ、こんなことも思う。
 暑くて大変だから、京セラドーム大阪でやったらどうか(※30)、とか、ナイトゲームでやったらどうか、とか、過酷な日程で選手の肩が消耗されるから、真夏以外の季節を使ってゆっくり日程を消化したらどうか、というのは誰のための改革提案なんだろうね、と。
 もちろん、選手のため、アスリートファースト、と言いたいところだが、それって本当にアスリートファーストなのかなあ?と。

 大阪ドームで空調をきかせてやればいいじゃん、という主張に対しては、当の高校生たちはこう答えるだろう。
 みんな真夏の甲子園に立つことを夢見て練習してきているんだ、僕らの行きたい聖地はあくまで甲子園なんだ、勝手に僕らの夢を奪わないでくれと(※31)。
 ああ、真のアスリートファーストとは何か、というこの逆説!

 そして、「過酷な日程のせいで、投手の肩がつぶされる」と、過去の板東英二や尾崎行雄(not咢堂)の事例をひいて唱える向きには、以下のような反論があろう。
 甲子園大会では、1チームあたりベンチ入り20人、約50チームでおよそ1000人!その中でプロ入りする、しかも投手は何分の一?
 プロ投手のためにある甲子園じゃないだろ(※32)。1年に1人出るかどうかわからないロウキやユウセイの肩のために、他の1000人の夢と希望は無視するのか。プロまで行こうという球児と甲子園で燃え尽きていいという球児と絶対数が多いのはどっちよ。・・・

 それに、ナイター開催にしたらいいという、政治家あたりも言っている意見についても、昼間の暑さを考えれば正しいように見えるが、冷静に考えると賛成しかねる。だって、高校生の部活を夜8時9時までやるとかっていうのは、いかがなものか?昨今問題の教員の長時間労働という問題とも関わる。
 まあ、そもそも高校生の部活が国民的娯楽になってるっていうこと自体がおかしいんだけどさ(※33)。

 いずれにしても、いろいろな意味で抜本的な改革がなされるべきだということと(※34)、しかし、先述の通り、よほどのことがない限り、朝日新聞と高野連にそんな身を切る自浄努力は期待できないだろうなということは間違いないのだが。・・・

 これもやはり、かつて書いた通り、昔から日本では野球が人気ナンバーワンスポーツであるがゆえに(※35)、高校生の大会であってもその経済的影響が巨大化してしまって、「改革」しようにもマイナー競技のように簡単にはできないという事情があるということか。

 「24時間テレビ」ばりの感動ポルノだ、汗と涙のフィクションだ、金まみれのイベントだ、既に「普通の高校生の部活」などではないセミプロ集団の見世物だと高校野球を批判し、わざとらしいスタンドプレー的ヘッスラを「青春の賛歌!」なんて称える朝日新聞やテレ朝のことも敵視する(※36)私のような俗物も、結局、何だかんだ言いながら見ている以上、実は朝日新聞の捏造したその感動ポルノに踊らされているわけだもんなあ。




(※1)

「107年ぶり」という表現が適切かどうかは判断が難しいところである。
107年前というのは旧学制の時代で、甲子園ーはその頃まだ建ってなかったがーは当時の制度での中等教育学校(旧制中学や旧制実業学校等)の大会だった。その時代の慶応の中等教育機関は、「慶応普通部」を名乗っていた。そして、その校名は、今、慶応の付属中のほうに継承されている。
今般優勝した慶応義塾高校というのは、戦後の学制改革時に新たに設立された学校で、学校の公式ヒストリーでも、創設は戦後とされている。なので、現在の慶応高校が戦前の慶応普通部の後裔、とはちょっと言いがたいはずなのだが。・・・
なお、以下は余談の余談として。
戦後の学制では小学校6年、中学校3年の義務教育の後、ほとんどの人が高等学校3年間に進み、その高校の中で普通科、商業科、工業科などに分かれる。わかりやすい単線型である。
それに対し、戦前の学制では、小学校6年間の義務教育の後は、エリートコースとしての中学校5年間があり、さらに女子は高等女学校5年間があり、他に師範学校、各種実業学校(商業学校、工業学校等)があり、といった複線型であった。また、それら中等教育学校に進まない庶民は、小学校の後、高等小学校2年間というプラスアルファだけ修めて社会に出ることが多かった。ついでながら、当時のエリートコースとしては、旧制中学5年間の後、旧制高校または大学予科を受験して、3年間の旧制高校・大学予科の後、大学生となる。大学まで行かず、旧制中学から専門学校に進むというコースもある(たとえば、手塚治虫は大阪帝大医学部卒、ではなく、大阪帝大医学専門部卒である。これは旧制高校を経て帝国大学に入ったということではなく、旧制中学の後、専門学校該当の医学専門部に入ったという意味である。現在の東大医学部や慶大医学部は戦前から「大学医学部」だったが、たとえば東京医科歯科大や東京女子医大は戦前の制度では専門学校扱いである。現在は、東京都心という立地のおかげで、東京医歯大は千葉大や岡山大や長崎大より偏差値が高いが、歴史的には本来は千葉大や岡山大や長崎大のほうが、戦前からの「大学」だから格上だったはずである)。
そして、今日でいう普通科にあたる旧制中学は、ほぼ小学校6年間の後すぐに入学していたのに対し、商業学校や工業学校などの実業学校は、高等小学校2年間を経由した後に入学する生徒も多かったらしい。ということは、戦前の中等教育学校のうち、とくに実業学校は、今と違って年齢が幅広かったわけだ。松山商業や広島商業といった甲子園「古豪」がなぜ戦前から強かったかという理由がここに見出せよう。
その不公平を反省点として踏まえてか、現在の高校野球は、学年主義ではなく年齢主義をとっている。すなわち、中浪で学年でいえば2年生だろうと、留年して学年でいえば2年生だろうと、ストレート換算で高3となる18歳までしか出られない、としている。まあ、たしかにそうしないと、20歳の高校生なんてのが出場しちゃったら不公平になるものね。


(※2)

慶大生というだけで、「慶応ボーイ」なんて呼ばれることが世間ではよくあるが、「慶応ボーイ」自体が死語であることはさておいても、とりあえず大学からの外様を「慶応ボーイ」とか「慶応ガール」とは呼ぶまい。基本的に「慶応ボーイ」とは、桜井翔氏のような、慶応幼稚舎からずーっと慶応で純粋培養の者を指す言葉のはずである。


(※3)

ただし、塾高出身者には反感はあっても親しみはない、という外部も多かろう。女子高に対しても。志木高はどうだか知らんが。
内部出身の鈴木君や佐藤さん個人は好きだが、グループとしての塾高は嫌い、女子高は嫌い、「内部生」みんな嫌い、とかね。
これは外部の一般受験組、とくに浪人経験者にたまにあるヤッカミである。はっきり口に出して言う人はあまりいないけど(怖いから)。


(※4)

似たような話として、私の予備校の友人で、国士舘大に入ったやつは、国士舘高校が選抜甲子園に出た時に、「うちの高校が!」と喜んでいた。いやいや、お前は国士舘大の学生ではあっても、国士舘高校の卒業生ではないだろが、と内心ツッコんだものである。


(※5)

丸刈り軍団も、一糸乱れぬ入場行進も、戦前の軍隊起源である。
日頃はリベラルなふりをして、こと高校野球についてだけは、戦前からそのまんまの軍隊方式の開会式行進を全く改めようとしない朝日新聞と毎日新聞のダブルスタンダードよ!


(※6)

慶応の非丸刈りを賛美している向きも、もしかつてのデニー友利みたいな、あるいは最近の人なら今井達也選手みたいな高校球児が出てきたら叩くんだろうか。いっそ出てきてほしいな。果たしてどう言われるか興味あるから。
ちなみに、あの往年の人気漫画『タッチ』は、昭和時代の高校野球の話なのに主人公は思いっきりフサフサで、当時、「あり得ねー!」とさんざんツッコまれたものである。その時代考証的な見地から見た髪型のあり得なさは、『はいからさんが通る』の伊集院少尉と同様である。
なお、野球漫画の髪型ツッコミといえば、『タッチ』以上に、やはり『巨人の星』の花形満が定番だろう。プロどころか、高校時代からああだったのだから。ちなみに主人公の飛雄馬はと言えば、長髪ではないが、やはり坊主ではなかった。スポーツ刈りぐらいだろうか。


(※7)

眼目は、丸刈りがいいか長髪がいいかということではない。強制か選択可かの違いが重要なのだ。これは選択制夫婦別姓の話と同じ。


(※8)

決勝の相手が大阪桐蔭なんかと同じく、地元密着校などでない傭兵軍団みたいなところだから、一応、塾高を応援したけど。
でも、もし相手が佐賀北高校とか金足農業みたいな普通の地元校だったら、絶対そっちを応援したろうな。


(※9)

なお、今回の慶応高校の選手では、何人か話題になった選手はいるが、あまりイケメンじゃない(失礼!)キャプテンをはじめ、ちょっとふてぶてしい雰囲気の(失礼!)延末選手、そして人気を集めた丸田選手、小宅投手など、実際に活躍した選手たち以上に、実は一番マスコミに取り上げられたのは、ご存知、清原和博選手の倅さんだった。
実はたいして活躍したわけじゃなく、たまに代打で出て凡退する程度だったのに、他のメンバーの誰よりもマスコミにはデカデカ取り上げられて、本人はさぞ居たたまれなかったろうな、と、少し気の毒になってしまう。
と、それにしても、清原和博といえば桑田真澄、桑田真澄といえば清原和博と、ワンセットで連想されるわけだが。思えば、1985年の有名なKKドラフトからしばらくの間は、清原=明るく純粋な好青年、桑田=根暗で陰険な腹黒というイメージで。それが十数年度には桑田がストイックな求道者で、清原が極道と、そのイメージが逆転。2010年代には覚せい剤による逮捕で清原のダーティーイメージが決定的になり。ところが、今年、息子が真面目に高校野球でがんばっていることで、今度は再び清原和博と清原亜希のイメージが好転し、人形みたいな気持ち悪い息子がいる桑田なんかよりよっぽどいいじゃんと、再逆転。てな具合に、なかなかドラマチックな塞翁が馬といった趣である。
そういえば、桑田は清原が薬物で逮捕された時には、「変な薬はやめろって言ったんですけどね~」なんて涼しい顔でコメントしていたが、私などはそのドヤ顔を見ながら、「清原がすさんでしまった責任は、お前には全くないのか?もし清原が新卒で巨人に入っていたら、彼の人生も違っていたんではないのか?」と、言いがかりのようなことを思ったものだった。


(※10)

と、ついでに塾高OBやあるいは塾高卒ですらない外様の慶応OBまでもが便乗して「はしゃいでいる」といった非難(いちゃもん?)も。
・・・私も、そんな外様の一人かもしれんが(苦笑)。


(※11)

ちなみに、私の学友で朝日新聞に入社した人や中日新聞に入社した人がいた。中日新聞に入社したAさんという人は、おそらく望月衣塑子氏と同期入社のはずである。同じ大学から同じ年に同じ会社に入ったのだから、当然、よく知っていることだろう。
そういえば、ニッポン放送の吉田尚記(ひさのり)アナウンサーとも、私は大学時代、一応の面識があった。もっとも向こうは私のことなど全く覚えていないであろうこと請け合いであるが。


(※12)

2000年代前半の「ハンカチ王子」ブームの頃はツイッター(X)もなかったから、そんなに炎上はしなかったが、実際、あの時も東京のマスコミはみんなハンカチびいきの早稲田びいきだったように記憶している。
これはマスコミに早大OBが多いからという要素もあったろうし、実際、ルックス的にハンカチ王子のほうがいかにもベビーフェイス、田中将大はいかにもヒールに見えたからだろう(でも普通、甲子園では太田幸司も荒木大輔もバンビ坂本もそうだったように、源義経と同じく美少年側が敗れ去ったほうが、むしろ判官びいきドラマとしては美しく完結するんだけどネ)。
そうそう。マスコミによるヒーローとヒールの刷り込みといえば、板東英二(徳島商業OB)の回想もあったな。1958年の甲子園で延長18回・引き分け再試合を戦った相手の魚津商業の村椿投手が善玉で自分がヒールのように見られたとの回想で、「村椿君、いかにも美しいって感じの名前でしょ。それに対して、板東なんて海賊みたいだものね」と自虐ネタが冴えてた(笑)。


(※13)

報道では、地元である日吉(横浜市港北区)の商店街はそれなりにちゃんと盛り上がっていたみたいだったけどね(私は、この「慶応高を応援する地元商店」としてテレビで紹介された、定食屋とらひげが大好きだったものである。30年弱前、私がよく行ったようなお店で今も残っているお店がどれだけあるかはわからないが、ここが健在だったのは本当にうれしい。ただ、場所が少し変わったのか、店内の様子はまったく違っていたが)。
まあ、慶大の優勝なら日吉も三田も盛り上がっていいところだけど、塾高だと、さすがに日吉の町は盛り上がっても三田の町は関係ないよね。高校はあくまで神奈川県代表だからね。
なお、私は文学部なので日吉より三田のほうに長くいたんだが、日吉の町も三田の町もどっちも好きだった。多くの卒業生がそうであるように、日吉はやはりサークルなど課外活動の思い出中心で、三田は専攻とゼミの思い出かな。


(※14)

慶応のネームバリューと日吉という東京から来やすい立地ゆえ、塾高には都内からの通学者がとても多いし、埼玉や千葉からわざわざ日吉まで通ってくる猛者もいるが、自宅から通えない地方から入学して、高校生なのに一人暮らしをするなんていう人も珍しくない学校である。
そんな学校だから、神奈川県代表という意識が当人たちも周囲の人たちも薄いのかも。選手も塾員も、神奈川県の代表としての慶応というより、全国の三田会の皆さんの声援を背負っての慶応という感じか。
なお、私の旧友(というか後輩)のJさんという塾高出身の人は、静岡の食品問屋のご子息だったが、やはり都区内に一人暮らししていた。このJさんとは、私は日吉祭(塾高の文化祭)に行って顔見知りになったから、入学直後から既に親しかった。とても話しやすくて、明るくていい人だった。ちょっと癖の強いキャラで、同学年からは浮いているように見える時もあったけど(その同学年のBさんやMさんもすごくいい人だったんだけどね)。
余談の余談として、私が慶大手話サークルの幹部をやらせてもらっていた頃に、このJさんが私と一緒にいる姿を見たJさんの塾高時代の友人らしき人が、Jさんに「J、手話サークルに入ったのかい」と話しかけてきた時には驚いた。一緒にいるこの人(つまり私のこと)は手話サークルの人だ、と見てすぐわかるぐらいに自分がそんなに有名なのか、と実はちょっと嬉しかった。今にして思えば心底どうでもいい話だが(苦笑)。
(ちなみに、Jさんは実際には手話サークルとは全く関係ない人である)


(※15)

現在の六大学野球は早慶戦を筆頭に、あくまで内輪受けの行事になりさがってしまっている。
早明ラグビーなんかも内輪受け要素が強いが、それでもあっちのほうが大学野球よりは遥かに大きく報道される。六大学野球がスポーツ新聞の見出しになることは、よほどのことー東大優勝とかーがない限り考えにくいが、早明戦などのラグビーならごく当たり前のこと。
かつて大人気メジャースポーツだった東京六大学野球がここまで廃れてしまったのはなぜだろう。
一つには、高卒でプロに行くのが最上、そしてメジャーへ、というルートが確立し、大学は高校でプロに行けなかった人がしかたなく行くところ程度になってしまったからだろうか。大卒や社会人出身の大選手も昭和の時代には数えきれないぐらいいたものだが、最近話題の日本人メジャーリーガー及びその予備軍は高卒ばかりである(そのかわり、昔は監督になるのはもっぱら六大学の人だったことは前に書いた通り。高卒では、川上、王、金田、稲尾、ノムといったスーパースタープレーヤーしか監督になれなかった・・・と言えよう)。


(※16)

そういえば、早実は以前は甲子園の常連だったが、最近また出てないね。
2023年8月23日の甲子園決勝が、もし早慶対決だったら面白かったのに、と妄想した慶応OBは多かろう。仙台育英に実に失礼な話だと思うが。
そういえば、早稲田系列だと、傍系の早実はかつての常連だったのに、正系の早大学院は出ないのね。他の六大学付属校だと、法政は昔は神奈川の法政二高が強かったらしいが、めっきりご無沙汰だし、明治も出たのは大昔(昔出たことがあるのは明治高校のほう。中野高校は野球より武道が好き)。埼玉の立教も甲子園とは縁遠い。東大の付属校というのは特殊な実験教育校だが、もちろん甲子園とは全く無縁。
というわけで、高校野球に関しては早慶が抜きんでているか。少なくとも今は。


(※17)

たぶん早実が甲子園に出る時も、基本的には早大の応援と同じスタイルなんじゃないかと思うんだが。違うかな?『コンバットマーチ』でコールしたり、『若き血』と同じく『紺碧の空』で肩を組んで揺れたり。
ただ、慶応の(全然有名じゃない)塾歌が高大共通なのに対し、早実の校歌は早大の(有名な)校歌とは別だからね。早実が優勝しても、甲子園に『都の西北』は流れないというわけだ。もし早大学院が甲子園で勝ったら流れるんだろうが、早大学院は甲子園に出る可能性は低いんだろうね。たぶん。知らんけど。
ついでながら、明治大中野高校なんかも、やはり大学とは別法人なので、校歌も明治大の(有名な)校歌とは全く別である。


(※18)

かつて、阪神と阪急が日本シリーズを戦った時、その第一戦で、西宮の阪急ホームの試合なのに、スタンドは見渡す限り、阪神ファンだけ!という光景を見て、阪急のオーナーは関西でのプロ球団保有の虚しさを悟り、その瞬間、チームの売却を決めた・・・という都市伝説はウソである。阪神と阪急の日本シリーズなんて、一度もやったことはない。
と、それはさておき。事前の予想を覆して、阪神が西武を鎧袖一触した1985年の日本シリーズの時には、西武の広岡監督は、「一番恐ろしいのはバースより掛布より六甲おろし」と言っていたらしい。そして、それが的中してしまった。甲子園ばかりかホームのほうでさえ。
同じような事例として、最終的には勝ったが、甲子園ではホークスが一勝もできなかった2003年の日本シリーズのケースもある。


(※19)

観客みんなで一体になって歌って踊って応援すること自体を楽しむ、は六大学野球の文化であるとともに、Jリーグの文化でもある。


(※20)

たとえば北海道の学校が決勝に出た場合に北海道のテレビがその学校を猛プッシュするのは良くて、沖縄の学校が決勝に出た場合に沖縄のテレビがその学校を猛プッシュするのも良くて、じゃあ、首都圏のテレビが首都圏の学校を押したらなぜいけないの?・・・ってなことも言おうと思えば言えるでしょ。


(※21)

ディフェンディングチャンピオンが判官なわけないんだが。


(※22)

ちなみに、明治大に進んだ旧友が、よく早明戦ラグビーの後に、新宿コマ劇場前で「大暴れ」するという話を自慢げにしていたことがあった。
なんでも、学生が乱痴気騒ぎして破壊活動をするから、その後、大学職員が現地で掃除や原状復帰の片づけを毎年するのだとか(かわいそう・・・)。


(※23)

私は社会人になってから、一度たりとも「三田会の恩恵」なんてものを受けた記憶はないのだが(泣)。


(※24)

塾歌(校歌)は内部のやつしか知らないが、応援歌はみんな歌える、というのは「慶応あるある」である。


(※25)

親の力で、6歳で勝ち組確定!なんてなりゃ、そりゃ親ガチャに外れた人は憤慨して当然。決して妬み嫉みなどと言って揶揄して済むことではない。


(※26)

ちなみに、巷間よく指摘されることとして、たしかに大学から慶応に一般受験で入ってきた人のほうが内進生より、大学入学時での学力は総じて高い。が、本当の本当に有能で頭がいい人は意外と内部進学者の中にこそいる。
改めて考えれば実は当たり前の話である。だって、大学で早慶に入った人間というのは、あくまでマーチ以上・東大京大未満の人間でしかないわけだから。つまり、底が保証されている代わりに、天井もしっかりある(経済学部生の東大落ち自慢というのも「慶応あるある」の一つである)。
その点、内部生は、たとえば中学受験で開成を蹴って普通部に入ったとか、桜蔭を蹴って中等部に入ったとか、そんなのはザラである。その気になれば18歳時点で東大に行っていたであろう人たちが相当数いるわけで、「天井が抜けている」可能性があるわけだ。
もちろん、全員がというわけでなく、とくに幼稚舎出身の人たちの中には非常に残念な学力レベルの人が多いのも事実だが。
まあ、何はともあれ、慶応ってのは、実は大学から入るための学校じゃないからね、との言葉は極論のようではあるが、事実その通りかもしれない。
そもそも、慶応の小中高は、慶大ありきでその付属校、という位置づけではない。全部ひっくるめての一貫校、という位置づけであり、大学が主で小中高が従、とは定義されていない。大学は一貫教育のゴールに過ぎない、という建て前である(もちろん学校法人全体のトップである塾長は必ず大学教授だし、一貫校の校長は大学教授だが)。
明治大商学部に行った友人いわく、付属校はバカの明中(めいなか)とバカにされ、いじられるそうだが、慶応じゃ恐ろしすぎて考えられない。ガクブル((((;゚Д゚)))))


(※27)

早実ならプロ直行はあり得ても、塾高からプロ直行はあり得ない(ちなみに、早実出身だが早大に進まず他大に行った野球選手としては、横浜の大矢明彦元監督がいる)。
野球部に限らず、慶応内部で慶大に行かないというのは、バカで高校を卒業できなかったケースと、あとは医学部の推薦枠に漏れて他大の医学部を受験するケース(けっこう多い。医学部には高校でトップクラスじゃないと推薦が貰えないが、何しろ塾内の高校で首席になるのは、地元の公立中で首席になるのとは比較にならないぐらい難しい、はずである。知らんけど。そりゃ、首都圏全域の中学トップが集結している中で競うわけだからね。ちなみに、宇宙飛行士の向井千秋氏の場合、慶応女子高から慶大医学部だが、実は何と内進ではなく、一般受験して他の受験生と平等な条件で競って合格したらしい。凄い!尊敬しちゃう!一方、犯罪心理学で有名な精神科医の故・作田明氏は、慶応内部から慶医への内進に失敗して、結果、一流大とは呼ばれない医大に進んだが、そこで努力してリベンジして、やがて功成り名を遂げた。これもまた尊敬に値する)と、後はごくまれに、特殊な才能の持ち主で、その才能を伸ばすには他校のほうがいいと判断されたケースぐらいか(たとえば、大昔に旧制慶応普通部から芸大(の前身)に進んだ故・岡本太郎や故・藤山一郎、慶応普通部からテニス留学した松岡修造など)。


(※28)

金にあかせて宣伝目当てで選手をスカウトでかき集めるようなセミプロ私学ではない、ごく普通の学校が優勝したというのは、2007年の佐賀北高校が最後か。あの時はたしかに応援したなあ。佐賀北や金足を応援して相手の金満私学をヒール視するようなわれわれ大衆こそ、朝日のストーリーに踊らされているんだが。
そして忘れられないのが1996年の松山商対熊本工の古豪対決。「昭和」が帰ってきたような史上最後の公立同士の決勝戦。あの例の「奇跡のバックホーム」の試合である(両校のOBである川上哲治さんと千葉茂さんは、あの時どうしたんだろう。どっちかの家に集合して一緒に観戦して応援合戦したりしたんだろうか。二人とも鬼籍に入ってしまった今ではわからないが)。
ちなみに、われわれ大衆はえてして私学=悪、公立=善と勝手に見なしがちで、どこの県の代表であろうと、〇〇商業みたいな公立高のほうを何となく応援してしまうという人は多いはずだが、「金にあかせて」ではないにしても、公立が強い県だと全県から野球で生徒が集まってくるセミプロ集団であることは大差なかったりするんだよね。
たとえば徳島あたりだと、県内にこれといった強豪私立高がないから徳島商や池田高に自然と野球エリートが集まってきた、なんて具合に。


(※29)

もっとも、甲子園の試合の、出場する選手のための暑さ対策ばかりが問題視されるけど、暑くて大変というのは、甲子園の全国大会以上に、地区予選とそして日常の練習でも問題視されるべきだし、甲子園においては、選手のみならず、応援団やブラバンや観客も熱中症のリスクの高さは変わらない。


(※30)

前にネット記事で読んで、けっこう説得力あるなと思った意見として、高校野球の「感動」というのは、真夏の甲子園だから演出できるものなのだという見解がある。
すなわち、灼熱の酷暑に耐えて、必死の形相でヘッドスライディングをして泥まみれになる、そこから「感動」のドラマが生まれるわけで、もし涼しい大阪ドームの人工芝の上で試合をしたら、観客の目もさめてしまって、単なる「プロほど上手くない野球」にしか見えず、高校野球の「汗と涙と感動の青春」という虚飾のバケの皮が剥がれ落ち、人気はガタ落ちするだろうと。


(※31)

ただし、何ごとも変えるまではあり得ないと思われていたようなことでも、変えてしまえばアッというまに慣れてしまうのが人間というものだ。
仮に大阪ドームに高校野球が移ったとして、あるいは甲子園が完全建て替えでドーム球場になったとして、そうなる前は非難ゴウゴウでも、案外、何年か経つと、その新しい舞台が「聖地」としてアッサリ認定されてしまうという、所詮はそんな程度のものだと思う。
現に、相撲でも、旧両国国技館→蔵前国技館→新両国国技館と、「器」が変わるごとに、そこが常に新しい「聖地」となってきたように。


(※32)

そもそも野手は消耗もヘッタクレもないし。


(※33)

ただね、競技としてのレベルが高ければ、観戦していて面白いかというと、必ずしもそうとは限らないのよね。メジャーリーグの試合より高校野球のほうが観戦していて面白い、なんていうことが往々にしてあるから困っちゃのよね。
20年ぐらい前のセンバツの、花咲徳栄対東洋大姫路の試合なんか、たまたまテレビをつけて何となく見始めただけだが、縁もゆかりもない学校同士の試合なのに、あまりに面白くてずーっと見入ってしまったものね。こりゃ、プロ野球なんかよりよっぽど面白いぞ、なんつって。引き分け試合も再試合のサヨナラゲームも、本当に本当に面白かったなあ~。
箕島対星稜(1979夏)をリアルタイムで見た人はもっともっと面白かったんだろうな。いや~、羨ましい。くだんの箕島・星稜戦は、たぶん、プロ、実業団、大学、高校、全部ひっくるめて、明治時代以来、今まで日本において広く一般公開された野球試合の、その星の数ほどある全ての中で一番おもしろい、最高の試合だったんじゃないかな。


(※34)

なお、これは半分冗談(ということはもう半分は本気)の戯言として。
だいぶ前に書いたことの繰り返しになるが、高校野球も入場料を取っている以上は興行なのだから、ショウビジネスなのだから、ぜひ、ファンサービスとして、昔のプロ野球のように「両軍入り乱れての乱闘」を積極的に披露してほしいものである。
まあ、そんなアホなことを考えているのは私ぐらいで、普通のまっとうなファンは野球そのものを楽しみにしているわけで、乱闘なんてハナから期待していないはずだが。


(※35)

ちなみに、日本国内では大谷選手がとにかく圧倒的人気で、ホームランを打てば、スポーツ新聞の一面は国内のプロ野球結果そっちのけで大谷選手となる。たぶんテレビのスポーツニュースも大谷優先なのだろう。
ただし、ネット記事で少し前に野沢直子氏(米国在住)が「日本の大谷さんファンには悪いけど、アメリカではそんなに盛り上がってないというか、野球がそこまで人気の中心じゃないから」と言っていたことは本当にその通りで、昔からよく言われる事実である。
米国でのダントツ人気はアメフトで、野球は2位、と言いたいが、下手したらバスケのほうが上で、3番手だと。スーパーボウルの注目度はワールドシリーズの比ではない、と。
けだし、アメリカにおける野球は、日本における大相撲にあたる。
モンゴル人と白鵬、日馬富士、角竜らと、そして日本人一般との関係が、ちょうど日本人と大谷やダルビッシュと一般アメリカ人との関係にあたる。
日本人だって、白鵬や日馬富士のことはよく知ってはいる。だから、モンゴルの人ともし話す機会があったら、「白鵬、強いですね」とリップサービスできる。けど、競技そのものの人気では大相撲は野球やサッカーにまったくかなわない。もちろん根強いファンのいるメジャースポーツの一つには違いないが、全国民的な人気ナンバーワンスポーツではない。


(※36)

でも、念のためフォローしておくと、朝日新聞は、あくまで相対比較で言えばだが、他の新聞に比べればまだまだずっとマシな新聞だとは思うよ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真昼の暗黒/簡潔版ショート... | トップ | 24時間偽善 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツ」カテゴリの最新記事