既にかなり旧聞に属するし、そもそも過度に大騒ぎすべきことなのかとも疑問に思うが、白血病であると公表した水泳の池江璃花子選手についての話題である。
商業マスコミでも個人のネット記事でも、とっくに多くの善意の応援コメントが溢れていることだろう、たぶん。若いのにかわいそう、という声。若いから体力あるんで大丈夫!という声。若いからこそ進行も早そうで、むしろ心配という声。・・・どれも正しいのだろう、たぶん。
私はといえば、一人の同胞として、ご快復をお祈りしますと書きたいのはやまやまながら、まあ、日本中の善男善女が既にそのようにお祈りしているであろう状況下で、今さら私なんかの出る幕でもあるまい。正直ファンでも何でもないから、心配する資格もおそらくはなく、だから、コメントする資格も、もとよりないのだろう。
まあ、何にせよ、罹病そのものは無論不幸なことで、病気にはならないほうがいいのは当然のことながら、それでも好感度の高い人気者の池江さんは、何万人、何十万人の人たちから「かわいそう」、「がんばって」と言われて、それ自体は何だかんだで幸せだよね、やっぱり(※1)。
今回のその池江さんの病気報道で伝えられた、
「メダルなんかいいから、とにかく生きて!」
という身内の思いも、とてもよくわかる本音なら、
「これでメダルが減っちゃうかもしれないじゃないかよ。失望だよ。せっかくの盛り上がりに水を差さないでほしいよな、まったく(意訳)」
という五輪担当大臣の発言もまた実も蓋もない本音だろう(※2)。
後者に関しては、政府関係者やスポーツ業界関係者にとって、オリンピック選手というのは、「人間」ではなく、あくまで「メダル要員」に過ぎないということだろうか(※3)。
そして、いやしくもスポーツで脚光を浴びてそれを生業にしようとする者は、「人」である以前にそうした「機能」となることを自覚的に引き受けるぐらいでなくては「トップアスリート」という名のヒーローは目指せないのかもしれない。言い換えれば、国民的スポーツヒーローというのは、最初からそれを十分に自覚して受け入れている人たちなのだろうか(※4)。
それにつけても、改めて、日本人にとっての五輪とは何なのかを思う。五輪憲章では、実は「オリンピックは、決して国と国の対決の場ではありません。国威発揚の場ではありません」と謳っているのに、みんなまったく知らないものね。
というか、マスコミはそれを国民に知らしめたくないから、あえて教えないようにしているのかな。まあ、教えても、この国の人たちには馬の耳に念仏だろうしね(※5)。
ともあれ、そのように五輪憲章に思いっ切り反している日本であり、その状況は2020年にもそれ以降にも改まることはないのだろう(※6)。
これは人づてに聞いた話だが、欧米では、五輪期間中に全新聞で自国の最新の金銀銅メダルの数を速報もしていないし、国別のメダル数ランキングを毎日更新もしていない。そんなことをしている国は、米英仏独墺伊蘭あたりではなく、「シナチョン」だ。その意味で私たちの国は、欧米ではなく、皆さんのどゎ~い好きな(笑)「シナチョンロスケ」、すなわち、中国、韓国、北朝鮮、ロシアのお仲間なのだ。
われわれは、韓国を嘘つきのアホの腐れ国家だと言いつつ、まさにその「クソチョン」と同じレベルで張り合っているのだということは、自覚しておいてもいいだろう(※7)。
と、まあ実はそんな話はどうでもよくて、私は前出の池江選手の白血病カミングアウトから、母のことを思い出している。母は白血病ではなかったが、やはり癌で五十代の若さで逝った。
前出の池江選手とは、もとより何ら関係はない。ただの連想に過ぎない。そして、ただの連想として、父や私たちきょうだいがガンセンターにつめていた日々のことを思い出している(※8)。
そのとき-これはあくまで私の想像だが-母は、三人の子どものうち、第一子でなく、第二子(私)でもなく、一見不良っぽい見た目で、実際、三人の中で学業面でも素行面でもいちばん母に心配をかけていた末っ子こそが、誰よりも母を愛していたと知ったのではないだろうか。そういえば、看護師さんも、三人の子どもの中で、下の子が見た目に反していちばんやさしいと噂していたらしい。・・・
母が癌で倒れ、抗がん剤の副作用で髪の毛を失ったりしたこともあって、母は新規に初対面の人と会うのは嫌だろうと私は思って、恋人-今の配偶者-をなかなか紹介する勇気を持てずにいた。が、それでは本当に最後まで紹介できずじまいに終わってしまう。そう焦って、既に遅きになりつつ、何とかギリギリで意識のあるうちに、母に会ってもらえた。たしかに、その時点でもじゅうぶん遅くて、後から思えば、もっと早くに紹介しておけばよかったのにと悔やまれるが、取り返しがつかなくなる前でまだよかったのかとも思う。
それにしても、なぜこんなことを思い出したのだろうか。私自身にも、それはよくわからない。が、わからなくても別にいいのだろう。何でもかんでも「わかる」必要なんてないのであって。
(※1)
最初にこの池江さんの知名度が上がり人気が出たきっかけは、何かの大会で優勝したとき、インタビューを受けて、カメラの前で感極まって号泣した、 その飾らない素直な印象からということらしい。同じ「カメラの前での号泣」でも、世間の受容は兵庫県議会議員とはえらい違いだ(当たり前か)。
(※2)
まあ私は発言の全文は興味ないから読んでないけど、全文とやらを読んだ知人によれば、全文を通して読んでも、そんなに大差はないらしいw。
(※3)
ではパラリンピックは・・・?パラメダルにはそもそも価値を認めていないのか?
たとえ同じメダル有力選手が病気になったとしても、もしパラ選手ならこんなにマスコミがよってたかって取り上げたのか、とそんなことも思わないでもない。
私などは普段はテレビをほとんど見ないものの、かろうじてEテレだけついているときにはついているから、パラリンピックもそれなりにプッシュされている印象を持ったりするが、実際には商業放送では、オリンピックの100分の1も扱われていないだろう。本番までずっとこうなのだろうか。報道量の平等化を義務づけたりする気は誰にもないのだろうね、どうせ。
そういえば、まことに変な想像で恐縮だが、くだんの池江選手が仮に白血病でなく骨肉腫か何かになってオリンピアンからパラリンピアンに転向することになったりしたら、世の政治家やマスコミ人は、それこそみんな本心では心底「ガッカリ」するんだろうな、きっと。
(※4)
昨今の類例として、かの稀勢の里が、(血統的な意味での)日本人横綱待望の世論によって強引に横綱にされ、そしてケガをおしての出場を強いられた挙げ句に、その結果としてどんなに休場ばかりが続いても、それはそれでなかなか引退もさせてもらえず、最後には満身創痍の「惨めな最弱横綱」のごとく世間から言われて引退へと至った、気の毒な犠牲者だったりするように。
(※5)
興味のある向きは、「五輪憲章違反」「NHK」「刈谷」で検索すると、なかなかいい記事がヒットする。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/598.html
https://yuruneto.com/nhk-kokui/
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/194.html
(※6)
五輪憲章がことさらに「オリンピックは国威発揚の場ではない。国と国とで競いあうものではない」と謳っているのは、やはりナチスドイツのプロパガンダに利用された1936年のベルリン五輪ーただ、レニ・リーフェンシュタールの記録映画が、プロパガンダの背景をキチンとふまえた上で、それでもやはり「傑作」なのは事実だがーの反省からだろう(しかし、そのわりには、戦後もずっと、夏冬とも、五輪をそれこそ「国威発揚」の場だとはき違えている国を開催国に選んでいることがやたら多いような気はするが・・・(苦笑)。もちろん日本も含めて)。
まあ、とりあえず、われわれの場合、いろいろな意味で全体主義的ナショナリズムの歴史に対する真摯な、根本的な「反省」がないのは事実だろう。それがいいか悪いかということではなく(それから、話は変わるが、先の大戦においても「反省」とかいう以前に、国民みんな、戦争を人災じゃなく天災と考える、お上にとっては実に都合のいい思考癖があるのか、敵国に対しても、「大元帥」に対しても、政治家に対しても、官僚に対しても、軍人に対しても、おもしろいぐらいに「恨み」というか糾弾的スタンスはないようだね。いいか悪いかは別として(それらを恨んでいるリアルタイム人なんて中沢啓次ぐらいか))。
(※7)
ついでに死刑制度の存廃についての政府及び国民の意識についても、わが国にとっては、憧れの欧米ではなく、忌み嫌っているはずの「シナ」や「北鮮」のほうがよほど「お仲間」なのである。
(※8)
余談ながら、この時、私はパラリンピアンの佐藤真海(谷真海)さんと会っている。いや、お話ししたわけではないから、「会っている」ではなく、「見ている」と書くべきか。
15年以上前、亡母が入院していた東京・築地の国立がんセンター中央病院にて、私は、すれ違った車椅子に乗った女の子の、片足がないのを見て、(若い娘なのに、かわいそうに!)と、衝撃を受けたことをハッキリと覚えている。その時の光景は今もまざまざと思い出せる。私の母がそうだったように、おそらく抗がん剤のために頭髪が抜けたのだろう、バンダナを着用していたことも。だけど、意外と悲愴な顔はしていなくて、凛とした表情をしていたことも。
その後、この時のことはしばらく思い出すこともなくなっていたのだが、ある時、たまたまこの佐藤真海(谷真海)さんの記事に触れ、2002年の春に、国立がんセンターで、骨肉腫のために片足を切断したとの記述を目にして、(あ・・・あの時の・・・)と、思い出したのだった。たしかに、時期的に間違いない、そうか、あの時の女の子か!・・・と。
そんなわけで、先方は私のことなど一生知ったこっちゃないだろうが、私のほうでは、その時の記憶から、勝手に知り合いのように錯覚して、応援するようになったのだった。
商業マスコミでも個人のネット記事でも、とっくに多くの善意の応援コメントが溢れていることだろう、たぶん。若いのにかわいそう、という声。若いから体力あるんで大丈夫!という声。若いからこそ進行も早そうで、むしろ心配という声。・・・どれも正しいのだろう、たぶん。
私はといえば、一人の同胞として、ご快復をお祈りしますと書きたいのはやまやまながら、まあ、日本中の善男善女が既にそのようにお祈りしているであろう状況下で、今さら私なんかの出る幕でもあるまい。正直ファンでも何でもないから、心配する資格もおそらくはなく、だから、コメントする資格も、もとよりないのだろう。
まあ、何にせよ、罹病そのものは無論不幸なことで、病気にはならないほうがいいのは当然のことながら、それでも好感度の高い人気者の池江さんは、何万人、何十万人の人たちから「かわいそう」、「がんばって」と言われて、それ自体は何だかんだで幸せだよね、やっぱり(※1)。
今回のその池江さんの病気報道で伝えられた、
「メダルなんかいいから、とにかく生きて!」
という身内の思いも、とてもよくわかる本音なら、
「これでメダルが減っちゃうかもしれないじゃないかよ。失望だよ。せっかくの盛り上がりに水を差さないでほしいよな、まったく(意訳)」
という五輪担当大臣の発言もまた実も蓋もない本音だろう(※2)。
後者に関しては、政府関係者やスポーツ業界関係者にとって、オリンピック選手というのは、「人間」ではなく、あくまで「メダル要員」に過ぎないということだろうか(※3)。
そして、いやしくもスポーツで脚光を浴びてそれを生業にしようとする者は、「人」である以前にそうした「機能」となることを自覚的に引き受けるぐらいでなくては「トップアスリート」という名のヒーローは目指せないのかもしれない。言い換えれば、国民的スポーツヒーローというのは、最初からそれを十分に自覚して受け入れている人たちなのだろうか(※4)。
それにつけても、改めて、日本人にとっての五輪とは何なのかを思う。五輪憲章では、実は「オリンピックは、決して国と国の対決の場ではありません。国威発揚の場ではありません」と謳っているのに、みんなまったく知らないものね。
というか、マスコミはそれを国民に知らしめたくないから、あえて教えないようにしているのかな。まあ、教えても、この国の人たちには馬の耳に念仏だろうしね(※5)。
ともあれ、そのように五輪憲章に思いっ切り反している日本であり、その状況は2020年にもそれ以降にも改まることはないのだろう(※6)。
これは人づてに聞いた話だが、欧米では、五輪期間中に全新聞で自国の最新の金銀銅メダルの数を速報もしていないし、国別のメダル数ランキングを毎日更新もしていない。そんなことをしている国は、米英仏独墺伊蘭あたりではなく、「シナチョン」だ。その意味で私たちの国は、欧米ではなく、皆さんのどゎ~い好きな(笑)「シナチョンロスケ」、すなわち、中国、韓国、北朝鮮、ロシアのお仲間なのだ。
われわれは、韓国を嘘つきのアホの腐れ国家だと言いつつ、まさにその「クソチョン」と同じレベルで張り合っているのだということは、自覚しておいてもいいだろう(※7)。
と、まあ実はそんな話はどうでもよくて、私は前出の池江選手の白血病カミングアウトから、母のことを思い出している。母は白血病ではなかったが、やはり癌で五十代の若さで逝った。
前出の池江選手とは、もとより何ら関係はない。ただの連想に過ぎない。そして、ただの連想として、父や私たちきょうだいがガンセンターにつめていた日々のことを思い出している(※8)。
そのとき-これはあくまで私の想像だが-母は、三人の子どものうち、第一子でなく、第二子(私)でもなく、一見不良っぽい見た目で、実際、三人の中で学業面でも素行面でもいちばん母に心配をかけていた末っ子こそが、誰よりも母を愛していたと知ったのではないだろうか。そういえば、看護師さんも、三人の子どもの中で、下の子が見た目に反していちばんやさしいと噂していたらしい。・・・
母が癌で倒れ、抗がん剤の副作用で髪の毛を失ったりしたこともあって、母は新規に初対面の人と会うのは嫌だろうと私は思って、恋人-今の配偶者-をなかなか紹介する勇気を持てずにいた。が、それでは本当に最後まで紹介できずじまいに終わってしまう。そう焦って、既に遅きになりつつ、何とかギリギリで意識のあるうちに、母に会ってもらえた。たしかに、その時点でもじゅうぶん遅くて、後から思えば、もっと早くに紹介しておけばよかったのにと悔やまれるが、取り返しがつかなくなる前でまだよかったのかとも思う。
それにしても、なぜこんなことを思い出したのだろうか。私自身にも、それはよくわからない。が、わからなくても別にいいのだろう。何でもかんでも「わかる」必要なんてないのであって。
(※1)
最初にこの池江さんの知名度が上がり人気が出たきっかけは、何かの大会で優勝したとき、インタビューを受けて、カメラの前で感極まって号泣した、 その飾らない素直な印象からということらしい。同じ「カメラの前での号泣」でも、世間の受容は兵庫県議会議員とはえらい違いだ(当たり前か)。
(※2)
まあ私は発言の全文は興味ないから読んでないけど、全文とやらを読んだ知人によれば、全文を通して読んでも、そんなに大差はないらしいw。
(※3)
ではパラリンピックは・・・?パラメダルにはそもそも価値を認めていないのか?
たとえ同じメダル有力選手が病気になったとしても、もしパラ選手ならこんなにマスコミがよってたかって取り上げたのか、とそんなことも思わないでもない。
私などは普段はテレビをほとんど見ないものの、かろうじてEテレだけついているときにはついているから、パラリンピックもそれなりにプッシュされている印象を持ったりするが、実際には商業放送では、オリンピックの100分の1も扱われていないだろう。本番までずっとこうなのだろうか。報道量の平等化を義務づけたりする気は誰にもないのだろうね、どうせ。
そういえば、まことに変な想像で恐縮だが、くだんの池江選手が仮に白血病でなく骨肉腫か何かになってオリンピアンからパラリンピアンに転向することになったりしたら、世の政治家やマスコミ人は、それこそみんな本心では心底「ガッカリ」するんだろうな、きっと。
(※4)
昨今の類例として、かの稀勢の里が、(血統的な意味での)日本人横綱待望の世論によって強引に横綱にされ、そしてケガをおしての出場を強いられた挙げ句に、その結果としてどんなに休場ばかりが続いても、それはそれでなかなか引退もさせてもらえず、最後には満身創痍の「惨めな最弱横綱」のごとく世間から言われて引退へと至った、気の毒な犠牲者だったりするように。
(※5)
興味のある向きは、「五輪憲章違反」「NHK」「刈谷」で検索すると、なかなかいい記事がヒットする。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/598.html
https://yuruneto.com/nhk-kokui/
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/194.html
(※6)
五輪憲章がことさらに「オリンピックは国威発揚の場ではない。国と国とで競いあうものではない」と謳っているのは、やはりナチスドイツのプロパガンダに利用された1936年のベルリン五輪ーただ、レニ・リーフェンシュタールの記録映画が、プロパガンダの背景をキチンとふまえた上で、それでもやはり「傑作」なのは事実だがーの反省からだろう(しかし、そのわりには、戦後もずっと、夏冬とも、五輪をそれこそ「国威発揚」の場だとはき違えている国を開催国に選んでいることがやたら多いような気はするが・・・(苦笑)。もちろん日本も含めて)。
まあ、とりあえず、われわれの場合、いろいろな意味で全体主義的ナショナリズムの歴史に対する真摯な、根本的な「反省」がないのは事実だろう。それがいいか悪いかということではなく(それから、話は変わるが、先の大戦においても「反省」とかいう以前に、国民みんな、戦争を人災じゃなく天災と考える、お上にとっては実に都合のいい思考癖があるのか、敵国に対しても、「大元帥」に対しても、政治家に対しても、官僚に対しても、軍人に対しても、おもしろいぐらいに「恨み」というか糾弾的スタンスはないようだね。いいか悪いかは別として(それらを恨んでいるリアルタイム人なんて中沢啓次ぐらいか))。
(※7)
ついでに死刑制度の存廃についての政府及び国民の意識についても、わが国にとっては、憧れの欧米ではなく、忌み嫌っているはずの「シナ」や「北鮮」のほうがよほど「お仲間」なのである。
(※8)
余談ながら、この時、私はパラリンピアンの佐藤真海(谷真海)さんと会っている。いや、お話ししたわけではないから、「会っている」ではなく、「見ている」と書くべきか。
15年以上前、亡母が入院していた東京・築地の国立がんセンター中央病院にて、私は、すれ違った車椅子に乗った女の子の、片足がないのを見て、(若い娘なのに、かわいそうに!)と、衝撃を受けたことをハッキリと覚えている。その時の光景は今もまざまざと思い出せる。私の母がそうだったように、おそらく抗がん剤のために頭髪が抜けたのだろう、バンダナを着用していたことも。だけど、意外と悲愴な顔はしていなくて、凛とした表情をしていたことも。
その後、この時のことはしばらく思い出すこともなくなっていたのだが、ある時、たまたまこの佐藤真海(谷真海)さんの記事に触れ、2002年の春に、国立がんセンターで、骨肉腫のために片足を切断したとの記述を目にして、(あ・・・あの時の・・・)と、思い出したのだった。たしかに、時期的に間違いない、そうか、あの時の女の子か!・・・と。
そんなわけで、先方は私のことなど一生知ったこっちゃないだろうが、私のほうでは、その時の記憶から、勝手に知り合いのように錯覚して、応援するようになったのだった。