習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

失望してもいいですか

2019-02-24 14:10:17 | スポーツ
 既にかなり旧聞に属するし、そもそも過度に大騒ぎすべきことなのかとも疑問に思うが、白血病であると公表した水泳の池江璃花子選手についての話題である。
 商業マスコミでも個人のネット記事でも、とっくに多くの善意の応援コメントが溢れていることだろう、たぶん。若いのにかわいそう、という声。若いから体力あるんで大丈夫!という声。若いからこそ進行も早そうで、むしろ心配という声。・・・どれも正しいのだろう、たぶん。

 私はといえば、一人の同胞として、ご快復をお祈りしますと書きたいのはやまやまながら、まあ、日本中の善男善女が既にそのようにお祈りしているであろう状況下で、今さら私なんかの出る幕でもあるまい。正直ファンでも何でもないから、心配する資格もおそらくはなく、だから、コメントする資格も、もとよりないのだろう。
 まあ、何にせよ、罹病そのものは無論不幸なことで、病気にはならないほうがいいのは当然のことながら、それでも好感度の高い人気者の池江さんは、何万人、何十万人の人たちから「かわいそう」、「がんばって」と言われて、それ自体は何だかんだで幸せだよね、やっぱり(※1)。


 今回のその池江さんの病気報道で伝えられた、
「メダルなんかいいから、とにかく生きて!」
という身内の思いも、とてもよくわかる本音なら、
「これでメダルが減っちゃうかもしれないじゃないかよ。失望だよ。せっかくの盛り上がりに水を差さないでほしいよな、まったく(意訳)」
という五輪担当大臣の発言もまた実も蓋もない本音だろう(※2)。

 後者に関しては、政府関係者やスポーツ業界関係者にとって、オリンピック選手というのは、「人間」ではなく、あくまで「メダル要員」に過ぎないということだろうか(※3)。
 そして、いやしくもスポーツで脚光を浴びてそれを生業にしようとする者は、「人」である以前にそうした「機能」となることを自覚的に引き受けるぐらいでなくては「トップアスリート」という名のヒーローは目指せないのかもしれない。言い換えれば、国民的スポーツヒーローというのは、最初からそれを十分に自覚して受け入れている人たちなのだろうか(※4)。


 それにつけても、改めて、日本人にとっての五輪とは何なのかを思う。五輪憲章では、実は「オリンピックは、決して国と国の対決の場ではありません。国威発揚の場ではありません」と謳っているのに、みんなまったく知らないものね。
 というか、マスコミはそれを国民に知らしめたくないから、あえて教えないようにしているのかな。まあ、教えても、この国の人たちには馬の耳に念仏だろうしね(※5)。
 ともあれ、そのように五輪憲章に思いっ切り反している日本であり、その状況は2020年にもそれ以降にも改まることはないのだろう(※6)。
 
 これは人づてに聞いた話だが、欧米では、五輪期間中に全新聞で自国の最新の金銀銅メダルの数を速報もしていないし、国別のメダル数ランキングを毎日更新もしていない。そんなことをしている国は、米英仏独墺伊蘭あたりではなく、「シナチョン」だ。その意味で私たちの国は、欧米ではなく、皆さんのどゎ~い好きな(笑)「シナチョンロスケ」、すなわち、中国、韓国、北朝鮮、ロシアのお仲間なのだ。
 われわれは、韓国を嘘つきのアホの腐れ国家だと言いつつ、まさにその「クソチョン」と同じレベルで張り合っているのだということは、自覚しておいてもいいだろう(※7)。


 と、まあ実はそんな話はどうでもよくて、私は前出の池江選手の白血病カミングアウトから、母のことを思い出している。母は白血病ではなかったが、やはり癌で五十代の若さで逝った。
 前出の池江選手とは、もとより何ら関係はない。ただの連想に過ぎない。そして、ただの連想として、父や私たちきょうだいがガンセンターにつめていた日々のことを思い出している(※8)。
 そのとき-これはあくまで私の想像だが-母は、三人の子どものうち、第一子でなく、第二子(私)でもなく、一見不良っぽい見た目で、実際、三人の中で学業面でも素行面でもいちばん母に心配をかけていた末っ子こそが、誰よりも母を愛していたと知ったのではないだろうか。そういえば、看護師さんも、三人の子どもの中で、下の子が見た目に反していちばんやさしいと噂していたらしい。・・・

 母が癌で倒れ、抗がん剤の副作用で髪の毛を失ったりしたこともあって、母は新規に初対面の人と会うのは嫌だろうと私は思って、恋人-今の配偶者-をなかなか紹介する勇気を持てずにいた。が、それでは本当に最後まで紹介できずじまいに終わってしまう。そう焦って、既に遅きになりつつ、何とかギリギリで意識のあるうちに、母に会ってもらえた。たしかに、その時点でもじゅうぶん遅くて、後から思えば、もっと早くに紹介しておけばよかったのにと悔やまれるが、取り返しがつかなくなる前でまだよかったのかとも思う。

 それにしても、なぜこんなことを思い出したのだろうか。私自身にも、それはよくわからない。が、わからなくても別にいいのだろう。何でもかんでも「わかる」必要なんてないのであって。



(※1)
最初にこの池江さんの知名度が上がり人気が出たきっかけは、何かの大会で優勝したとき、インタビューを受けて、カメラの前で感極まって号泣した、 その飾らない素直な印象からということらしい。同じ「カメラの前での号泣」でも、世間の受容は兵庫県議会議員とはえらい違いだ(当たり前か)。


(※2)
まあ私は発言の全文は興味ないから読んでないけど、全文とやらを読んだ知人によれば、全文を通して読んでも、そんなに大差はないらしいw。


(※3)
ではパラリンピックは・・・?パラメダルにはそもそも価値を認めていないのか?
たとえ同じメダル有力選手が病気になったとしても、もしパラ選手ならこんなにマスコミがよってたかって取り上げたのか、とそんなことも思わないでもない。
私などは普段はテレビをほとんど見ないものの、かろうじてEテレだけついているときにはついているから、パラリンピックもそれなりにプッシュされている印象を持ったりするが、実際には商業放送では、オリンピックの100分の1も扱われていないだろう。本番までずっとこうなのだろうか。報道量の平等化を義務づけたりする気は誰にもないのだろうね、どうせ。
そういえば、まことに変な想像で恐縮だが、くだんの池江選手が仮に白血病でなく骨肉腫か何かになってオリンピアンからパラリンピアンに転向することになったりしたら、世の政治家やマスコミ人は、それこそみんな本心では心底「ガッカリ」するんだろうな、きっと。


(※4)
昨今の類例として、かの稀勢の里が、(血統的な意味での)日本人横綱待望の世論によって強引に横綱にされ、そしてケガをおしての出場を強いられた挙げ句に、その結果としてどんなに休場ばかりが続いても、それはそれでなかなか引退もさせてもらえず、最後には満身創痍の「惨めな最弱横綱」のごとく世間から言われて引退へと至った、気の毒な犠牲者だったりするように。


(※5)
興味のある向きは、「五輪憲章違反」「NHK」「刈谷」で検索すると、なかなかいい記事がヒットする。
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/598.html
https://yuruneto.com/nhk-kokui/
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/194.html


(※6)
五輪憲章がことさらに「オリンピックは国威発揚の場ではない。国と国とで競いあうものではない」と謳っているのは、やはりナチスドイツのプロパガンダに利用された1936年のベルリン五輪ーただ、レニ・リーフェンシュタールの記録映画が、プロパガンダの背景をキチンとふまえた上で、それでもやはり「傑作」なのは事実だがーの反省からだろう(しかし、そのわりには、戦後もずっと、夏冬とも、五輪をそれこそ「国威発揚」の場だとはき違えている国を開催国に選んでいることがやたら多いような気はするが・・・(苦笑)。もちろん日本も含めて)。
まあ、とりあえず、われわれの場合、いろいろな意味で全体主義的ナショナリズムの歴史に対する真摯な、根本的な「反省」がないのは事実だろう。それがいいか悪いかということではなく(それから、話は変わるが、先の大戦においても「反省」とかいう以前に、国民みんな、戦争を人災じゃなく天災と考える、お上にとっては実に都合のいい思考癖があるのか、敵国に対しても、「大元帥」に対しても、政治家に対しても、官僚に対しても、軍人に対しても、おもしろいぐらいに「恨み」というか糾弾的スタンスはないようだね。いいか悪いかは別として(それらを恨んでいるリアルタイム人なんて中沢啓次ぐらいか))。


(※7)
ついでに死刑制度の存廃についての政府及び国民の意識についても、わが国にとっては、憧れの欧米ではなく、忌み嫌っているはずの「シナ」や「北鮮」のほうがよほど「お仲間」なのである。


(※8)
余談ながら、この時、私はパラリンピアンの佐藤真海(谷真海)さんと会っている。いや、お話ししたわけではないから、「会っている」ではなく、「見ている」と書くべきか。
15年以上前、亡母が入院していた東京・築地の国立がんセンター中央病院にて、私は、すれ違った車椅子に乗った女の子の、片足がないのを見て、(若い娘なのに、かわいそうに!)と、衝撃を受けたことをハッキリと覚えている。その時の光景は今もまざまざと思い出せる。私の母がそうだったように、おそらく抗がん剤のために頭髪が抜けたのだろう、バンダナを着用していたことも。だけど、意外と悲愴な顔はしていなくて、凛とした表情をしていたことも。
その後、この時のことはしばらく思い出すこともなくなっていたのだが、ある時、たまたまこの佐藤真海(谷真海)さんの記事に触れ、2002年の春に、国立がんセンターで、骨肉腫のために片足を切断したとの記述を目にして、(あ・・・あの時の・・・)と、思い出したのだった。たしかに、時期的に間違いない、そうか、あの時の女の子か!・・・と。
そんなわけで、先方は私のことなど一生知ったこっちゃないだろうが、私のほうでは、その時の記憶から、勝手に知り合いのように錯覚して、応援するようになったのだった。
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桜桃忌

2019-02-15 18:27:18 | 漫画とアニメ
 さくらももこ氏が亡くなって、もう半年になる。行年55というのは、あまりに早い(※1)。

 ただ、それでもやはり、さくらももこは、客観的に見て幸せな人だった。こう言っては失礼に聞こえるかもしれないが、あのような画力でプロ漫画家になれて、しかも国民的な大ヒットに恵まれて巨額の財産にも恵まれたというのは、人生時間の長短を超えた幸せなことだ(※2)。漫画家としてのみならず、エッセイストとしても、作詞家としても、ラジオパーソナリティーとしてもそれなりの成功をおさめたのだし。

 さくらももこ氏が、かくも知名度の高い存在になったのは、もちろんアニメの影響が大きい。日本アニメーションはさくらももこに足を向けて寝られないが、さくらももこもまた日本アニメーションに足を向けて寝られまい。TARAKOもまた、さくらももこと日本アニメーションの双方に足を向けては寝られまい(※3)。


 で、絵の巧拙の話だが。
 たしかに絵柄の好き嫌いは別として、赤塚不二夫も植田まさしもいしいひさいちも西岸良平(※4)も北見けんいちも密度の薄い単純な線で(※5)、特段に絵がうまい漫画家ではない(※6)。
 が、さくらももこの、とくに初期の下手さは半端ではない(※7)。最初はかなり驚いた。蛭子能収並みだ。

 ただ、デビューに至る経緯を回顧した『夢の音色』(1987)にあるように、もともとは普通の少女漫画を描いていた(※8)さくらももこが、他の投稿者と差別化するために、あえてまったく絵柄を変えてエッセイ的漫画を描くようになったということらしいので、正統派の絵が描けないということでは決してないのだと思う。このことは、さくらももこの名誉のために言っておいてもいいだろう(※9)。


 さて。
 そんなさくらももこの代表作『ちびまる子ちゃん』が日曜夕方に始まって大ブレークした90~91年頃、私は高校生で、私のいた学校でもずいぶん流行ったものである。まる子を賞賛するあまり、『サザエさん』をなぜか異様なまでの情熱をこめてディスっていたK.I.氏。さくらさきこさん(※10)こそ理想の女性だと、これまた情熱をこめて公言していた変態的なS.M.生(※11)。・・・
 みんな、みんな、『まる子』にハマっていた。『りぼん』本誌でもともと知っていた者も、そうでない者も。

 ただ、絵柄自体が、原作もアニメも他の長寿作品-たとえば『亀有』-と同じくだんだん洗練されスッキリ見やすくなっていくのに反比例して、他の長寿作品-たとえば『亀有』-と同様に、内容は落ちていったように思われてならない(※12)。
 もちろん、そういう物言いというのは、若い世代から見れば老人の懐古癖のイチャモンに過ぎない場合が大半だが、『亀有』と『まる子』に関しては正当に思えてしまう(※13)。レトロテイストのアルアルエッセイ漫画ではなくなったからね、少なくとも(※14)。
 はまじ、たまちゃん、ブー太郎のような実在した普通のキャラより、野口さん、永沢くん、藤木くんといった創作のエキセントリックなキャラに頼るようになってからは-90年代半ば以降、アニメでいうと再開以降は-、好き嫌いは人それぞれだが、少なくともエッセイ漫画という初心からは別物になり果てたのは事実だろう(※15)。優劣評価とも好き嫌い評価とも別に事実として。


 アルアル的エッセイ漫画の醍醐味という部分では、単行本初期の後ろのほうに入っていた「ほのぼの劇場」としてまとめられた初期の短編こそ、さくらももこエッセイ漫画のエッセンスだろう。実際、前出の同級生K.I.氏などは最初『まる子』目当てで単行本を買ったが、巻末の短編群のほうにハマっていたものだ。かくいう私も、K.I.氏と同様に、『まる子』本編より読み切り短編群のほうが気に入ったお仲間の一人である。

 たとえば、『あこがれの鼻血』(1985)など、読みやすくて感情移入もしやすい、お手頃なアルアルエッセイという感じで、『5月のオリエンタル小僧』(1986)や『放課後の学級会』(1988)と同様に『まる子』本編に編入される形でアニメ化もされているが、これらは『まる子』シリーズ本体よりも起承転結もしっかりしており、ビギナー向けのお勧め作と言っていいだろう。
 また、『みんな恥知らず』(1986)の最後の、
「子どもの心って、大人の固くなってしまった心ではわからないほど敏感で傷つきやすくて、ほんの些細なことでいちいち悩んでいるのです」
という言葉は、私にとって、はじめて読んだ高校生の頃から、大学で教育心理学を専攻していた頃まで、妙に心に深く残っていた言葉である。
 『いつか遠いところで』(1988)は、さくらももこが学生時代に家庭教師をしたときのエピソードだが、有名大学の学生が掃いて捨てるほど生息している東京城南地区で学生時代を過ごした自分からしたら、失礼ながら無名の短大生にそんな何軒も家庭教師の口があるという清水の事情に、何だか驚いてしまう(※16)。

 そして、『ひとりになった日』(1987)は、読んでからだいぶ経った頃に、私もほとんど同じ経験をしたので、私にとっては最も親近感のある、思い入れのある佳品である。普通に実写ドラマ化しても、きっと感情移入しやすい作品に仕上がるに相違ない。
 それから、妹の姉へのコンプレックスをテーマにした『フランス人形とちび姫』(1988)は、さくらさきこファンにはバイブルとも言うべき作品で、私も印象に残っている。
 受験生の夏休みを描いた『夏の色もみえない』(1987)も、何となくほんのりとしたリリカルな味わいがよい、愛すべき小品。
 初潮をテーマにした『いつものかえりみち』(1988)などは、年齢的に『まる子』本編には編入しようがない読み切り短編ならではの話であるとともに、当然ながら絶対に女流漫画家にしか描けない作品である。
 かなり恋愛テイストの強い高校時代の話、『陽だまりの粒』(1991)は、ある意味、正統派少女漫画に近い作品であり、作者がもともと描きたかったのは、こんな世界だったのかもしれないとも思う(※17)。

 かくして、あざとくなってからの『まる子』本編に興味を失って久しい私ですら、これらの初期短編はちょっとした座右の宝であり、今もヒマがあると文庫に手がのびることがあるのだった。


 合掌。



(※1)
中村勘三郎丈のとき、北の湖理事長のとき、小林麻央さんのときの書き出しと同じ・・・って、自分で自分をパロッてどうする??


(※2)
これも小林麻央氏のときと同じ物言いだな。こっちについては、自分で自分をパロッているつもりでもないんだが(苦笑)。


(※3)
正直、TARAKOに声優としての才がそれほどあるかどうかは私は懐疑的なのだが、ルパンの山田康雄やドラえもんの大山のぶ代と同様に、 地声のままで日本人の誰もが知る取り換え不能なオンリーワンの声として必要とされているのなら、まあやはり「才能がある」のだろう。たぶん(なお野原しんのすけの矢島晶子は地声そのままではない)。
それに、たとえまる子のイメージが強すぎて他の役ができなくなったとしても、長寿番組のタイトルロールにはそれと引き換えにするだけの価値があろう。


(※4)
西岸良平の絵は密度の薄い一見すると単純で簡単な絵なれど、なかなか侮れない。
一平の同級生の一人、「ズボン女」こと「松本聖子ちゃん」が、他のキャラと同様に単純な線の顔なのに、なぜか他の娘たちとはレベチの美少女だってことがちゃんとすぐわかるあたり。「やるな、おぬし!さすがはハリー細野の認めた才覚よ!」と感服したくなる。


(※5)
あとはまあ人物の絵の密度と背景の絵の密度がまるで別次元という水木しげるのような、いささか変わった人もいるが。


(※6)
ただし、一見密度の薄い、単純で簡単そうな絵だからと言って、誰でも同じように描けるかというと、さにあらず。
実際、本稿の主題であるまる子ちゃんなんて、いかにも簡単そうな絵でありながら、別の人が描くと、どうしても似ない。どこか違う。単純そうな絵ほど、意外に同じようには描けないという不思議がある。
かのスヌーピーなど、まさにその典型であろう。簡単そうに見えて、誰が描いてもああは描けない。どうしても間抜けなニセスヌーピーになってしまう。あのスヌーピーの顔の微妙な曲線は、おそらくシュルツ画伯本人にしか描けないものなのだろう。


(※7)
後期はそれなりに絵柄は整理され綺麗になった。また、自画像は、はっきり言って現実の山田花子みたいな本人よりはるかにかわいく洗練されていた。まるで小林よしのりみたいなナルシズム美化願望自画像だ(あと、高橋留美子も美化タイプとして指を屈してよさそうだが、高橋留美子の場合、美化というよりいつまでも若くてスリムな時代の姿のままの自画像と言うべきか)。
漫画家の自画像というと、水木しげるなどはただ淡々と自分の似顔絵を描いているだけだが、手塚治虫のように、ややコミカルにデフォルメして描くのが普通で、石ノ森章太郎の、あのおなじみの、顔のパーツが中央に集まったような特徴的な自画像などは、コミカルにデフォルメしたタイプの典型だろう。
いっぽう、鳥山明のガスマスクロボットの自画像は、美化でもデフォルメでもただの似顔絵でもなく、自身の実際の顔と何ら関係ないという変わったタイプのものだが、わざと個人を特定しにくくしたのだろうか(もっとも、「ペンギン村グランプリ」、「世界一つおいのだーれだ大会」のときのような、ごく普通の自画像のときもあったが)。


(※8)
世代的にはたぶん高橋亮子の作品あたりを読んだ世代だろうか。いいなあ、高橋亮子の漫画は。アニメになっていればよかったのに。忘れ去られてしまうには、あまりに惜しい。高橋亮子作品の素晴らしさについても、いつか別稿で詳述したいものである。


(※9)
たとえば、作品の知名度のわりに作者名が記憶されていないことでは吉沢やすみと双璧と言っていい、『あさりちゃん』の室山まゆみなども、ドタバタギャグの印象が強いが、ゲストの大人の女性キャラの顔などは明らかに王道少女漫画タッチである(ただ90年代以降の世間一般の少女向け漫画は、そもそも昔の萩尾望都作品みたいに露骨に「瞳に星」なんていう絵ではないが)。
なお余談ながら、室山まゆみが実は「二人で一人」型の漫画家であることは、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)と違ってあまり知られていないが、とくにきょうだい漫画家というユニットは世界的にも珍しいかもしれない(他ジャンルならウォシャウスキー兄弟とか来生たかお&来生えつこなんてのもいるが)。ウィキペディアによると、室山まゆみはストーリーも絵も完全な合作スタイルだそうで、原作と絵で分かれるゆでたまご(つまり『巨人の星』や『美味しんぼ』や 『釣りバカ日誌』のスタイル)やペンネームは共同でも実質的には一部を除いてそれぞれ別々に描いていた藤子不二雄とは、その点でも一線を画している。


(※10)
漫画の中でのまる子ことさくらももこは実際は三浦美紀、お姉さんのさくらさきこは実際は三浦範子というらしいが。


(※11)
たしかにお姉さんは、さくらももこの単純な絵でも、群を抜いてかわいいルックスに描かれてはいるが(2006年の実写ドラマスペシャルで見たときも、まる子より率直に言ってずっとかわいかったものね)。
でも、清水のちびまる子ちゃんランドのディスプレイや販売グッズなどについては、キャラとして 推されているのはまる子とクラスメートばかりで、おじいちゃん以外の家族は無視に近い扱いである。けだし不当なり。お姉さんは、たぶん隠れファンがかなり多いと思うのだが。


(※12)
個人的には『亀有』で一番すきな回は「北国よいとこ」(59巻所収)だ。着想もいいし、構成も実に無駄がなく、完璧である。
限られたページ内での無駄のない完璧な構成という点で、『パーマン』の「死の船」、「わたしの命は狙われている」、『ドラえもん』の「白ゆりのような女の子」、『めぞん一刻』の「一刻館の昼と夜」、『ポーの一族』の「グレンスミスの日記」らと比肩できよう。


(※13)
ドラゴンボールもそうだが、初期の冒険ファンタジーコメディ作品と中期以降の戦闘力インフレバトル作品ではあまりに別物すぎるので、これはもはや同じ比較の俎上に乗せるべきではなかろう。優劣や好き嫌いは別として(「子どもに夢を」をモットーとする故・寺田ヒロオ氏あたりなら、初期のドラゴンボール探しのあたりは絶賛しても、フリーザやセルのあたりは、漫画として認めないかもね)。


(※14)
まあ、実際の子どもの頃のエピソードだけでは、何十年ものロングラン作品としてはネタがもたないのは当然である。


(※15)
ただ、エッセイ漫画ではなくとも、やはり小学校を舞台にした日常っぽい子ども向け作品でなければ受けないということか、鳴り物入りで期待されアニメになった『コジコジ』が一敗地にまみれ、『まる子』以外にも代表作をと狙った作者にとっても、フジテレビの二匹目のドジョウを狙ったTBSにとっても悲惨な黒歴史に終わってしまったことを思うと、何とも痛ましい(そういえば、アニメ版の『三丁目の夕日』が90年代初頭にやはりTBS系列でアニメ化され、後の実写映画のようにはヒットせずに終わってしまったことがあったが、あれも同時期のフジテレビの『まる子』大ヒットに触発され、昭和の子ども時代懐古アニメという伝で二匹目のドジョウ狙いが外れたものだったのだろうか。どうもこのあたりの時期のTBSは、「貧すれば鈍する」だったようだな)。


(※16)
まあ、たしかに私がかつて勤めたことのある個別指導塾でも、女子学生講師の中には、たまに一流とは呼ばれない大学の人もいたようだが・・・でも、そういう人は、やっぱり小学生の授業しかやらせてもらえてなかったみたいね。


(※17)
作者の自画像に、既に美化癖のバイアスがだいぶ見えるところはご愛嬌。
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